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最後の修学旅行 第一夜
なわとびの裏技
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「痛ってて……! いきなり……かよ……!」
風太は目を覚まし、ズキズキと痛む頭部をさすろうとした。しかし、それはできなかった。
体の後ろで、両手が縛られている。拘束具は、おそらくホテルの部屋に置いてあったタオルだ。
「フンッ……! こんなもの……意味ないぞ……! おれを……ナメるなよ……!」
雄の本能による、攻撃性や破壊衝動。それは身体が女であっても、精神が少しでも男であれば働く。
あっさりと、風太は力ずくで拘束を解いた。タオルはパサッと畳に落ち、風太の両手は自由になった。
「お前か……。キモムタ……!」
犯人は牟田。通称「キモムタ」だった。
そいつは今、右手に木刀を持ち、風太の目の前に立っている。しかし、普段とは少し様子が違うようで、風太もその異変に気がついた。
「どうした……? 顔が……赤いぞ……」
「フーッ……! フーッ……!」
目をギラギラと光らせ、鼻息はやけに荒い。まるで赤い布を前にした闘牛のような興奮状態だ。
そして、風太の言葉も牟田の耳には届いていないようだった。
「フンガッ!!」
大きな鼻息と共に、再び牟田が襲いかかってきた。
動きはかなり単調で、ただ木刀でこちらを叩き潰そうとするだけ。避け続けることも容易いが、あまり振り回されると部屋がめちゃくちゃになりそうなので、風太はその木刀を受け止めることにした。
「お前は……一度……おれに……負けてるだろ……。武器を持っても……結果は同じだ……。お前じゃ……おれには……勝てない……!」
美晴と牟田の身体能力は、ほぼ同じくらい。精神が風太である分、今は『美晴』の方が強い。それは以前の結果から分かっていた。
しかし、誤算が生じる。
「ん……!?」
自分へと振り下ろされた木刀を、ガッと掴む風太。このまま武器を奪うことができる……と思いきや、何故か木刀の勢いは全く止まらず、風太は強引になぎ倒されてしまった。
(力負けした……? おれが、こいつにっ!? そんな、まさかっ!)
風太も男だが、牟田も男。雄の本能による攻撃性や破壊衝動をパワーに変換するのは、体が女である風太よりも牟田のほうが得意だ。つまり、牟田は興奮状態に身を委ねることで、男のパワーを十二分に引き出している。
「フーッ……!! フウゥーッ……!!」
「これは……ちょっとマズいな……」
* * *
「『天ノ川』ねぇ……。この画面に映る、美晴ちゃんとキモムタくんが、織姫と彦星ってこと?」
「そうそう。一年に一回、修学旅行の夜にだけ愛し合える二人。ロマンチックじゃない?」
広めの和室。こちらは6年2組男子の部屋である。
蘇夜花や五十鈴、真実香などのいつものメンバーは、この部屋に集合していた。身を寄せ合いながら、一つのスマホ画面に注目している。
「リモート機能で、女子部屋の様子を生中継してるのね。今回の刑は、録画していないの?」
「録画はもうやめたんだ。LIVEだから見るなら今のうちだよ、みんな」
女子たちの後ろで、男子たちはジュースで乾杯しながら、ポップコーンなどのお菓子を食べていた。彼らは、この余興の観客であり、部屋の外の見張り役でもある。
「先生が来る気配はねェな」
「1階で大浴場付近の見回りをしてるんだろうよ。1組と3組のやつらは、みんな風呂に行ってるし」
「それより、どっちが勝つか賭けねェか? 美晴かキモムタか」
「おれはキモムタに賭ける。さすがに女子には負けないだろ」
美晴vs牟田。いじめられっ子同士の一戦に、男子たちのお菓子が賭けられ始めた。
まるで公営ギャンブル。酒を飲みながら観戦するおっさんのような男子たちの態度に、五十鈴は少し呆れていた。
「男子は好きよね、こういうの。蘇夜花がやりたかったことは、これなの?」
「そうだね。目的の一部ではあるかも」
「へぇ……。じゃあ、蘇夜花も賭けてみる? 美晴と牟田くん、どっちが勝利するか」
「あはは、そんなの決まってるよ」
そう言うと、蘇夜花は結んだなわとびを持って立ち上がった。そして、五十鈴だけに小さく手招きをして、男子部屋の外に出た。
「美晴ちゃんが勝つ。だから……今から勝利者インタビューしに行こうよ。五十鈴ちゃん」
* * *
「フガーッ! フガァッ!」
「やめろっ……! おれの……荷物に……触るな……!」
美晴の下着などが入ったバッグに触れようとした牟田を、風太は右足の蹴りで吹き飛ばした。きれいにヒットした蹴りではあったが、牟田はあまりダメージを受けたような反応を見せなかった。
「はぁ、はぁ……。興奮しすぎて……痛みすら感じない……のか……。いったい……何があったら……こんな状態に……なるんだよ……」
回避、パンチ、キック。すべての動作に体力を消費する。美晴の体で戦える時間は、そう長くない。風太が望んでいるのは、短期決戦。
「せめて……こっちにも……武器があれば……」
牟田が持つ木刀も、厄介さに拍車をかけている。もう一度、あの堅い棒で思い切り叩かれたら、立っていられる自信はない。回避は簡単だが、それも長くは続けられない。
「なんでもいい……。何か……武器……」
風太は部屋を見回し、牟田の木刀に対抗できそうなものを探した。
「そうだ……! あれを……使って……」
目が止まった。テレビのそば、机の上。
それは、武器とは言いがたいが、上手く使えば武器以上に効果を得られそうなものだった。
「よ、よーし……!」
風太は狙いを定めた。
牟田は木刀を大きく振りかぶり、こちらに襲いかかってきた。
「フゴォッ!!」
回避。攻撃は当たらない。
そして、次の攻撃が来るまでの間に、風太は机の上にある、電気ポットへと走った。
「出てこい……! お湯っ……!」
本来ならお湯を作るためのもの。一般的なものなので、使い方は風太でも分かる。
ポットに湯飲みを添え、ポチっと給水ボタンを押す。するとピッと音がして、高温の液体が湯飲みに注がれた。
「あれ……? こ、これ……お湯か……?」
ポットから出てきたのは、透明な水……ではなかった。高温の液体ではあるものの、少し茶色く濁っている。ほんのりと、甘い臭いもする。
「まあ……いいや……。これでも……喰らえっ……!」
しかし、飲むわけではないので、熱湯であればなんでもよかった。風太はポットから湯飲みに注いだ液体を、振り向きざまに牟田へとぶっかけた。
「ぶひゃあっ!? あ、ああ、熱いっ!!」
バシャッ。
湯飲み一杯分。たいした量の熱湯ではないが、牟田をびっくりさせることには成功した。風太の狙いどおり、牟田の手から木刀が落ちた。
「借りるぞっ……!」
風太はすぐに木刀を拾い、低い姿勢を維持したまま、牟田の両足のスネを真横から斬った。
「おぎゃあっ!? 痛゛だぁっ!!」
スパンと一撃。この部位は誰しもが弱点である。
牟田はバランスを崩し、畳に膝をついた。しばらくは立つことができないであろうそいつの目の前には、再び木刀を構えた風太が立っている。
「お前は……美晴を……ナメすぎ……だ……。もう一度……教えてやる……。美晴は……お前なんかに……負けないっ……!!!」
「フゴッ!? まま、ま待てっ!! ぼぼぼぼくは、あのキャンデ」
ドカッ! バキッ! ボコッ!
*
勝利。
「これが……今回の……『刑』か……? たいしたこと……ないな……。蘇夜花なんて……全然……たいしたこと……ないぞ……、美晴……」
口から出るのは、カッコつけたセリフ。しかし、体はもうフラフラで、まっすぐ歩くことができない。
「はぁ……はぁ……。ちょっと……休憩……」
牟田から奪った木刀を杖代わりにして、老人のように腰を丸める。まるでおじいさんみたいだ、と風太は自分のポーズに対して思っているが、見た目は完全におばあさんである。
「こいつ……どうなるのかな……。この後……」
風太はチラッと、現在の牟田へ視線を送った。
気を失って倒れている。客観的事実は、「修学旅行の夜、興奮して女子部屋に入ってきた男子を、女子が撃退した」。この現場を、もし先生が発見したとしても、イジメかどうかの話にはならないかもしれないが、牟田は何かしらの罰を受けるだろう。
「へへっ……。楽しいな……修学旅行は……。カメラで……記念撮影でも……したい……気分だぜ……」
するり。
「ん……?」
する、する、するり。
「え……? なんだ……これ……」
木を登るヘビのように。一本の「なわとび」が、風太の杖である木刀に、するりするりと巻き付いてきた。
「な、なわとびっ……!? わぁっ……!?」
そして、なわとびは風太の木刀を奪い取った。いきなり自重の支えを失い、風太はドテッと手前に転んだ。
「『裏戦華縄跳技法“七歩蛇”』」
畳の上に倒れこんで、顔を上げた風太の目の前に、そいつがいた。
「蘇夜花……!」
「……」
なわとびを操って風太を転ばせたのは、紛れもなく蘇夜花だ。風太から奪った木刀を、蘇夜花は自分の手で触りもせずに、後ろにいる五十鈴へと渡した。
「どうするの? この木刀」
「どこかに捨ててきて。キモムタくんの汗とかついてそうだし」
五十鈴は木刀を受け取り、何も言わずに部屋を出た。
部屋に残ったのは、蘇夜花と『美晴』の二人だけ。
「ってことは……チャンスだろ……、この状況……。誰にも……邪魔されずに……、もう一度……お前を……」
蘇夜花が五十鈴とやり取りをしている間に、風太は立ち上がっていた。そして、すでにパンチを打ち込める体勢を作っていた。
「ブッ飛ばせるんだからな……!!」
その一撃に、ためらいはない。
「ああ……そうだった。この動き、この拳。わたしを殴り飛ばしたのは、これだね」
すかっ。
勢いのある風太のパンチは、残念ながら蘇夜花の腹には当たらなかった。完全に見切られ、最小の動きで回避されてしまっている。
さらに風太の右手には、するするとなわとびが巻き付いてきた。
「『裏戦華縄跳技法』……」
「うわっ……! また何か来るっ……!!」
着物の帯のように巻き付き、胴と一緒に右手と左手を縛り付ける技。
「『“蛇帯”』」
ギュッと結べば、もう両手は使えない。タオルのときのように、力ずくで解けるような甘い拘束ではない。
勢い余って、風太はお腹からベシャッと着地した。
「ぐえぇっ……!」
そして、倒れた風太の背中の上に、蘇夜花のお尻が置かれた。どちらの方が立場が上か決定したところで、風太の背中に乗った蘇夜花は、静かに口を開いた。
「復讐をしに来たよ。美晴ちゃん」
*
美晴の体では、女子一人の体重を支えることすら辛い。
肺が圧迫され、どんどん呼吸しにくくなる。
「はぁ、はぁ……。ケホッ! ケホッ!」
「苦しそうだね、美晴ちゃん」
「ゲホゲホ……。教えろ……よ……」
「え?」
「さっきの……なわとびを……ヘビみたいに……動かすやつ……おれにも……教えろよ……。『二重跳び』や……『はやぶさ』みたいに……練習して……できるようになってやる……」
風太もなわとびは好きで、得意だった。体育の授業で配られる「なわとび練習表」は、レベル5の技までクリアした。
「ああ、『なわとびの裏技』ね。わたしは友達から教わったんだ。今度紹介してあげよっか」
「お前の……友達か……。あんまり……会いたいとは……思わないな……」
「あなたと同じくらい、あの子も不思議ちゃんでね。……まあ、その話はいいや。美晴ちゃんと話したいのは、そんなことじゃない」
風太と蘇夜花。
話題はもちろん、あの時のこと。
「いろんな計画が……本当にいろんな計画がね、あったの。いろんな『刑』をデザインして、しっかり準備もしてた。実を言うと、月野内小学校を去るタイミングまで考えてた。……でも、あなたに殴られた後、全て潰した。だって、何をやっても、失敗する気しかしなかったから」
「……」
「全部、狂ったんだよ……。『天ノ川』なんてやる気はなかったし、縄跳技法なんて技も使いたくなかったし。これからわたしは、大幅に変更したルートへと進む」
「ざまーみろ……」
「ざまー見たよ。本当にね。ああ、もう……やるしかないのかな。やるしかないんだろうね。『刑』、もっとやりたかったのにな。あはは、はは……」
「何を……一人で……笑ってるんだ……。お前……」
「美晴ちゃん、一つ聞いていいかな? 一つだけ、質問させて」
「な、なんだよ……! 痛てっ……!」
『美晴』の後ろ髪をグイッと引っ張り、耳を自分の近くに寄せてから、蘇夜花はとても小さな声で言った。
「あなた、美晴ちゃんじゃないよね?」
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