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第四話「倉島」

4-3 気に食わない

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 (授業、何にも頭に入らなかった…)

 一日の授業が終わり、帰り支度をする生徒や部活動に行く生徒で教室内は少し騒がしかった。
 そんな中、呆然とした様子で自分の椅子に座ったまま微動だにしない美果に夕美は声をかけた。

 「みーか! どうしたの? もう授業終わったよ」
 「あ…夕美」
 「え、ほんとにどうしたの?」

 顔面蒼白にして涙ぐんでいる美果を見て、夕美はぎょっとした。何かとんでもない事でも起きてしまったのかと慌てて声を潜める。

 「スマホ使ってるとこ見られて…没収された」
 「あちゃー、先生誰?」
 「倉島先生」
 「あ、じゃあ大丈夫だよ、倉島先生って初犯の生徒は見逃してくれるもん」

 美果の話を聞いて深刻そうな顔になった夕美だったが、出てきた教師の名前を聞いてぱっと明るい表情を見せた。夕美は倉島に好意的なのだ。

 「確か美果って捕まった事ないでしょ?」
 「そうだけど、でも…」
 「平気平気、倉島先生に捕まっていきなり親呼び出しされた生徒とか聞いたことないよ」
 「え、そうなの?」

 倉島に人気がある理由の一つである。とりあえず初犯は温情を持って見逃すのだ。

 「多分職員室でお小言聞いたら返してくれるって」
 「でも…開いてたページが…」

 もごもごと言いにくそうにしている美果に、夕美は何かを察してさらに顔を寄せた。

 「…やばいページでも見てた?」
 「その…避妊とか検索してて」
 「おっとそれは危険なワード………いや、でも倉島先生は生徒のプライバシーをちゃんと守ってくれるって、優しい先生だから大丈夫!」
 「え…そうかな」

 少なくとも倉島が美果を見る目つきに優しさは感じられない。美果は検索ページだけではなく、他にも見られては困るメッセージ等がある事が大変気がかりだったが、それを今ここで夕美に相談するわけにもいかなかった。

 「そうそう、私の見る目を信じなさい!」
 「…じゃあ、大丈夫…なのかな…」

 あまりにも自信満々に夕美は倉島を信頼しろと言うので、美果はその言葉に縋りたくなってきた。

 「大丈夫だって、話が終わるまで職員室の外で待っててあげるよ」
 「………ううん、夕美部活で忙しいし、無理しなくていいよ」

 夕美は運動部に所属している。いつもなら今頃更衣室で着替えている時間だった。そこをさらに引き止める訳にもいかない。

 「まあちょっと忙しいけど、美果すごく不安そうだから心配だよ」

 相変わらず、友人思いの優しい女の子だな、と美果は胸が暖かくなる。彼女のような親友が出来たことは、本当に嬉しかった。

 「ありがとね、夕美、大好き」
 「えへへ、私も美果好きー」

 夕美に抱きしめられて、美果も抱きしめ返した。座っていた美果は夕美の胸に顔を押し付ける形になってしまい、危うく窒息しかけたのだった。



 夕美には部活動を優先してもらい、美果は話が長くなるといけないから先に帰ってほしいと伝えて教室で別れた。

 (自分で蒔いた種何だから、自分でどうにかしなくちゃ)

 心の中でそう呟きつつ、意を決して美果は職員室を訪れた。
 しかし当の倉島はサッカー部の指導で忙しく、不在だという。

 (そっか、よく考えたら倉島先生は部活の指導で忙しいんだった…じゃあ終わりまで待たなきゃいけないや…)

 美果は結局サッカー部の練習を見守りながら部活が終わるのを待つことになった。
 グラウンドが見渡せる校舎の外の一角にあるベンチに座り、美果は暇を持て余して本日の宿題を終わらせてしまった。

 「スマホないと時間も潰せないし…翔さんから連絡来てなきゃいいけど」

 それよりも連絡が来て欲しくない危ない人物が何人か存在しているのも気がかりである。
 そのうちの一人は今のところ、グラウンドでサッカーをしているので少しは安心だった。

 「本当に夕美の言うとおり返してくれるのかな…あの倉島先生が…」

 親が呼び出されるのか、それとも軽いお叱りで今日中に返してもらえるのか、美果は不安で仕方がない。
 部活の終わりも待てずに黙って帰るということは出来そうになかった。



 一時間半ほど待ち続け、あたりはすっかり夕暮れである。暗くなるまでもう一時間もかからない。

 「あ、笹野! もしかして、俺のこと待ってた?」

 びくっ、と肩を揺らして美果は振り返った。待ちくたびれて座りながら考え事をしていた。不安な思いを抱えながらずっと一人で待っていたせいで、美果は悪い方へ悪い方へと考えが進んでいた。

 「笠間先輩…」
 「笹野…その、い、一緒に帰るか?」

 笠間は少し頬を赤らめながら誘ってきたが、美果は悲しそうに少し俯いた。

 「いえ…その、今日は倉島先生に、その…」
 「…ん? どうした?」

 笠間は自分が美果に怯えられているのは理解しているので、俯いて小声で話す美果に少し切なそうな顔をした。だがいつもよりも深刻そうな雰囲気を感じ取って首をかしげた。

 「えっ、笹野泣いてるのか?」

 ひょいと屈んで覗いた美果の顔は、酷く青ざめて涙ぐんでいた。笠間は驚いて大股で彼女に近寄った

 「倉島先生に怒られたのか?」
 「スマホ没収されて…」

 美果の言葉を聞いて笠間は納得した。普段違反物の持ち込みなどをしない生徒ほど、見つかった時の同様は激しいと知っているのである。

 「あー…初犯?」
 「初めてです…」

 事情を聞いた笠間はほっとした顔をして僅かに笑った。

 「ああ、じゃあ大丈夫だろ、謝れば返してくれるよ」
 「でも…」

 相変わらず青い顔で動揺している美果を見て、どうにかしてやりたいと感じた笠間は思いついた。

 「倉島先生に会いにいくのが不安なら付き添ってやろうか?」
 「…」

 美果は考えた。
 笠間に甘い倉島なら、彼が口添えをしてくれれば不問にしてくれるのではないかと。

 (笠間先輩が一緒なら、あの冷たい目で見られることもあんまりないのかも…)

 美果は不安に負け、藁にもすがる思いで笠間に助けを求めた。

 「あの、じゃあ、お願いしてもいいですか?」
 「いいよ、着替えてくるからちょっと待っててくれ」

 笠間が制服に着替え、美果と共に職員室を訪れたのは学校にすっかり人気が無くなったあとだった。

***

 二度目の訪問で緊張しながら、美果は職員室のドアをスライドさせて開けた。

 「失礼します」

 職員室の中は殆ど人気が無かった。だが一人だけ意外そうな声が返事を返した。

 「あら笹野さん、こんな時間まで珍しいのね、笠間くんも一緒に…誰かに用事?」

 美術教師の黒部だ。もう帰るところらしく、鞄を肩にかけて立ち上がろうとしたところだったらしい。
 美果は話しかけやすい黒部が好きだった。彼女は美果と個人的にも仲が良い。

 「あの、倉島先生に…」
 「倉島先生…?」

 美果は少しほっとして黒部に事情を話した。

***

 「あー! 倉島先生だ」
 「立岡か、まだ部活に行ってないのか? 遅れるぞ」

 美果と離れたあと、夕美は慌てて更衣室で体育着に着替えたあと移動中に倉島とばったり会っていた。
 倉島はちらりと夕美の周りを観察した。今はいつも一緒にいる美果の姿が無いのを確認して、改めて夕美に目を向けた。
 夕美は倉島にかなり好意的な生徒の一人だ。純粋になついてくれる子犬のようで倉島も夕美の事は気に入っていた。

 「倉島先生、今日美果のスマホ没収したんですよね」
 「ん、ああ、見つけたからには教育的指導しないとな」
 「美果すごく不安がってましたよ、あの子いつもは不要物持ち込んだり何かしなくてすっごくいい子何ですよ」
 「…そうか」

 すごくいい子、と聞いて倉島は僅かに視線を上に向けた。今日覗いた美果のスマホの中身を見たあとだと、そうだな、とは言えなかった。

 「だから、美果のこと許してあげてくださいね」
 「…」

 倉島がなんと返事をしようか逡巡していると、夕美はもう時間ないので行きます、じゃあ美果にスマホ返してあげてくださいよ、と再び言うと夕美は去っていった。

 倉島は少しイラついた思いを抱え、サッカー部の指導を行った。
 部活を終え、後片付けや連絡事項の確認などを行い、着替えをして職員室へ続く廊下を歩いていた。もう大分薄暗い。

 (笹野は待っているか…まあ、あのスマホを置いて帰れないだろうな)

 美果の指導を先に終わらせてあげようという気はさらさらなかった。美果が不安に苛まれて苦しむのなら望むところである。
 そんなことを考えながら職員室に戻ると、そこには三人の人影があった。

 「倉島先生」

 三人に同時に名前を呼ばれ、少し目を見開く。
 美術教師の黒部、先ほど部活に参加していた笠間、そして呼び出しをしておいた美果の三人が待っていた。

 「ちょっと不安そうだったので話を聞いたんですが、笹野さんは今回が不要物の持ち込みは初めてという事です、なのであんまり強く叱らないでやってください」
 「倉島先生、笹野は普段真面目だから今回が初犯何です、説教だけで許してやってください」
 「く、倉島先生、学校に不要物を持ち込んですいませんでした、もうこんな事は絶対にしないので…だから、スマホ返してほしいです」

 普段倉島を避けていると言うのに随分積極的に近寄ってくる黒部、普段従順で倉島に口答えなどしない笠間、そして諸悪の根源である美果に次々と声をかけられる。
 倉島はぎり、と奥歯を噛み締めた。

 結局、職員室の隣の応接室で五分ほど説教をし、倉島はその場で美果にスマホを返した。
 本当に安心したのだろう、美果はその本性を知らない人物が見れば守ってあげたくなるくらいに無邪気な笑顔を見せて喜んだ。

 (この笑顔だけ見れば可愛いものだが…)

 夕美も、笠間も、さらに黒部までもが美果を許してやれと言う。

 (すべて計算済みであの三人に自分を援護するように言わせているとしたら、とんでもないな)

 倉島は何もかもが気に食わなかった。
 機嫌の悪い倉島は冷めた目で美果を見ていた。

 「あ…」

 するとその視線に気付いた美果はしゅんとなって俯いた。

 「…」

 倉島は、昼に見た美果の写真を思い出していた。少し目を細めて目の前の女子生徒を再び見下ろす。あの写真と同一人物とは思えない、子どものような少女だ。

 (どんな声で鳴くのか、どんな本性なのか)

 倉島は無意識に美果に手を伸ばしていた。

 「…先生?」

 きょとん、とした顔で美果は倉島に声をかけた。

 「…もういいから行きなさい」
 「あ、はい、ありがとうございました」

 きちんとお辞儀をして礼を告げると美果は応接室から出ていった。

 「…」

 倉島は頬杖を付き、しばらく考え事をしていた。
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