千燈花〜Eternal Love〜

橘 燈花

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第三十話

友との再会

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 後宮に戻ると山代王と冬韻とういんの二人が門の奥で馬の手綱を引きながら笑っている姿が見えた。二人は私達に気がついたのか話すのをやめこちらを見ている。王妃は一瞬、顔をこわばらせだがすぐに笑みを浮かべると足早に馬車を降りた。

 「王様、ただいま戻りました」

 王は嬉しそうな表情で王妃を見た後、私を見た。話を聞きたくてうずうずしている様子がはたから見ても分かる。そんな彼の期待に応えられないと思うと気まずくて下を向いた。

 「詳しいお話は私の部屋でいたしましょう。燈花とうかは長旅で疲れているようなので、部屋に戻らせ休ませます」

 王妃が私の気持ちを察したのか間髪を入れずに言った。王は一瞬気落ちしたかのように暗い顔をしたが私が微笑むと、そうしなさい、とだけ言い頷いた。

 彼との時間をもちろん過ごしたかったが、実際問題今日の巫女の言葉をどう伝えるべきかわからなかったし、そう考えると王妃の咄嗟の判断は救いだった。きっと彼女も私の前で巫女の言葉を伝えるのは気が引けたと思う。

 「では話は王妃から聞くとしよう。冬韻とういん、すまぬが燈花とうかを部屋まで連れて行ってくれ」

 王はそういうと握っていた私の手をそっと離した。

 「燈花とうか、ゆっくり休みなさい」

 彼の優しい眼差しが更に私の罪悪感に拍車をかけた。私は軽く会釈を返したあと冬韻とういんのあとについた。帰り際、王妃と目が合うと彼女は心配要らないという表情で私に向かい頷いた。私はホッと胸を撫で下ろし歩き始めた。

 冬韻とういんの後ろをただ黙ったまま歩いている。途中周りに誰も居ない事を確認して呟いた。

 「冬韻とういん様」

 冬韻とういんは歩みを止めるでもなく振り返るわけでもなく静かに言った。

 「敬語はお止め下さい。侍女達に示しがつきませんので」

 「そうだったわね…」

 私は彼の後ろ姿を見ながらポソリと聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で話を続けた。

 「今日ね、帰り道で久しぶりに林臣りんしん様をお見かけしたのよ」

 「…はい」

 冬韻とういんから素っ気ない返事が返ってきた。一応聞こえているらしい。いつもならこんな話を聞くのは小彩こさの役目だが彼女はもう居ない。私は、ただ誰かに話したかったのだと思う。全く興味を示さない冬韻とういんはむしろ好都合だった。

 「でね、向こうも気づいたはずなのに無視されたわ…」

 「それはそうでございましょう、今の燈花とうか様には何の関係もないお方ですから」

 冬韻とういんのいつにない強い返答に驚き、反発するように言い返した。

 「わかってはいるけれど、なんだかつれない態度に胸が痛んだのよ…友と思っていたのは私だけだったみたい…」

 「…燈花とうか様」

 冬韻とういんは急に立ち止まり振り返ると、厳しい顔つきで言った。いつも穏やかな目も口元も今は笑っていない。

 「燈花とうか様、この後宮で二度と林臣りんしん様の名を出すべきではありません。王家を愚弄されているのですか?それとも後宮に混乱を招くおつもりですか?」

 「え?」

 私は予想もしていなかった彼の言葉に驚き声を上げた。

 「燈花とうか様は、もう山代王様のもとに嫁がれたも同然。身分も違うのですから、友であろうとも今後は林臣りんしん様の名を軽率に上げるべきではないかと…」

 「そ、そんな、林臣りんしん様はただの友人…」

 「燈花とうか様、この後宮は山代王様の為にある宮です。要らぬ誤解や噂話などはすぐに広まってしまいます。燈花とうか様のお立場が悪くなるだけでなく王様のお立場も悪くなりますし、何よりもお心を痛めるでしょう。不用意に要らぬ混乱を起こしてはなりません」

 冬韻とういんは怒ってなどいなかったし説教じみてもなかった。ただ憂い帯びた瞳で私に懇願しているようだった。

 「そ、そうね…気を付けるわ」

 私は彼のアドバイスを素直に受け入れた。後宮での暮らしに関しては彼の方がよっぽど詳しく私よりも先輩だ。私がしおらしく答えると、

 「どうか出過ぎた言葉かもしれませんがお受け止め下さい」

 と言い、いつもの穏やかな笑顔を見せた。


 彼は屋敷の前まで来ると深々とお辞儀をして来た道を小走りで戻っていった。私は部屋の中に入り窓辺にもたれて外を見た。

  王族は自由にものを言う事も出来ない…

       息が詰りそう…

 私は駆け付けた莅用りようを部屋の中に入れお茶を持ってくるように頼んだあと寝台に横になった。正直、今日の巫女の言葉よりも林臣りんしんのつれない態度の方がよっぽど気になっていた。

     また同じ夢を見ている…

  駄目よ…だめ。行ってはいけない…ダメ…

     「行かないで!!」

 はっ!! 目を開いたものの部屋の中は明るく夢なのか現実なのかわからない。部屋の外からバタバタと誰かが走ってくる音が聞こえようやく夢の中ではないとわかりため息をついた。もうこの時点で夢の内容は完全に消えているが、悪夢なのは確かだ…

 「燈花とうか様!燈花とうか様!いかがされました⁉︎」

 莅用りようが部屋の外から大声で叫んでいる。

 「だ、大丈夫よ…」

 私はゆっくり起き上がると袖で額の汗を拭った。体中が汗でびっしょりだ。すぐに戸が開き莅用りようが乾いた手巾と水を片手に部屋の中へと入ってきた。

 「燈花とうか様大丈夫ですか?」

 莅用りようが手に持った手巾で私の顔を拭きながら心配そうに言った。

 「大丈夫よ、心配ないわ。ありがとう」

 「燈花とうか様、最近夢見の悪い日が多いように思われますが…王妃様にご相談されますか?」

 莅用りようが普段は見せることのない不安げな表情で言った。私は相当悪夢にうなされているのだろうと彼女の顔を見て察した。

 「大丈夫よ、疲れているだけ。大した事はないわ…」

 莅用りように何度も大丈夫だからとしつこく告げ部屋を下がらせた。彼女のいうとおり最近夢見が悪い日が続いている。私は枕元に置かれた少し冷たい水を飲み干し寝台に再び横たわった。

 毎回同じ夢を見るが、詳しい内容は思い出せない。ただ誰かに何かを伝えようとしている…とても大事な事を…そんな気がしていた。



 王妃の部屋では、注がれたお茶に口をつけながら王が期待の眼差しで王妃を見た。

 「で、どうであった?巫女はなんと申した?」

 「それが今日は、気の入りが悪く運命星を見つけられなかったようでございます」

 「見つけられないだと?なれど、暦上では吉日だったはず」

 「はい。そうなのですが…気の入りがどうとかで…巫女の調子が悪かったのかもしれませんので、日を改めて行って参ります」

 「ふむ、そうであったか…なんとしても婚姻の日取りを決めたいからな、次は私も一緒に行こう」

 「はい、それがよろしいかと。燈花とうかも喜びましょう。あっ…それと、帰り道で豊浦とゆら大臣の子息とすれ違いました」

 「林太郎か?」

 「はい、私は気が付きませんでしたが燈花とうかが見かけたらしく、あの二人は知人同士だったのですね?存じませんでした」

 「そんなに親しい間柄であったのか?初耳だ…」

 「はい、なんでも過去に何度か話をしていくうちに知人になったようで、弓矢を教わったと…」

 「ゆ、弓矢だと⁈ハハハ!!」

 山代王が豪快に笑い出した。

 「あいつめ、燈花とうかが普通の女人とは違うからと無理をしおって、戦にでも送り出すつもりか。全くけしからん奴だ…まぁ良い、今後は燈花とうかが矢を射ることもなかろう。それよりも、林太郎のやつ最近朝廷にも顔を出さずに、あちこちに武器庫を建てている。あんなに武器を集めて、謀反でも起こさぬといいが…」

 「む、謀反⁈」

 王妃が縁起でもないというような驚いた表情をして両手で口を押えた。

 「冗談だよ。あいつは賢い男だ。己の首を絞めるような愚かな行動は起こさない。こう見えても私はあいつを幼い頃から見ている。年は私の方がいくぶん上だが長年の知己だ。信頼関係があるゆえ、朝廷でのあいつの横暴な振る舞いにも目をつぶっている」

 「さようでございますか…驚かせないで下さい」

 謀反と聞いたら誰でも気が気ではない。一族の存亡に関わる一大事だから、さすがの肝が据わった王妃でも動揺するはずだ。王妃は王の冗談だとわかるとほっと胸をなでおろした。

 「では、星宿庁から連絡があり次第、また王様にご報告いたします」

 「そうしてくれ」



 それから六日が過ぎた頃、再び王妃の部屋に呼ばれた。

 「燈花とうか、急ではあるが明日再びあの巫女のもとを訪れることになった。だが朗報だぞ、今回は王様も同行する」

 王妃がニコニコしながら興奮気味に言った。

 「王様もご一緒ですか?」

 「そうだ。つい先ほど星宿庁から連絡があり、ここ数日気の巡りが良く、明日が最も安定した良い日だそうだ」

 「さようでございますか、王様もご一緒と聞き心強いです」

 そう答えたものの内心なぜか気乗りしなかった。最近立て続けに見ているあの夢のせいだろうか?私は作ったような笑みを王妃に向け部屋を出た。

 翌日私達を乗せた馬車が後宮を出発した。山代王も王妃も終始おだやかな様子だ。王は私の目の前に座ると微笑んだ。彼と外出するのは後宮に来てから初めてだったし嬉しかった。

 巫女の住む館に到着すると王と冬韻とういんの二人は戸口のそばで待ち、王妃と私、お付きの侍女の三人だけが館の中へと入った。

 館の中は相変わらず薄暗く、部屋の隅々に置かれた香炉からはモクモクと白い煙が上がっていた。前回と同様、部屋の中央に年老いた巫女が座りブツブツと何かを唱えている。手には動物の小さな骨をつなぎ合わせて作ったような数珠のようなものを握っているのが見えた。

 巫女は私を見ると再びここに座るようにと床に手を向けた。私が指示された場所に座ると、沈黙。沈黙。沈黙が続きやっと巫女は口を開いた。

 「両手をお出しください」

 私は恐る恐る両手を差し出した。前回よりも圧倒的に鋭い彼女の眼差しに背筋が一瞬で凍りついた。巫女は私の両手のひらをまじまじと見つめると、またブツブツと呪文のようなものを唱え天井に描かれた天文図を見上げた。香炉から白い煙が一気に天井に向け立ち昇り大きく円を描くようにくるくると回転し始めた。

 天文図に描かれた何百もの星達がキラキラと光りながら動いているように見える。巫女は天井を注意深く見つめながら一瞬眉をひそめると何かを捕らえたかのように、あちこちと視線を動かした。少しすると彼女は右手の親指で眉間の間に十字を書き目を閉じた。

 どうか問題なく終わってほしい。私の心臓は緊張で今にも飛び出しそうだ。

 「ふむむ⁈」

 巫女は突然目を見開き奇妙な声を上げると恐ろしいものでも見るように驚きの表情で私を見た。

 「ど、どうしたのだ⁈」

 後ろで様子を見ていた王妃が間髪入れずに巫女に向け言った。

 「お、王妃様…」

 巫女が目を見開いたまま瞬き一つせず王妃を見た。

 「どうしたのだ、運命星が見つかったのか⁈」

 「は、はい、確かにございました。あるにはあるのですが…その…」

 「それで?」

 王妃が急かすように言ったが、巫女は躊躇したのか黙って下を向いた。

 「早く申さぬか!」

 王妃が大声を出すと、巫女はゆっくりと顔を上げ王妃を見つめた。

 「僭越ながら申し上げますが、この者はこの世界に生きる者ではありません」

 王妃は一瞬呆気にとられたが

 「な、なんという虚言を!!」

と、顔を真っ赤にして激昂した。その瞬間部屋の戸がガラガラっと開き厳しい表情の山代王が部屋の中へと入ってきた。

 「巫女よ、もう一度申せ」


 「は、はい王様。今日はっきりと分かったのです。この者はこの世界の人間ではありません。そして王家の運命星に不穏な陰りがございます。この陰りは王家に災いを起こし、破滅への道と追い込むものです。よって…お娶りにならぬ方が賢明かと…」

 巫女は震える声だったがはっきりと言った。

 「クッ、なんたる戯言を…そなた、私が誰とわかって申しておるのか?王家を愚弄しておるのか?」

 「め、滅相もないことです。王様を欺くような大それた事はいたしませぬ。星の軌跡を見たまま申し上げたのです」

 「そんな虚言を誰が信じるというのだ。話にならぬ、王妃、燈花とうか、屋敷に戻るぞ。冬韻とういん、馬の用意を」

 怒りで真っ赤な顔の王妃のあとに続き部屋から出ていこうとした時だ。巫女が私を睨みながら叫んだ。

 「そなた、決して運命を変えてはならぬ!早く元の世界に戻るのだ!帰れ!」

 私の体はピタッとその場に止まった。
 
 気づかれてる…そして彼女はこの先の未来をきっと知っている…

 足がブルブルと震え出し歩くどころか、その場に立っているのがやっとだ。冷や汗が出始め頭がクラクラして意識が遠のいていくのがわかった。

 私はその場で気を失い床に倒れ込んだ。

 「と、燈花とうか⁈」

 王妃とお付きの侍女がすぐに体を起こしてくれたが体が重くてぴくりとも動かない。悲鳴を聞いた山代王が駆け付け私を抱き上げた。

 「王族に向かいなんと無礼な振る舞いだ!不敬にも程があるぞ!今後この館が存在することはなかろう」

 王は巫女にそう告げると私を抱えたまま馬車に乗り込んだ。馬車の揺れを感じすぐに意識を取り戻した。体の震えは止まりなんともない。二人は私の無事を確認すると安堵の表情を見せた。

 帰り道、王は目が合うたびに優しい表情を見せてくれたが時折眉間にしわを寄せ外の景色をじっと見つめていた。王妃は疲れ切った様子で口をへの字にしてうなだれている。後宮に着くと、王が私の肩に手を置き優しく言った。

 「燈花とうかよ、気にすることはない。たかが老いぼれた巫女の戯言だ。有能な巫女ならば飛鳥でなくともこの国のどこにでもいる。必ずそなたを娶ってみせるゆえ心配はいらない」

 私が頷くと、

 「冬韻とういん、私は王妃を寝所に連れていくゆえ燈花とうかを部屋まで頼む。燈花とうか、ゆっくり休みなさい」

 王はそう言うと青ざめた顔で足取りのおぼつかない王妃を支えた。冬韻とういんと私は軽く会釈をし、ゆっくりと並んで歩き出した。

 「燈花とうか様、気分はどうですか?」

 「えぇ、マシになったわ…」

 私が力なく答えると、

 「それにしても飛んだ茶番に巻き込まれてしまいましたね、有能な巫女だと聞いていたのですが…」

 冬韻とういんは苦笑すると横目でちらっと私を見たが、私は気が付かないふりをして黙って歩き続けた。

 「あんな戯言を言うなんて、あの巫女は気がふれたのでしょう。気になさる必要はないかと」

 私が黙ったままでいるのが気がかりなのか、彼は不安そうに私を見つめたままだ。このまま彼を山代王のもとへ帰すのはまずいと思いありったけの愛想笑いを浮かべた。

 私達はまた歩き始めた。屋敷の前に着くと彼は微笑みながらお辞儀をし来た道を戻って行った。私は部屋に入ると寝台に横たわり目を閉じた。

 あの巫女は私の未来に何を見たのだろう?私は中宮の願いを叶えただろうか?それとも巫女が危惧していたとおり歴史を変えてしまうような事をしてしまうのだろうか?

 ありとあらゆる疑問が沸き起こっている。
もう一度あの巫女に会って話を聞かないと…


 館から戻り数日が過ぎた。遅い昼食を取ったあと一人で裏庭をぶらぶらしたいとお付きの侍女に言うと、私の顔色を伺いながら付き添うのも気まずいと思ったのか、あっさりと承諾してくれた。

 そしてあの日以来刺繍の練習が免除されている。きっと私が傷心していると思った王妃の計らいだろう。刺繍をせずに済むことはありがたかったが暇をつぶすのにも少々飽きてきていた。

 私は裏庭にある池の側の石に腰かけ、水面に浮く水蓮をボーっと眺めていた。午後の陽ざしがキラキラと水面を照らし、風が吹くたびに波打つ様子が海を思い出させた。

 あぁ…海が見たい。潮風にあたりながら水平線に沈む夕日が見たい…

 なぜかそんな事を考えていた。私は平べったい小石を拾い上げると水面に向かい思い切り投げつけた。

 ふと後ろの通路から侍女達の会話が聞こえてきた。彼女らは少し先で足を止めると立ち話を始めた。池と通路の間には椿が植えられていて、それが生垣となり私の姿をすっぽりと隠していた。よって侍女達は私がここに居る事には気づいてない。私は本来盗み聞きなど興味はないが、彼女らが周りを気にしながらコソコソ話す姿が妙に気になり聞き耳を立てた。


 「ねぇ、先日の燈花とうか様の件を知っているでしょう?」

 「えぇ、気がふれた巫女の話でしょう?」

 「そう、その巫女だけど処刑されたみたい…」

 「え⁈本当に?」

 「うん…それがね…」

 気付くと私は物凄い勢いで立ち上がり、侍女達の行く手を阻むように目の前に立ちふさがっていた。

 「ちょっと、あなた達、今の話は?」

 侍女たちは突如現れた私の姿に驚いたのか、手に持っていた桶を落とし急にもじもじと口ごもった。

 「え⁈いやっ、その…」

 「聞こえたわよ、詳しく話して頂戴」

 二人が上手くこの場を誤魔化して去って行く気がして、自分でも信じられないほど強く言ってしまった。

 「はい…」

 私の高圧的な態度に逃げられないと思ったのか一人の侍女が観念したように口を割って話し始めた。

 「先日燈花とうか様がお会いされた巫女ですが、王様の逆鱗に触れたようで処刑されたみたいなのです。星宿庁に勤める友人からの証言なので間違いないかと…」

 「…そう、わかったわ」

 私は二人に行っていいと命じたあとトボトボと歩き始めた。

 信じられない…あの巫女が処刑されたなんて…どうしよう、本当であれば私のせいだ…確かめないと。私はすぐに王妃のもとに向かった。
 王妃の屋敷に着くとすぐに部屋へと案内された。部屋の中では上機嫌の王妃と侍女が笑いあっている。王妃は私の姿を確認すると、

 「燈花とうかよ、良い時に来てくれた。ちょうど呼ぼうと思っていたのだ。座りなさい」

 と言い、侍女を席から外し茶を持ってくるように命じた。私は挨拶をしたあと彼女の前に座ったものの、屈託のない笑顔を向ける王妃にさっきまでの意気込みは完全に消えてしまった。なかなか話を切り出せずにいると、ありがたい事に王妃が先に口火をきった。

 「実は、近江皇子おうみのみこの計らいで西国にいる有能な巫女を呼び寄せる事になった。恐らく十日もしないうちに都に着くであろう。その時に合わせ成婚祝いの宴も盛大に行うつもりだ。伎楽の少年達も集め華麗な舞を披露してもらう」

 王妃が興奮した様子で手を叩いた。

 「…はい」

 私が王妃の熱気とは真逆のテンションで答えた事に拍子抜けしたのか、彼女はポカンと口を開けている。

 「どうしたのだ?浮かぬ顔であるな。嬉しくないか?まぁ、ここ最近はそなたも気分が悪かっただろうし…けれど、もうしばしの辛抱だ」

 私は黙ったままうつむいた。

 「ど、どうしたのだ?具合でも悪いのか?」

 「いっ、いえ、そうではないのです。宴の話を聞きとても嬉しいですし、王妃様や王様の配慮にとても感謝をしております。ただその前に一つ確かめたい事がありまして…」

 私はこの間、何度も尋ねるのを止めようかと悩んだが、どのような真実であろうとも受け入れなければと覚悟を決めた。

 「確かめたい事?」

 王妃が眉をひそめた。

 「はい、先日会った星宿庁の巫女の事で確認したいのです」

 「あぁ、あの巫女であるか…」

 王妃の表情が曇ったのを見た瞬間、やはり彼女は真実を知っていると確信し話を切り出した。

 「処刑されたと聞いたのです」

 「な、なぜそれを⁈」

 王妃は驚いた表情で言うと目をキョロキョロとさせ視線を逸らした。

 「偶然侍女達が裏庭で話しているのを聞いたのです。誠でございますか?」

 王妃は困惑した表情をしながらも口を開いた。

 「そ、それは当然なことだ…」

 彼女が答えた瞬間に部屋の戸が開き桂花茶の甘い香りが一気に部屋の中に立ち込めた。戸の横には茶を持った侍女と隣には山代王が立っていた。

 「お、王様!!」

 王妃は慌てて立ち上がると王を部屋の中へと案内した。私も立ち上がり挨拶をした。

 「王妃よ、待たせたな」

 山代王はちらっと私を見ると静かに座った。

 「王妃よ、話の途中ですまぬが燈花とうかと二人きりにしてくれぬか?」

 「承知しました」

 王妃はそう言うと部屋を去った。

 「燈花とうかよ、座りなさい」

 私は黙ったまま彼の前に座った。まさかこのタイミングで彼に会うとは思っていなかったが仕方がない。きっと私と王妃の会話は全て聞かれているだろうし、本来なら王の口から聞くのがスジというものだ。私は覚悟を決め彼を見つめた。彼は軽くため息をつくと、茶を一口飲み話し始めた。

 「そなたが聞いた通りだ。あの巫女は王家に対する不敬の罪で処罰された」

 やっぱりそうか…私は大きく深呼吸をしたあと彼を見た。彼の目は落ち着いていてどこまでも深く澄んでいる。ここで引き下がれたらどんなに楽だろうか…私はもう一度こぶしを握りしめた。

 「しかし、あの者の言葉は命を持って償うほどのものでございましたか?」

 「あの巫女はでたらめな虚言を吐きそなたを侮辱した上、王家を混乱に陥れた。当然の報いだ。そなたも不快であったはず、この世の者ではないなど、なんたる戯けた事を…そなたが王家に災いをもたらすとまで言ったのだぞ。今思い出しても腹が立つ…」

 彼は顔を歪ませると唇を噛んだ。彼は王家一族の威厳と私を想って判断されただけのこと。でも一人の命を私のせいで奪ってしまった…これでいいのだろうか?こうするしかないのだろうか?私は突き付けられた運命を目の前に罪悪感に押しつぶされていた。彼は私の前に来ると優しく手を握った。

 「なれど燈花とうかよ、安心せよ。西国より有能な巫女を呼び寄せている。最初の掲示された吉日にそなたとの婚儀を執り行う。何者にも邪魔はさせない」

 そう言うと私の体を抱き寄せた。

 「私の至らぬせいで、そなたを不安にさせてしまいすまぬ。もう少しの辛抱だ。近く正式な夫婦になれる日が訪れよう…」

 彼は更に強く私を抱きしめた。私は複雑な気持ちのままただ黙って身を預けた。
 王妃が部屋に戻り私達は何もなかったかのようにもう一度入れなおされた熱い茶を飲んだ。二人は十日後に催される祝宴の話を夢中でしている。主に誰を呼んで誰を呼ばないという会話だが、そもそも大臣の名も有名豪族らも知らない私はなんとなく居心地が悪くて、しばらくして席を外した。王は屋敷の戸口まで付いて来ては部屋まで送っていくと引かなかったが、どうしても一人で歩きたくて丁重に彼の申し出を断った。

 外は薄暗く空はどんよりとした雲で覆われている。王妃の屋敷には突発的に来たのでお付きの侍女は居ない。予想通り屋敷を出てすぐに雨がポツポツと降り出した。にしても久しぶりの雨だ。

 本来なら雨に濡れるのなんてまっぴらごめんだが、この日はずぶ濡れになりたくてわざと顔を上げながら歩いて帰った。徐々に雨あしは強くなり部屋に着いた時には全身ずぶ濡れだったが、それでも気分は良かった。

 「と、燈花とうか様どうされたのです!」

 案の定ずぶ濡れの私を見て莅用りようが慌てふためいた。彼女は私を部屋の中に入れると侍女達に着換えを用意させ、びしょびしょになった体を乾いた布で丁寧に拭いてくれた。私は乾いた服に着替えると寝台に転がり目を閉じた。まだ髪は濡れていたが夏だし全然気にならなかった。目を閉じながら自分に暗示をかけるように言い聞かせた。


 王様は私の為と思い行動されただけのこと…

 部屋の中はザーザーバチバチバチと雨が激しく屋根や地面を打ち付ける音が鳴り響いていた。


   また同じ夢を見ている…

 「い、行かないで…駄目よ!!ダメ!!」

 いつものように自分の声に飛び起きた。

 「燈花とうか様!!大丈夫でございますか⁈」

 部屋の外から莅用りようの叫び声が聞こえた。部屋の中が暗い、もう夜なのだろう。ここ最近は以前よりも増して頻繁にこの夢を見るようになった。しかも毎回夢の全貌が明らかになり目覚めた後もはっきりと記憶に残るようになった。

 あの後ろ姿…もう少しで手が届きそうなのに…  あぁ…頭が痛い…寒いわ…

 意識が朦朧としていくのが分かった。雨が降り続けているのだろうか?夏だというのに寒くて仕方がない、夏の雨がこんなに気温を下げるだろうか…

 すぐに背筋に悪寒がはしり体中がブルブルと震え出した。慌てた様子で部屋に入ってくる莅用りようがぼんやりと見える。彼女の冷たい手が額に触れそのまま意識が遠のいた。

 「燈花とうか様!大変お熱が!…誰か!誰か!」

 莅用りようの叫び声が聞こえる。何度か目が覚めるもののひどい頭痛と石のように重い体は全く動かない。朦朧とした意識の中、時折誰かが布で体を拭いてくれるのだけが分かった。

 「まだ医官は来ぬのか!燈花とうかしっかりするのだ」

 私の手を握り心配そうな山代王の顔がうっすらと見えた。疲れが出たのだろうか?風邪をこじらせたのだろうか?それとも何かの報いだろうか…

 一日中医女が何度も部屋を訪れては脈をとり薬を飲ませてくれた。私は寝ている間ずっと誰かと海辺を歩き沈む夕日を眺めている夢を見ていた。

 チュンチュン、チュンチュン

 鳥のさえずりで目を覚ました。朝日が部屋の中をキラキラと照らしている。眩しくて再び目を閉じた。

 「莅用りよういる?水を頂戴…」

 喉がカラカラですぐに水が飲みたかった。

 「燈花とうか様!お気づきですか⁈お水ならこちらにございます」

 莅用りようの声に違和感があったが新しい侍女でも入ったのだろと思い彼女に体を預けた。渡された水を飲み干すと一気に体中に沁み渡った。

 「はぁ…生き返った…ありがとう…」

 見上げた先に、目を真っ赤に腫らした小彩こさの姿があった。

 「小彩こさ?…夢?…」

 「燈花とうか様、夢ではございません!!私でございます!」

 小彩こさは私の手を両手で強く握ると、わんわんと泣き始めた。

 「小彩こさなの?本当に?」

 まだ熱があるのだろうか、頭がポワンとしていてとても信じられない。彼女は泣きじゃくりながら何度もうなずいた。少しだけオーバーリアクションな彼女を見て小彩こさで間違いないと確信した。

 「何故ここに?」

 私が力なく尋ねると、

 「あとでお話ししますので今、医官を連れてまいります」

 と、言い部屋を飛び出した。彼女が去るとすぐに医官と医女が部屋の中に入ってきた。彼らの後ろに心配そうに佇む山代王の姿が見えた。

 「王様…」

 「燈花とうか、構わぬゆえ横になっていなさい」

 山代王がそう言うと、医官が私の手首を持ち脈を取った。

 「どうだ?」

 「はい、熱も下がり脈も安定しておりますし、もう大丈夫かと…」

 「そうか、良かった」

 彼は胸をなでおろすと私の両手を握った。

 「今後は体力回復のための滋養強壮の薬をご用意いたします」

 医官の男はそう言い部屋を出て行った。

 「燈花とうか、私がわかるか?」

 「はい」

 「良かった。そなた実に六日も意識がなかったのだぞ。どの薬草を煎じても針を刺しても熱が下がらずに心配した。気分はどうだ?」

 「六日もですか?そうですか…まだぼやっとしていますが、だいぶ楽になりました」

 「良かった」

 山代王が微笑んだ。きっと相当心配させてしまったのだろう、彼の少しこけた頬と無精ひげを見て心が痛んだ。

 「では、また参るゆえゆっくり休みなさい」

 彼は安心した表情を見せると部屋を去った。

 しばらくすると小彩こさがお盆を持ち部屋の中へと入ってきた。お盆の上の小鉢からゆらゆらと湯気がたっている。彼女は慎重に寝台横の椅子に座ると、口を尖らせフーフーと器の中身を冷まし始めた。

 「フフッ小彩こさ…この光景久しぶりだわ」

 懐かしさと嬉しさで吹いてしまった。

 「だって燈花とうか様お熱いのは苦手でしょう?」

 小彩こさが口を尖らせた。

 「…小彩こさ

 「さぁ、冷めましたのでどうぞ、燈花とうか様の好きな桃粥を作ってまいりました」

 見ると小さな器のなかに乾燥した薄いピンク色の桃の花びらが浮いていてほのかに桃の香りがした。なんて温もりがあるのだろう…自然と涙が溢れた。

 「さ、燈花とうか様、早く元気になって欲しいので沢山食べて下さい」

 私は涙を拭いながらありがとうと言い、ゆっくりとお粥を食べ始めた。

 「美味しい…」

 私は心の底からこの言葉を放った。後宮の豪華な食事よりもずっと美味しく感じた。

 「良かった、久しぶりに作るので上手く出来る自信がなかったのです。それにしてもここの厨房は立派ですねぇ、驚きました」

 小彩こさが目を丸くしながら興奮気味に言った。その姿に再び吹いたあと、なぜここに居るのかと改めて尋ねた。

 「はい、実は二日前に冬韻とういん様が橘宮たちばなのみやにお越しになられたのです」

 「冬韻とういんが?」

 「はい、夜明けと共にいらして、すぐに荷物をまとめて後宮に来て欲しいと言われたのです。そこから急いで支度をして馬車に乗り込みました。後宮に着くとすぐ王妃様よりお話があり、病気の燈花とうか様にお支えするようにと命じられました。微力ですが精一杯お仕えいたします」

 彼女の優しい心を知れば知るほど申し訳なくて心が痛んだ。

 「いつまでもあなたに迷惑をかけてしまって情けないわ…」

 「とんでもない!私は毎日寂しくて…でもこれからは燈花とうか様のお側でお仕えできるのでとても嬉しいです」

 私の心配とは反対に彼女が満面の笑みで答えた。

 「え?これからも私と共にこの後宮で暮らせるの?」

 「さようでございます!!」

 小彩こさの人生を奪っているようで気がひけたが、彼女の喜びはしゃぐ姿を見てこれでいいのだろうと素直に受け入れた。

 彼女が来て以来みるみる体調も良くなり塞いでいた気持ちも明るくなった。王も何度も見舞いにやってきては私の体調を気にかけてくれた。

 「燈花とうか様、王様から大変なご寵愛を受けられているのですね」

 王が帰る度に小彩こさが肩をすくめて言った。

 「そうね。ありがたい事だわ」

 私は照れながら笑って答えた。

 数日たちまだ完全に体調が回復したわけではなかったが早くお礼がしたくて王妃のもとを訪ねた。

 「王妃様にご挨拶申し上げます」

 「燈花とうか久しぶりだな、体調はどうだ?」

 久しぶりに見る彼女は少し痩せてしまったようにも感じたが、優しく微笑む姿は相変わらず美しかった。

 「はい、だいぶ良くなりました。すぐにでも王妃様にお礼を申し上げたくやってまいりました」

 「無理をしてはならぬのに…なれど、そなたの笑顔が見れて実に嬉しいぞ。茶を用意するゆえ、さぁ、そこに座りなさい」

 「はい」

 茶が運ばれると部屋の中が一気に花の香りで充満した。

 「王妃様、此度は王妃様の計らいでまた小彩こさと共に暮らすことが叶いました。お心使いに感謝申し上げます」

 私は深く頭を下げた。

 「水臭いではないか。そなたこそこの後宮に来てから、心休まる日が少なったのではないかと反省している。小彩こさを呼び寄せたのは莅用りようから申し出があったからだ。本来外部から采女うねめを受け入れるのは掟に反するが、莅用りようの強い希望だ。話によるとそなた夜な夜な悪夢にうなされているそうではないか」

 私は驚きうつむいた。

 「なぜもっと早く言わぬのだ。悪夢を見るのはだいぶ前から始まっていたそうではないか」

 「…はい」

 「決まり事や制約の多い後宮暮らしに慣れるには誰でも時間がかかる、東国より参ったそなたであれば尚更であろう。慣れぬ環境に疲れが出た上に、婚儀の日取りも決まらず気を揉んだはず。こちらこそ気遣いが足りず済まなかった」

 王妃が申し訳なさそうに言った。

 「とんでもないことでございます。後宮での何の不自由もない暮らしに心より感謝しております」

 「謙虚で奥ゆかしいところがそなたの最大の美徳だな。そうそう、明後日には西国の巫女が到着するらしい。朝廷の大臣や大連、地方の豪族も呼び盛大な宴を催すゆえ楽しみにしていなさい」

 「はい」

 「あっ、それと、小彩こさが持参した生薬がそなたの体にピタリと合ったようで熱が下がり始めたのだ。私に代わり礼を伝えておくれ」

 「さようでしたか、承知いたしました」

 私はもう一度王妃に感謝の言葉を伝え部屋をあとにした。


 「燈花とうか様、お戻りになられたのですね」

 部屋の中で小彩こさが花器の水を変えながら微笑んだ。なんて安心する光景なのだろう…不思議な気分だ。

 「ねぇ小彩こさ最近私の夢見が悪いこと聞いた?」

 「…はい、存じております」

 彼女はためらいがちに答えた。

 「そう…ゆえに夜は必ず私の側で寝ているのね、この新鮮な花も部屋に置かれた果実の香りもあなたの気遣いね」

 「はい、少しでも燈花とうか様のお力になりたくて…」

 と照れくさそうに笑うと鼻をすすった。

 「何から何まで心配かけて悪いわ」

 「いえ、燈花とうか様にまたお仕えできるなんて、私の方こそ夢のようでございます」

 「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」

 私は彼女に近寄ると手を取った。そして、今後彼女が窮地に陥った時には必ず助けると、固く自分の心に誓った。私に見つめられた彼女は顔を赤らめうつむいた。

 「それにしても燈花とうか様のお部屋はいつも季節の花が用意されていて明るくて華やかで美しいですね。それに、とっても良い香りがします。これが王族の暮らしなのですねぇ…」

 小彩こさがため息まじりに部屋の中を見回した。

 「そうね、食事も豪華だし衣も質が良くて美しいものばかりよ」

 「はぁ…宮廷にも引けをとらない夢のような暮らしですね」

 小彩こさが手に取った衣をうっとりと見つめながら大きく息を吐いた。

 「けど…自由に出かけられないし、野草を摘みに行くことも馬に乗る事も矢を射ることもない…」

 「燈花とうか様ったらまだそのような事をおっしゃっているのですか?こんなに優雅で贅沢な暮らしはこの国のどの宮に行ってもありませんよ。何よりも愛する人のお側にいられるのですから、それだけで十分幸せなことでございます。違いますか?」

 「そうね…その通りだわ」

 彼女の言う事は最もなのだが、何か物足りない気がしていた…それともただのないものねだりだろうか?

 花器に生けられた花の香りを一つ一つクンクンと嗅いで回る小彩こさに、王妃から彼女に伝えるように言われた言葉を思い出した。

 「そういえば、王妃様があなたにとても感謝していたわ。なんでもあなたの持ち込んだ薬がすごく効いたみたいで、私の熱が下がったとおっしゃっていたの。私からもお礼を言うわ」

 私は彼女に向かい頭を下げた。

 「や、やめてください!あっ、あっ、あれは」

 小彩こさは慌てて私の体を起すと気まずそうに下を向いた。

 「どうしたの?」

 「…実はあの煎じ薬ですが…以前に林臣りんしん様より渡されたものなのです」

 そう言うと、袖の下からゴソゴソと薄紫色の絹の小袋を取り出し私の手のひらに乗せた。

 「林臣りんしん様が?」

 「はい、実は斑鳩宮いかるがのみやで偶然林臣りんしん様にお会いしたんです。その時に万が一燈花とうか様がご病気された時に使うようにとこれらの生薬を渡されました。今回、鎮痛用に少量のウズを使いましたがそれも医官の玖麻くま様が調合したものだから、安心して使用していいと言われました。その他にも高句麗から取り寄せた人参や生薬も少し使用しました」

 高熱の中だったけど煎じ薬に葛根や人参が含まれていることはわかった…頭が割れるような痛みが急に楽になったのはトリカブトのおかげだったのね…

 私は小彩こさから渡された生薬の入った小袋を見つめた。
 「そう…林臣りんしん様とは最近お会いした?」

 「いえ、斑鳩宮いかるがのみやでお会いしたのが最後です」

 「そう…とにかくお礼を言うわ、ありがとう」

 私は再び小袋に目を向けた。橘宮たちばなのみやの前ですれ違った時に顔色ひとつ変えず涼しい顔をしていた林臣りんしんを思い出していた。

 「そういえば燈花とうか様、今日は後宮の侍女達がみなせわしなく働き落ち着かない様子ですが何かあるのですか?」

 「そうなの。明後日に大きな宴が王様の屋敷で開かれるのよ、婚儀の日を正式に決めてもらうのに近江皇子おうみのみこ様のつてで西国から有能な巫女を呼び寄せてるの」

 「さようでございますか?」

 小彩こさが目をキラキラとさせた。

 「でも先日の件もあるしどうなるかしら…」

 私が不安気に答えると、

 「大丈夫ですよ。きっと良い吉日を示されます」

 と言い満面の笑みを浮かべた。そして病気回復料理を作ると意気込み、袖をまくり上げると意気揚々と部屋を出ていった。

 私はウキウキと軽やかな足取りで厨房へと向かう彼女を見送ったあと窓辺にもたれた。

 どこからか侍女達のはしゃぐ声が風に乗って聞こえてくる。私は小さなため息をつき渡された小袋を強く握りしめた。
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