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最後の修学旅行 第一夜

修学旅行前日 それぞれの夜

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 「修学旅行の持ち物。しおりと、筆記用具ひっきようぐと、二泊三日分の着替え……」

 明日から修学旅行。風太の部屋で、美晴は荷物の整理をしていた。
 「6年1組 二瀬風太」という名札が付けられた大きなバックパックに、一つ一つ確認しながら持ち物を詰めていく。もしもの時のことを考え、ハンカチやティッシュなどを多めに入れ、簡易な救急セットなども持ち込んでおく。多少バックパックが重くなったとしても、今年の美晴は力持ちの男子なので、運ぶのに苦労するということはないだろう。

 「着替えも余分に持っていかなきゃ。汗をかくかもしれないし、汚れちゃうかもしれないよね」
  
 洋服ダンスを開ける。そして、ゴソゴソと奥の方まであさってみる。
 すると、何やら触り心地に違和感のある衣類が指に引っかかり、美晴はそれを奥から引き抜いた。

 「あっ、これは! わたしの下着っ!」

 出てきたのは風太の下着ではなく、「わたしの」下着だった。おおよそ男子小学生が持つにふさわしくない、真っ白なブラジャーとリボンのついたパンツ。
 これは、安樹アンジュの手によって精通を体験させられた時の下着だ。美晴はシミがついたパンツをそのままにしておけず、ブラジャーと一緒に持って帰ってきてしまったのだ。あれから念入りに洗濯したので、もうあの時のシミはない。
 
 「これ、どうしよう……。今のわたしが、女の子の下着を持ってるなんて、おかしいよね。風太くんに返した方がいいんだろうけど、事情を説明するのは……」
 
 なぜこの下着を持っているのか、風太は必ず聞いてくる。

 「あなたの体で勝手に恥ずかしいことをしました、なんて言ったら、風太くんは多分ショックを受ける……。せっかく仲良くなれてきたのに、また嫌われちゃうかも。うぅ、どうしよう……!」

 正直に打ち明けるのは、気が重かった。

 「男の子の体にとっては初めての、大事なこと。それを、わたしが奪っちゃったなんて。わたしが、風太くんの初めてを、勝手に……」

 これからも、初めてを奪い続ける。体の成長に合わせて、風太が体験するはずだったことは美晴が体験し、美晴が体験するはずだったことは風太が体験する。人生を交換するということの重さを、美晴はまた一つ感じていた。
 右手の上の「わたしの」下着を、じっと見つめる。デザインはもちろん、触り心地すら、男子の下着とは全く違う。

 「それにしても……」

 視線をさらに下へ。美晴は自分の股間へと視線を移した。

 (風太くんの体、また興奮してる……。すぐに大っきくなっちゃうの、なんとかならないのかな。男の子の体って、みんなこういうものなの? ズボンだって不自然なかたちになるのに……なんで他の男の子たちは、普通に生活できてるの?)
 
 そしてまた、視線を右手に戻す。

 (これは返そう……。修学旅行の間に。風太くんにバレないように、そっと、荷物の中に紛れこませて)

 自分の修学旅行の荷物の中に、ブラジャーとパンツを入れる。そして、何かの拍子にポロッと出てきたりしないように、荷物の下の方へと、ぐいぐい押し込んだ。

 (こんな、美晴の下着なんかに興奮して。風太くんだって、本当に好きな子がいるハズなのに……いるくせに)

 美晴は眉をひそめ、少しムスッとした。だらしない風太の体に対して、ちょっとムカついていた。

 (誰でもいいの? 相手が女なら、誰でも興奮しちゃうの?) 

 チラッと、そばにある姿見を見る。
 そこに写るのは、女の子座りをしている『風太』。美晴の下着なんかに興奮した、気持ち悪い『風太くん』だ。美晴はその『風太くん』に、軽蔑けいべつの視線を送った。

 「そういうの、わたしはどうかと思います」

 鏡に写る相手に言っても、返答はない。仕方がないので、美晴は少し低い『風太くん』の声を出しながら、返答をした。つまり、ただの一人会話。

 『お前はおれの……友達だ。だから信じる』
 
 この言葉は、過去に風太が美晴に向けて言った言葉。

 「今さらカッコつけてもダメ。風太くんは、最低最悪で情けない男の子です」
 『かわいいと思うよ。お前の服』

 これも、過去に風太が言った言葉。

 「そんな甘い言葉には、騙されないもん。許しませんっ」
 『おれを許してほしい。ごめん、おれが間違ってた』
 「う、うーん。そこまで謝るなら、許してあげなくもないですけど」
 『ありがとうな。美晴』
 「えへへ……。また仲直りですね。風太くん」

 「風太の体を使って、勝手に妄想セリフを言わせる」のはアウト。たとえば、「お前のことが好きなんだ」とか、「愛してるよ」とか。それは人として最低な行為であり、美晴は絶対にしてはいけないことだと思っている。
 しかし、風太が過去に実際に言ったことのあるセリフなら、特別にセーフ。なぜなら、再放送しているだけなので。……という、美晴の独自の基準。

 『美晴』『なぁ、美晴』
 「なぁに。風太くん」
 『美晴……』『美晴っ!』
 「もうっ、どうしたの?」
 『美晴……?』『おい、美晴……!』
 「ふふふっ、んふふふっ……!」

 嬉しくて、美晴はニヤけてしまった。ただ独り言を言っているだけなのに、美晴の心は満たされていた。
 しかし、美晴の脳内に、突然ポワンと安樹アンジュが現れた。

 「きゃっ!?」

 しかも脳内の安樹は、すごく怒っていた。そして安樹は、「キミさぁ、本当にズルいよね。自分だけの欲望のために、風太の声を使ってさ。卑怯者。変態。ムッツリ。おバカ」と、たくさん罵倒してきた。
 
 「うぅ、ううぅ~……! ごめんなさいぃ~……!」

 急に恥ずかしくなって、顔が真っ赤になった。美晴はそばにあった枕に顔を埋め、足をバタバタさせた。
 
 * * *
 
 「修学旅行の……持ち物……。体操服と……雨具と……。あとは……、カメラも……持ってきていい……らしい……」
 
 明日から修学旅行。美晴の部屋で、風太は荷物の整理をしていた。
 「6年2組 戸木田美晴」という名札が持ち手に付けられたキャリーバッグに、一つ一つ確認しながら持ち物を詰めていく。小学生の女の子でも持ち運べるようなサイズのバッグだが、デジタルカメラを入れるくらいのスペースは充分にある。

 「これで……よし……」
 「風太、終わった? 明日の準備」
 
 ペチン。
 
 「だいたい……終わった……けど……」
 「けど、何? 何か問題でもあるの?」
 
 またペチン。

 「さっきから……おれの……胸……触ろうと……するの……やめてくれよ……! 安樹っ……!!」
 「あはは、ごめんごめん」

 後ろから抱きついて、『美晴フウタ』の胸を触ろうとしているのは、安樹アンジュ。風太の友達で、不登校キャスケット帽の菊水安樹だ。
 風太はペチンペチンと叩き、迫りくる安樹の手を阻止していた。

 「うわ、ノーブラだよノーブラ。風太ってエロなの?」
 「は……?」
 「ちゃんとブラ着けてないなら、ボクに触られてもしょうがないだろ、って言ってるんだ」
 「しょうがなく……ない……! あんなの……苦しくて……着けてられないよ……。最近……特に……キツく感じるし……。本物の女子だって……家に帰ってきたら……外してるだろ……!?」
 「でも、カレシと一緒にいる時くらいは、ちゃんと着けといてよ。ブラを外す瞬間、外してもらう瞬間って、一番ドキドキするじゃん」
 「お前は……カレシじゃ……ない……!」
 「ってことは、ボクはカノジョ?」
 「カノジョでも……ない……!」
 「じゃあ、なんでボクをこの家に呼んだの? 二人きりでイチャイチャしたいからじゃないの?」
 「違うっ……! 明日は……修学旅行……だから……、早起き……なんだよ……! お前に……起こしてもらおうと……思って……呼んだんだ……!」
 「へぇ、それなら眠れない夜にしてあげるよ。可愛い可愛い、ボクだけの寂しがり屋さん♡」
 「あああぁ、もうっ……!! やっぱり……安樹なんて……呼ばなきゃ……良かった……!!」

 風太は頭を抱え、安樹はそんな風太を見てニコニコと微笑んでいた。
 「お前に起こしてもらうために呼んだ」、というのは、本当の理由ではない。ただ風太は、安樹の様子が気になったから、今日この家に呼んだ。とにかく安樹の元気な姿さえ見られれば、それで良かった。
 そして、安樹もそれを分かっていた。再び不登校になった自分を、風太が心配してくれていることくらい、気付いていた。だから安樹は、風太を安心させるために、いつも以上にふざけていた。

 「やめろっ……!! 触るなっ……!!」
 「大丈夫。大丈夫だよ、風太。ボクはもう大丈夫だから」
 「何が……大丈夫なんだ……!? ふざけるのも……いい加減にしろ……お前っ……!!」
 「あ痛っ!?」

 ぽかっ。
 げんこつで頭を叩かれたので、安樹は風太から離れた。

 「それにしても、このタイミングで修学旅行なんてね。今の君にとっては、とても楽しみに思えるようなものじゃないでしょ?」
 「ああ……。蘇夜花ソヨカや……五十鈴イスズと……同じ班……だしな……。あいつらの……ことだから……、おれに……復讐ふくしゅうする……計画でも……立ててる……だろうよ……」
 「それが分かってるなら、行かなきゃいいんじゃないの? ボクも、今回の修学旅行には行かないし。欠席ってことにしてさ、明日は二人で朝から晩まで……」
 「いや……、そういう……わけには……いかないんだ……。約束を……してしまった……からな……」
 「約束? 誰と?」
 「美晴の……お母さんと……!」

 風太は、キャリーバッグの中から小さなデジタルカメラを取り出し、安樹に見せた。

 「この……カメラの中に……、修学旅行での……想い出を……たくさん……詰め込んでくるから……待っててくれ……ってな……! だから……、おれは……絶対に……修学旅行で……楽しい想い出を……作るんだ……!!」

 娘が無事に学校生活を送っている姿を見せ、入院中の美晴のお母さんを安心させる。そのために、風太は今回の修学旅行を利用しようと考えた。
 「約束」というより、「決意」に近い。風太がカメラの件を美晴のお母さんに伝えたところ、美晴のお母さんは「楽しみにしてるわ。いってらっしゃい」と答えてくれた。

 「へぇ。知らせないつもりなんだね。美晴が学校でいじめられてることを」
 「ああ……。美晴の……お母さんは……巻き込まない……。これが……美晴の……願いでも……あるから……な……」
 「美晴の願いを尊重したいと思うのは、キミの自由さ。でも、ボクは心配だよ。キミは何でも一人で背負おうとするから」
 「大丈夫……。おれは……男……だからな……。男だから……全部背負えるくらい……強いんだ……!」
 「心は、ね。体は女の子だ。どうしようもなく可愛くて、抱きしめたくなるほどに、キミはか弱い女の子なんだよ」
 「たとえ……そうだとしても……おれは……行くぞ……。美晴の……“憧れ”……は……、どんな……敵にも……立ち向かう……風太……だ……!」
 「まぁ、止めても止まってくれないよね。いいさ、キミはキミの信じた道を行け。そして、いじめっ子なんかに絶対負けるな」
 「ああ……! おれは……勝つ……!」

 風太は瞳に闘志とうし宿やどし、安樹に勝利を誓った。
 その瞳は長い前髪のせいで隠れてしまっているが、安樹は目が隠れた少女から、とても強くて男らしい闘志を感じ取った。

 (やっぱり、美晴の体に風太の心が入ってる状態が一番良いな。この子、一生このままだったらいいのに。ああぁ、かわいい、かわいい……!)
 
 風太の真面目な誓いを無視し、安樹は自分のことを風太だと思っている弱々しい少女にキュンキュンしていた。

 「安樹……? おい……安樹……!」
 「え? な、なぁに? 風太」
 「何を……ボーっと……してるんだ……。お前は……少し……気が……抜けてる……な……。とにかく……明日は……朝……早いから……、そろそろ……寝るぞ……。シャワー……には……どっちが……先に……行く……?」
 「ボクが先に行って待ってるよ。一緒に体を洗いっこしようね」
 「し、しないっ……! なんで……お前と……一緒に……入ることに……なってるんだよ……!」
 「だって、今のキミなら、ボクは一緒に入ってもいいかなって思えるし」
 「それは……、お前が……おれを……女だと思って……見てるからだろ……! 男だと……思えよ……!」
 「でもね、風太。これはキミの練習のためでもあるんだ」
 「おれの……練習……?」
 「そう。修学旅行ってことは、夜は旅館かホテルに泊まるだろ? ということは、お風呂は大浴場だろ? ということは、キミは6年生の女子たちとみんなで女湯に入るんだよ。でも、キミはどうせ女の子に対する免疫めんえきとかないだろうし、緊張しちゃうだろ? だから、その練習」
 「な、なな……なぁっ……!!?」
 「たとえば、ハダカの雪乃がキミのそばにやってきてさ、こう言うわけだよ。『えへへ。ほら、ハダカの雪乃だよ。わたしの体、洗ってくれる……?』」

 風太の耳元で。安樹は声マネをして、ちょっと色っぽく雪乃を演じた。
 実際の雪乃はそんなこと言わない。でも、風太は想像してしまった。そして、耳まで真っ赤になって、頭がボンッと爆発した。

 「ゆ、ゆゆ、雪乃じゃないっ……!! お前ぇっ……!! ニセモノ……!! 雪乃違う、雪乃違う……! お、おれは……女湯……には……入らないっ……!!!」

 まだ12歳の風太には、刺激が強すぎた。
 慌てた風太はドタバタと駆け出し、一人で脱衣所だついじょへと突入した。そして、「絶対に入ってくるなよ」と言わんばかりに、脱衣所にカチャリとカギをかけた。
 侵入を防がれた安樹は、キャスケット帽を被り直しながら反省した。

 「フフッ、ちょっとやりすぎたかな。ボクの分まで楽しんできてね。修学旅行」

 * * *

 「修学旅行の持ち物。水筒とお財布と……おやつは300円まで、かぁ」
 
 明日から修学旅行。雪乃は自宅のキッチンで、冷蔵庫を開けていた。
 「6年1組 春日井雪乃」という名札がつけられたパステルカラーの大きなリュックサックに、一つ一つ確認しながら持ち物を詰めていく。あとは、緩美ユルミ実穂ミホと一緒に買いに行った300円分のお菓子を入れれば、明日の準備は完了だ。

 「わあぁ……。とってもきれい……」

 雪乃が見とれていたのは、冷蔵庫の奥に置いてある、キャンディが入った袋だった。
 星型やハート型の透明なキャンディが、一つ一つ丁寧にラッピングされている。キラキラ輝いていて、それはまるで宝石のようだった。

 「そういえば、誰かにもらったんだっけ。あんまり覚えてないけど……けっこう前のことだったような」

 冷蔵庫の中で見つけたキャンディは、とても美しかった。そして何より、おいしそうだった。

 「このまま捨てるのも、もったいないし……。きっと、まだ食べられるよね。よーし、こっそり持っていっちゃおうっと!」

 しかし、雪乃はすっかり忘れていた。そのキャンディが、いつ、誰に、どんな経緯けいいでもらったものなのかを。もしも、だと、ここで気付いていれば……。

 「まあ、とりあえず風太くんに食べてもらえばいいよね。それで何も問題がなかったら、わたしが食べるってことで!」
 
 雪乃は、300円分のお菓子を自分のリュックサックに入れた後、「きれいなキャンディ」も、ついでにこっそりと入れた。それが、「欲求よっきゅう増幅ぞうふくするキャンディ」だとは知らずに。
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