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風太6歳 美晴4歳
雷鳥…!!
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休日の午前11時。
バスに揺られて15分。風太と美晴は、総合市民体育館に到着した。総合市民体育館とは、その名の通り、バレーボールやハンドボール、卓球やバドミントンなど、主に屋内スポーツの大会を行うために使われる、観客席付きの大きな体育館である。
ダム、ダム、ダム……! ボールが床を跳ねる音。
キュッ、キュ、キュッ……! シューズが床を擦れる音。
「エーイ、オウオォー! エェイオー!」 ウォーミングアップをする男子高校生たちの、謎の掛け声。
本日行われているのは、バスケットボールの高校生大会。ひよこ高校、こがめ高校、とかげ高校、こねこ高校など、近辺の高等学校の男子バスケ部が、この会場に集まっている。
午前中のプログラムが終わりに近づくなか、選手たちは爽やかな汗を流しながら、スポーツマンシップに則り正々堂々と、全力でバスケットボールの試合をしていた。
今日は観客として。風太と美晴は、いくつかの空席が目立つ観客席で並んで座り、コートの中でめまぐるしく動く試合を、特に熱狂することもなくぼんやり眺めていた。
「本当……なのか……? お前の……お母さん……の……話……」
「ええ。少し前から入院してるんです。体調は順調に回復していて、しばらくしたら退院できるそうですけど」
「でも……、気になる……な……。おれも……美晴の……お母さんの……様子を……見に行ったり……しても……いいかな……?」
「もちろんですっ。ぜひお願いします。えっと、病院の場所は……」
「どこだ……?」
「えっと……」
「ん……? 美晴……? どうした……?」
「あっ!! い、いや、そのっ! ボーッとしてました! ごめんなさいっ!」
「いや、気にする……な……。お前も……お母さん……が……心配なんだ……ろ……? 気持ちが……落ち着かない……よな……。おれも……何か……手伝えること……が……あったら……、言ってくれ……」
「あ、ありがとうございますっ」
確かにお母さんのことも気がかりではあったが、美晴はそれ以上に、お父さんが突然現れたことの方が気がかりだった。しかし、あくまでも家族の問題であり、今の段階で風太に余計な心配をさせたくないと判断し、美晴は思い切って気持ちを切り替えることにした。
「ところで、安樹ちゃんは誘わなかったんですか? 今日は」
「いや……、誘ったけど……断られた……。今日は……プチ子の……店に行って……ペンダントを……返しに行くんだって……さ……」
「ペンダント?」
「入れ替わり……ペンダント……だよ……。元々の……持ち主に……な……。それが……終わったら……、しばらくは……家で……ゆっくり休むから……、学校にも……行かない……ってよ……」
「不登校になるってことですか?」
「あんまり……心配……しなくても……いいと……思うぜ……。アイツは……アイツで……、しっかり……とした……考えが……あるみたい……だし……」
「いえ、心配してるわけではないんですけど……」
「ん……?」
「あ、いや、なんでもないですっ」
風太の体を使って勝手に成長してしまったことを、美晴はまだ、風太本人に打ち明けていない。美晴としても話し辛いことではあったので、安樹がその辺りの説明を風太に済ませてくれていれば良いなと思っていたが、どうやら役目を押し付けられてしまったらしい。美晴は心の中で、どのようにしてパンツのシミの件を風太に話そうか、少し悩んだ。
「今は、まだいいよね……? タイミングが違うし」
「何が……だよ……」
「な、なんでもないですっ! こっちの話っ!」
「安樹と……二人で……、何か……おれに……隠してる……な……? まあ……、ムリヤリ……聞き出そう……とは……思わない……けど……さ……」
「あはは……。そうしてもらえると助かりますっ」
美晴はホッとため息をつき、いつか話そうと心に誓った。
「それで、お前の……方は……どうだったんだ……? 美晴……」
「わたしの方? なんのことですか?」
「雪乃を……誘って……くれたんだろ……? 今日……一緒に……市民体育館に……行かないか……って」
「はい。でも、断られてしまいました」
「用事……でも……あったの……かな……?」
「たしか、友達とライブを見に行く予定があるから、って言ってましたよ。雪乃ちゃん」
「ライブ……?」
「近くでやってるロックフェスのことだと思います。この辺りに住む女の子たちは、みんな行ってるみたいですから」
「女の子たち……か……」
風太は横目でチラリと、自分の隣に座っている『少年』を見た。
たしかに現在の見た目は男の子……というか『二瀬風太』ではあるが、そいつの中身は12歳の女の子だ。“女の子たち”に、お前は含まれていないのかと、風太は言いたくなった。
「行かなくて……いいのか……? お前……は……」
「えっ? ロックフェスに、ですか?」
「ここへは……おれ一人……でも……来られた……し……、お前は……あっちで……雪乃たちと……遊んで……きても……良かったんだ……ぜ……。おれに……気を使わなく……ても……」
「い、いえっ! 気を使ってるわけじゃありませんっ! わたしは、自分の意志でここにいるんですっ!」
「美晴……」
「あっ、そ、そのっ! 向こうにも多少興味はありますけど、わたし、にぎやかな場所はあんまり得意じゃなくて……そ、それにっ!」
「ここも……にぎやか……だけど……な……」
「それに……こっちの用事の方が、今のわたしにとっては大切な気がして」
「……」
美晴は、自分のひざの上に乗せたお弁当箱を見つめ、風太もそれをじっと見つめた。
箱の中身は、風太の母親(二瀬守利)が作った、“母の愛情たっぷりスペシャルビクトリー守利弁当”である。名前の通り、愛情と緑黄色の野菜や果物がたっぷり入っているが、今回それが届けられるのは、息子の風太へではなく、もう一人の息子へ、だ。
「雷太兄ちゃん……に……会うのか……。美晴……」
「はい。会ってみたいですっ」
風太と美晴は視線を上げ、体育館の中心に立つ一人の選手へと目を向けた。その男の名前は、ひよこ高校バスケットボール部の二年生エース、二瀬雷太。
*
「どんな人なんですか? 風太くんのお兄ちゃんって」
「一度も……話したこと……ないのか……? 美晴は……」
「はい。わたしが風太くんの家で暮らすようになってから、風太くんのお兄ちゃんはすぐに家を出たんです。高校の近くの寮で、一人暮らしを始めたらしくて」
「兄ちゃん……一人暮らし……したがってた……から……なぁ……。家から……高校……まで……が……遠すぎる……って、いつも……文句……言ってた……よ……」
「ふふっ。可愛いところがあるんですね」
「可愛い……? いや、雷太兄ちゃんは……そんな……甘いモンじゃ……」
風太と美晴の背後に、忍び寄る影。
「こんにちは、男の子と女の子。もしかして、二瀬雷太選手の話?」
「「えっ……!?」」
二人が振り返ると、メガネをかけた女子高生がそこにいた。ひよこ高校指定のひよこ色ジャージを着ていて、右手には付箋がたくさん付いたファイルを持っている。
「私は、ひよこ高校バスケ部マネージャーの、石切真音って言います。マネさんって呼んでね♪」
そう言うと、マネさんと名乗った女は風太の隣に座った。風太は、「美晴と同じメガネ女なのに、この人は性格が明るそうだな」と思った。
「ま、マネ……さん……」
「ふふっ。よろしくね、メガネちゃん。あなたは、二瀬雷太選手……雷太くんのファン? さっき、彼について色々と話してたみたいだけど」
「いや……、ファン……って……わけじゃ……なくて……。二瀬雷太……は……、おれの……兄ちゃん……なんで……す……」
「ええぇっ!? ら、雷太くんに、妹っ!?」
衝撃の事実。マネさんはひどく動揺した様子で、持っていたファイルをばさばさとめくり始めた。そして、「まさか、雷太くんに妹がいたなんて……! いや、たしか雷太くん家の家族構成は、父母弟だったハズ。私の完璧なデータに狂いは……」と、ブツブツと独り言を呟きながら、深く悩みだしてしまった。
「い、いや……間違い……です……! 間違え……ました……! おれの……兄ちゃん……じゃなくて……、こいつの……兄ちゃん……でした……! だよな……? 美晴……じゃない、『風太』……!」
「そ、そうですっ! わたしのお兄ちゃんですっ! こっちの女の子は、ただのファンです!」
二人で訂正した。すると、マネさんはまた元の状態に戻った。
「なーんだ、びっくりしたぁ……! 私の知らない雷太くんの情報が存在するのかと思っちゃった」
「「……」」
この女の人、なかなかヤバい人なんじゃないか。そう思いつつ、少しだけ引きながら、美晴はマネさんに尋ねた。
「えっと……詳しいんですね。お兄ちゃんについて」
「もちろん! マネージャーとして、雷太くんのことはなんでも知っておかなきゃいけないもの。もしかしたら、弟くんよりも私の方が詳しいかもね」
「か、家族よりも……!?」
「ふっふっふ。特別に聞かせてあげる。わたしがこの一年で調べ上げた、二瀬雷太くんの情報の全てを!」
マネさんは、ファイルの中にある「雷太くん♡」のページをバサッと広げ、メガネをキラリと光らせた。
「二瀬雷太、17歳。ひよこ高校の二年生で、男子バスケットボール部所属。身長190cm体重77kgのパワーフォワード。誕生日は10月21日。血液型はO型。好きな食べ物はカツカレーで、毎週金曜日は学食で必ず食べる。嫌いな食べ物はキウイで、見ただけでも冷や汗をかくほど。趣味は練習で、一年の大半をバスケットコートの上で過ごす。最近あった嬉しかったことは、念願の一人暮らしを始められたこと」
「へぇ……」
「定期テストの成績は最低クラス。数学が特に苦手で、分数が絡むと計算できなくなる。しかし体育は得意で、運動神経はひよこ高校ナンバー1。バスケ部のエースとしても活躍し、冬の大会ではひよこ高校を全国大会の三回戦まで導いた。プレースタイルは、空翔けること怪鳥のごとく、地を駆けること雷のごとし。そんな彼を……人は“雷鳥”と呼ぶ……!!」
「ひよこ高校の、雷鳥……!」
美晴はもう一度、コートに立つ雷太を見つめた。
雷鳥……かどうかは分からないが、激しく展開する試合の中で、確かに一人だけ圧倒的な実力を見せつける男がいた。まるで翼を持っているかのように跳び、雷のように走って敵を抜き去る、一人の男が。
「あれが、風太くんのお兄ちゃん……!」
美晴は目を輝かせ、雷太に会いたいという気持ちを強くしていった。しかし、その隣に座っている実の弟風太は、やれやれと呆れ返ったような視線を、美晴とマネさんの二人に送っていた。
「ふーん……。あの……雷太兄ちゃん……が……、サンダー……バード……か……。へぇー……そうか……」
「どう? メガネちゃんも、一層好きになったでしょ? 雷太くんのこと」
「別に……。雷太兄ちゃん……は……、雷太兄ちゃん……だし……。鳥……じゃなくて……人間……だし……」
「あらら、ウケが良くなかった? 私はカッコいい通り名だと思うけど、女の子にはあんまりピンと来ないのかな?」
「お、おれは……女じゃない……って……!」
「えっ?」
「あっ……、いや、その……! 今の……は……ナシで……! と、とにかく……マネさんが……雷太兄ちゃんの……ことに……すごく……詳しい……ってことは……分かった……よ……!」
「うふふ、そうなの。だから……同じ雷太くんのファンとして、あなたたち二人とは仲良くなりたいなって、思ってるの」
「友達に……? そ、そういうことなら……こっちも嬉しいけど……」
「ありがと。じゃあ、お名前を教えて? ちゃんと覚えておきたいから」
「おれは……風太……。じゃなくてっ……! 今は……アレだ……、美晴……」
マネさんはそれを聞くと、紙に「荒田美晴」と書き記し、自分が持っているファイルに挟み込んだ。
「よろしくね、美晴ちゃん。あ……ちょっと耳を貸して? 言っておきたいことがあるの」
「ん……?」
そしてマネさんは、風太の耳元に口を近づけ、とても小さな声で囁いた。
「あなた、さっきからパンツ見えてる。選手や監督がチラチラこっちを見てるから、あんまり脚を広げて座らない方がいいよ」
「な、なぁっ……!!?」
今日のコーデは、花柄のワンピース。ウカツな開脚は禁物だ。
風太はスカートの裾をバッと押さえ、真っ赤になりながら周囲をキョロキョロと見回した。そんな風太の様子を、第二コートから見ていたこがめ高校の監督(60歳男性)は、「ハァ……」と深い溜息をつき、パンツは諦めて試合に集中することにした。
* *
それから一時間が経ち、お昼の12時。
「風太くん、ここですっ。ここで待っていましょうっ」
「お、お前……。なんだか……張り切ってる……な……」
「はいっ! 早く風太くんのお兄ちゃんに会いたいですからっ」
「あんまり……変な……期待は……しない……方が……いいぞ……」
風太と美晴は、マネさんに手回しをしてもらい、「ひよこ高校控え室」の前で雷太を待つことになった。ここで雷太にお弁当を手渡すことが、本日の最重要ミッションである。冷静な風太とは対照的に、美晴はドキドキと昂ぶる気持ちを抑えきれずにいた。
「まだかな……! き、緊張しますね、風太くんっ!」
「おれは……別に……」
「そ、そうですよねっ。弟だから、お兄ちゃんと話すくらい、普通ですもんねっ」
「あのな……。一つ……言っておくぞ……。これから……雷太兄ちゃんに……会うけど……、兄ちゃんに……何を……言われても……絶対に……」
ガラガラガラッ。
控え室の扉が開き、身長190センチメートルほどの大男が、ヌッと現れた。試合中のユニフォーム姿ではなく黒いジャージを羽織っているが、顔つきが風太そっくりであるため、美晴はすぐにその大男が雷太だと気付いた。念願の、初対面である。
「あ、あのっ……!」
「……!」
「これ、お弁当っ! お母さんが作ったのを、持ってきたの!」
「……」
「お母さん、早起きして朝から一生懸命作ってて! お、お兄ちゃんが、試合で勝てるようにって!」
雷太は弁当箱をじっと見つめ、そして美晴の顔を見て、呟いた。
「あの減らず口ババアの遣い、というわけか……」
「え……?」
さらに言った。
「それを持って消え失せろ。出来損ないの哀れな弟よ」
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