甘い夜の夢から覚めたら絶望が待っていました~腹黒幼なじみの甘美な罠~

水無瀬雨音

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とっさに呼んだ名前

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 ランバートとエリオノールの婚約は、広く公表された。婚前交渉したことまでも。
婚約したことはともかく婚前交渉をしたことは言う必要がないはずだ。ランバートはどういうつもりなのだろう。

「ランバート様と婚約したんですって?おめでとう」
「ありがとう」

 予想はしていたが、ランバートとともに参加した夜会で、エリオノールは妙齢の令嬢にひっきりなしにお祝いを言われていた。
 一応婚約者なので、ランバートをパートナーに伴ってやってきたが、彼は彼で突然の婚約発表のせいでエリオノールの視界のすみで、人垣に囲まれている。
 心から言ってくれているであろう人はごくわずか。うわべではおめでとう、と言いつつも、笑顔の下では羨望と嫉妬が渦巻いているのが分かる。
 ランバートは容姿端麗将来有望な侯爵子息であり、エリオノール以外には優しいので、花嫁の座を狙っている令嬢は多いのだ。
 中には直接嫌味をぶつけてくる令嬢もいる。

「もう純潔でないって本当?やるわね。純粋そうな顔して。どうせランバート様を酔わせて無理やり奪わせたんでしょう?ランバート様はお優しいから、責任を取ってくださるのを見越したんだわ。そこにつけこむなんて最低ね」
(最低なことされたのは私なんですけど)

 エリオノールは内心のイライラは隠して、にこっと微笑んだ。

「婚約者であれば、婚前交渉は認められているはずですけど?なぜ婚前交渉に至ったのか、あなたにお伝えする義務もないわ。ああ」

 エリオノールは扇で口を覆いながら、彼女の耳元にささやいた。

「……ランバートが閨でどうなのか、興味がおありなら教えてあげてもよくってよ?彼ったら若いから元気で、毎日しないと足りないの。それどころか一日何回しているのか数えられないくらい。
 昨日の彼も情熱的で素敵だったわ。まず私の夜着を強引に「い、いいわよ!汚らわしい!」

 話の途中なのに、彼女は顔を真っ赤にして立ち去ってしまった。

「ふう」
 エリオノールは扇に隠した口元で舌を出した。
 からかうのは楽しい。
 毎日どころかランバートとしたのは一回だけだし、その一回すら、エリオノールは覚えていないのだが。
 令嬢たちの相手につかれたのと、外の空気がすいたくて、庭に出る。肌寒い季節なだけあって、外には誰もいなかった。

「エリオノール」
「バーナードさま」

 声をかけられて振り返ると、金髪碧眼にすらっとした身長。最近よく夜会でダンスに誘ってくれたり、声をかけてくれることの多いバーナード公爵だった。
 いつもはにこやかな表情が多いのに、今日は珍しく顔がこわばっていた。虫の居所が悪いのかもしれない。

「婚約したんですか?」
「え、ええ」

 エリオノールはこくりとうなづいた。

「せっかく目にかけてやってたのに……。他の男と婚約したうえ、婚前交渉などと、とんだ尻軽め」
「し、尻軽……?」

 エリオノールは彼の言葉に目を丸くした。
 自分がそんなことを言われる日がくるとは、思わなかった。ましてやいつも優しいバーナードの口から、そんな言葉が出るとは。
 それに「目にかけていた」と言われても、特に「好きだ」とか言われた覚えは全くないのだが。

「いた、痛い、です」

 ふいにエリオノールの両手を、片手で頭上にまとめあげられる。ぎりぎりとエリオノールの手首に、彼の指が食い込んだ。

「一度奪われているんだ。ならば、私が手をかけたところで問題あるまい?」
「あるに決まっているではありませんか!」

 知的な印象があったのだが、本当はバカなのだろうか。
「ランバートにはどうやって抱かれているんだ?」
「あなたには教えません!」

 バーナードのもう片方の手がドレスの中に入ってきて、太ももに触れる。
 エリオノールは背筋がぞっとした。
 気持ち悪い。
 ランバートに触れられた時は、こんな思いしたことなかった。嫌いなのに。
 大きな声を出したら、誰か来てくれるかもしれない。
 少し恥ずかしい思いをするかもしれないが、このままいいようにされるよりはましだ。
 それなのに、恐怖で声が出なかった。
 バーナードの唇がエリオノールの首に触れて、あろうことか舌をはわせられる。ぬるりとした生暖かい感触が、ひどく気持ちが悪い。

「……!」

 片手だけなのに、両手がやすやすと封じられているのが腹が立つ。ならば、と足を使おうと思ったが、それも動かない。
 エリオノールは自然と心の中で、名前を呼ぼうとしていた。

(助けて……!ランバ……)
「失礼。オレの婚約者に何か用事が?」

 その声は知らず知らずのうちに、名前を呼ぼうとしていたランバートだった。

「ランバート……。いや別に?疲れていたようなので、介抱してやっていただけだ。では」

 どう見ても介抱しているようには見えなかったが、バーナードは慌ててエリオノールを解放し、そそくさとその場を離れた。ランバートは彼の背中を冷たく一瞥したが、後を追おうとはしなかった。
 バーナードがいなくなったとたん、エリオノールは糸が切れたようにその場にへたりと座りこんだ。

「大丈夫か?」
 ランバートがさっと上着を脱いで、エリオノールに羽織らせる。安心させるように、軽くその肩に手をおいた。

(やっぱり、ランバートなら触れられてもなんともない)

 それどころか、触られて安堵感すら覚える。
 でもきっと気のせいだ。先ほど怖い目にあったばかりだから、ランバートのほうがましなのだ。

(でも、ランバートも私に似たようなことしたのよね)

 バーナードは触っただけだが、彼は純潔を奪ったのだから、余計たちが悪いとも言える。自分の気持ちが分からなくなって、混乱したエリオノールは言うつもりはなかったことを口走ってしまった。

「あなたなんか嫌い……!」
「知ってる」

 助けに来てくれたランバートに言う言葉ではなかったが、彼は意に介した様子はなかった。

「なのにどうしてあなたが」
(助けにくるの……?)

 嫌いだ。
 こんな人の手に、安心感を抱いている自分が。
 思わず名前を呼ぼうとした自分が。
 嫌いになったのに、嫌いになりきれなくて、助けに来てほしいと思ってしまった自分が。

「今日は帰ろう。送る」

 でも今は、好きだの嫌いだのややこしいことを考えたくない。ランバートの手であってもすがって、ゆっくり休みたい。ランバートにエリオノールはおとなしくうなづいた。


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