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風太6歳 美晴4歳
美晴&風太 vs 悪党
しおりを挟む美晴はハンカチで手を拭きながら、トイレから出てきた。
「ふぅ。風太くん、次どうぞ」
「シッ……! 静かに……しろ……! 今は……それどころじゃ……ない……!」
「えっ? 何かあったんですか?」
「ほら、あれ……見ろ……。喫煙席の……あそこの……テーブル……!」
「あそこにいるのは……あっ! お、お父さんっ!?」
「間違い……ないな……。もう一人の……男と……何を……話してるんだろう……」
風太が隠れている物陰に、美晴もそっと身を隠した。二人でコソコソと向こう側の様子をうかがいながら、聴覚を研ぎ澄まして聞き耳を立てた。
*
26番テーブルで継本流壱と話している小太りの男は、どうやらタキハラという名前らしい。タキハラは流壱に敬語を使っているので、立場が下の人間なのだと推測できる。
「タキハラ、お前の方はどうだよ」
「いやあ、全然っすね。手垢がついていないとなると、この業界の外で探さなきゃならない感じっすけど……アテがないもんで」
「じゃあ、なんとしても美晴を連れてこなきゃならねぇんだな? まったく、骨が折れるぜ」
「ははは……。恩に切ります。継本さん」
「仕方ねぇな。その代わり、向こうへの接待はお前がやっておけよ。俺ァ、お偉方のご機嫌取りはあまり得意じゃないんだ」
「もちろんっす! そこは約束させていただくっすよっ!」
会話の内容から察するに、二人は何かの取引をしているようだった。美晴の名前も挙がってはいるが、まだ話の全容が見えてこない。
流壱は「ふぅ……」とため息をこぼし、ポケットから乱暴にタバコを取り出した。それを見ていたタキハラは、すぐに手持ちのジッポライターに火を灯し、流壱の前にサッと差し出した。
「……で、そんなに偉いんすか? 継本さんが言う、そのお方は」
「ああ。裏世界の首領・貴族院汚邪留氏だ」
「へ? 貴族院……?」
「貴族院汚邪留氏だよ。裏の世界では、絶大な権力をもってる人物の一人だ」
「汚邪留さん……。いやあ、裏世界とやらについては勉強不足なもんで、存じ上げないっす。どんなお方なんすか?」
「汚邪留氏は、その名前の通り、平安貴族のようなお方だ。趣味は蹴鞠。好きな食べ物は、金福屋の白まんじゅう。自分のことを『マロ』って呼ぶのは、現代日本じゃあの人くらいだろうよ」
「へぇ、なんだか面白そうな人っすね。俄然興味が湧いてきたっす」
「興味を持つのはいいが、あまり失礼な態度はとるなよ? お前や俺の首くらい、汚邪留氏なら容易くトばせる。もし怒らせたら、大手事務所でも簡単に潰れるだろうな」
「ひええっ、マジっすか。やっぱり怖くなってきたっす……」
「それだけの権力を持ってる人ってことさ。逆に言えば、気に入られさえすれば、業界内での堅い地位を得られる。俺も少し気に入られて、『ジュエル・ジェイル』に力添えをしていただいた」
「今や大人気ロックバンドっすもんね。継本さんがプロデュースしてる『ジュエル・ジェイル』は」
「汚邪留氏に気に入られる方法は、彼のワガママに応えることだ。……まあ、基本は女だよ。汚邪留氏は、特に年端も行かない幼い子供にご執心らしい」
「それなら、ウチの事務所にいる若いのを何人か見繕って……」
「今まではそれで良かったんだがな。汚邪留氏のワガママが変わった」
「と、いうと?」
「『色がついたオナゴには飽きてきたのう。マロ、純白なオナゴを飼いたいでおじゃる』ってな。汚邪留氏の言葉さ。ようするに、ジュニアアイドルや子役なんかの業界に染まったガキには、もう飽きたんだとよ」
「なるほど。そういうことっすか」
「今、どこの芸能事務所も、血眼になって、汚邪留氏の期待に添える女を探してる。まあ、手垢がついていない素人のガキを手に入れるなんて、合法的な手段ではまず不可能だがな。誰にもバレないように誘拐でもするか、裏のルートで身寄りのないガキを売買するか、もしくは……」
「自分の娘っすね」
「ああ。そのための美晴だ」
流壱はタバコをふかし、怪しくニヤリと笑った。
「へへっ、エグいっすね。継本さん」
「おいおい、俺に感謝しろよ? 俺が昔、ガキを作っておいたおかげなんだから」
「もちろんっす。汚邪留さんに引き渡す日まで、美晴ちゃんはこのタキハラが大事に預からせていただくっすよ」
「そうしてくれ。もし美晴が言うことを聞かなかったら、体に傷が残らない程度に殴ってくれても構わない」
「ぶへへっ。美晴ちゃんの父親のセリフとは思えないっすね」
「そもそも俺ァ、ガキを作ることには反対だったんだ。美晴って奴は、初めから存在すら望まれていなかったんだよ。まあ、最後に俺の役に立ってくれそうで良かったよ」
「美晴ちゃんの母親との交渉は、上手くいきそうなんすか?」
「別れた嫁のことか?」
「は、はいっす! 継本さんの元嫁……」
「アイツは今、入院してる。様子を見に行ってきたが、心も体もかなり衰弱していたよ。つまり、今がチャンスだというわけさ」
「チャンス?」
「判断力が鈍ってるんだ。美晴の母親として、責任を果たせているのかどうか……心が揺れている。俺がもう少しその心を揺さぶってやれば、簡単に美晴を手放すだろうよ」
「ってことは、順調なんすね? さすが継本さんっす!」
「ああ。こっちは任せておけ。美晴は必ず、あの疫病神女から奪い取ってみせる……! ふははっ、ふはははっ!!」
*
全ての真相が、明らかになった。
継本流壱という男は、父親として美晴を引き取る気など、毛頭ない。全ては自分のために、美晴をどこかへ売ろうとしているのだ。怪しいおっさん同士の会話は実に分かりやすく、小学生の風太と美晴でさえも、その悪意を聞き取ることができた。
トイレのそばの物陰で、風太は怒りに震えていた。
「そういう……こと……だったのか……! クソッ……! なんて……胸糞悪い……!」
奥歯をギリリと噛み締め、拳に力を入れる。肉体はひ弱な女子でも、闘争本能は立派な男子だ。
大切な友達をバカにされ、友達のお母さんもバカにされ……風太の血走った瞳は、徐々に獣へと近づいていった。蘇夜花をぶん殴った時と同じ、あの目である。
「おい、美晴……! おれは……もう……我慢できない……ぞ……!」
「トイレですか?」
「は……?」
「我慢できないなら、早く行ってきてください」
「お前っ……! 何を……フザケたこと……言ってるんだ……!! 今の会話……ちゃんと……聞いてなかった……のか……!?」
「いいえ、しっかり聞いていました」
「だったら……、おれが……怒ってる理由も……分かるだろ……!! 絶対に……許さない……!!! ぶん殴ってやる……アイツ……!!」
「その必要はありません」
「はあ……!? お前……いい加減に……しろよ……!!」
「だって、あなたより、わたしの方が怒ってるから」
「え……?」
美晴は静かにキレていた。その怒りは、風太の比じゃない。
「わたし、ちょっとぶん殴ってきますっ」
「えぇっ……!? お、おい……!!」
*
雄叫び。
雄が叫ぶことをそう言うのなら、雌が叫んだ場合はなんと言うのか。そんなことはどうでもよくて、美晴は心の底から湧き上がる怒りを声に変えて、精一杯叫んだ。
「う゛わ゛あ゛ああああああああーーーーっ!!!!!!」
喫煙席に座る二人の男は、その少年に気付いた。流壱は振り向き、タキハラは立ち上がった。
しかし、その少年の頑丈な拳が、流壱の左頬のそばまで接近しているということまでは、まだ気が付いていなかった。あと10cm……5cm……3……2……1。
「なっ、なんだコイツっ……!!」
「継本さん、危ないっすーー!!!」
ガシャンッ!!!!
*
「はぁ、はぁ……!」
美晴は、自分が出した想像以上の力に驚愕し、震える拳をじっと見つめた。男子の筋力と怒りのパワーが乗算されれば、これほどまでの力になるのか、と。
そして美晴は、二人の悪党へと視線を移した。小太りのタキハラという男は、まだ状況が理解できずに固まっている。憎き継本流壱という男は、顔面をテーブルに打ち付け、苦痛の表情を浮かべている。
「痛てて……!」
鼻血も出ている。
「なんだよ、この野郎ぉっ……!!」
「わたしはあなたを……オマエを許さないっ!! 継本流壱っ!!」
「あァ!? どこのガキだ、お前は!!」
「戸木田望来の娘っ! 戸木田美晴っ!!」
「は?」
そいつは美晴だと名乗ったが、流壱は首をかしげた。
どこからどう見ても、完全に男子。しかも、全く知らない少年だ。美晴ではない。
「ウソつけっ!!」
「戸木田美晴……! の、友達っ……!! 今は……!」
「友達じゃねぇかっ!! そんなヤツ知るかよっ!!」
「うるさいっ!! もう二度と、美晴とお母さんに近づくなっ! オマエなんか、どこかに行っちゃえ!!」
「チッ! 美晴の友達だかなんだか知らねぇが、何も関係ないお前こそ引っ込んでろよ。美晴は俺のところへ来るんだっ!」
「行かないっ!! わたし、絶対に行かないからっ!」
「お前じゃねぇよ、クソがっ!!」
流壱は鼻血を拭いて立ち上がり、『風太』に詰め寄った。
『風太』もなかなかがっちりした体格の男子ではあるが、やはり、大人と小学生ではまるで違う。ブチ切れた流壱は、『風太』の腕を乱暴にガッと掴み、自分の方へと引き寄せた。
「ガキが、調子に乗りやがって……!」
「きゃあっ!? は、放してっ!」
「オカマみてぇなガキめ。気持ち悪い声出すんじゃねぇよっ! うざってぇな!!」
「うぅっ、痛いっ……! 腕がっ……」
「警察にでも連れて行けばいいのか? まったく、いきなり他人を殴るなんて、こいつの親はどんな教育してやがるんだ……!」
「暴力は、悪党からの教育っ……! いつか……仕返ししてやろうと思ってた……!! 暴力でっ……!!」
「うっせえな! 美晴がなんだってんだよ!! お前は美晴の何なんだ!! 『美晴』は、お前の何なんだよっ!!」
「わたしと一緒に……戦ってくれる人……!」
「あァ!?」
気を取られてはいけない。
しかし流壱は、少年に気を取られて、迫り来る少女の方には、気付くことさえできなかった。もう少し冷静に周りを見て、状況を判断していれば、次の一撃は、避けられたかもしれないのに。
そして再び、雄叫びが聞こえる。見た目は雌だが、中身はしっかり雄である。
「う゛お゛お゛おおおああああーーーーっ……!!!」
ドゴォッ!!
*
パンチを一発。
風太のいつもの技、「腹パン」だ。蘇夜花や界などに放って、何度も失敗している技だが、今回はクリーンヒットしたらしい。流壱は美晴を手放して、3歩ほど後ずさりした。
「うぐぇっ!! おえぇっ……!」
ファミレスの床に、流壱がツバを吐き出す。痛みはどっしりと重く、深い。
流壱がギロリと見上げると、そこには加害者である件の娘がいた。
「美晴か……!? 畜生っ!」
「全部……聞いた……からな……。さっきの……おっさん同士の……会話……」
「なんのことだ?」
「とぼけても……無駄……だ……。お前は……もう……父親じゃない……! 二度と……お母さんに……近づくな……!!」
「ふはは、なるほど……。まさか、美晴とその友達に聞かれちまうとはな。それなら、もうウソをつく必要はねぇか」
流壱は余裕そうに笑みを浮かべると、ズボンのポケットを漁り、車のカギを取り出した。そしてそれを、立ちつくしているタキハラに向かって放り投げた。
「タキハラぁ!!」
「わっ!? な、なんすか? 流壱さんっ!!」
「いつでも出られるようにしておけ。俺はこいつと、少し話をしなきゃならん」
「こいつ……って、まさかこの女の子がっ!?」
「ああ、美晴だ。へへっ、薄気味悪くてブサイクなガキだろ?」
もうお前は娘とも思っていない。流壱は、そう言いたげな目をしていた。
風太の手にも、力が入っていく。できることなら、もう一発ぐらい殴っておきたいと、闘志を燃やして。
タキハラが慌ててこの場を去った後、風太と美晴を目の前にして、流壱は話を始めた。
「あー、まさかな。今日はまさかの連続さ。分かるか? 美晴」
「知るか……!」
「くくっ、まさかあの美晴に、大層なボーイフレンドがいるとはなぁ。美晴のことだから、小学校ではいじめられっ子にでもなってると思ってたぜ」
「……!」
「もっとしっかり、喉を潰しておけば良かったなぁ。他人とコミュニケーションがとれないように、言葉を話せなくしておくべきだった。今回の諸々は、完全に俺のミスだ」
「狂ってるのか……! お前はっ……!!」
「そんな生意気な口が利けるのも、8年前の俺のミス。反省点の多さは、人生に起伏がある証拠。……なんて、自己啓発セミナーで聞いたな」
「何が……言いたいんだ……よ……! さっき……から……!」
「いや、小学生のお前らには難しかったか。たかだか12歳のガキが、大人の世界に首を突っ込むもんじゃないってのが、今回の教訓だな。……お前なら分かるか? 美晴のボーイフレンド君」
流壱が、美晴に指をさして問いかける。
「なんなの!? ワケの分からないことばっかり言って!!」
「ボーイフレンド君よぉ、もし美晴の母親に会ったら、伝えておいてくれるか? 『美晴ちゃんは、お父さんと一緒に暮らすと決めたらしいです』って」
「はあ……!? そんな伝言、お母さんに伝えるわけがな」
その刹那。
「じゃあな。伝言を頼んだぜ」
長く、力強い、脚。大人の男の脚だ。
大人の「蹴り」が、いきなり飛んできた。防御も回避も、できるような速度じゃない。流壱の脚は、美晴の腹部を綺麗にとらえ、その勢いのまま遠くへ吹き飛ばした。
「か、はっ!!」
美晴の体は宙を舞い、ドスンと着地してからも、ファミレスの床を転がった。
風太は数秒遅れて「蹴り」に気づき、ダメージを受けた美晴の元へと、駆け寄ろうとした。
「お、おいっ……! 大丈夫かっ……!?」
が、その行動すら遅すぎる。風太の脇の下から、大人の太い腕が二本伸びてきて、後方へとググッと強く引っ張り、そして高く持ち上げた。
「ふはは、捕まえたぞ美晴っ!!」
「く、くそっ……放せ……! この……バカっ……!!」
「女のくせに、なんて口の利き方してやがる。こういう調子に乗ったガキには、大人のお仕置きが必要だな」
「うぐぅっ……!?」
あろうことか、流壱は首を絞めてきた。風太はジタバタと藻掻いたが、大人の男が相手では、女子の肉体ではどうすることもできない。抵抗も虚しく、風太は薄れゆく意識をなんとか留まらせることで精一杯になった。
(ああ……マズいっ……!)
力が抜けていく。空気が上手く吸えず、全身の機能がオフになっていく。ほんの少しの油断が、最悪の事態を招いてしまった。
「大人を舐めるんじゃねぇよ。糞ガキ共が」
*
ファミレスの店員が、慌ててやってきた。これほどの騒ぎに、駆けつけないはずがない。
しかし流壱は、暴力沙汰なんてまるでなかったかのように振る舞い、「いやあ、娘とちょっとケンカしましてね。今はほら、大人しく寝ています」とか言いながら、背中におんぶしている娘の顔を見せた。娘は何か呟いていたが、店員にはむにゃむにゃ寝言を言っているようにしか聞こえなかった。
そして、平然と退店。悠々とファミレスを去る流壱の背中に負われながら、風太は弱々しくかすれた声で尋ねた。
「どこに……連れてく……気……だ……」
「黙ってろ。お前はもう、大人を楽しませるための愛玩動物だ」
「動……物……?」
「ああ。20歳になるくらいまでは玩具にされて、後はゴミ山にでも捨てられるだろうな。まあ、それも運命だと思って、受け入れてくれよ」
「そ、そんな……」
待ち受けるのは、人間として生きることすら不可能な場所。過酷な運命。逃れ得ぬ無間地獄。元の体に戻るどころじゃなく、ヒト科のメスとして生きる道しか残されていない。
「チッ! タキハラのやつ、早く車をよこせよ……!」
ファミレスの駐車場。
もしタキハラの車が来て、それに乗せられてしまえば、そこで風太の全てが終わる。そうなる前に、誰かが風太を助けなくてはいけないが、美晴はすでにノックアウトされてしまった。絶対絶命だ。
例えば、ここに正義のヒーローが現れて、流壱を華麗にやっつけてくれれば、風太は助かるが、そんな都合のいいヒーローなんて……。
「もしもし、すみません」
いた。
「あァ?」
背後から、謎の男に声をかけられ、流壱は振り向いた。
「その子は、美晴ちゃんですよね?」
「そうだが……って、お前は誰だ!? 何者だ!? なんて格好してやがるっ!?」
なんと、そいつは服を着ていない。身につけているものは、ボクサーパンツとくつ下だけだった。そして一番の特徴は、首から上が……鳥。
「と、鳥人間っ!? なんなんだお前っ!! 名乗れっ!!」
その鳥人間は、カッコいいポーズをしながら名乗った。
「はっはっは。晴天に舞う霹靂のごとき怪鳥!! 私の名は、サンダァーーーーーバァーーード、マンっ!! 最強天才超絶無敵のスーパーヒーローが、お助けに参った!!!」
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