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④お風呂

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 「啓介さん、今日のコース、かなり雪残ってましたけどあと一ヶ月ちょっとで溶けます?」

 純也が後ろから抱きしめる形で二人で湯船に浸かる。
平均的なサイズの湯船だが、男二人となると少々せまい。
 先程から啓介は、真剣な顔で炭酸入浴剤の泡を弄んでいる。

 「無理だろうな。雪がなくなってからでないとできない整備もあるし・・・今年は少し遅くなるだろう。」

 今年は雪が降る期間が長かったこともあり、例年に比べ雪解けが進んでいない。
 そういう人間にとって分の悪いことがあると、怪異達は少し調子に乗る傾向がある。
 ご祈祷が遅れていることと大量の雪が残っているという、悪い偶然が今年重なってしまった。

 「もぉ、啓介さん、その子はお湯の中で好きにさせてあげて下さい!」

 泡の出ている固形入浴剤を手に持ったままの啓介に後ろから注意すると、なぜか純也の手に溶けかけの入浴剤が渡される。

 あぁーっ!!可愛い!!可愛い!!
時々、こうやって意味不明なことするの可愛い!!

 聞こえてくる声はしっかりとした大人の口調なのに、やっていることはかけ離れている。

 せっかく啓介から渡されたのだから大切にしたいが、この子の命は儚い。あと数分もしないうちにお湯と同化するだろう。

 それに片手が塞がると不便だ。

 「この子はお湯に戻しますね♡俺の両手は啓介さんを抱っこしないといけないんで♡♡」

 純也は両腕を啓介の腹部に回し首や肩にキスをする。

 「んっ、」

 啓介の体が小さく跳ねると、さらに強く抱きしめた。

 「啓介さん、ご祈祷までの間は気を付けて下さいね?少しでも日が傾いたら山から下りてください。それか、一人では上がらないで下さい。」

 「そうだな・・・今日見た感じだとまだしばらくは大してできることもないから、まだいいが・・・もう少ししたら他の奴らも戻ってくるし、あまり仕事にならないのは困るな・・・」

 冬の間は、ゴルフコースが閉まるので啓介の部下であるコース管理の社員の半数は、期間限定で別の仕事に行っている。
 
 別の仕事といっても提携している酪農家や農家などのヘルプ、除雪作業を請け負ったりして、こちらにも月に数度は顔を出しているがタイミングが合わなければ、上司の啓介でさえ何ヶ月も会わないことがざらにある。

 独身の気ままな社員の中には、冬の間は休暇をとり旅に出たり趣味に打ち込んだりリフレッシュに全振りする者もいる。 
 
 セレブ志向のリゾート施設とはいえ、こんな不便で風変わりな職場で働く人間も訳ありだったり変わり者が多い。

 裏方であるコース管理は、さらにその傾向が強い。しかし、啓介はそのアクの強い面々を上手く纏めているようで、特に目立った問題は起きていない。

 「オープン前には試食会もするし、俺達も今年のメニュー考えてるんですけどね・・・」

 レストランには、ゴルフコースが開いている期間だけ出すランチタイムの限定メニューがある。
 
 毎年出している定番メニューに、その年ごとの新メニューをいくつか加える。

 純也も洋食のメニューを任され考えている途中だ。いくつか考えた新メニューを社員達が集まった試食会で披露し、意見を聞いてその年のメニューが決まる。

 「雪解け待ち遠しいですね・・・。そういえば、来週、篠原さんの予約入ってましたよ。」

 「あの人・・・また来るのか・・・」

 篠原さん、それは確認したことはないが絶対に偽名だ。そして、絶対にカタギじゃない。
 50代と思われるなかなか男前の紳士だが、羽振りの良さや身なり、纏う空気感など、絶対に一般人ではない。

 時には似たような男達数人と、時には派手な女性を連れてなど、従業員の中では彼を知らない者はいない。

 そして、篠原は来ると決まって啓介を呼び出す。女性と来ていても友人と来ていても、時間をとって啓介と二人で一時間ほど敷地内をブラブラしている。

 それを初めて知った時の純也は、如何わしい想像をして啓介の身を心配しまくったが、啓介本人があまりに普通だし、篠原の元から戻ってきた啓介を見ても、そういった行為の後のようなものは感じられなかった。

 「今の時期だと昼時か?宿泊か?」

 「ニ名で日帰りのランチですね。」

 何度か、篠原を見かけるうちに純也は気付いてしまった。篠原は、いわゆる裏社会の人間なのではないか、と。
 人里離れた完全会員制の施設を、何かと利用する社会的立場のある人間は多い。
 良からぬ企みから甘い蜜時まで、この閉ざされた空間は全てを社会の目から隠してくれる。

 篠原には、毎回嫌なものが憑いている。生霊か死霊か分からない程にぐちゃぐちゃにまざって彼を取り巻き、厨房にいる純也は、毎回、その気配で篠原がレストランに来たことが分かるほどだ。

 そのぐちゃぐちゃは、啓介と過ごした篠原からは消えている。
 きっと、そのために啓介と会っているのだ。純也にもよく分からないが、啓介の纏うキラキラが関係しているのかもしれない。

 「あの人、毎回、断っても断ってもチップを渡してくるし、その万札を絶対胸元に差し込んでくるんだ・・・そのうち、周りから変な誤解をされないか不安だ・・・」

 「胸元っっ!?胸元ってどういうことっっ??」

 啓介が、少しげんなりした表情でため息をつく。
 純也は、初めて聞く事実にショックを受け啓介を抱きしめる腕にも力が入る。
 
 篠原は、毎回、啓介に三万円渡す。

 それは、二人の食費に消えることが多い。手元に残さず使った方がいいという純也の意見で、数日のうちに食材に変わる。

 チップについては知っていたが、そんな渡され方をしていたのは知らなかった。

 「断れないにしても、普通に手渡しは無理なんですかっっ??」

 「胸元を拒否すると、ボトムのウエストにねじ込んでくる・・・なぜか、普通には渡してくれない・・・」

 「俺、啓介さんのことは信じてるけど、そういう話を聞くとやっぱり心配です!!」 

 純也は、啓介を抱きしめながら肩口に額をぐりぐりと擦り付ける。
 
 胸元とかウエストとか、セクハラじゃないか?

 「・・・最近は、『これで、恋人と美味しいものでも食べてくれ。』とか言いながら渡してくるから・・・そういう心配はしなくていい・・・」

 啓介は純也の頭を撫でながら、少し小さくなった声で言う。

 「えっ!!啓介さん、篠原さんに言ってくれたの?」

 恥ずかしがり屋の啓介さんが!?

 純也は、思わず顔を上げた。

 「いや、なぜか言ってないのに知ってるんだ。お前の作ったメニューを食べた日は、必ず美味しかったって言ってくれるし・・・」

 純也は、篠原と面識はない。純也が一方的に認識しているだけである。

 「それ・・・なんか・・・怖い。」

 「・・・あの人、前からそういうとこあるんだ・・・俺が言ってないことまで知ってるっていうか・・・なんだと思う?」

 セクハラに続いてストーカー疑惑も追加だ。来週、篠原が来る時に、もう一度、啓介に気を付けるよう忠告しようと純也は決意した。

 「篠原さんのことは分かんないですけど、啓介さんは篠原さんと二人きりにならないで欲しいし、体も触られないようにしてほしいです。」

 思わぬところに話が着地してしまったが、純也は篠原に関しては啓介に関わってくるところ以外にこれといって興味はないので、くれぐれも身の安全に気を付けてほしいと思う。    
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