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二章 スピード婚と結婚生活
アンセル様のご家族とご挨拶
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結婚生活は意外にも、と言ったらなんだけど穏やかだった。
契約結婚のはずなのに、アンセル様は私に何の労働も求めなかった。しいて言えば夫婦の営みくらいだけど、それすら体調のすぐれない時は、私が何も言わなくても免除してくれた。かと言って素っ気なくなるわけでもなく、そういう時は、私が眠るまで優しく抱きしめてくれた。
アンセル様が仕事をされているときは、部屋で読書をしたり、庭を散歩したり、と一般的な貴族の奥さまのような生活をしていた。理由は教えてくれなかったけれど、「一人で外出しないように」と言い渡されていたのだ。
朝と晩の食事を可能ならば共にし、たまの休日には一緒に出掛けたり、庭でお茶をしたりする。
アンセル様が帰ってきたら一緒に過ごして、まるで、ごく普通の想い合っている夫婦みたいだと、おろかにも私に錯覚させた。少なくとも使用人たちはそう思っているみたいだし、私すらもつい「少しくらいは愛があるのではないか」と混同しそうになるほどだった。
時折アンセル様が冷たくなる時があって、そんなときに「ああ、私は偽りの妻だった」と思い出すくらい。
何もしないでいるのは申し訳がなかったので、メイドの仕事を手伝おうと思ったのだけれど、アンセル様に
「使用人の仕事を奪うのはやめろ」
と言われたのでできなかった。
お忙しいご家族の予定を何とか合わせてもらって、結婚式から一か月、私はやっとアンセル様のご家族にご挨拶することができた。
普通は結婚式の前に顔合わせをするものなのに、事後報告なんてご家族にどう思われるだろう……。
「緊張してるのか」
男爵家へ向かう馬車の中で、アンセル様がそっと口を開いた。隣同士に座っているが、体は触れない程度に離れている。
「は、はい。緊張してます」
当然だ。
(ご家族に受け入れていただけなければどうしよう)
もう結婚式も、結婚証明書のサインも済ませているので、反対されたところで受け入れていただくしかないのだけれど。
「大丈夫だ。僕の家族は君を受け入れるから」
アンセル様の自信はどこから来るのだろう、と疑問だったが、優しいテノールで私の動悸は少し収まった。
手が、そっと膝の上に置いていた私のものに重なった。予想していなかったので、思わずびくっと手を震わせてしまった。
「……悪い」
離れようとしたアンセル様の手を、ぎゅっと両手でつかむ。
「申し訳ありません。嫌だったわけじゃなくて、驚いただけで……。
アンセル様がよろしければ、握っていてください」
「僕が嫌なはずがない」
アンセル様も、両手で私の手を包み込んだ。
(愛はなくても、手をつなぐのはお嫌ではないのね)
両手で包まれると、不思議と緊張していた気持ちが収まって、落ち着いた。
まるで、アンセル様に抱きしめられているような気持ちになった。
私は嬉しい一方で、寂しさも感じた。
夫婦の営みとして抱き合うことはあっても、愛のない私たちが心から抱き合う未来など、きっと死ぬまでないのだ。
私とアンセル様を乗せた馬車は、まもなくして男爵家のタウンハウスについた。
アンセル様のお屋敷は新しかったけど、男爵家は歴史がある重厚感のある建物だった。男爵でありながら、私の実家ほどの大きさがあった。
初老の執事頭が出迎えてくれて、応接室に通される。
「初めまして。プリシラです」
私は、いつもより丁寧に淑女の礼をとった。
「座りなさい」
パリスター男爵の言葉に、私とアンセル様は椅子に腰かける。入り口側から、男爵夫人、男爵、アンセル様のお兄様のドゥーガル様の順で座られている。
机を挟んで、アンセル様が男爵の正面、私の正面は男爵夫人だ。
男爵はお噂通り厳格そうなお顔立ちで、アンセル様は夫人に似ているようだ。ただ、夫人のお顔は口元は扇子で隠れているものの、眉毛は吊り上がっているし、すでにぴりぴりした空気を醸し出している。
公爵令嬢と縁談が進んでいたはずが、しがない年上の女伯爵と挨拶に来たのだから当然だ。
ドゥーガル様もお顔は夫人に似ているようだけど、表情はにこやかでアンセル様とは性格が異なるようだった。
とりあえずお話するのは、アンセル様にお任せすることになっているので、私は黙っていることにした。どのように話を切り出すのだろうと思っていると、
「紹介します。僕の妻のプリシラです。一か月半ほど前から一緒に住んでいまして、結婚式も済ませてあります。結婚証明書にもサインしました」
(アンセル様急すぎ!)
話が早いと言えばそうだけど、前置きがなさすぎる。
「何ですって。もう二人きりで結婚式を挙げたの?結婚証明書にもサインを?」
お義母様は扇で口元を隠していたけど、怒ってらっしゃるのは扇から出ている部分だけで一目瞭然だった。吊り上がった眉をぴくぴくさせている。
そうよね。
私もそう思います。
「許可を出すどころか、挨拶にも来ていないのに?」
おっしゃる通りです。
話すたびに、お義母様の怒りは増幅している気がする。
さすがアンセル様のお母様と言うべきか、貫禄がすごい。
(……怖い怖い……!)
「僕は男爵の爵位を継ぎませんし、経済的にも独立してますから、父上、母上の許可は必要ないかと。
それに伯爵の爵位を得られたので、パリスター男爵家に繁栄しかもたらしません」
アンセル様はひるむどころか、いけしゃあしゃあと煽るようなことを言っている。
「プリシラは?」
「え、あ、は、はい!」
いきなりお義母様に話の矛先を向けられ、あっけに取られていた私は、間の抜けた返事をしてしまった。
「プリシラはこの結婚に納得しているの?アンセルを愛してるの?こんなに小難しい子なのに?顔は私に似ていいけど、捕まえた獲物にエサはあげないような子よ?」
(み、身内だからってそこまで言う?)
「わ、私はアンセル様を愛してます。縁談の申し込みをいただいて、初めてお会いしたときからお慕いしています」
戸惑いながらも私は笑顔を作って、はっきりと答えた。
神様を欺いたのだ。誰の前で嘘を吐くのも、もう怖くはない。
もうアンセル様も私も、嘘を吐き続けなければならない。ずっと十字架を背負わなければならない。それこそ、死が二人を分かつまで。
「……そう」
私の言葉にお義母様は頷いた。扇をテーブルの上に置き、椅子から立ち上がると、私の前に立った。
(な、何だろう)
何をされるのだろうという恐怖はあったが、お義母様が立っているのだから、私も立つべきだろう。私も椅子から立ち上がって、お義母様の正面に立った。
「なーんて。
やってみたかったのよね。いやな姑役。
あなたが納得しているならいいわ、プリシラ!
私たちはあなたを歓迎します」
「え?……え?」
お義母様にいきなり抱きつかれて、私は思ってもみなかった状況に頭が追い付かない。
私を腕から解放して、私の顔を優しくその手で包み込んだ。
お義母様の目は、なぜだか潤んでいた。
「お顔をよく見せて、プリシラ。まぁ本当に可愛らしい……!
ご両親のことは本当に残念だったわね。私たちのことを本当のご両親のように甘えてもいいのよ。しばらくはそんな気にはならないだろうけど」
「はい……ありがとうございます、お義母様」
お義父様とドゥーガル様も、優しい目で頷いていた。どうやら、アンセル様の言っていた通り、私はご家族に受け入れていただいたらしい。
「さぁ座って、お茶とお菓子を召し上がって。うちの料理人のお菓子はとてもおいしいの」
「はい。いただきます」
私はほっと胸をなでおろした。
契約結婚のはずなのに、アンセル様は私に何の労働も求めなかった。しいて言えば夫婦の営みくらいだけど、それすら体調のすぐれない時は、私が何も言わなくても免除してくれた。かと言って素っ気なくなるわけでもなく、そういう時は、私が眠るまで優しく抱きしめてくれた。
アンセル様が仕事をされているときは、部屋で読書をしたり、庭を散歩したり、と一般的な貴族の奥さまのような生活をしていた。理由は教えてくれなかったけれど、「一人で外出しないように」と言い渡されていたのだ。
朝と晩の食事を可能ならば共にし、たまの休日には一緒に出掛けたり、庭でお茶をしたりする。
アンセル様が帰ってきたら一緒に過ごして、まるで、ごく普通の想い合っている夫婦みたいだと、おろかにも私に錯覚させた。少なくとも使用人たちはそう思っているみたいだし、私すらもつい「少しくらいは愛があるのではないか」と混同しそうになるほどだった。
時折アンセル様が冷たくなる時があって、そんなときに「ああ、私は偽りの妻だった」と思い出すくらい。
何もしないでいるのは申し訳がなかったので、メイドの仕事を手伝おうと思ったのだけれど、アンセル様に
「使用人の仕事を奪うのはやめろ」
と言われたのでできなかった。
お忙しいご家族の予定を何とか合わせてもらって、結婚式から一か月、私はやっとアンセル様のご家族にご挨拶することができた。
普通は結婚式の前に顔合わせをするものなのに、事後報告なんてご家族にどう思われるだろう……。
「緊張してるのか」
男爵家へ向かう馬車の中で、アンセル様がそっと口を開いた。隣同士に座っているが、体は触れない程度に離れている。
「は、はい。緊張してます」
当然だ。
(ご家族に受け入れていただけなければどうしよう)
もう結婚式も、結婚証明書のサインも済ませているので、反対されたところで受け入れていただくしかないのだけれど。
「大丈夫だ。僕の家族は君を受け入れるから」
アンセル様の自信はどこから来るのだろう、と疑問だったが、優しいテノールで私の動悸は少し収まった。
手が、そっと膝の上に置いていた私のものに重なった。予想していなかったので、思わずびくっと手を震わせてしまった。
「……悪い」
離れようとしたアンセル様の手を、ぎゅっと両手でつかむ。
「申し訳ありません。嫌だったわけじゃなくて、驚いただけで……。
アンセル様がよろしければ、握っていてください」
「僕が嫌なはずがない」
アンセル様も、両手で私の手を包み込んだ。
(愛はなくても、手をつなぐのはお嫌ではないのね)
両手で包まれると、不思議と緊張していた気持ちが収まって、落ち着いた。
まるで、アンセル様に抱きしめられているような気持ちになった。
私は嬉しい一方で、寂しさも感じた。
夫婦の営みとして抱き合うことはあっても、愛のない私たちが心から抱き合う未来など、きっと死ぬまでないのだ。
私とアンセル様を乗せた馬車は、まもなくして男爵家のタウンハウスについた。
アンセル様のお屋敷は新しかったけど、男爵家は歴史がある重厚感のある建物だった。男爵でありながら、私の実家ほどの大きさがあった。
初老の執事頭が出迎えてくれて、応接室に通される。
「初めまして。プリシラです」
私は、いつもより丁寧に淑女の礼をとった。
「座りなさい」
パリスター男爵の言葉に、私とアンセル様は椅子に腰かける。入り口側から、男爵夫人、男爵、アンセル様のお兄様のドゥーガル様の順で座られている。
机を挟んで、アンセル様が男爵の正面、私の正面は男爵夫人だ。
男爵はお噂通り厳格そうなお顔立ちで、アンセル様は夫人に似ているようだ。ただ、夫人のお顔は口元は扇子で隠れているものの、眉毛は吊り上がっているし、すでにぴりぴりした空気を醸し出している。
公爵令嬢と縁談が進んでいたはずが、しがない年上の女伯爵と挨拶に来たのだから当然だ。
ドゥーガル様もお顔は夫人に似ているようだけど、表情はにこやかでアンセル様とは性格が異なるようだった。
とりあえずお話するのは、アンセル様にお任せすることになっているので、私は黙っていることにした。どのように話を切り出すのだろうと思っていると、
「紹介します。僕の妻のプリシラです。一か月半ほど前から一緒に住んでいまして、結婚式も済ませてあります。結婚証明書にもサインしました」
(アンセル様急すぎ!)
話が早いと言えばそうだけど、前置きがなさすぎる。
「何ですって。もう二人きりで結婚式を挙げたの?結婚証明書にもサインを?」
お義母様は扇で口元を隠していたけど、怒ってらっしゃるのは扇から出ている部分だけで一目瞭然だった。吊り上がった眉をぴくぴくさせている。
そうよね。
私もそう思います。
「許可を出すどころか、挨拶にも来ていないのに?」
おっしゃる通りです。
話すたびに、お義母様の怒りは増幅している気がする。
さすがアンセル様のお母様と言うべきか、貫禄がすごい。
(……怖い怖い……!)
「僕は男爵の爵位を継ぎませんし、経済的にも独立してますから、父上、母上の許可は必要ないかと。
それに伯爵の爵位を得られたので、パリスター男爵家に繁栄しかもたらしません」
アンセル様はひるむどころか、いけしゃあしゃあと煽るようなことを言っている。
「プリシラは?」
「え、あ、は、はい!」
いきなりお義母様に話の矛先を向けられ、あっけに取られていた私は、間の抜けた返事をしてしまった。
「プリシラはこの結婚に納得しているの?アンセルを愛してるの?こんなに小難しい子なのに?顔は私に似ていいけど、捕まえた獲物にエサはあげないような子よ?」
(み、身内だからってそこまで言う?)
「わ、私はアンセル様を愛してます。縁談の申し込みをいただいて、初めてお会いしたときからお慕いしています」
戸惑いながらも私は笑顔を作って、はっきりと答えた。
神様を欺いたのだ。誰の前で嘘を吐くのも、もう怖くはない。
もうアンセル様も私も、嘘を吐き続けなければならない。ずっと十字架を背負わなければならない。それこそ、死が二人を分かつまで。
「……そう」
私の言葉にお義母様は頷いた。扇をテーブルの上に置き、椅子から立ち上がると、私の前に立った。
(な、何だろう)
何をされるのだろうという恐怖はあったが、お義母様が立っているのだから、私も立つべきだろう。私も椅子から立ち上がって、お義母様の正面に立った。
「なーんて。
やってみたかったのよね。いやな姑役。
あなたが納得しているならいいわ、プリシラ!
私たちはあなたを歓迎します」
「え?……え?」
お義母様にいきなり抱きつかれて、私は思ってもみなかった状況に頭が追い付かない。
私を腕から解放して、私の顔を優しくその手で包み込んだ。
お義母様の目は、なぜだか潤んでいた。
「お顔をよく見せて、プリシラ。まぁ本当に可愛らしい……!
ご両親のことは本当に残念だったわね。私たちのことを本当のご両親のように甘えてもいいのよ。しばらくはそんな気にはならないだろうけど」
「はい……ありがとうございます、お義母様」
お義父様とドゥーガル様も、優しい目で頷いていた。どうやら、アンセル様の言っていた通り、私はご家族に受け入れていただいたらしい。
「さぁ座って、お茶とお菓子を召し上がって。うちの料理人のお菓子はとてもおいしいの」
「はい。いただきます」
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