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第十一章:ボクの好きな人
クレープの日
しおりを挟む「……!」
*
「いーーーっててて……!」
あれからそのまま一夜明け、現在は朝の4時。今日は、寝覚めから最悪だった。
腹部の焼けるような痛みで、『美晴』は目を覚ました。そして早速、ベッドの上でジタバタと藻掻き苦しんでいる。
「ぐっ……! うぅっ、ううぅぅうわああぁ……!!」
汗と涙と悲痛な叫び声が、身体から一気に全部出た。特に涙の量は凄まじく、今までガマンしていた分が溢れ出し、ほっぺたを伝ってボロボロとこぼれ落ちている。
『美晴』は発狂しながら、頭や身体に巻きつけられている包帯を、鬱陶しそうに引き裂いた。
「うぅぅーっ、う゛っ!! あああ゛ーーっ!! ああぁっ! はぁっ、はぁっ、はぁ……」
拘束を強引に破壊し、気の済むまでウネウネゴロゴロと、のたうち回る。
しばらくそれを続けて、少しだけ気持ちが落ち着くと、今度は息を切らしながら、何か言おうとしている。
「美゛っ……! ぐじゅっ、ずっ、み゛晴゛ゅっ!! げほっ、ゲホゲホ! おえっ! 苦゛……しい……! はぁ、はぁ……」
すぅ、はぁ、と大きく深呼吸をして、喉を平常へと戻す。
「美晴っ……!! あ゛いつっ……!! どごい゛っだぁ……! ぜっっっっったい、はぁっ、絶対……許゛ざないぞっ……!!! ふぎぎぐぐぅぅーーーっ!!」
ゴロンと横に一回転して、『美晴』は枕に思い切り噛み付いた。犬歯をギシギシと擦り合わせ、今にも枕カバーを噛みちぎりそうな勢いだ。
(もう、あいつのことなんて、理解したくないっ……! あいつさえいなければ……おれは、こんなっ、こんなことにはっ、ううぅっ……!!)
プライド、情け、疲労、苦痛……その他もろもろが混沌として、『美晴』が堕ちた地獄の中では、憎しみが育てられていった。
*
そして、今日は月曜日。
学校がある日。陰鬱な一週間の始まり。
「……」
早朝の大暴れから、数時間後。
『美晴』は、美晴のお母さんと一緒に、タクシーの後部座席に座っていた。気の抜けたような醒めた瞳で、窓の外で流れる景色を、ぼーっと眺めている。
「美晴?」
「なに……? お母さん……」
「お腹の痛みは、もう大丈夫なの?」
「うん……」
今朝、『美晴』はウソをついた。
「お母さん……。ちょっと……お腹が……痛いから、学校には……遅れていくよ……」と、ウソをついた。本当は全身の痛みが激しく、できることなら学校を休みたかったが、それでまた過剰に心配されるのも面倒だと思い、遅刻という形をとることにした。
するとお母さんは、「大丈夫? すぐに病院へ行く? 私も、今日ぐらいは仕事を休むから……」と、案の定厄介なことを言い出したので、「そ、そこまで……しなくても……大丈夫っ! お昼前には……学校に……行きたいからっ! 今日の……給食のデザート……クレープだしっ……!」と、適当にごまかした。そして結局、「じゃあ、私も美晴と同じ時間に家を出るわ。学校には連絡を入れておくから、痛みが治るまで、ゆっくり休んでいて」と、『美晴』の理想通りに、美晴のお母さんは話をまとめてくれた。
(くそっ、まだ痛い……! 普通なら、すぐに病院だよ。こんな状態だと)
おデコの絆創膏を、『美晴』は優しく指でなぞった。
これは、『美晴』を蹴り飛ばしてノックアウトした後に、『風太』が貼ったものだ。服の下にあるガーゼや包帯も、同じく。
「いや……忘れよう……。あいつのこと……なんて……。もう……会って話すことも……ないし……」
「美晴、何か言った?」
「ううん……。なんでも……ない……」
「そろそろ学校に着くわ。忘れ物はない?」
「うん……。大丈夫……」
「辛くなったら、すぐに保健室で休むのよ。先生にも事情は話してあるから」
「分かった……」
「いってらっしゃい」
「いってきます……」
タクシーを降り、『美晴』は赤いランドセルを背負って、学校へと歩き出した。
*
その足でそのまま、校内の保健室へ。
慢性的に辛いので、『美晴』は迷わず保健室で休むことを選んだ。今の精神状態で、6年2組の教室に行くのも嫌だった。
「こんにちは……」
入室のあいさつをしたものの、どうやら校医の柴村先生はいないようだった。
『美晴』は、「とにかく今は寝ていよう……」と判断し、保健室のベッドがある場所へと歩みを進めた。すると、ベッドのそばにある洋風のイスに、誰かが座っていることに、『美晴』は気が付いた。
「……」
「……」
キャスケット帽を目深にかぶり、こちらを気にすることなく、静かに文庫本を読んでいる。
学年は、『美晴』と同じ6年生くらい。肌は色白で、髪は長くもなく短くもなく中性的。顔立ちはれっきとした日本人なのだが、そいつの醸し出す空気は、「趣味で乗馬とかやってそうな、海外の上品な美少年」、という感じだった。
誰だか知らないが、ここにいるならちょうど良い。『美晴』はそいつに、「保健室の先生がやってきたら、おれがベッドで寝ていることを伝えてくれ」と、伝言を頼もうとした。
「あ……! ぁの……さ……」
「……」
「なぁ……」
「……」
「お、おいっ……!」
「ん? ボク?」
そいつは本をパタンと閉じて、やっと顔を上げた。
「保健室の……柴村先生……は……?」
「ああ、今はいないよ。さっきまではいたんだけど。ボクはここで留守番をしてる。キミはケガ人かな?」
「いや……。おれ……そこのベッドで……休むから……、先生が来たら……そう伝えといて……くれ……」
「体調不良の子か。ん? 今、『おれ』って言った?」
「あっ、違う……。わたし、わたし……! じゃあ……頼むぞ……」
「うん。分かった」
『美晴』は空いているベッドによじ登り、カーテンをサッと閉めた。
キャスケット帽をかぶったそいつは、『美晴』から伝言を預かり、手に持っていた文庫本をまた静かに読み始めた。
*
キーンコーン!
「わっ……!?」
痛みが少し和らぎ、気持ち良く眠りに堕ちていたところを、昼休みを告げるチャイムに叩き起こされてしまった。
『美晴』がびっくりしてガバッと上体を起こし、きょろきょろしていると、『美晴』の起床に気付いたカーテンの外の人間が、こちらに声をかけてきた。
「おはよう。中に入ってもいいかな? キミに伝言がある」
声からすると、さっきのキャスケット帽のやつだ。『美晴』は「ああ……」とだけ返答して、カーテンを少し開けた。
「気分はどう? 戸木田さん」
「あっ……。その名前……」
「うん。柴村先生から聞いたよ。6年2組の戸木田美晴さんでしょ? キミ」
「いや……、本当は……違うけど……。まぁ……気分は……少し……良くなった……」
「そっか。それは良かったね。あの後、戻ってきた先生に、キミのことを伝えておいたよ」
「おお、ありがとう……。先生は……何か……言ってたか……?」
「うーん。先生は、寝ているキミの様子を確認した後、またここを出て行ったみたいだけど、特に何も言ってなかったなぁ」
「おれの……様子を……確認……!? ふ、服を……めくったりとか……してない……よな……!?」
「えっ? そんなことはしてないと思うけど」
「ほっ……。良かった……」
「柴村先生からの伝言は、『給食と、午後の授業はどうするの?』だってさ」
「給食……?」
今日はクレープの日。
「いらないよ……。今は……食欲がないし……。午後の授業には……出る……と思う……」
「分かった。じゃあ、先生が来たら、そう伝えておくよ」
「なんだか……悪いな……。お前に……伝言……ばっかり……頼んで……」
「ん? あははっ、気にしなくていいよ。ヒマだし」
「ヒマ……? そういえば……、お前は……どうして……保健室に……いるんだ……? っていうか、お前は……一体……何者……」
「おっと、それはこっちのセリフだよ」
「は……?」
そいつは、こちらに顔をぐっと近づけてきた。
「キミの方こそ、一体何者なんだ? まさか、ボクと同じ事情を抱えてるのかい?」
「えっ……!?」
「なぜだろう。キミはボクと同じ匂いがする……!」
なんだこいつ。その言葉で、『美晴』の頭の中はいっぱいになった。
同じ事情と言われても、思い当たる節が多すぎて、何のことを言っているのかさっぱり分からない。くんくんと服を嗅いでも、多分同じ匂いはしない。
(おれと同じ!? こいつとおれの、どこが同じなんだ!? さっきから何を言ってるんだよ、こいつは……!)
「……」
「……」
見つめ合った。お互いに、一言もしゃべらず。
キャスケット帽のそいつが興味津々な様子で、まじまじと見つめてくるので、『美晴』は一歩でも動いたら拳銃で撃たれるかのような緊張感で、じっと見つめ返していた。
すると、そこへ……。
「ごめんなさい。そろそろ、わたしも美晴と面会してもいいかしら?」
こちらを見つめてくるそいつの後ろで、また新たな人物の声がした。どうやら、この『美晴』のベッドへ、次の客がやってきたらしい。
「あっ、ごめん。もうボクは行くよ」
「お、お前……どういう……」
「うん。この話の続きは、また今度しようね。次、いつ会えるかは分からないけど。さようなら、戸木田さん」
「ちょっ、ちょっと……待てっ……!」
『美晴』は引き止めた。しかし、その引き止めも虚しく、不思議なそいつは、するりとカーテンの外へ消えていった。
『美晴』の心の中に残ったのは、モヤモヤだけ。
「なんだったんだ……? あいつ……」
『美晴』は釈然としない表情で、揺れるカーテンを眺めていた。
すると、その隙間から、新たな来訪者が交代でススッと入ってきた。
「こんにちは」
「……!」
「その様子だと、少しは元気になったのかしら?」
「……」
「次の客」は、入ってくるなりペラペラとしゃべった。
『美晴』はそのしゃべりには全く応じず、不愉快そうに「次の客」の顔を睨みつけていた。
「美晴、コッペパンは好き? 牛乳もあるわよ」
「いらない……」
「ふーん。確かに、あなたはあまり食べないものね。せっかくだし、給食を持ってきてあげたんだけど」
「そのまま……持って……帰れよ……」
「クレープは?」
「クレープだけ……置いていけ……。お前が……ここから……いなくなってから……気分良く……食べる……」
「へぇ。まだまだ元気そうね」
「ここへ……何をしに来たんだ……! 五十鈴……!」
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