49 / 52
五章 真実編
悪夢
しおりを挟む
プリシラが意識を失った直後、ようやく近衛騎士が到着した。男たちが連れていかれ、僕を始め怪我を負った人々は簡単に処置を受けた。
プリシラは意識を失っているものの、呼吸は安定しているので、この場でできる処置はない。一刻も早くきちんと医者に見せるべきだ。
騎士にそう説かれ、僕は慌てて彼女を抱きかかえて別の通りに走り、馬車を拾った。そんな簡単な判断もできないほどに、僕は慌てていた。
不安なまま馬車に揺られ、僕とプリシラは彼女の屋敷に向かった。
血のにじんだ包帯を巻いている僕と、気を失っているプリシラに、出迎えてくれたウォルトは気を動転させながらも、伯爵夫妻を呼びにいった。
ベッドにプリシラを寝かせ、夫妻に経緯を説明する。
「申し訳ございません。僕がついていながら」
僕が深々と頭を下げると、伯爵は
「頭を上げなさい」
と肩を叩いた。
「アンセルが謝ることはない。君は彼女を守ってくれたのだからな。何よりプリシラをかばって深手を負っている」
「プリシラの意識はちゃんと戻るのかしら」
額を手で押さえてよろめきそうになる夫人を、伯爵が支える。
「とにかく医者を呼んだ。話は診察のあとだ」
ほどなくして到着した医師が診察するのを、僕らは息を飲んで見守った。
「特に異常はありません。栄養剤を投与してしばらく様子をみましょう」
「プリシラの……娘の意識は戻るのでしょうか!?」
すがるような夫人に、医師は申し訳なさそうに
「分かりません。外傷を負って気を失ったわけではありませんから、すぐに目覚めるとは思いますが……。一時間後かもしれませんし、数年後かもしれません」
夫人は両手で顔をおおってその場に泣き崩れた。肩を抱く伯爵。
僕は少し離れたところで、黙って見ているしかなかった。
伯爵夫妻や医師が部屋を出てからも、僕は一人彼女の傍にいた。
僕は彼女のベットの脇の椅子に腰かけ、ずっと手を握っていた。
まぶたもぴくりとも動かない彼女の顔を、じっと見つめていた。
気を利かせた使用人が、軽食やお茶を運んできてくれた。だが、口にする気にはならず、最初湯気のたっていたそれらは視界の片隅で冷たくなっていき、申し訳なく思った。
どれほどの時間が経っただろう。
いつの間にか隣に伯爵が立っていた。疲れ切った表情に、十歳くらいは年を取ったように思えた。
「もう今日は帰りなさい。君も疲れているはずだよ。彼女が目覚めたらすぐに知らせると約束する」
伯爵の忠告に、僕は首を振った。
「プリシラが目覚めた時に、一番に視界にいたいのです。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんてことがあるものか。ただ疲れたら休むと約束してくれ。君が倒れる前にね」
「はい。ありがとうございます」
約束すると、伯爵はガウンを僕に羽織らせて、静かに退室した。
彼女は一日中眠り続けた。僕は、ベッドの脇で手を握って待ち続けた。彼女が目覚めるのを祈りながら。
「……んん」
いつの間にか、僕も眠ってしまったようだ。小さな声に目を開けると、プリシラがゆっくりと目を開けたところだった。
(……やはり神はいらっしゃるのだ)
「よかった。気づいたんだな、プリシラ。待っていろ、すぐご両親を呼びに……」
神に感謝しながら、僕はプリシラの手を両手で握った。
プリシラはゆっくりとまばたきをした。不思議そうな顔で、悠然と首を傾げた。
そしてスローモーションのように唇が動き、僕にとって死の宣告にも等しい残酷な言葉を告げる。
「……あなた、だれ?」
慌ただしく再び医師を呼び、程なくして診断が降りた。
ショックで記憶が退行しており、僕と再会する前までの記憶しかない。無理に記憶を取り戻そうとすると、事故のショックを甦らせずにいられないだろう。
それはすなわち、プリシラの記憶に、僕と過ごした殆どの時間が消えていることを意味していた。プリシラを傷つけないためには、消えたままにしなければならないと言うことも。
(記憶があろうとなかろうと、プリシラはプリシラのままだ。これからまた二人の時間を築いていけばいい)
彼女の記憶から自分がいなくなってしまったことに、ショックは受けたが、プリシラが目覚めたことのほうが何より大切なことだった。
僕は前向きに考えていたが、伯爵の考えは違った。
「すまない。アンセル。君といれば、プリシラは事故のことを思い出してしまうかもしれない。そうなれば、再び彼女は傷つくだろう。だから、頼む。娘の前から姿を消してくれ。
すまないが、アンセルと出会ってからのことを、なかったことにする」
申し訳なさそうに、深々と頭を下げてきた。
まるで現実味がなく、芝居を見ているかのようだ。つい昨日まで、あんなに幸せだったのに。
この幸せがずっと続く、いや。これ以上幸せになれる。そう信じていたのに。
(……これは、僕の負った罪なのか)
強引にプリシラを手に入れようとした僕の。
(僕は贖罪させられているのか)
それは、苦渋の決断だった。身を切るように辛い。
確かに僕もそうすることが、彼女を守るために最良だと分かっていた。
「……承知しました。もう、プリシラには近づきません」
★★★
お待たせしてすみません。過去編終了です。次で最終話となります。(番外編が何話かあります)
二人の結末を見守ってもらえると嬉しいです。
プリシラは意識を失っているものの、呼吸は安定しているので、この場でできる処置はない。一刻も早くきちんと医者に見せるべきだ。
騎士にそう説かれ、僕は慌てて彼女を抱きかかえて別の通りに走り、馬車を拾った。そんな簡単な判断もできないほどに、僕は慌てていた。
不安なまま馬車に揺られ、僕とプリシラは彼女の屋敷に向かった。
血のにじんだ包帯を巻いている僕と、気を失っているプリシラに、出迎えてくれたウォルトは気を動転させながらも、伯爵夫妻を呼びにいった。
ベッドにプリシラを寝かせ、夫妻に経緯を説明する。
「申し訳ございません。僕がついていながら」
僕が深々と頭を下げると、伯爵は
「頭を上げなさい」
と肩を叩いた。
「アンセルが謝ることはない。君は彼女を守ってくれたのだからな。何よりプリシラをかばって深手を負っている」
「プリシラの意識はちゃんと戻るのかしら」
額を手で押さえてよろめきそうになる夫人を、伯爵が支える。
「とにかく医者を呼んだ。話は診察のあとだ」
ほどなくして到着した医師が診察するのを、僕らは息を飲んで見守った。
「特に異常はありません。栄養剤を投与してしばらく様子をみましょう」
「プリシラの……娘の意識は戻るのでしょうか!?」
すがるような夫人に、医師は申し訳なさそうに
「分かりません。外傷を負って気を失ったわけではありませんから、すぐに目覚めるとは思いますが……。一時間後かもしれませんし、数年後かもしれません」
夫人は両手で顔をおおってその場に泣き崩れた。肩を抱く伯爵。
僕は少し離れたところで、黙って見ているしかなかった。
伯爵夫妻や医師が部屋を出てからも、僕は一人彼女の傍にいた。
僕は彼女のベットの脇の椅子に腰かけ、ずっと手を握っていた。
まぶたもぴくりとも動かない彼女の顔を、じっと見つめていた。
気を利かせた使用人が、軽食やお茶を運んできてくれた。だが、口にする気にはならず、最初湯気のたっていたそれらは視界の片隅で冷たくなっていき、申し訳なく思った。
どれほどの時間が経っただろう。
いつの間にか隣に伯爵が立っていた。疲れ切った表情に、十歳くらいは年を取ったように思えた。
「もう今日は帰りなさい。君も疲れているはずだよ。彼女が目覚めたらすぐに知らせると約束する」
伯爵の忠告に、僕は首を振った。
「プリシラが目覚めた時に、一番に視界にいたいのです。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんてことがあるものか。ただ疲れたら休むと約束してくれ。君が倒れる前にね」
「はい。ありがとうございます」
約束すると、伯爵はガウンを僕に羽織らせて、静かに退室した。
彼女は一日中眠り続けた。僕は、ベッドの脇で手を握って待ち続けた。彼女が目覚めるのを祈りながら。
「……んん」
いつの間にか、僕も眠ってしまったようだ。小さな声に目を開けると、プリシラがゆっくりと目を開けたところだった。
(……やはり神はいらっしゃるのだ)
「よかった。気づいたんだな、プリシラ。待っていろ、すぐご両親を呼びに……」
神に感謝しながら、僕はプリシラの手を両手で握った。
プリシラはゆっくりとまばたきをした。不思議そうな顔で、悠然と首を傾げた。
そしてスローモーションのように唇が動き、僕にとって死の宣告にも等しい残酷な言葉を告げる。
「……あなた、だれ?」
慌ただしく再び医師を呼び、程なくして診断が降りた。
ショックで記憶が退行しており、僕と再会する前までの記憶しかない。無理に記憶を取り戻そうとすると、事故のショックを甦らせずにいられないだろう。
それはすなわち、プリシラの記憶に、僕と過ごした殆どの時間が消えていることを意味していた。プリシラを傷つけないためには、消えたままにしなければならないと言うことも。
(記憶があろうとなかろうと、プリシラはプリシラのままだ。これからまた二人の時間を築いていけばいい)
彼女の記憶から自分がいなくなってしまったことに、ショックは受けたが、プリシラが目覚めたことのほうが何より大切なことだった。
僕は前向きに考えていたが、伯爵の考えは違った。
「すまない。アンセル。君といれば、プリシラは事故のことを思い出してしまうかもしれない。そうなれば、再び彼女は傷つくだろう。だから、頼む。娘の前から姿を消してくれ。
すまないが、アンセルと出会ってからのことを、なかったことにする」
申し訳なさそうに、深々と頭を下げてきた。
まるで現実味がなく、芝居を見ているかのようだ。つい昨日まで、あんなに幸せだったのに。
この幸せがずっと続く、いや。これ以上幸せになれる。そう信じていたのに。
(……これは、僕の負った罪なのか)
強引にプリシラを手に入れようとした僕の。
(僕は贖罪させられているのか)
それは、苦渋の決断だった。身を切るように辛い。
確かに僕もそうすることが、彼女を守るために最良だと分かっていた。
「……承知しました。もう、プリシラには近づきません」
★★★
お待たせしてすみません。過去編終了です。次で最終話となります。(番外編が何話かあります)
二人の結末を見守ってもらえると嬉しいです。
0
お気に入りに追加
1,381
あなたにおすすめの小説

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

貴妃エレーナ
無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」
後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。
「急に、どうされたのですか?」
「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」
「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」
そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。
どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。
けれど、もう安心してほしい。
私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。
だから…
「陛下…!大変です、内乱が…」
え…?
ーーーーーーーーーーーーー
ここは、どこ?
さっきまで内乱が…
「エレーナ?」
陛下…?
でも若いわ。
バッと自分の顔を触る。
するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。
懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる