おれはお前なんかになりたくなかった

倉入ミキサ

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パラレル特別編 その2

わたしのママは風太くん!? 第三話

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 *

 「雪乃は?」
 「まだ部屋で寝てます。そろそろ起こしに行った方がいいですか?」
 「それなら、後で私が行くわ」
 「すいません。おれの【つぐない】なのに」
 「別にいいわよ、これくらい。風太くんには、他にもいろいろやってもらうことがあるし。今日は……そうね、お買い物にでも行ってもらおうかしら」
 
 『風太』は『露子』に口紅くちべにを塗ってあげながら、そう言った。小学生の男の子が三十路みそじを超えた女性の身だしなみを整えている、というおかしな状況だが、今の『露子』には女性としての経験少ないので、仕方がない。
 メイクが終わり、『露子』は鏡台の前に立ち、自分の顔を見つめた。

 「顔に化粧けしょうしてもらうのも、初めての経験です」
 「ふふっ。雪乃より先に、風太くんが経験するなんてね。どう? 印象、変わったでしょ? 服装が大人しい感じだから、それに合わせてメイクも控えめにしてみたの」
 「この服と合わせて、ですか。おれ、化粧とかファッションのこと、あんまりよく分からないですけど……」
 「身だしなみはバッチリよ。これで外に出ても大丈夫ね」

 先程『風太』に着付けてもらった本日の服装を、『露子』は改めて確認した。
 雪乃のような露出の多い派手な服ではなく、大人っぽく落ち着いた雰囲気だ。生地きじが薄いおかげだろうか、それでいて涼しげでもある。通気性つうきせいの高いふんわりしたロングスカートは、いつもズボンをはいて生活していた風太にとって、下半身にまとうには少し心もとなく感じるものだった。
 『露子』が体を見降ろして、本日のファッションを見ている間に、『風太』はさらさらと買い物リストを書き上げた。

 「じゃあ、これをお願いね。あなたはその買い物と、あと掃除と洗濯を、できる限りでやっておいてくれればいいから」
 「は、はいっ!」
 「頼んだわよ。……さて、そろそろ学校に行く時間ね。雪乃と一緒に登校するわ。私が風太くんの代わりにね」
 「露子さんと雪乃が……? あ、あのっ!」

 『露子』は『風太』を呼び止めた。

 「あら、どうしたの?」
 「えっと、実は……その……」
 
 ここで、風太は言ってしまいたかった。【つぐない】がどうすれば終わるのか、この生活がいつ終わるのかを、尋ねたかった。
 昨晩の雪乃の告白の件が気掛きがかりで、心の中はずっとモヤモヤしている。さらに一夜明け、今朝もなお風太が『露子』としての生活に苦労を感じているのに対し、露子はさっきから『風太』としての生活への不満を、全く漏らさない。むしろ充実感すら感じさせる露子の表情は、風太の不安な気持ちを増大させていた。
 もしかしたら、露子はしばらく入れ替わり生活を続けたいと言い出すのではないか、と……。

 「……」
 
 しかし、言い出せなかった。やはり、下着泥棒を見逃してもらっているという立場から、「この【つぐない】はいつ終わる?」などと、体の返還を催促するようなことは言い出しにくい。今すぐにでも元に戻りたいが、雪乃への懺悔ざんげを果たさずに、露子への恩義おんぎも忘れて、そんな自分勝手なことを……と、風太は葛藤し、言葉に詰まってしまった。

 そして結局、風太は質問を変えた。

 「つ、露子さんは……放課後はどうする予定なんですか?」
 「放課後? ああ、学校が終わってからのことね」
 「はい……」
 「雪乃と一緒に遊ぶ約束でもして、この家に戻って来るわ。あなたと雪乃の夕飯を作ってあげなきゃいけないしね。もし、家事について困ったことや分からないことがあったら、無理にやろうとしなくていいから、その時に私に言ってね」
 「そんな……大変じゃないですか? 学校の後に、この家に来て料理したり、おれの家事を手伝ったり」
 「ふふっ、たいしたことないわ。男の子になったから体力が有り余ってて、全然疲れないのよ。まぁ、あなたが家事をカンペキにできるようになってくれたら、私も楽だけどね」
 「そ、そうですか」

 風太としては、この際「大変よ。もうこの生活にはうんざり」とでも言ってほしかったが、あんじょう、そのような答えは返ってこなかった。
 
 「それじゃあ、雪乃を起こしてくるわね。あなたはゴミを出しておいてくれる?」
 「分かりました……」

 『風太』は黒いランドセルを軽く背負い、雪乃が眠っている和室へと歩いていった。
 『露子』は神妙な面持おももちで、その背中を見送ると、そばにまとめてあったゴミ袋を2つ、両手に掴んで持ち上げた。燃えるゴミをぱんぱんに詰め込まれたゴミ袋は、『露子』になってしまった風太の細腕には、とても重く感じさせるものになっていた。

 * *

 「えぇっ!? 体操服を家に忘れた!?」

 お昼ご飯前。
 自宅に電話をかけてきた雪乃が、そう言った。学校で友達からスマホを借りて、こちらにかけてきたらしい。向こうの電話口では「ヤバいよー! ピンチだよー! ママ助けてっ!」と、大騒ぎしている。
 現在は給食の時間で、5時間目に体育の授業があるそうだ。ちょうど掃除を済ませて買い物に行こうとしていた風太は、雪乃が今朝忘れていった体操服袋を見つけると、それを急いで買い物用のマイバッグの中に入れ、春日井家を飛び出した。

 (これも、雪乃のママとしての仕事……かな?)

 男子だった時のように全速力ぜんそくりょくでは走れない。運動神経のしではなく、全力で走ること自体が『雪乃のママ』の日常に存在しないので、肉体が忘れてしまっているのだ。さらに、運動に適さない靴やスカートもかせとなり、風太は夜道を歩く女性のようにツカツカと早歩きで月野内小学校へと向かった。

 小学校に近づくにつれ、子どもたちのキャッキャとはしゃぐ声が、次第に大きくなっていった。すでに給食が終わり、お昼休みの時間に入ったらしく、グラウンドでは様々な学年の子たちが楽しそうに走り回っている。
 風太は息を切らしながら、なんとかそのグラウンドのそばまでやってきた。

 「はぁ、はぁ……。間に合ったけど、これからどうしよう……」
 
 グラウンドは大人の背より高いフェンスで囲まれ、中に入るには校門を通るしかない。しかし、その校門も今はしっかり閉められている。生徒たちの勝手な外出を防ぐため、そして不審者の侵入を防ぐためなので、当然ではある。
 現在の風太の立場は、不審者ではなく保護者だ。つまり、本来なら学校に入るための正式なルートがいくつかあるのだが、風太はそれを知らなかった。

 「の、のぼれないっ……! くっ、この……!」

 閉まっている校門に足を引っ掛け、よじ登って侵入しようとした。普段の風太は、こうやって勝手に出たり入ったりしている。
 しかし、それは身軽な男子小学生だったからの話で、体全体が重い30代女性になってしまってからは、随分と話が違ってきているようだ。

 「うわぁっ! 痛てて……」

 無様ぶざまに、ドシンと尻もちをついた。やはりどう頑張っても登れない。
 自分がスカートをはいていることも忘れて、人目もはばからずに脚を広げ、よいしょよいしょと力ずくでグラウンドに侵入しようとしている。そんな不審なおばさんを、近くで見守る影があった。

 「あ、あの……。こんちはーッス」
 「ん……? おれ?」
 「何やってるんスか? おばさん」
 「あぁっ! 健也ケンヤっ!?」

 目の前にいたのは、健也。風太の同級生……だった、6年生の男子生徒だ。
 誰かとキャッチボールでもしていたのだろうか、左手にグラブをはめ、右手には野球ボールを持っている。

 「あれ? このおばさん、どっかで見たことあるような」
 「お、おばさんって……! あ、あのなぁ、健也っ!」
 「あーっ、思い出した! 雪乃のお母さんだ! 雪乃のお母さんっスよね?」
 「そ……そうだけど……」

 同級生から『おばさん』と呼ばれるのは不本意ふほんいではあったが、小学生の健也から見れば、『露子さん』はれっきとした『おばさん』だ。『お姉さん』でもなければ『風太』でもないので、『おばさん』と呼ばれるのは仕方がないのである。

 (当たり前だけど、やっぱりおれへの態度たいどが変わってくるんだな……。どう見ても、いつもの健也じゃない)

 かつての親友から、友達のお母さんへ。姿が変わった風太に、健也が普段と同じ対応をするハズがなく。
 風太と健也。校門の格子こうしを一枚挟んでいるが、それ以上に、心には距離があった。放課後になってこの門が開くまでは、学校の中にいる人間と外にいる人間は、別世界の住人だということだろう。風太はそこで、今の自分はもう学校という世界にはいられない存在なのだと、強く実感した。

 (おれも、あっち側に行きたい……)
 
 天国と地獄。大げさかもしれないが、昼休みという解放的な時間を謳歌おうかする小学生たちの雰囲気が、風太の目には楽園のように映った。
 
 (帰りたい……! 『風太』に、元の姿に、戻りたいっ……!)

 『雪乃のお母さん』は、校門の外でうなだれながら、コブシをぎゅっと握りしめて震えていた。

 「え、えーっと……? 雪乃のお母さん?」
 「健也っ! これっ!」
 「え? えっ? なんスか、これ?」
 「これ! 雪乃の体操服っ! 受け取ってくれ!」
 
 風太は門の隙間すきまから手を伸ばし、健也に体操服袋を渡そうとした。
 
 「えーっ! 別にいらないっスよ! こんなの!」
 「違うっ! 雪乃に届けてあげてくれっ! 5時間目、体育だろ!?」
 「あっ、そういうことっスか。了解っス。後で渡しておきます」
 「ああ、頼んだぞ……! じゃあ、おれもう行くからっ……!」

 最初は拒否したものの、健也はそれを受け取った。

 「……」
 「……」

 そして、互いに無言。

 「あの、まだ何かあるんスか?」
 「お、おれっ、やっぱり露子さんに言ってみるよ! いつになったら、元の体に戻れるのかって! 今決めたっ!」
 「はぁ? なんのことスか……?」
 「また一緒に遊ぼうっ! じゃ、じゃあなっ!」
 
 突然ワケの分からないことを言い出す『雪乃のお母さん』に、ポカンとする健也。『雪乃のお母さん』はそれを気にも留めず、くるりと振り返ってまっすぐに走っ……れはしないので、早歩きをして去っていった。
 決心した彼女の顔には、もう迷いがなくなっていた。

 * * 

 そして放課後。

 「買い物は全部OK」
 「……」 
 「掃除も、まぁまぁ綺麗にできているわ」
 「……」
 「【つぐない】、頑張ってるわね。この調子よ、風太くん」
 「……」

 再び、今朝の『風太』が春日井家に訪ねてきた。雪乃はまだ学校で日直の仕事をしているらしく、『風太』の方が先に帰ってきたそうだ。
 『風太』はリビングのソファに自分が背負っていた黒いランドセルを置き、その隣に『露子』を座らせた。ここで今日あったことを簡単に情報交換して、それが終わったらキッチンへとおもむき、夕食の準備へと取り掛かるつもりだろう。

 「それで、風太くんの方は何か変わったことがあった? 知らない誰かがこの家に訪ねて来た、とか」
 「……」
 「どうしたの? さっきから、あまり話さないけど」
 「あ、あのっ……!」
 
 今しかない。風太は話を切り出した。

 「おれ、いつになったら風太に戻れるんですか?」
 「えっ?」
 「そろそろ元の体に戻りたいんですっ! だから、その……どうやったらこの【つぐない】が終わるのか、教えてくださいっ! 露子さんっ!」

 胸中きょうちゅうを、明らかにした。

 「……!」

 突然の『露子』の発言に、『風太』は少しの間、固まっていた。
 そして、『風太』はランドセルからそっと何かを取り出してポケットに入れた後、ソファに静かに腰を下ろした。

 「どうすれば元の体に戻れるのか、ねぇ……」
 「はいっ! おれ、雪乃のためなら何だってやるつもりですから、それだけ教えてくださいっ!」
 「ふふっ。もう……戻れないわよ?」

 『風太』は怪しい笑みを浮かべ、『露子』に向けてそう言い放った。

 「えっ……?」
 「あなたは誠実せいじつだけど、あまり賢くはないのね。でも、そのおかげでとっても扱いやすかったわ」
 「えっ? え、え? は……?」
 「私ね、もうあなたを元の体に戻してあげるつもりないの。だってそうしたら、私はまた、そのおばさんの姿になっちゃうでしょ?」
 「ちょ、ちょっと、それ……本気で……?」
 「本気よ。いつかは打ち明けようと思ってたけど、まさかこんなに早く言う日が来ちゃうなんてね」

 『露子』の瞳からは、光が消えた。 

 「う、ウソ……ですよね……? 話が違うっ!」
 「あはは、まだ言ってるの? じゃあ、改めて現実を教えてあげるわね。私は『二瀬風太』。男の子として、中学、高校……もう一度、青春時代を楽しませてもらうわ。最愛の娘、雪乃と一緒にね」
 「そんな……!」
 「あなたは『春日井露子』。無駄に年齢を重ねて、この先もずっと誰かに愛されることはなく、日々のさびしさを耐え忍ぶだけの女が、これからのあなたよ。若さを経験する前に、突然おばさんにしちゃってごめんなさいね。もうその古い体はいらないから、好きに使ってくれていいわよ」
 「ふ、ふざけるなっ……! じゃあ、今までも全部っ……!!」
 
 『露子』は激昂し、『風太』に掴みかかった。
 しかし『風太』は顔色一つ変えず、『露子』に迫られてもなお、勝ち誇ったように笑っていた。

 「ふふっ、そうよ。私は最初から、そのつもりだった。下着泥棒さえも私が仕組しくんだことでね、あれを実行した時から、私はもう全てを捨てるつもりだったわ」
 「全て……!? 雪乃まで……自分の娘まで捨てて、おれに成り代わって、何の意味があるんですか!? 雪乃は、露子さんのことが大好きだったのに……!!」
 「それよ、それ。あなたは気付いてないのね」
 「えっ……?」
 「娘からお母さんへの愛情が、いつまで続くと思ってるの? これから雪乃は思春期になって、興味が異性に移っていくのよ。雪乃は彼氏や結婚相手に……つまり『風太』に、愛情をかたむけていくの。私も雪乃のことが大好きだから、雪乃から永遠に愛されたいのよ……!」
 「そ、そんなの、おかしいですよ……。だからって、おれの体を奪うなんて……」
 「それにね、お母さんっていうのは、だいたい娘より早く死んじゃうのよ。『雪乃のお母さん』だと、雪乃の人生を最期まで見守ることができないの。そんなの……えられないでしょう? だから私は、母親であることを捨て、雪乃の一生に添い遂げる道を選んだ」
 「ち、違う……! それは間違ってる……!」
 「なんとでも言いなさい。私はもう、風太として生きていく……!」

 『風太』はポケットをごそごそと漁り、薬を一粒取り出した。そしてその薬を、自分に掴みかかっている『露子』の口の中へ、ぐっと押し込んだ。

 「んっ……!? うぐっ……!」
 「あなたも、もう露子として生きる覚悟を決めなさい……」

 薬をゴクンと飲み込むと、『露子』は強い睡魔すいまに襲われ、ロクな抵抗もできずに、そのままゆっくりまぶたを閉じてしまった。薄れゆく意識の中で、彼女が最後に見たのは、『風太』がこちらに向けて優しく微笑ほほえむ顔だった。

 「ふふっ。これから、あなたには面白いものを見せてあげるわ。『風太』を私にくれた、最後のお礼にね……♡」
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