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第三話「須川」

3-3 不穏な問いかけ

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 美果は焦りながら急いで学校に向かっていた。
 競技の日の夕方、美果は体育倉庫で上級生の笠間に無理矢理犯された。痴漢の城木の時と同様にあられもない写真を撮られた事で美果は笠間の奴隷という身分になってしまったのだ。しかし笠間は詰が甘いのか、美果の個人番号も、SNSのアカウントも何も聞き出さなかったのだ。そういうわけで、美果はあれから笠間に直接遭遇しないように、かなり早起きをして裏門からこっそり学校に入るようになった。
 もし万が一、笠間が学校で美果の写真をばらまくような真似をしたとしても、それだけ早くに来ていれば写真の回収も出来ると思ってのことである。
 しかし、本日の美果は少々寝坊してしまい、もうそれなりの数の生徒が登校する時間に慌てて学校に駆けつけていた。
 ちなみに、毎朝同じ時間の電車に乗るように待ち合わせをしていた他校の友人の森野舞とは、時間帯が少々異なるようになってしまった。ちょっと寂しいね、と呟いた舞は提案した。

 「そうだ、今度二人で遊びに行こうよ、美果ちゃん」
 「うんっ、行こう行こう! 舞ちゃんはどこか行きたい所ある?」
 「そうだなー…私は美果ちゃんの行きたい所に一緒に行きたいかな」
 「天使かな?」
 (天使かな?)

 美果ははにかみながらそんな事を言う可愛らしい同い年の少女を見て、口も心も同じ事をつぶやいたのだった。



 息を切らせて走る美果を、数人の生徒が不思議そうに見ていた。

 「…はあはあ、良かった、変なことはなさそう」

 学校に到着し、玄関口など多くの人目につくような場所におかしなことが無いのを確認して、美果はようやく息をついた。

 「…サッカー部の朝練の中に居なかったな」

 恐る恐る、美果は笠間が所属するサッカー部を遠目に隠れながら観察したのだが、例の恐ろしい上級生の姿は無かった。

 「笠間先輩ってサッカー部のエースだって聞いたけど、休みなのかな」

 美果はどちらかというとのんびりした性格のため情報に疎いのである。笠間についても運動部に所属している上級生としか認識していなかった。ちなみに笠間が競技の日にバレーボールを選択していたのは、普段所属している部活とは違う種目を選ぶように言われていた為である。

 「笠間が何だって?」

 ぽつりと呟いた美果の言葉に、刺すような響きの声が返ってきた。
 ぎくりとして美果が後ろを振り返ると、すぐ近くに体育教師の倉島が立っていた。

 「倉島先生…」

 美果はふいと目をそらした。相変わらずの事だったが、倉島が美果に向ける視線は随分と冷たい。とてもじゃないが自分の所属する学校の生徒に向ける目つきではない。
 美果は倉島のこの威圧的な視線が嫌で、この男に会うとすぐに目をそらす癖がついていた。
 そしてこの体育教師はとても体格が良いのだ。近くで話すと美果はだいぶ上を見上げながら話をしなければならず、倉島の背の高さと筋肉質で広い肩幅が美果に圧迫感を与え、余計に怖さを増していた。

 (この先生に本気で殴られたら即死するかも…)

 そんな事を一瞬考えて、美果ぞっとしながらもどうにか返事を返した。

 「あ、いえ…何でもないです」

 ごにょごにょと言葉を濁しながら美果は小声で呟いた。違う相手にならば美果はもっとはきはきと受け答えをする事が出来るのだが、すっかり苦手意識を持っているこの体育教師だけは別である。
 その態度に片眉を上げて不機嫌そうに美果を見つめる倉島は、一歩美果に近づいた。

 「―――…笹野、お前一昨日の夜にどこかに出かけたか?」
 「一昨日の、夜?」

 美果は問われて記憶を辿った。
 その日は土曜日だった。美果の記憶によれば、恋人の翔とお出かけデートをして楽しく過ごし、夜遅くなる前に家に帰ったはずである。それ以降は、夜に出歩いた記憶はない。

 「その日の夜は…家にいました」
 「…」
 「あの、何でそんな事を」

 聞くんですか、と言おうとして美果は口を閉じた。
 倉島は無表情だった。そして探るような視線を美果に向けていた。美果にはこの教師が何を考えているのか全くわからない。ただ苦手であることと、威圧的で怖いということしか感想は出てこなかった。

 「お前…」

 倉島は何かを言おうとした。

 「あっ、笹野さんだ、おはよう!」

 明るい声が学校の玄関口に響く。嬉しそうに小走りで近寄ってきたのは美果が最近知り合った上級生の宮間沙織である。
 ショートボブの髪を揺らし、沙織は可愛らしい笑顔を美果に向けていた。

 「沙織先輩、おはようございます」

 美果は少しほっとして笑顔を向けた。

 沙織はお洒落で可愛くて性格の明るそうな少女に見えるが、元々の彼女はそんなに明るい性格ではない。
 沙織は一年生の頃は、高校デビューという事もあり活発な印象を周りに与えようと努力をし、それが功を奏してそれなりに友達が多い人物として上手くやっていた。だが二年生になり、クラス替えがあってから彼女は仲の良いグループから一人離れてしまったのだ。クラスで何となく孤独を感じていた沙織は、その孤独を埋めようと動画を配信するようになった。
 趣味のギターの弾き語り、お菓子作りの作業工程、飼っている猫のちょっとした仕草など統一感のない動画を投稿していた。彼女のフォロワーの数は三桁にも満たないが、沙織は動画作りにハマり週に一度は必ず新作動画を上げていた。
 しかし何が気に食わなかったのか、沙織はクラスカーストの上位にいる女子グループに目をつけられるようになった。彼女達に仲良くしてほしかったら万引きをするようにと言われ、断れば苛められるのは目に見えていた。沙織は泣く泣くそれを実行に移したがあっという間に店員に捕まり、その後はどんどんと悪い方へと自体が流れていった。 
 SNSの裏アカウントで誰かに助けを求めたくて愚痴日記のようなものを呟いていたが、ある日その裏アカウントが何者かに乗っ取られ使用できなくなってしまった。それだけでもかなり精神的に堪えていた所へ、見覚えのない男が突然目の前に現れたのだ。
 何故か沙織の現状を知っている旨を打ち明けてきた挙句に援助交際を申し込んでくるというもはやホラー映画のようなショッキングな出来事があり、彼女はもう崩れ落ちる寸前だった。

 そこに颯爽と現れたのは美果だった。
 沙織の元に駆けつけ、謎の男から彼女を庇ってくれたのだ。そして、沙織に真っ直ぐに向き合い、両親や教師に自分の罪を打ち明ける覚悟を与えてくれた。
 沙織は、後輩である美果にとても感謝していた。あのまま、あの男の話を聞いていたらどうなっていただろう。沙織はぶるりと身体を震わせた。きっと、沙織の心は壊れてしまった。そうなる前に沙織を見つけてくれた美果は、彼女にとってヒーローなのだ。
 それからというもの、沙織は美果を見つけると健気な子犬のように走り寄って来るようになった。

 「何の話してたの? 私も一緒に居ていい?」

 にこにこと美果の隣に立つ沙織は、癒し系の雰囲気が溢れていて愛らしかった。

 (相変わらず上級生とは思えない…可愛い先輩だなぁ)

 美果はそんな沙織を妹が出来たような気持ちで受け止めていた。年上でも可愛いものは可愛いのだ。

 「あ、倉島先生も居たんだ、おはようございます!」
 「ああ、おはよう宮間」

 ついでのように挨拶をされたにも関わらず、倉島はにこりと笑って言葉を返した。美果に向けるのとは全く別の爽やかなその笑顔を見て、美果は複雑な気持ちになった。

 「…」

 正直に言って、倉島のこういう姿を見ると美果はかなり傷つくのだ。
 倉島のことは苦手ではあるが、美果もまだ子どもである。教師を含め、大人からは優しくされたいのだ。しかし倉島の美果に対する態度は明らかに公平に欠ける。
 ここまで露骨に美果と他の生徒に対する態度に違いがあり、それを美果の前で平然とやってのけるのだから教師による虐めとして訴えても良いかもしれない。

 (このまま卒業するまでこんな感じなのは…正直ちょっとしんどい、けど)

 美果は思い返していた。どうしてこの体育教師とこんなに折り合いが悪くなってしまったのかを。
 美術の女教師黒部は、倉島に強引に車に乗るように誘われた。そこへ突然現れた美果に助けられて難を逃れて以降、黒部は倉島に対する警戒を強めているのである。おかげで倉島は黒部と二人きりになるチャンスも無く、比例するように美果に対して冷ややかな態度を取るようになっていた。

 (それでも…黒部先生の事を守れたんだから、いいや)

 体育の授業は大抵この倉島が担当なのだ、避けることは出来ない。
 仕方ない、と心の中で呟いて美果は自分に言い聞かせたのだった。

 「あ、美果と沙織先輩と倉島先生だ、おはよー!」

 明るい声が玄関に響く。美果が振り返ると、丁度部活の朝練を終わらせた夕美が体育着のまま歩いてくるところだった。美果はこれは好機とばかりに夕美に近寄った。

 「あっ、夕美今から更衣室に行くでしょ? 途中まで一緒に行こうよ!」
 「え? あ、うん、でもまだ時間に余裕あるから私も倉島先生とおしゃべり」
 「いやいや早め早めが一番だよ!」
 「もう行くの? じゃあ私も途中まで一緒に行こうかな」

 倉島と話したそうにしている夕美の手を握り、美果はその場を逃げ出した。

 「…もう、寂しがり屋さんめ」

 美果にかなり強引に連れられて、目をぱちくりとさせていた夕美だが数歩歩くと、しょうがないなという感じでふっと笑い、美果の手を握り返したのだった。

 「え、妬けちゃう、私も手つないで良い?」
 「あ、良いですよ」

 沙織が寂しそうに言うので、美果は空いている方の手を「どうぞ」と言ってさっと差し出した。

 「…ふふ、ありがとう、美果ちゃん」
 「良いですよこれくらい」

 学校で孤独を感じていた沙織に、彼女を助けたのがきっかけで美果は何度となくおしゃべりをするようになっていた。さらに美果の親友である夕美も普通に沙織に接するようになったのだ。それだけでも沙織にはありがたいのに、今もこうしてちょっとしたコミュニケーションをすぐ返してくれる美果は、やはり沙織を救ってくれている。
 沙織にとって美果は、失いたくない大切な友達となっていたのだった。

 「…」

 夕美や沙織を引き連れて、逃げるように去っていく美果の後ろ姿を倉島は突き刺すように険しい目つきで見つめたのだった。



 美果は結局、夕美に付き合い更衣室に行っていた。傍らには「早くに教室に行っても楽しくないから」と沙織も一緒に居る。ここなら倉島や笠間に会う心配もないので、美果の心境的には一安心である。

 「そうだ美果、あの話聞いた?」
 「あの話…?」
 「ほら、一昨日」
 「ああ、一昨日の…」

 あの話、と言われても美果にはピンと来なかったが、隣にいた沙織はピンと来たようだ。首をかしげる美果に夕美は更衣室に自分たち以外の利用者が居ないことをちらりと見てから声を潜めて話した。

 「笠間先輩のことだよ」
 「え、笠間先輩?」

 どきりとして美果は一瞬声が裏返りそうになった。正しく今美果が学校内で最も警戒している要注意危険人物である。夕美の口からその名前が聞こえてきて驚いたが、続いた言葉にさらに驚いた。

 「―――通り魔に襲われて入院したらしいよ」
 「え!?」
 「…やっぱり、笠間君のことなんだ」
 「ニュースにもなってたよ、まあ名前は出なかったから誰なのかはわからなかったけど、どうも笠間先輩のことみたい」
 「私は笠間君とはクラスメイトだけど、その話は別のクラスの友達からちょっと聞いたよ」
 「…そ、そうなんだ」

 美果はここ最近思い悩む事が多く、とてもじゃないがテレビ番組やニュースなどをじっくり見るような心の余裕があまりなかった。
 現実逃避に見始めた動画サイトから興味を持ち、最近はバーチャルライブに若干ハマり気味である。それもあって余計にテレビ自体をあんまり見ていない。それ故に学校や地域のことに対する情報の収集には少し疎く、この話も初耳である。

 (笠間先輩が襲われて入院…)

 好きか嫌いかと言うと、怖い上に大嫌いな上級生だが、美果は動揺した。

 「入院ってことは、怪我したんだよね…大丈夫かな?」
 「頭をバットのようなもので殴られた的なことニュースで言ってたよ」
 「一時意識不明になってたとか」
 「………」

 美果は複雑な気持ちになった。美果の様子に、夕美も何となく複雑そうな面持ちでぽつりと言った。

 「ムカつく先輩だけど、ちょっと可哀想だね…」
 「…う…ん…」

 そうだね、と素直に言いづらい。美果は笠間に体育倉庫で激しく犯された事を思い出し、手足が震えだしそうになるのを堪えるのがやっとだった。

 (酷いし怖い人だけど、でも…)

 城木の時と同じである。命を落としてほしいとまでは思わない。美果は彼らを恐れ、恨んでもいるが、命を取り上げたいとまで願うことは無かった。

 (怪我…大丈夫かな)

 自分を犯した男を、ほんの少しだけ美果は心配したのだった。




 夕美の着替えが終わり、沙織とも別れる頃には授業開始五分前の予鈴が鳴った。
 二人が慌てて廊下を小走りに駆け出した時、夕美が声をかけてきた。

 「そういえばさっき、倉島先生と何話してたの?」
 「え?」
 「今度は私も混ぜてよね、倉島先生との会話」

 少し寂しそうに口を尖らせる夕美は素直に自分の気持ちを話す可愛い同級生である。美果は夕美のこういう所が好きで、もしかしたら笠間も彼女のこういう所が好きなのかもしれない。

 二人は三分前にどうにか自分の席に座り、授業の開始を待った。

 (そういえば…)

 美果は先ほどの倉島の問いかけと、そして先ほど夕美や沙織との会話を思い出していた。



 ーーー笹野、お前一昨日の夜にどこかに出かけたか?

 ーーー通り魔に襲われて入院したらしいよ

 ーーー…やっぱり、笠間君のことなんだ


 (どうして…)

 ごくりとつばを飲み込んだ。

 (どうして、倉島先生は、私に一昨日の夜の事なんか聞いたんだろう…)

 美果は自分の心臓が嫌な具合に脈打つのを感じたのだった。
 
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