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第二話「笠間」

2-1 なぜか相談できない

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 ―――…のニュースです。
 ―――本日朝7時頃、○○線の○○駅のホームから人が転落…電車に………
 ―――……た男性は病院に搬…され……
 ―――防犯カメラには…な人影が…



 「美果、もう風邪治ったの? 今日は電車も遅延してたし無理しない方がいいんじゃない?」
 「あ、う、うん、もう大丈夫…ありがとね」

 友人の一人に心配そうに声をかけられ、美果は曖昧に笑って返事を返した。
 美果は二日程学校を休んでいたのである。その上今朝はいつもの電車が人身事故で遅延していたせいで他校の友人である森野舞共々学校に遅刻する羽目になってしまった。遅刻と言っても十数分の遅刻で済んだので授業は滞りなく受けている。何人もの友人達に心配され、美果はその温かい言葉に少しだけ癒されていた。

 (それにしても混んでるなあ)

 女子更衣室は混雑していた。
 美果の通う高校では年に一度、体育祭とは別に『競技の日』なる謎のイベントが開催され、全校生徒は予め予定されている競技の内の一つを選んで参加しなければならない。
 そして本日はその『競技の日』の当日であった。
 美果のように大して運動が得意というわけではない生徒には若干憂鬱なイベントである。
 しかし体育祭ほどの大規模な催し物でもないため、程々に競技に参加して後半はダラダラ過ごす生徒が多かった。美果もそう考える生徒の一人である。

 (まあ今日は通常授業が無いから、いつもと違う感じが楽しいって言えば楽しいんだけど)

 そんな事を心の中で呟きつつ、美果は制服を脱いだ。

 「ねえ美果ってバレーボール選択したよね?」
 「うん、そうだよ」

 卓球、テニス、サッカー、バスケ、野球、長距離走、カバディ、バレーボールの中から一つを選び、全校生徒は学校中に散らばって学年も性別も関係無しに対戦する事になる。
 美果は得意なスポーツ等は特にないが、バレーボールならば中学の授業で体験した覚えがあったという理由から選んだのである。

 (長距離走は絶対にやりたくないし、バスケ、サッカー、野球は強そうな男子が集まってそうだし、て言うかカバディってどんなスポーツだろ?)

 よく知らないスポーツに手を出すことはやめ、美果は安全パイとしてバレーボールを取ったのだった。

 「じゃあペア組もうよ! 私中学でバレーボールやってたし、結構強いよ」

 ブラウスを畳んで今から体育着に袖を通そうという所で、美果は友人の立岡夕美からかけられた意外な提案に驚いて振り返った。いつの間にかすぐ横に立っていた友人の夕美は美果より頭一つ分ほど背が高い。健康的に日焼けした小麦色の肌と、程よく引き締まった身体はいかにもスポーツ少女といった雰囲気だ。美果は思わず目を細めた。彼女の小麦色の肌にベビーピンクと白の可愛らしい縞模様の下着がちょっと目に眩しい。

 「どしたの?」
 「夕美の肉体美と下着が眩しくて目が潰れそう」
 「ふふん、もっと見ていいんだよ」
 「引き締まった身体の人はいいよねー」

 そんな冗談を交えつつ、夕美はかなり美果の至近距離に立ったまま動かなかった。

 「ちょっと近い近い、着替えにくいんですけど」
 「ん? んー…美果が着替え終わるまでこうしててあげる」
 「いや頼んでないから」

 美果が鬱陶しがっても夕美は物言いたげに笑顔のまま側から離れなかった。そしてその距離のまま夕美は再び再び提案してきた。

 「ペア組もうよ、私が美果を守ってあ・げ・る」

 不器用に半眼になりながらばちーん、とウインクしてくる夕美の残念な顔を見て美果はくすくすと笑った。

 「ほんと? 凄く心強いけど…でも私ほとんど初心者だし、足引っ張ると思うよ」

 私で良いの、と美果が半信半疑で問い返すと、夕美は大きく頷いた。

 「いいのいいの、こないだの笠間先輩の時に付いて来てくれたお礼! あの時本当に心強かったんだ、改めてありがとね、美果!」

 きらきらとした眩しい笑顔で恥ずかしげもなく感謝の言葉を口にする彼女を見て、美果は改めて実感した。

 (この笑顔が守れて、良かった)

***

 この世界はどこかがおかしい。
 誰もが気づいてもおかしくない公の場で突如始まる性行為。
 そして高校一年生の三月の終わりになると、とある事件が発生し気づくと時間は前年の四月へと戻っている。
 美果はその繰り返しの中で何度も襲われ犯される女性達を目撃し、助けようとしても見えない何かに邪魔をされるかのように失敗をし続けた。
 そのうちに彼女は襲われる女性を発見しても、見て見ぬふりをするようになった。何をしても自分には助けられないと諦め、酷い目に遭う女性を助けられない自分に歯噛みし続けたのだ。

 しかし、今回のループでは始めて性被害に遭う前の森野舞に声をかけることに成功し、彼女を救う事ができた。それをきっかけに美果は次々と快進撃を繰り広げ、彼女が知る大体の被害女性達は守る事に成功している。

 (あの時の笠間先輩の目つきはかなり怖かったけど、夕美とこんなに仲良くなれたのは凄く嬉しい)

 まさかあの時、上級生の笠間からの呼び出しに一人で行けばそのまま犯される運命だったとは夢にも思わない夕美だが、そうでなくとも彼女は美果に随分と感謝していた。
 夕美は高校入学してから知り合った美果の友人だが笠間の一件から更に親密になっており、二人は今では親友と呼べる仲になっていた。

 (出来ることなら、もう何も起こりませんように…)

 美果は表情を曇らせて俯いた。
 本当は、美果は学校に通うのもましてや本日の競技に参加するのもかなり躊躇していた。

 (またあの人に会うかもしれないと思うと、一人で電車に乗れない…)

 先週のことである。美果は繰り返す時間の中でいつも森野舞に痴漢を働いていた会社員の城木に襲われた。朝のラッシュ時での犯行とは思えないほど電車内で美果は激しく犯されたのだ。

 (しかも裸の写真まで撮られて、住所も学校名もスマホの番号も知られてる)

 悪夢のような状況だが、美果の唯一の救いはその事が誰にもバレていない事である。あれほど激しい情事が繰り広げられていたというのに、同じ電車に乗り合わせた乗客達は一人もその様子に気付かなかった。美果が恐る恐るネットなどでその時のことを調べてみても、SNSのどこにもそれらしき事は呟かれていない。
 
 (おかしな世界だけど、この件に関してはほんとに助かった)

 美果はインターネット上に自分のあられもない姿が拡散されたわけではないという事が分かり一先ず胸をなで下ろした。

 (でも、次にいつ呼び出されるか分からなくて怖い)

 美果の写真を撮った城木からは、今のところ一度も連絡はない。美果は待ち伏せなども警戒していたが、通学路でも電車内でもあれ以降城木には出会っていなかった。

 (どうか、あの痴漢がこのまま私のことを忘れて、写真のデータが入ったスマホがクラウドごと爆発しますように)

 美果は城木以外にも甚大な被害を及ぼしそうな願いを真剣に神に祈った。
体育着に着替え終わった美果が少し蒸し暑さを感じて胸元のジャージを下ろして歩き出すと夕美が目を泳がせながら話しかけてきた。

 「…美果、ちょっとこっち向いて」
 「ん、なに?」

 夕美は振り返った美果のジャージのファスナーを一番上まで上げた。

 「え、暑いんだけど」

 美果が抗議の声を上げつつファスナーを下ろそうとしたが、夕美はその手を捕まえて小声で囁いた。

 「美果、彼氏いるんだっけ?」
 「居るよ、最高のスパダリが」

 大好きな自らの恋人である時村翔のことを聞かれ、美果はにこりと微笑んだ。精神的に落ち込んでいても彼のことを考えると美果は笑顔になれるのである。

 「そっか、じゃあ次に会ったら伝えといて」
 「えっ、何を?」

 夕美が翔に何を伝えると言うのか、と美果が疑問の表情を見せる。夕美はやれやれと言った顔で美果の耳元で囁いた。

 「次からは見える所にこんなに痕付けるな、って」
 「あと…? あっ!」

 美果は途端に顔を青くした。
 彼氏と順調なようで羨ましい、と夕美は笑った。しかし美果はその茶化す言葉に曖昧に頷く事しか出来なかった。

 (この痕は…)

 美果は痴漢の城木にホテルに連れ込まれ、至る所に無理矢理キスマークを付けられた日のことを思い出した。

 (さっき夕美が私の後ろにくっついてたのは、他の子に見られないように守ってくれてたんだ)

 美果は少しだけ涙ぐみ、持ってきていたお気に入りのタオルでそっと目元を拭った。

***

 「あれがカバディ…」
 「意外と競技人口多いね」

 更衣室から出て運動場を見ると、すでに競技は開始されていた。中でも見物人などが集まっている場所を見て美果は始めてカバディなる競技を見たのである。

 ―――カバディカバディカバディカバディカバディ!!!!!

 と呪文のように言いながら生徒が相手陣地に侵入したり逃げたりしている。ルールはさっぱり分からないが、周りが盛り上がっているので良い勝負をしているのだろうと思われる。

 「バレーボールは、体育館の西側だってさ、行こ」
 「うん」

 美果は夕美と共に移動した。目的地の体育館には、バレーボールを競技に選んだ生徒達の人集りが出来ており、二人は足早にそこへ向かった。

***

 「ただ待ってるの暇だから美果の柔軟体操してあげるよ」
 「いやいやいや、やるなら自分の体を柔軟にして!」

 美果と夕美はコートの順番待ちをしていた。バレーボールの人数は男女数はほぼ同じくらいで、全体数もそこそこに多かった為、自分達の番が来るまで生徒たちは各々準備運動をしたり座っておしゃべりに興じていた。

 (早く順番来ないかな、運動はそんなに得意じゃないけど今は身体を動かしていたい…少しでもこの前のことを忘れたい)

 夕美に背中を押されながら、なし崩しに始まった柔軟体操をしながら、美果は心の中で呟いていた。


 一度目の相談は二日前の事である。体調が悪いと言って美果は学校を休んでいた。

 「お母さん、あのね…」
 「え、なあに?」
 
 電車内で城木に襲われた事を家族に相談しようかと悩み続け、美果はとうとう母親に話しかけた。

 ―――ピンポーン!

 「あら誰か来た、ちょっと待っててね」
 「あ、うん」

 母親が玄関に行くと宅急便が届いていた。美果の母親がそちらの対応をしていると、今度は回覧板が届いたらしく、ご近所さんとの長話が始まってしまった。
 美果は何だか話し出すタイミングを失ってしまい、そのまま部屋に戻った。


 次の日、二度目の相談をしようと美果は意を決して父親に話しかけてみた。

 「お、お父さん、あのね、私この間…」
 「ん? どうした?」

 しかし美果が例の件を相談しようとした矢先、父親のスマホの着信音が鳴り響いたのである。

 「おっと、ごめん仕事の電話だからそのあと聞くよ」
 「あ、うん」

 かかってきた電話は仕事上の重要な電話だったらしく、父親は「急な仕事の相談が入ったからちょっと行ってくる!」と言い残して家から飛び出していってしまった。こんなことは滅多にない。美果は呆然とその後ろ姿を見送った。



 三度目の相談は昨日のこと。他校の友人である森野舞に連絡を取り、彼女に相談しようとした。
 
 「呼び出してごめんね舞ちゃん」
 「いいよいいよ、美果ちゃん最近休んでるけど何かあったの?」
 「うん…あのね、実は私この間電車で」

 待ち合わせをした公園のベンチに腰掛け、話を始めようとした時だった。

 「あ、危ない!」
 「え?」

 舞が目を見開いて叫んだ。すると二人が座っていたベンチのすぐそばで妊婦らしき女性が転んでしまい、何と破水してしまった。

 「大丈夫ですか!?」
 「きゅ、救急車呼ばなきゃ!」

 美果と舞は慌てて救急車をその場に呼び、何故か妊婦の女性が心細いから付き添ってほしいと言うのでそのまま一緒に付いて行った。
 病院に到着して数分後に無事に赤ん坊が誕生する瞬間に立ち会い、二人は駆けつけた妊婦の女性の夫やその家族と喜びを分かち合った。

 「じゃあね美果ちゃん」
 「うん、今日はありがとね舞ちゃん」

 感動の体験をして意気揚々と歩いて気がついた。

 (痴漢にあったこと相談するの忘れてた…)

 美果はがっくりと肩を落として家路に着いたのであった。



 四度目の相談相手は恋人の時村翔だった。彼なら酷い目にあった美果の相談に真摯に対応してくれるに違いないと彼女は確信していた。
 喫茶店に呼び出すと、遅刻することなく時村翔はやってきた。

 「突然呼び出してごめんなさい」
 「全然大丈夫だよ、美果ちゃんの呼び出しなら夜中でもすぐ駆けつけるよ」

 にこりと微笑む年上の恋人に、美果は心が浄化されるのを感じた。

 「それでどうしたの? 友達と喧嘩でもした?」
 「あっ、あの…その…」

 大丈夫だと思っていても、美果は言い出しづらかった。やはり見知らぬ男に犯されたなど、恋人に相談しても良いのだろうか。

 「えっと…私…」
 
 俯いて言葉を詰まらせる美果に、翔はトーブル越しに身を乗り出して彼女の手をそっと握った。

 「無理しないで、嫌なことは言わなくても良いよ」
 「翔さん…」

 恋人の優しさに涙ぐみながら、美果は心を決めた。

 「私、この間電車で、ち、ち…」
 「ち?」

 翔が不思議そうな顔で訪ね返した時だった。
 
 ―――キキーーーー!!!
 ―――ドガッ、グシャッッ!!!

 「「え?」」

 突然喫茶店の目の前の道路で派手な交通事故が発生したのだ。
 それを目撃した二人は揃って声をだし、驚いて視線をそちらに向けた。
 美果と翔が振り返った先では、二台の乗用車が正面衝突しており互の接触部分から煙が立ち上がっていた。

 「あ、危ない!」

 翔が思わず立ち上がる。事故を起こした二台の乗用車の元へ、減速が間に合わなかったバイクが一台避けきれずに突っ込み、派手に運転手が宙を舞い地面に叩きつけられるのを目撃してしまった。

 「俺ちょっと行ってくる! 美果ちゃんは救急車を呼んで!」
 「は、はい!」

 二日連続で救急車を呼ぶ羽目になった美果の視線の先で、翔は勇敢にも人命救助のために現場に一番に駆けつけていった。倒れたバイクの運転手の怪我の度合いを確認して歩道に引きずって移動させ、車の中に閉じ込められた乗用車の運転手の様子を確認する。

 「まずい、火が出たぞ!」

 片方の車が出火したが、翔は車内に残された運転手を救う為にその場から逃げ出さなかった。そして集まってきた見ず知らずの人々と協力してどうにか救助を成功させたのだった。
 その姿はヒーローそのものである。
 程なくして救急車とパトカーが現場に到着し、美果と翔は事情聴取をされた。幸い死者は居らず、ご協力感謝します、と言って警察官に礼を言われた翔は「当然のことをしただけです」とにこやかに微笑んで美果を含め周りの人々の心をときめかせるのであった。

 「それで、何だっけ?」
 
 改めて翔は笑顔で美果に訊ねた。彼の艶やかな髪や顔や服は、救助の際についた煤や埃ですっかり汚れてしまっている。人のためにこんなに頑張った人に自分の個人的な相談を持ちかけるのは申し訳ないな、と美果は思ってしまった。

 「…忘れちゃった」

 もはや何か見えない力によって妨害を受けているとしか思えなかった。美果は誰かに相談をすることを諦めた。

 後日、翔は炎上した車内から運転手を救い出した事を讃えられ、消防署で表彰された。テレビでも放映され、彼のルックスの良さ等がSNSで騒がれることになり、ちょっとした有名人となってしまった。
 美果はSNSの様子に恋人が褒められるのを見るのは幸せな気分でもあるが、同時に誰かに取られてしまわないかとちょっと心配になったのだった。
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