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二章 スピード婚と結婚生活

アンセル様のお部屋

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 男爵家に一泊泊めてもらって、翌朝立つことになった。
 お義父様たちは、
「もっと泊まっていけばいいのに」
 と不満げだったが、アンセル様の仕事の関係で一泊しかできなかったのだ。

 夕食をいただいた後、アンセル様のお部屋で私も一緒に休むことになった。夫婦なので同じ部屋を用意されるのは、当然と言えば当然だけど。
 先に湯あみさせてもらった私は、ソファーに座ってアンセル様が湯あみから戻って来るのを待っていた。
「終わりましたわ。プリシラ様」
「ありがとう」
 私の支度を整えてくれたメイドが、頭を下げて退室する。
 待っている間、部屋の物を好きに見てもいいと言われているのだけれど、
(全然物がないわ)
 黒壇のテーブルと二人掛けのソファー。ベッドに小さな本棚。それだけだ。

(こちらには今は住まれてないから、物がなくても当然かもしれないけど)
 アンセル様のお屋敷の部屋を見たことがないので比べられないのだけれど、そもそも物を持たない方な気がする。
(私には与えすぎなほど色々くださるのに)
 愛以外は。
 まるで、愛を与えられない代わりに物をくださっているみたいに。
 机の引き出しを開けてみると、木箱が入っていた。箱を開けてみると、
「腕輪……」
 大きさから言って男性の物。アンセル様の物だろう。
 偶然にも私と同じデザインだ。多分同じ店で購入したのだろう。はまっている石はアメジスト。
 アンセル様はアクセサリーを普段身に着ける方ではない。きっと恋人に請われでもしなければ。
(アンセル様、結婚したいお相手が別にいたのかしら……。多分、私と同じ、紫の目を持っている……)
 でも何か理由があってできなかったのだろう。きっと私は、その方の身代わりなのだ。
 そういえば、私はアンセル様とお揃いの何かを身に着けていないことに今さらながら気づいて、私は胸がちくりと痛んだ。夫婦でお揃いの装飾品を身に着けることは一般的ではないのだけど。名前も知らないこの人にはあげようとしたのに、私はもらうことはできないのだ、と思った。

「痛……!」
 腕輪を見ていたら、不意に頭の奥が痛くなり、私は頭を押さえた。立っていることができなくて、その場にうずくまる。手から腕輪がこぼれ落ちて、床に転がった。
「プリシラ?大丈夫か…?!」
 いつの間にか戻っていたらしいアンセル様が、頭を押さえる私を見て駆け寄ってくる。
「これは……」
「申し訳ありません。腕輪……落としてしまって」
 床に転がった腕輪を見て、アンセル様は厳しい表情になったが、私をとがめなかった。
 自由に見ていいとおっしゃったのは、アンセル様だからだろう。
 腕輪を拾い上げて箱に戻すと、引き出しにしまい込む。

「とりあえず休め」
「はい……」
 アンセル様は私を抱き上げてくれた。申し訳ないと思ったが、自分で歩けそうになかったので私はされるがままだった。私を優しくベッドに座らせて、テーブルの上に置いてあった水差しから水をコップに注ぎ、差し出した。
「ありがとうございます。アンセル様」
 水を飲み終えた頃には、落ち着いたせいか頭痛は治まっていた。飲みほしたコップを私の手から取って、サイドテーブルに置く。

「横になれ」
「でもアンセル様に頂いたお水を飲んだら、良くなりました」
「そうか」
 アンセル様が表情を緩ませたが、首を振る。
「だが、横になっておけ」
「はい」
 こんなに心配なさっているのに、抵抗するのは申し訳ないので、私はおとなしく横になった。アンセル様は優しく絹の上掛けをかけてくれた。ベッドの脇に腰かけて、優しい目で私を見下ろしている。
 こんなに優しい方を、縛り付けるのは良くないと思った。出過ぎた真似かもしれないけれど。

「アンセル様は……本当は、別に添い遂げたい方がいらしたのではないですか?」
(それならすぐには無理でも、私と離縁してその方と一緒になれば……)
 お金は少しずつ返すしかないけれど。
 けれど私の言葉に、アンセル様はまた表情を厳しくした。冷たく言い放つ。
「彼女とは訳があって結婚できなかった。だが君には関係ないことだ。腕輪のことは忘れろ」
(やっぱり……いらしたのね)
 私の想像が当たっていたことに、なぜかまた、心がちくりと痛む。

「はい。申し訳ありません。アンセル様」
 確かにアンセル様に好きな方がいようと、私に何も言う権利はない。私は偽りの妻だから。
 「私と離縁してその方と添い遂げたらどうですか」なんて、事情も知らないのに軽々しく言えない。
「僕の家族に挨拶したりして疲れただろう。もう休め。僕もすぐ休む」
「お先に休ませていただきます。おやすみなさいませ。アンセル様」
「お休み、プリシラ」
 背を向けようとしたアンセル様を見て、急に不安に駆られた私は、図々しいお願いをした。
「アンセル様、手を……握っていてくれませんか」
「……仕方ないな」
 優しいアンセル様は、私の隣に体を滑り込ませると、そっと手を握ってくれた。
「僕も一緒にこのまま休む。だから安心して眠れ」
「ありがとうございます。アンセル様……」
 優しいアンセル様のテノールに、幸せな気分になった。
 
 私は、醜い。

 アンセル様に添い遂げたい方がいるのなら、その人と結婚させてあげたい。
 確かにそういう気持ちはある。
 でも一方で時折優しさを見せてくれるアンセル様に、惹かれているのも事実だ。
 それは異性を慕う気持ちではなく、両親を亡くしたばかりだから頼りたいだけなのかもしれないけれど。今、アンセル様を失ってしまったら、私はたまらなく辛い。
 アンセル様に本当の思い人と結婚の意思がないことに、私は確かにほっとした。心の中でアンセル様と名前も知らないその人に、
「ごめんなさい」
 と謝罪した。
 アンセル様は私を見つめていた優しい目を、軽く見開いた。
「謝る必要はない。君は僕の妻だ。妻の要望にできる限り答えるのは僕の義務だ。まだしてほしいことがあれば、遠慮せずに言え」
 心の中で呟いたつもりが、口に出してしまったらしい。
「ありがとうございます。アンセル様。でも、手を握っていただいただけで、十分です」
 アンセル様にとって、義務でしていることでも、私のわがままに答えてくれることが、たまらなく嬉しい。これ以上を求めるのは申し訳ない。
 でももう少しアンセル様に触れたい。
 それだけは許してほしくて、私はそっとアンセル様の手に頬を寄せた。アンセル様はふっと笑って、私の頭を撫でると優しく抱き寄せてくれた。
 私は驚いたけど、もちろんあらがうことはしなかった。本当はあらがわなければいけないのだろうけど。

「……お相手の方はどんな方なのですか?」
 アンセル様は少し戸惑った表情をして、口を開いた。その人のことを思い出しているのか、懐かしむような眼をしながら、
「初めて会った時は、僕より背が高かった。今では、僕の方が高いが。髪はルビーのような赤色で、まっすぐだった。目は君と同じアメジストのような紫。性格は活発な方だな」
「そうですか」
 自分から聞いたくせに、私は少し傷ついた。
 相手の方は私とは全く違う方なのだ、とむざむざと突き付けられたようで。そのことで、なぜ傷つくのかは分からなかった。分かったらいけないと思った。

「もういいか?早く寝ろ」
「はい。おやすみなさい」
「……おやすみ」
 アンセル様のテノールに、私はゆっくりとまぶたを下ろした。
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