おれはお前なんかになりたくなかった

倉入ミキサ

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パラレル特別編 その3

ギャル系JS理穂乃ちゃんの幸せな末路 最終話

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 魔法がとけたみたいに、風太は我に返った。

 (なんだ、これ……!)
 「なによ、これ……!」
 (おれは何を言ってるんだ……!?)
 「あたしは何を言ってるの……!?」
 
 震える右手で、自分の口を塞ぐ。
 頭に思い浮かべた言葉と、口から出ている言葉が、重ならない。無意識のうちに、脳が『理穂乃』らしいしゃべり方に矯正きょうせいしてしまう。目に映る世界は歪み、感覚のズレは大きくなっていく。

 「あたし……。いや、おれ……! おれは、風太、だ……」

 しっかり意識すれば、なんとか風太として話すことができる。しかし、それもまた女が男のフリをしているような、下手くそな演技みたいな話し方だった。

 (どうしてこんなことに!? 何がどうなってるんだ!? おれは、どこで何を間違えてしまったんだ!?)
 
 何故なぜ『あたし』が理穂乃で、何故今から知らない男と一緒に風呂に入ることになっているのか。記憶はハッキリしているが、事態が全く飲み込めない。『おれ』は風太で、普通の男子小学生だったはずなのに。

 「あわわっ、わあっ、わあああぁぁ」
 
 頭を抱え、とにかく叫んだ。

 「うわああああああああああああぁぁっ!!!??」

 少女の絶叫。室内全体に響き渡る。
 その声を聞きつけ、風呂場から小太りの男が姿を現した。

 「ど、どうしたのっ、りほちーたんっ!!? 何かあったのかい!!?」
 
 全裸。そして、グロテスクな股間の棒が上を向いている。

 「ひいいぃっ!!?」
 「虫かい!? お化けかい!? もしかして、泥棒っ!?」
 「へ、変態っ!! 変態がいるっ!!」
 「変態っ!? どこに!?」
 「目の前っ!!」
 「えっ? 僕のこと?」

 牟田先生は、きょとんとした顔をして、自分を指さした。
 風太は首をブンブンと縦に振り、激しく肯定した。本当はもっと距離を取りたかったが、残念ながら後ろには壁があり、これ以上は退けない。
 
 「何を言ってるんだ、りほちーたんは……。あっ! もしかして、そういうプレイかな? りほちーたんみたいなビッチギャル系の女の子って、強姦レイプされたい願望があるらしいし」
 「ぷっ、プレイ? レイプ?」
 「ぐふふっ、じゃあ僕は変態お兄さんの役だね。ああ、僕も興奮してきたよぉ!」
 「わあぁっ!? ち、近づいてくるっ……!!」
 「ふぅ、ふぅ、うおおっ、もう我慢できないぞぉ!!」
 
 脂肪でたるんだ巨体が、宙を舞う。おびえる少女に、黒い影が重なる。牟田先生はジャンプした勢いに任せて、風太に飛びかかったのだ。
 
 (や、ヤバいっ……!!)
 
 防衛本能。身の危険を感じた風太は、咄嗟の判断により、全力で右に回避することを選んだ。ボディプレスに失敗した牟田先生は「むぎゃあっ!」と声をあげ、少女の足元にドサッと腹から着地した。

 (ヤバいっ、ヤバいって!! こいつ、おかしいヤツだっ!! 早く逃げないと、おれ、とんでもないことになるっ!!)

 バクバクと、痛いくらいに激しく脈打つ心臓。これ以上この場にいるのは危険だと、女体の持ち主に知らせてくれている。
 風太はそれに従い、すぐに牟田先生から離れようとした。が……。

 「逃がさないよぉ。りほちーたん♡」
 「ひいっ!?」
 
 太い腕が、がっちりと風太の右脚を掴んでいた。
 
 「ぐふふっ! スカートの中、見えるね。りほちーたんの……可愛いおパンティ♡」
 
 してもなお、男は性欲に支配されていた。風太は、自分がこの気持ち悪い男の欲望の対象になっていると気付き、サッと血の気が引いていくのを感じた。

 「きゃあああああああああぁぁーーーっ!!!??」

 右脚を振り払い、自由を奪い返す。そばに落ちていた防犯ブザーを拾い、急いでせんを引っこ抜き、男の顔面に向かって投げつける。そして脱出するため、部屋の出口へと一直線。
 風太は絶叫しながら、ここまでを一瞬で行動した。

 「ドアっ!! ドアが開かないっ!! このドアっ!! 誰か開けてっ!!」
 「りほちーたん……!」
 「うわあぁっ、来るっ!! あっ、開いたっ!!? うわああああっ、誰かあああぁっ!!」

 カギのかかっていないドアにすら手こずる、錯乱さくらん状態じょうたい。風太は部屋を飛び出し、恐怖に震えて泣き喚きながら、脇目もふらずに走りだした。
 とにかく1メートル、1センチメートルでも遠くへ。あの性欲怪獣から、少しでも遠い場所を目指して。

 「あれ? 僕のりほちーたんは? どこ?」

 ピリリリと鳴り響く防犯ブザーと共に、全裸の牟田先生は、部屋に置き去りにされた。
 ちなみに、この防犯ブザーはキャスト(サービスをする従業員のこと)の安全を守るための物。この後、「未成年のキャストに過度な性サービスを強要した」という罪で、牟田先生は罰金を払わされたり出入り禁止になったりするのだが、それはまた別の話。

 * * 

 「はぁっ、はぁっ……!」

 暗くて重い空。小雨こさめが降る街。

 「はぁ、はぁ……」
 
 ぽつぽつと落ちた雨粒が、乾いた歩道の色を変えていく。
 道行く人々は一度立ち止まり、傘を差し始めた。サラリーマン風の男性は、カバンが濡れないように脇に抱えている。買い物帰りの女性は、手のひらを受け皿にして肌で雨を感じている。幼い子供たちは、まるでヒヨコのような黄色い雨合羽あまがっぱを着て、楽しそうにはしゃいでる。
 そんな雨の日の景色さえも置き去りにするかのように、一人の少女は街を駆け抜けていた。ただの一度も立ち止まらず、顔すら上げずに。
  
 「はぁ……はぁ……」

 店を飛び出し、ずいぶん遠いところまで来た。もう逃げる必要はないことは分かっているが、今はとにかく走っていたかった。走っている間は、何も考えずに済むから。

 「……」

 しかし、体力の限界は近づいてきた。だんだん速度が落ちていく。
 足が痛む。長い髪は顔にかかって邪魔だし、胸は走るたびに揺れるし、尻や太ももには脂肪がついているせいか、やけに重い。何もかもが女子の体の特徴で、「もうお前は男子じゃない」と教えられているようだった。

 「ま、まだ……」
  
 みとめたくなくて、風太は前へ進もうとした。限界を超えるつもりだ。
 意識が少しぼやける。酸素が足りない気がする。口で大きく呼吸するため、やっと顔を上げると、風太の周りにはいつか見た光景が広がっていた。

 (あれ? このあたりって、確か……)
  
 駅前だ。気付かないうちに、風太は駅前の大通おおどおりまで来ていた。
 この大通りへは、これまでにも何度か来たことがある。駅で電車に乗る時、駅前の本屋さんで漫画を買う時、そして、駅前のドーナツ屋さんで、友達と一緒にドーナツを食べる時……。
 
 「あっ!」

 あのドーナツ屋さんを探す。きょろきょろと左右を見回す。
 広い車道を挟んだ向こう側に、その店を見つけた。

 「あった……。あそこだ……」

 笑みがこぼれる。安堵あんどのため息が漏れる。
 
 「打ち上げ、やってるんだ! あの店でっ!」

 ドーナツ屋の窓ガラスに、人影ひとかげが見えた。おそらく、演劇の打ち上げ会に参加している6年1組の誰かだろうが、はっきりとは分からない。しかし風太は、まるで幻覚でも見ているかのように、その人影の名前を呼んだ。

 「あははっ、雪乃だ! 楽しそうに笑ってる!」

 そこにいるのは雪乃だと、思い込んでいる。

 「健也もいる! 緩美も、笑美も、勘太も……! 6年1組のみんなが、あそこにいる……!!」
  
 ドーナツ屋の中は、とても明るくて暖かい場所に見えた。
 少なくとも、今風太が立っている歩道よりは、確実に居心地のいい場所だろう。雨に濡れることもないし、独りぼっちじゃない。

 「い、行きたい……。行きたいっ……! 行かなきゃ……!」

 向きを変え、進行方向にドーナツ屋を置いた。あとは、一歩ずつ真っ直ぐに歩いていくだけで、店の入り口に到達する。
 ただ……自動車がビュンビュンと走っている車道を、渡らなければならない。横断歩道や信号機は、近くにない。

 「おれは、風太だから、行かなきゃ……。みんなの、ところへ……」

 目の前を、自動車が横切る。しかし、それはもう風太の視界に入っていない。もはや、数メートル先にあるドーナツ屋の入り口しか、風太には見えていない。
 一歩ずつ、一歩ずつ、進んでいく。

 「あぁっ!?」
   
 ハイヒールサンダルのかかとが、石に引っかかった。風太はつまづき、無様ぶざまに転んだ。歩道で転んだので、車道にはまだ侵入していない。
 歩みは止まったが、風太はまだ諦めていなかった。体を起こし、地べたに座り込む。見つめる先には、りむいて血を吹き出した右膝みぎひざと、これ以上は無理だと訴えかける右の足首。

 「動け」

 動かない。膝より先は、もう風太の意志を無視している。

 「動けっ!! 動けって!!」

 それでも右足は、ピクリとも動かない。

 「動いてっ!! 動いてよっ!! 動きなさいってば!!!」

 グーで殴りつける。何度も、何度も。

 「あたしは行かなくちゃいけないのっ!! あたしは風太だからっ!! あたしは……風太なのよっ!!!」

 次は爪で引っかくことにした。ネイルのおかげで、深く刺さる。

 「みんなが待ってるのっ!! あたしのことを待ってるのよっ!! 待ってるハズなのよっ!! あたしをっ……!!」

 バリバリと引っかき、綺麗な脚にたくさんの生傷をつけた。
 痛みは大きくなっていくが、言うことを聞いてくれる気配はない。思い通りにならない状況に、風太は涙をこぼし、ヒステリックに喚いた。それこそ、年頃のワガママな女の子のように。

 「痛いっ! 痛いばっかりで、全然っ……! どうしてっ!? どうして動かないのっ!? どうして……あたしは、あたしだけ、こんなところにいるのよぉ……! うぅっ……うわぁあああ」

 少女は泣いた。駅前の歩道で。
 
 「ああああああぁぁ」

 みっともない大声で。 
 
 「ああああぁんっ!! う゛わぁあ゛あ゛ああああああっ!!」

 こんなに声を上げても、誰にも届かない。
 雨はさっきより強くなった。雨音は雑音をかき消し、雨粒は傘を差さない全ての人の顔を濡らしている。溢れる涙も悲痛な叫びも、降りしきる雨が、洗い流してしまう。
 
 (おれは理穂乃じゃないっ! 風太なんだよっ!! 元に戻してくれっ……!! こんな姿じゃ、誰も、おれを風太と呼んでくれないっ……!!)
 
 髪は乱れ、メイクは崩れ、洋服はびしょ濡れ。ギャル系JSのオシャレコーデと、少女の心にある少年の意志は、目もあてられない程ぐちゃぐちゃになってしまった。
  
 「はぁ、はぁ……。ごほっ、ゲホゲホッ!!」

 何をやっても無駄。そう悟った風太は、最後の行動に出た。

 「あたしは……風太なのよ……。本物の、風太なの……」

 足はもう役に立たない。仕方なく、つんいで進む。

 「あたしのこと、信じてくれるでしょ……? 雪乃なら……。あはは……」

 目標は、再びドーナツ屋さん。雪乃なら、雪乃にさえ会えば……という、何の根拠もない希望だけを胸に、風太は進んだ。歩き方を知らない赤ちゃんのように、四つん這いで。
 ガードレールの下をくぐる。ここから先は車道だ。雨のせいで視界が悪く、道路を走行する自動車のフロントガラスに、地を這う少女の姿は映っていない。

 「あっ、車……」

 そして少女も、迫りくる自動車に気づけなかった。
 さけすらない。

 ────────
 ────
 ──

 *

 「……?」

 生きてる。
 
 「えっ、生きてる……?」
  
 車にはかれなかった。間一髪かんいっぱつのところで。

 「どうして……?」

 『理穂乃』は、雨に濡れた歩道で寝ていた。
 急に時間が巻き戻ったみたいに、誰かにここまで押し戻された。その誰か、とは……今、『理穂乃』の上で体を重ねている女の子のことだ。

 「はあ、はあ……。よかった……!」
 「あんた、誰……?」

 その姿はまるで、怪談話に出てくる幽霊のようだった。つまり、幽霊が助けに来たおかげで、『理穂乃』は助かったということになる。

 「わたしたち……生きてる……! 間に合って……よかった……です……!」
 
 幽霊は笑っていた。不気味だけど、少しだけ愛嬌があった。
 
 「どうして、あたしを助けたの?」
 「え……? だって……、風太くん……車に……かれそうに……なってました……し……」
 「風太くん……? あたしのこと? あたしのことを、『風太くん』って呼んでるの?」
 「はい……。そう……教えて……もらいました……からっ……」
 「誰に?」
 「風太くん……本人に……!」
 
 二人で体を起こし、地べたに座った。
 立ち上がる気力は、まだない。

 「あんたの、名前は……?」
 「わたしは……美晴ミハルです……。戸木田……美晴……。前にも……一度……お会いしてる……はずですけど……」
 「知らない……。と、戸木田美晴、なんて、知らないわっ」
 「ふふっ……。覚えていて……くれて……ありがとう……ございます……。風太くん……」
 「知らない、って、言ってるでしょ? あんた、バカなのっ?」
 「頭を……撫でても……いいですか……?」
 「なんで、そんなこと、すんのよっ! し、知らない、ヤツの、くせにっ」
 「あなた……が……泣いているから……です……」
 
 声が震える。瞳からは、涙が溢れ出て止まらない。
 今日は何度も涙を流したが、喜びの涙を流すのは初めてだった。

 「あ、あたしっ、理穂乃に、なっちゃったの! もう……元には……戻れないっ……!!」
 「大丈夫……。あなたが……風太くんだってことは……わたしが……知っています……。絶対に……忘れません……」
 「どうして? ど、どうして、こんなに、あたしに、優しくしてくれるのっ!?」
 「ずっと……見てたから……! 隣の……クラスの……風太くんの……こと……!」

 いつの間にか、街に降っていた雨は止んでいた。
 空にかかる虹の下で、泥だらけの少女たちは、笑いながら泣いていた。
 
 * * *

 そして、三年後──。
 
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