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しおりを挟むそうして、計画を実行に移したのは、数日後の放課後。
10月に特別教室で行われるイベント、「やきいもパーティー」に向けて、私と周輝くんと姫穂ちゃんの三人で、パーティー用の飾りをおりがみで作っていた時のことです。
「ひめほっ! ほら、おりぇにもできたー!」
「すごいね、周輝くん。上手だね」
すっかり『姫穂ちゃん』としての生活に染まった周輝くんは、おりがみで作ったクサリ(輪っかをつないだもの)を手に持ち、にっこりと笑っています。きっと、自分一人でハサミや糊を使えたことが、よっぽど嬉しかったのでしょうね。
かつての周輝くんなら、頭脳明晰な中学三年生の男子だったころの周輝くんなら、決してその程度のことで喜んだりはしないでしょう。しかし、その面影はもうありません。今の周輝くんは、口からヨダレを垂らしながらおりがみに熱中する、●●●の女の子です。
「うぅあ~。のりが、ベタベタで、むじゅかしぃ……」
「周輝くん。ひめ、ちょっと行ってくるね」
「えっ? どこにぃ?」
「となりの空き教室。寧々香ちゃんと一緒に」
「にぇ、ねねかとぉ?」
「すぐ戻るから。何か困ったことがあったら、となりの教室に来て」
「ふぅ~ん。分かったぁ」
私と姫穂ちゃんは立ち上がり、この部屋の隣にある教室へと向かうことにしました。姫穂ちゃんは部屋を出る前に一度だけ振り返り、周輝くんの顔を見つめましたが、周輝くんは相変わらずおりがみに集中しているようで、見つめ返してはくれませんでした。
「行こう、姫穂ちゃん。これからはもう、『周輝くん』だよ」
「うん……」
*
周輝くん……ではなく、『姫穂ちゃん』が私たちのいる教室にやってくるまで、そう時間はかかりませんでした。さっそく、何か困ったことがあったのでしょう。
「じゅるる……! ひめほ~。おりがみ、なくなっちゃった~」
重たい扉をガラガラと開け、彼女は中へと入ってきました。目の前の光景を脳で処理するまでの数秒間だけ、呑気に、平穏に。
「えっ……?」
そこで『姫穂ちゃん』が見たのは、私と『周輝くん』でした。
「周輝……くん……」
「ね、寧々香……」
穏やかに差し込む陽の光。ふわりと風に揺れるカーテン。他に誰もいない教室。
私と『周輝くん』は、静かにゆっくりと唇を重ねました。どこかの●●●の子みたいに、必死に強引にではなく、互いにそれを望んでいるかのように、ほんのりとした愛を確かめ合うかのように、柔らかく軽い口づけを。
「……」
「……」
余韻を楽しむ暇すら与えず、私たちを見て『姫穂ちゃん』は叫びました。
「ひめほ……!? なっ、なにやってりゅんだっ!!?」
「……!」
しかし『周輝くん』は、声を上げた『姫穂ちゃん』を見つめて、無言のまま。仕方がないので、私が代わりに説明してあげることにしました。
「何って?」
「にぇ、ねねかっ……!? おまえ、ひめほになにしてりゅんだよっ!!」
「今のを見て分からないの? もう一回見せてあげようか?」
「なっ!? や、やめりょっ!! どういうことなのにょか、せちゅめいしりょっていってるんだっ!!」
「『せちゅめい』? アハハ、説明ね。説明しても理解できないんじゃない? 今のあなたは、すごく頭が悪いから」
「じゅるるっ……! ばっ、バカに、しやがっちぇ……!! とにかく、そばに立ちゅなっ!! おりぇのひめほから、はなりぇろよぉっ!!!」
『姫穂ちゃん』は激昂し、私と『周輝くん』との間に割って入るかのように突進してきました。彼女は自分の力が制御できないので、恐ろしいほどのフルパワーです。
しかし私は、あえてその全力突進を肩で少しだけ受け止めました。
「きゃっ!」
私は大袈裟によろけ、怒れる『姫穂ちゃん』の前でわざとらしく転んでみせました。
「いたた……」
「はぁ、はぁ……。なにをかんがえてりゅんだ、おまえはっ……!」
「ふふっ、あなたと同じだよ。私も周輝くんのことが好きだったの。ねぇ、『姫穂ちゃん』」
「あぁ……? 『ひめほちゃん』? おりぇのことか?」
「そうだよ。あなたは『姫穂ちゃん』。●●●の女の子」
「ちがうっ、おりぇは……!」
「何言ってるの? 自分の姿をよく見て。髪にリボンをつけていて、薄汚れたセーラー服を着ていて、口からヨダレを垂らしてる女の子は、姫穂ちゃんしかいないよ。自分でも分かってるでしょ? もう誰も、あなたを周輝とは呼ばないことぐらい」
「しょれはっ、か、体がいりぇかわってりゅから……」
「その事実を知ってるのは、私と本物の姫穂ちゃんだけ。つまり、私たちが事実を忘れたら、あなたは完全に『秋沢姫穂』という名前になる」
「なっ!? じゃあ、ひめほも、そりぇを分かったうえで……!?」
「ふふふ。今あなたの後ろに立っている男の子も、もう姫穂じゃないよ。ちゃんと名前で……『周輝くん』って、呼んであげて」
「う、うそだりょ……!? おい、ひめほっ……!!」
『姫穂ちゃん』はくるりと振り返り、『周輝くん』の反応を窺いました。しかし『周輝くん』は相変わらず、うつむいて黙っているだけ。反論や否定は全くせず、ただ現実を受け入れようとしているという風に見えました。
ショックを受けた『姫穂ちゃん』は、再び怒りの視線を私に向けました。
「じゅるる……! おまえっ! ひめほに何かしただろっ!」
「別に? 助けてあげただけだよ。私は『共生係』だからね」
「たしゅけりゅ……?」
「うん。●●●を介護するのに疲れたんだってさ。だから、私に助けを求めてきたの」
「●●●……? そ、そりぇって、おりぇのことじゃ……」
「そうだよ。あなたのこと。あなたはもう、誰からも見放されたんだよ」
「う、うそだっ! ひめほが、しょんなこというわけない……! お、おりぇとひめほは……!」
「まさか、本当に男女の仲になれると思ってたの? 涙、唾液、鼻水、糞尿。それを拭く側と、拭いてもらう側の関係なんだよ? あはは、“●●●を同じ人間だと思うから疲れる”だなんて……言ったのはあなただよね?」
「じゃあ、ひ、ひめほは、おりぇのことを……」
「その通り。あなたを同じ人間だとは思ってない」
私は『姫穂ちゃん』に、事実を突き付けてあげました。すると、『姫穂ちゃん』の顔はみるみるうちに真っ赤になっていき、頭をぐしゃぐしゃと掻き毟りながら激しく取り乱しました。
「うしょっ、うそだっ……!! うそだ、うそだぁっ……!! うしょにきまっちぇるっ!! ふじゃけんあぁぁっ……!!!」
「あらら。落ち着いて」
「黙りぇっ!!! おりぇと、ひめほは……!! おりぇはっ、ひ、ひめほとぉっ……!! くしょっ、ひ、がち、ゔ、ゔぅぅああああーーーっ!!!」
「あはは、どんどん言語を失ってるみたい。ねぇ『周輝くん』、とりあえずこの危険な『姫穂ちゃん』を、私から遠ざけてくれる?」
『周輝くん』は黙ったまま小さくうなずくと、暴れだそうとしている『姫穂ちゃん』を後ろから羽交い締めにし、身動きを封じようとしました。
「『姫穂』、じっとしてて」
「お、おりぇが、ひめほ……!? くしょがっ、はなしやがりぇっ!! おりぇは『しゅーき……で……! ありぇ? お、おりぇは『しゅー……き……? お、おりぇは……おりぇは……『しゅーき』くん……? しゅーきくん? ううぅっ、あたまが……いたいぃ……」
「俺が『周輝』で、お前は『姫穂』。そう決まった」
「ちがう……ちがう、ちがう゛っ!!! ひ、ひめ゛ほは、ひめ゛は、お、おり゛ぇはしゅーきなん゛だあぁぁっ!!!! ひ゛め゛は、しゅーき゛くん゛、なの゛ぉおおおおっ!!! ゔわ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーっ!!!!」
「……!」
しかし、我を失った『姫穂ちゃん』は大声を上げながら凄まじい力を発揮し、『周輝くん』の拘束を振り払って、さらには思い切り突き飛ばしてしまいました。
その攻撃の反動で、『姫穂ちゃん』自身も後ろにドスンと転び、彼女のポケットからは、おりがみでできた短いクサリと工作用のハサミが飛び出し、バサッと床に散らばりました。
私はすぐに『周輝くん』の元へと駆け寄り、彼の様子を窺いました。
「『周輝くん』、大丈夫?」
「大丈夫だよ、寧々香。これでよかったの?」
「うん。『姫穂ちゃん』が“かんしゃく”を起こすことは、想定の範囲内。でも、一つだけ考えてなかったことが……」
「うん? それは何?」
「ハサミ」
『姫穂ちゃん』は右手でハサミを掴むと、まるでゾンビのようにウネウネと立ち上がり、異常なほど充血した真っ赤な目玉をギョロギョロと動かして、私たち二人を視界に捉えました。
「いひっ、い゛ひひ……! ゔぎぃい゛い、ぎひひっ……!!」
涙を流しながら笑い、
「も゛ちゅ、も゛ちゅ、んっ……! じゅるるっ……! う゛ぷっ、んああぁー……」
ハサミの刃を口の中に入れ、べちゃべちゃと舐めたあと、それをゆっくりと取り出し、
「はぁー……はぁー……、う゛があ゛あ゛ぁっ、ん゛あ゛あ゛あ゛あぁぁ……!! ぐう゛お゛ぉあ゛ああ゛ああ゛ぁあ゛ぁーーーーっ!!!!」
口から血と唾液をボタボタ垂らしながら、『姫穂ちゃん』は私たちの方へと向かってきました。右手に持ったハサミで、私たちを刺し殺すつもりのようです。
「ねぇ『周輝くん』? あれ、何に見える?」
「入れ替わる前の……俺だよ。決別したい過去だけど」
「ふふっ。じゃあ、今日で過去の自分とはお別れしようね」
「寧々香は? 寧々香は、『姫穂』をどういう目で見てるの?」
「私? 私にとって、今の『姫穂ちゃん』は……」
────────
────
──
* * *
「赤い鎖事件」。
しばらくして、あの日の出来事にそんな名前がつけられました。
負傷者5名、死者1名。錯乱した三年生の女子生徒が、近くにいた人間を見境なくハサミで刺したという恐ろしい事件です。そして、日野外中学校の歴史上、最も多くの血が流れた日だそうです。
詳細は諸事情により公表されず、事件の裏に何があったかなどの真相は謎。世間でもほんの少し話題になりましたが、その後すぐに日本列島に台風が上陸し、報道されるニュースも台風に関連したものばかりになり、世間の人々からはすっかり忘れ去られてしまいました。
「赤い鎖」とは、女子生徒が事件現場に落としていったおりがみのクサリのことで、血で真っ赤に染まっていたことからそう呼ばれています。今では、「夜の12時、とある教室に落ちている赤い鎖を見てしまった者は、ハサミを持った女子生徒に背後から刺し殺される」という、ちょっとした怪談として、日野外中学校の学生たちの間で語り継がれているそうです。
* * *
──
────
────────
3月の中頃。
先日、中学校では卒業式が行われました。卒業した中学三年生たちは、日に日に近づく高校の入学式にドキドキしながら、春休みをのんびりと過ごしています。
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
電車で2時間揺られ、私と周輝くんは、のどかな田舎町へとやってきました。駅の周りには寂れた個人商店がいくつか建っているだけで、人の気配すらほとんどなく、少し背伸びをして見える景色には田んぼが広がっています。
「周輝くん、バスが来るまであと何分?」
「30分かな。それまでどこかで時間でも潰して……って、この辺りは何もなさそうだけど」
「ふふ。じゃあ、バス停のベンチに座っておしゃべりしてようよ。二人きりで落ち着いて話せる機会なんて、最近あんまりなかったし」
「そうだな。ここのところ、ずっと受験やら卒業式やらで忙しかったもんな」
「でも良かったね。二人で同じ高校に受かって」
「うん! 以前の俺の頭だったら、寧々香と同じ高校なんて、絶対に無理だった……!」
「以前の俺? ふふっ、じゃあそれについてのお話でもする?」
「……」
周輝くんは視線を降ろし、自分の左腕にある傷痕をじっと見つめました。……あの日、狂気のハサミが振り下ろされた時のことを思い出しているのでしょう。
「『赤い鎖事件』……」
「5人の負傷者のうちの1人が、周輝くんだよね」
「ああ。そして死者が1人」
「若い女の先生だっけ? よく覚えてないや」
「女子バレー部の顧問の……。名前までは俺も覚えてない」
「暴れ続ける姫穂ちゃんを止めようとして、ハサミでドスッと一突き。私、人が死ぬところ初めて見たよ」
「俺もだよ。一歩間違えたら、俺がああなっていたのかも……」
「ふふっ。それ、被害者ってこと? それとも加害者?」
「両方だよ。自分が●●●の女だったなんて、今ではもう信じられない」
「あはは、そっか。じゃあ、周輝くんもやっぱり気になってるんだ? 姫穂ちゃんの現在」
「……」
それから30分後、私たちの前に一台のバスがやってきました。そのバスの行き先は、「妖精の花園」。正式名称は「特別隔離女子寮:妖精の花園」という施設です。
* *
「うぅ……うあぁ~……」
「秋沢さーん。秋沢姫穂さーん。どうされましたかぁ?」
「じゅるる……。んんう……?」
「文字を書きたいの? クレヨン? えんぴつ?」
「くうぇ……よぉん……? くうぇよん……!」
「はい。じゃあこの赤いクレヨンをどうぞ。落とさないように、しっかり持って」
「うあぁう……。むふうぅ……。ひめ……? ひぃ~いっ、めぇ~えっ!」
「机には書かないでくださーい。紙に書いてね」
水族館みたいな分厚いガラスの壁の向こう側に、現在の姫穂ちゃんがいました。
ガラスの向こうにあるその部屋は、2~3歳くらいの子が遊ぶためのおもちゃなどがあるプレイルームのような場所でした。姫穂ちゃんは、施設職員のお姉さんにサポートしてもらいながら、せっせと机に文字を書いています。
「ひめ……の……」
「うん? どうしたんですか、秋沢姫穂さん」
「ひめの……おなうあぇ……?」
「お名前? そうですね。平仮名で『ひ』『め』『ほ』と書いてみましょうか。ひらがなパネルをよーく見て」
「むむむ……。ちし、ちしゅてっ……! うりゅりゅ~……?」
「そうそう。ゆっくり丁寧に『し』『ゅ』……あれ? 『ひ』『め』『ほ』ですよ?」
「あは、あははぁ……。んふふ、んふっ……」
「どうしたの? ほら、ここに『ひ』、『め』、『ほ』って」
「や、やあっ! やんっ、やあっ……! んきゃああぁーーーっ!! ひぐっ、ぐすっ、わああああぁーーーんっ!! わああああーーーんっ!!」
姫穂ちゃんは突然、大声で泣き出してしまいました。
しかし、施設のお姉さんはプロなので、慌てず騒がず対処しています。暴れ出そうとする姫穂ちゃんからサッと離れると、すぐにポケットから小型マイクのようなものを取り出し、どこかに連絡を始めました。
「……」
「……」
私と周輝くんは、その様子をガラスの外から見ていました。
「姫穂ちゃん、元気そうだね」
「うん……」
「元の体に戻りたい?」
「いや」
「だよね。ふふっ、あの人はこうなる運命だったのかな」
「……」
「ねぇ、周輝くん。目をつぶって?」
「ここでやるの? 姫穂の前で? おいおい正気かよ」
「うん。だって、ここでするのが一番興奮するもん」
「はぁ……。分かったよ。一回だけ、付き合ってやる」
「ふふ。大好きだよ、周輝くんっ♡」
周輝くんは静かに目を閉じ、私は背の高い彼に届くように少しだけ背伸びをしました。
「あ゛あ゛ーーっ!!? や゛ああ゛あ゛あぁーーーんっ!! ら゛ぁめ゛ぇえ゛え゛えええーーっ!!!」
姫穂ちゃんは私たちの姿に気付いたらしく、泣きながらガラスの壁をドンドンと叩いて、何かを訴えています。しかし、濃密な幸せを感じている私たちに、その訴えは届きません。
「ん゛や゛ゃあ゛ああぁーーーっ!! やあ゛っ!! や゛むぇてぇえーーーっ!! ひぐっ、ぐきゅっ……! はぁっ、はぁっ……」
「はい、すぐに鎮静剤をお願いします。え? 秋沢姫穂さんの様子ですか? そうですね、壁に貼りついて、バンバン叩いてます。あ、でもそろそろ疲れてきたのかな?」
「はぁ、はぁ……。やえてっ……て……! ひぃっえぅ……のい……。ううぅ、うきゅっ……」
「叩くのをやめました。でも、まだ様子が変ですね。いつもなら、これくらい暴れたら疲れて寝ちゃうハズ……」
「はぁー……、はぁー……。うぅ、んっ……ふ……。ひくっ……んふっ……」
「あっ! クレヨンの先で、股間をグリグリと刺激しています。気持ちを落ち着けるための自慰行為だと思いますが、これは止めたほうが良さそうですね。一旦切ります」
*
●●●だった姫穂ちゃんと、そんな彼女をバカにしていじめていた周輝くん。私は今回の一件を通して、●●●の子をバカにしたりいじめたりするのは良くないことだと、改めて実感しました。
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