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幸せしか望んでいない
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「はい。お茶も入れたわよ」
エリオノールはティーポットから、カップにお茶を注いだ。
「オレは自分で飲めないけどね」
厭味ったらしい口調でランバートが呟く。
それはそのはずだ。ランバートの両手は、エリオノールによって逃げないように彼自身の首元から引き抜かれたクラヴァットで結ばれていた。
「外してあげるわよ? ちゃんと話してくれたらね」
「……君はオレのこと嫌いだろ? そんなオレに純潔を奪われたのは嘘で、婚約は解消、さらには慰謝料ももらえる。君のご両親にだって、落ち着いたらちゃんと書面ではなくお話するつもりだよ。書面ではすまされないからね。それなのにどうして、面倒くさいことまでして、オレのこと追ってきたんだ。君、オレと結婚したいの?」
ランバートがわざと煽るように言ったのは分かったが、エリオノールは彼の思惑通りイライラしてしまった。思わず声を荒げてしまう。
「結婚したいはずないでしょう! ただ、あなたにいいようにされるのが、腹が立つだけ。ちゃんと説明してほしいだけよ。納得すればちゃんと婚約解消は受け入れます。慰謝料も別にいらないわ。純潔が無事で、そのことを公表してくれるなら」
足を組み直すと、エリオノールはつんと顔をそらした。
「説明ね……。君、自分がバーナード公爵に狙われてたの、気づいてなかっただろ? ほかのやつらもあからさまに公爵が狙ってれば、手が出せないからな」
「狙われてた?」
確かにそんな自覚はなかった。だがそう言えばあの夜会の日、バーナード公爵は「目にかけてやっていた」と言っていて、不思議に思った気がする。
ランバートはエリオノールの返答に舌打ちをして続けた。
「地位が安定してて、金も持ってるのはいいとして、あいつはだめ。納得のいく相手だったらいいと思ったけど、調べたらあいつはマザコンだった。嫁姑問題になったときに、絶対母親につく。で、温和な母親ならまだしも、バーナード公爵の母親は口うるさすぎる。君は気が利かなくておっとりしててそれでいて基本的に気が強いから、絶対毎日嫁姑戦争だよ。『そのドレスは派手』だの『その靴はけばけばしい』だの難癖つけられるのが目に見えてる。そんなの君耐えられる? にこにこ我慢していればきれいなドレスや宝石を買い与えてもらえるならそれでいい、なんて殊勝な女じゃないだろ。
そろそろ本格的に婚約申し込みそうな雰囲気だったから、先手を打ってオレが先に婚約することにした。純潔を奪われたってことになれば、相手がオレだとしても君が婚約を承諾するのは分かっていたからね。もし『嫌だ』って言われたら、別の手を考えてた。わざわざ君との婚約だけでなく、婚前交渉したってことまで公表したのは、婚約だけだとバーナード公爵が君をかすめ取ろうとしたかもしれないから。あいつは旧家だから、バーナード公爵が良しとしても、純潔でない花嫁なんて母親が黙っちゃいないからね。
様子をうかがってたら、案の定あいつが手を出して、もう君に婚約申し込むことはないだろうからオレはお役御免だと思ったわけ」
それだけ一息に話すとランバートは疲れたのか、軽くせき込んだ。
「疲れた。とりあえずお茶飲ませてくれる」
「え、ええ」
エリオノールは、ランバートの隣に移動した。目の前に置いてあったティーカップを手に取る。ふーふーと息を吹きかけて、お茶を冷ます。
「はい」
十分冷めたのを確認して、カップをランバートの唇にあて、少し傾ける。こくっとランバートの喉が動いて、紅茶を嚥下する。
ただそれだけの仕草なのに、壮絶に色っぽく感じて、エリオノールの心臓がなぜかどきどきとうるさく鼓動した。心臓の音には気づかないふりをしながら、ティーカップの中身が半分になったところで、ランバートの唇から離す。
「これくらいでいいかしら?」
「うん。いいよ。君お茶を入れるのはまぁまぁなんだね」
「お茶が美味しい」でいいはずなのに、ランバートは素直に人を褒めるということができないらしい。
「本当は口移しで飲ませて欲しかったな」
本気とも冗談とも取れない口調で言われて、エリオノールは顔をしかめた。
「たち悪い冗談言わないで。それってキ、キスじゃないの!」
お茶を飲ませるためとはいえ、唇と唇を合わせるのだから。好き同士でもないのに。なんなら嫌い合っているのに。
ランバートは本当にそんなことをしたいと思っているのだろうか?
「冗談ね……。とりあえず今話したことが全てなんだけど。これで満足?」
(満足?)
一気に話されてエリオノールは、ぽかんと間抜けに口を開けた。
混乱はしているものの、一通り事情は分かった。「気が利かない」だの「気が強い」だの悪口を言われた気がするが、基本的にはエリオノールのためにしたことらしい。満足かと聞かれれば、けしてそうではない。
(だってそうでしょう?)
「ランバートは何のためにそんなことをしたの? 例え私がバーナード公爵と結婚して、嫁姑問題で揉めて浮気されて子ども作られて離縁されて捨てられて、実家に戻るしかなくてご近所から『捨てられて可哀想』だの『浮気相手に負けたのね』だのひそひそ噂されながら寂しく余生を送ることになっても、あなたの知ったことではないはずよ」
なんなら気に食わない相手であるエリオノールが、不幸になることを喜ばしいと思ってもいいはずだ。それなのに。
純潔を奪ったと嘘をついて婚約をし、一方的に婚約解消して、悪く言われるのはランバートだ。
(どうして自分が悪役になってまで)
エリオノールのあったかもしれない不幸すぎる未来予想に、ランバートは顔をしかめて髪をかきむしった。整っていた髪がぐしゃぐしゃになる。
「ー!
オレはそこまで悲惨な未来は想像してなかったけど。君が変なやつと結婚して不幸になるところなんて、オレが望んでいるはずがないだろ」
「どうして? 私のこと、嫌いなのに」
ランバートは泣きそうに、顔をゆがめた。そんなランバートを見るのは初めてだった。彼はいつも自信満々で、不遜で憎たらしかったから。
「……ごめん」
エリオノールはティーポットから、カップにお茶を注いだ。
「オレは自分で飲めないけどね」
厭味ったらしい口調でランバートが呟く。
それはそのはずだ。ランバートの両手は、エリオノールによって逃げないように彼自身の首元から引き抜かれたクラヴァットで結ばれていた。
「外してあげるわよ? ちゃんと話してくれたらね」
「……君はオレのこと嫌いだろ? そんなオレに純潔を奪われたのは嘘で、婚約は解消、さらには慰謝料ももらえる。君のご両親にだって、落ち着いたらちゃんと書面ではなくお話するつもりだよ。書面ではすまされないからね。それなのにどうして、面倒くさいことまでして、オレのこと追ってきたんだ。君、オレと結婚したいの?」
ランバートがわざと煽るように言ったのは分かったが、エリオノールは彼の思惑通りイライラしてしまった。思わず声を荒げてしまう。
「結婚したいはずないでしょう! ただ、あなたにいいようにされるのが、腹が立つだけ。ちゃんと説明してほしいだけよ。納得すればちゃんと婚約解消は受け入れます。慰謝料も別にいらないわ。純潔が無事で、そのことを公表してくれるなら」
足を組み直すと、エリオノールはつんと顔をそらした。
「説明ね……。君、自分がバーナード公爵に狙われてたの、気づいてなかっただろ? ほかのやつらもあからさまに公爵が狙ってれば、手が出せないからな」
「狙われてた?」
確かにそんな自覚はなかった。だがそう言えばあの夜会の日、バーナード公爵は「目にかけてやっていた」と言っていて、不思議に思った気がする。
ランバートはエリオノールの返答に舌打ちをして続けた。
「地位が安定してて、金も持ってるのはいいとして、あいつはだめ。納得のいく相手だったらいいと思ったけど、調べたらあいつはマザコンだった。嫁姑問題になったときに、絶対母親につく。で、温和な母親ならまだしも、バーナード公爵の母親は口うるさすぎる。君は気が利かなくておっとりしててそれでいて基本的に気が強いから、絶対毎日嫁姑戦争だよ。『そのドレスは派手』だの『その靴はけばけばしい』だの難癖つけられるのが目に見えてる。そんなの君耐えられる? にこにこ我慢していればきれいなドレスや宝石を買い与えてもらえるならそれでいい、なんて殊勝な女じゃないだろ。
そろそろ本格的に婚約申し込みそうな雰囲気だったから、先手を打ってオレが先に婚約することにした。純潔を奪われたってことになれば、相手がオレだとしても君が婚約を承諾するのは分かっていたからね。もし『嫌だ』って言われたら、別の手を考えてた。わざわざ君との婚約だけでなく、婚前交渉したってことまで公表したのは、婚約だけだとバーナード公爵が君をかすめ取ろうとしたかもしれないから。あいつは旧家だから、バーナード公爵が良しとしても、純潔でない花嫁なんて母親が黙っちゃいないからね。
様子をうかがってたら、案の定あいつが手を出して、もう君に婚約申し込むことはないだろうからオレはお役御免だと思ったわけ」
それだけ一息に話すとランバートは疲れたのか、軽くせき込んだ。
「疲れた。とりあえずお茶飲ませてくれる」
「え、ええ」
エリオノールは、ランバートの隣に移動した。目の前に置いてあったティーカップを手に取る。ふーふーと息を吹きかけて、お茶を冷ます。
「はい」
十分冷めたのを確認して、カップをランバートの唇にあて、少し傾ける。こくっとランバートの喉が動いて、紅茶を嚥下する。
ただそれだけの仕草なのに、壮絶に色っぽく感じて、エリオノールの心臓がなぜかどきどきとうるさく鼓動した。心臓の音には気づかないふりをしながら、ティーカップの中身が半分になったところで、ランバートの唇から離す。
「これくらいでいいかしら?」
「うん。いいよ。君お茶を入れるのはまぁまぁなんだね」
「お茶が美味しい」でいいはずなのに、ランバートは素直に人を褒めるということができないらしい。
「本当は口移しで飲ませて欲しかったな」
本気とも冗談とも取れない口調で言われて、エリオノールは顔をしかめた。
「たち悪い冗談言わないで。それってキ、キスじゃないの!」
お茶を飲ませるためとはいえ、唇と唇を合わせるのだから。好き同士でもないのに。なんなら嫌い合っているのに。
ランバートは本当にそんなことをしたいと思っているのだろうか?
「冗談ね……。とりあえず今話したことが全てなんだけど。これで満足?」
(満足?)
一気に話されてエリオノールは、ぽかんと間抜けに口を開けた。
混乱はしているものの、一通り事情は分かった。「気が利かない」だの「気が強い」だの悪口を言われた気がするが、基本的にはエリオノールのためにしたことらしい。満足かと聞かれれば、けしてそうではない。
(だってそうでしょう?)
「ランバートは何のためにそんなことをしたの? 例え私がバーナード公爵と結婚して、嫁姑問題で揉めて浮気されて子ども作られて離縁されて捨てられて、実家に戻るしかなくてご近所から『捨てられて可哀想』だの『浮気相手に負けたのね』だのひそひそ噂されながら寂しく余生を送ることになっても、あなたの知ったことではないはずよ」
なんなら気に食わない相手であるエリオノールが、不幸になることを喜ばしいと思ってもいいはずだ。それなのに。
純潔を奪ったと嘘をついて婚約をし、一方的に婚約解消して、悪く言われるのはランバートだ。
(どうして自分が悪役になってまで)
エリオノールのあったかもしれない不幸すぎる未来予想に、ランバートは顔をしかめて髪をかきむしった。整っていた髪がぐしゃぐしゃになる。
「ー!
オレはそこまで悲惨な未来は想像してなかったけど。君が変なやつと結婚して不幸になるところなんて、オレが望んでいるはずがないだろ」
「どうして? 私のこと、嫌いなのに」
ランバートは泣きそうに、顔をゆがめた。そんなランバートを見るのは初めてだった。彼はいつも自信満々で、不遜で憎たらしかったから。
「……ごめん」
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