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第十九話
空白の十三年
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ホーホケキョ、ケキョケキョ、チュンチュン…外から賑やかな鳥達のさえずりが聞こえる。春の穏やかな陽射しが部屋中に広がっている。
ゆっくり体を起こすと、桜の花びらが一枚ぽとりと床に落ちた。
拾い上げた花びらを見つめ昨夜の事を思い出した。ここ数日間で起こった出来事全てが真実なのだ。あの日、中宮に会ったのを最後に二度目のタイムスリップをし再び十三年という時を超えてしまった。
あの夜、中宮は私に何か伝えようとしていたが彼女の居ない今、それが何なのかを具体的に知るすべはない。複雑に絡まり合った紐をほどいていくのに相当な勇気と覚悟が必要になるだろうと、とてつもない不安に襲われ胸を押えた。
あれ?…何かが胸に当たっている…はっと思い出し急いで取り上げた。首から下げた紐の先にあるもの…そう、翡翠の指輪だ。以前山代王が友の証にと贈ってくれた大切な物だ。緑色に美しく輝く指輪は山代王との思い出を一瞬でよみがえらせた。山代王のあどけない笑顔を思い出し胸がきゅんと痛んだ。
どうされているだろうか、、、、、。
しばらくすると、戸の向こうから小彩の明るい声が聞こえた。
「燈花様、お気づきになられましたか?」
「えぇ…」
そう答えると小彩は戸を開けヨイショヨイショと、水を張った桶を足元に置いた。
「燈花様、どうぞお顔を洗ってください。昨日からずっとお顔に泥がついたままです」
「えっ?」
私は慌てて両手で顔をおさえながら戸口に行き、桶の水に映る自分を覗き込んだ。確かに額にも頬にも乾いた泥がついている。でも、そんなことよりも自分の顔がもとの27歳に戻っている事に驚いた。
まぁ、もとの姿に戻っただけだからなんの違和感も感動もないが、小彩は美しい佇まいの大人の女性へと変わっている。十三年という月日の長さを改めて感じた。
「燈花様、ご気分はどうですか?」
「ありがとう、だいぶ良いわ」
「さようですか、安心いたしました」
顔を洗い終え部屋の中へと戻ると小彩が茶を淹れてくれた。桂花茶だろうか、金木犀の良い香りが部屋中に漂いとても気分が良い。
昨日の事をうまくごまかさないと…
「…昨日は取り乱してしまい悪かったわ。私きっとまた気を失った時に頭でも打ったのね…今はまだ混乱しているけれど、じき良くなると思うわ」
「そうですよ、この十三年間の都での出来事は私が全てお話いたしますので、安心してください」
小彩が答えた。本当は彼女には包み隠さず真実を伝えたかったが、また別の機会にと思い踏みとどまった。
「ありがとう。あなたが側にいてくれてどれだけ心強いか…でも、もう十三年の時が過ぎたのだからあなたもご家族があるのでしょう?」
この時代であればほとんどの場合十代半ばで嫁ぐはず…もう私の世話をしてもらう訳にもいかない…
「実はそれが…そのぉ…」
小彩は少し顔を赤らめると何ともバツが悪そうにうつむいた。
「…お恥ずかしながら実は未だに…誰にも嫁いでおりません」
小彩は指で頬をかきながら、苦笑いをした。
「えっ?なぜなの?あなたのように器量よしなら沢山の結婚の申し出があったはずでしょ?」
「はい…良い縁談話を幾度か頂いたのですが…身勝手ながら私の心が動かなかったのです」
小彩はそう言うと手を胸に当てため息をついた。この時代、宮中で働く采女以外のいかなる女性も嫁ぐものだと思っていたのでこの報告にはかなり驚いたが、もしかしたらと思い、尋ねてみた。
「誰か他にお慕いしている方がいるの?」
「そ、そ、そのような方はおりません…」
と慌てて手を横に振り否定したが、目をパチパチさせながら顔がほんのりと赤く染まったのを見逃さなかった。
そうよね、好きな人の一人や二人くらいいるに決まってる…
「でも、一人では生活が苦しいのでは?この先心配だわ…」
私が母親のようにため息まじりに言うと、
「失礼を承知で申し上げますが…燈花様もまだお一人なのでは…?」
と即座に言い返し、いたずらそうに目を細め私の顔をジッと見た。
「あぁ!そうだった!」
すっかり自分の事を棚に上げ忘れていたが、すぐに山代王の顔がぼんやりと浮かんだ。
「燈花様にまたお仕え出来ますし、私はとても幸せです」
「ありがとう、私も嬉しいわ」
実は小彩が一人だと聞き内心ほっとした気持ちもあった。この先もし壮絶な人生が待っていたらとても彼女の助けなしでは生きていけない。
「それにしても燈花様は十三年前とあまり変わらないのでございますね、誠に不思議でございます。東国には不老不死の妙薬でもあるのでございますか?」
「そ、そんなものはないわよ、私だって年を取ったわ…」
「全然そのようには見えません、とってもお美しいです」
確かに今朝、元の自分の顔に戻ったのを確認したが、もともと老け顔のせいか少女時代も今現在もあまり変わっていない…皆がすぐに認識するわけだ。
突然ぐぅ~っとお腹が鳴った。
「燈花様、まずは腹ごしらえですよ。昨日からまだ何も召し上がってないでしょう?お粥を今お持ちしますね。食後は少し裏庭を散策いたしましょう。金木犀の花がとても良い香りなのです」
「ありがとう、楽しみだわ」
小彩はニコッと笑うと部屋をあとにし、すぐにお粥を運んできてくれた。まだ湯気の出ている温かなお粥の上に桜の花びらが一枚浮かんでいた。
食事を済ませると早速二人で裏庭の散策へ向かった。小彩の言った通り金木犀の花が満開だ。風が吹くたびに甘い香りに包まれた。
肝心要の事を聞かなければと思い翡翠の指輪を握りしめた。そう山代王のことだ。なぜか小彩はそのことについて何も触れてこない。
いつもの東屋に移動し石に腰かけ飛鳥の都を見渡した。私にとっては数日前だが十三年たった今も都の建物は朱色に輝き美しいままだ。
「あれは、何?」
香久山の後方にうっすらと高い塔が見えた。
「あの塔は田村皇子様が建立されている百済大寺でございます。九重塔の予定ですが不運な事に何度も火事に遭い、未だ完成していません…」
「田村皇子?」
「さようでございます」
「…そう」
田村皇子は舒明天皇のことだ。
「田村皇子様も数年前から病を患っておいでで、昨年伊予の国に湯治に行かれ数か月ご滞在されたあと、飛鳥にお戻りになられたのですが、体調が優れず床に伏されているそうです」
「そう…」
確か舒明天皇も彦人皇子の子息だったはず…敏達天皇の孫にあたる方…
あれ?今って何年なのかしら⁉︎
推古天皇が亡くなったのが確か628年。そこから13年後っていうと、今は…641年?642年?そのあたりだわ…大化の改新が645年だから…
急に寒気がし体がガタガタと震えだすと指先も血が通っていないかのように冷たくなった。
「燈花様寒いですか?まだ春先なので底冷えしますね、今熱いお茶をお持ちいたします」
「ありがとう、小彩」
小彩が戻ってくるのを待ちながら考えていた。やはり十三年の月日が経っているのは間違いない。遠くにそびえ立つ百済大寺は舒明天皇の発案だ。歴史書にもそう書いてあった。でも、いったいここで何をするべきなのかがさっぱりわからない… そうだ思い出した…あの夜、中宮が最後におっしゃった事…
「どうか、あの子達を助けて欲しい」
確かにそう言った…私にしかできないって…でもそんな、一体誰を助けろというのかしら…仮にわかったとしても私には何の力も地位もない。助けられるはずないのに…
「燈花様、お待たせいたしました」
小彩は運んできた茶器を石の台の上に置くと、お茶を注いだ。いつもよりも熱い茶に口をつけると思わず涙が溢れた。
「燈花様、だ、大丈夫でございますか?」
驚いた小彩が慌てて手巾を取り出し手の上に置いてくれた。見ると手巾の端には小さな橘の刺繍が施されている。
「この手巾…」
「そうですよ、以前に中宮様が私達の為に縫ってくださったものです。十三年前に燈花様が急に東国に帰られたので、またお会いする日までと思い私が預かっておりました。丁度今日お返しすることができて良かったです。あっ、あとこれも…」
小彩はまた袖の下に手を入れゴソゴソすると小さな包みを慎重に取り出した。そっと開けると包みの奥がきらりと光り、中から赤瑪瑙の簪が現れた。もともとは髪留めだったが、林臣の手に渡り手直しされた後、簪として生まれ変わったものだ。
「深田池の畔で倒れている燈花様のそばに落ちていたそうです。金具の部分が少し壊れていたので、六鯨様に頼んで直してもらっておりました」
「…この髪留めは我が家で先祖代々から受け継いでいるものなの…詳しくは知らないけどお守りのようなものね。見つけてくれてありがとう、大切なものよ」
そう言い、簪を見つめた。
この髪留めは私と一緒に時を超えてきた。手元に戻ってきたのはこれで二度目…一度目は北山で失くし林臣様が見つけて戻った。今回も私のもとへと戻った。何か重要な意味があるのだろうか…
ふと桃原墓で会った林臣の事を思い出した。腕の傷は治っただろうか…。
「燈花様?燈花様?」
「はっ、何?」
思わず大きな声で返した。
「大丈夫ですか?何か思い出されましたか?」
「ううん、もっと昔の事をなぜか思い出していたわ…」
「そうですか…あの…ずっとお尋ねになりませんが、私からはその…お話しづらくて…」
小彩が困った表情を浮かべチラチラとこちらを見ながら口ごもっている。その姿を見た瞬間、何を言いたいのかがわかった。
勇気を出して聞いてみないと…いつまでもこの話題から避けてはいられない…
私は覚悟を決めて話を切り出した。
「私も今日になり、気持ちが落ち着いてきたの。そこで、聞きたいのだけど…山代王様は…」
緊張でつばをごくりとのんだ。
「はい…正直に全て申し上げてもよろしいですか?」
小彩は確認するように私の顔を一度見ると神妙な面持ちで言った。
「えぇ、もちろんよ」
私が深く頷いた事に安心したのか、堰を切ったように小彩がこの十三年間の出来事を話し始めた。
「実は大変な日々でございました。燈花様が東国に急にお帰りになって山代王様は毎日毎日大荒れでございました。毎日のように小墾田宮を訪ねては、東国に行かせて欲しいと懇願されました。しかし、中宮様は断固としてそれをお許しにならなかったのです。随分と中宮様も事情を説明し説得をされたのですが、聞く耳をもたず自暴自棄になり毎日大量のお酒を飲んでおられました」
そ、そ、そんな…どうしよう…真実は言えないし困ったわ…
「で、その後の山代王様のご様子は?」
「はい、茅渟王様や王妃様に励まされ、なんとか少しずつ本来の山代王様にお戻りになられました…その後中宮様がお亡くなりになり、喪が明けたのち…阿部家のご息女の紅衣様を正室としてお迎えしたのです。茅渟王様や王妃様も大変お喜びになって、それはそれは盛大な宴でした」
小彩がバツが悪そうに私を見た。
「いいのよ私に遠慮することはないわ。阿部家の紅衣様の入宮は初めから決まっていた事だったもの…」
そうは言ったものの胸の奥がキュンと鳴った。心は正直だ。きっとこうなる運命だったのだろう…紅衣様とは一度小墾田宮ですれ違った事がある。あの時はまだ幼い少女の面影だったが今はもう立派な女性のはずだ。きっと子にも恵まれているのだろう…。仕方がなかったのだと何度も自分に言い聞かせた。
小彩はすっかり冷めたお茶を一気に飲み干すと話を続けた。
「実は数年前にも大伴家のご令嬢である白蘭さまを側室として娶っておいでです。両家とも古くからの名家ですので、財力名声共に申し分ありません。今や飛ぶ鳥も落とす勢いで山代王様の朝廷での権力は絶大です。しかし…」
急に小彩は顔色を変えると、そのまま黙ってしまった。
「…そう、もう立ち直って何年にもなるのね。今は立派な家庭もおもちのようだし、朝廷の重鎮で権力者でもある。十三年前の出来事は仕方なかった事だけど、今となっては私が入る余地はなさそうね。それに、どんな顔をしてお会いすれば良いかもわからないし…明日は茅渟王と王妃様にご挨拶とお詫びを申し上げにゆくわ」
「えっ?燈花様?ま、まさか大王様の事もご存知ないのですか?」
小彩は驚いた表情をして顔をこわばらせた。
「茅渟王様がどうかされたの?」
「燈花様が東国にお帰りになった数年後にお亡くなりになられました…」
「えっ?…そんなわけ…十分に若かったじゃない!何故なの?」
「私も詳しくは存じ上げませんが急な病で突然亡くなられたのです。ただ一つ気になる噂がありまして…あくまでも噂なのですが…」
小彩は少しためらった後、両手で口を囲み小声で言った。
「…何者かに毒を盛られ殺害されたかもしれないと…」
「えっ?殺された…?」
「真偽のほどはわかりませんが、都では長い間その噂が流れておりました」
「そんな…」
茅渟王との出会いから冬の行幸先での出来事などが鮮明によみがえった。別れの挨拶もお礼も言えなかった…涙が溢れ頬を伝った。
「しばらく山代王様も悲しみに打ちひしがれておいででした。あれほど仲の良いご兄弟でございましたので…。その後、急に山代王様のお人柄が変わられたのです…なんというか…申し上げにくいのですが…権力と武力を執拗に求めるようになり…以前とは別人のようです。きっと何かご事情があるのでしょうけど、昔のあのあどけない温厚な山代王様はもう見られないかと…」
「…そう」
とても気が動転していたが静かに頷いた。
「今は橘宮の使用人達に、燈花様のお戻りを内密にするように口封じしておりますが、都は狭く宮に出入りする行商達も多いので、燈花様の都へのお戻りが知れ渡るのも時間の問題かと…。どういたしましょう…」
小彩困惑気味に言った。
「そうね…とりあえず成り行きに身を任せるわ。縁があれば山代王様とも再びお会いすることになるはず…」
時間も忘れ長く話し込んでいたせいか気づいた時にはもう陽はだいぶ西に傾き空は薄暗かった。
「燈花様、春になったとはいえ夕暮れ時はまだまだ冷えこみます、そろそろ部屋に戻りましょう」
「そうね、…もう少ししたら戻るわ。先に行っててくれる?」
「承知しました、竈に薪をくべておきますね」
「ありがとう…」
ひんやりとした春の風が吹き始め、どこからともなく桜の花びらが飛んできた。
「中宮様と共にこの桜を愛でたかったわ…」
手のひらを上に向け花びらをすくおうとしたが、指の間をスルスルとすり落ちた。
この時代に留まっているのには、やはり何か大きな意味がある…中宮様の想いを果たす為にもこの飛鳥の地を去る事はできない…覚悟を決めないと…
胸がザワザワと騒めいたが、不安を打ち消すように目をつむると、首にかけてある翡翠の指輪をぎゅっと握りしめた。
山代王様…
ゆっくり体を起こすと、桜の花びらが一枚ぽとりと床に落ちた。
拾い上げた花びらを見つめ昨夜の事を思い出した。ここ数日間で起こった出来事全てが真実なのだ。あの日、中宮に会ったのを最後に二度目のタイムスリップをし再び十三年という時を超えてしまった。
あの夜、中宮は私に何か伝えようとしていたが彼女の居ない今、それが何なのかを具体的に知るすべはない。複雑に絡まり合った紐をほどいていくのに相当な勇気と覚悟が必要になるだろうと、とてつもない不安に襲われ胸を押えた。
あれ?…何かが胸に当たっている…はっと思い出し急いで取り上げた。首から下げた紐の先にあるもの…そう、翡翠の指輪だ。以前山代王が友の証にと贈ってくれた大切な物だ。緑色に美しく輝く指輪は山代王との思い出を一瞬でよみがえらせた。山代王のあどけない笑顔を思い出し胸がきゅんと痛んだ。
どうされているだろうか、、、、、。
しばらくすると、戸の向こうから小彩の明るい声が聞こえた。
「燈花様、お気づきになられましたか?」
「えぇ…」
そう答えると小彩は戸を開けヨイショヨイショと、水を張った桶を足元に置いた。
「燈花様、どうぞお顔を洗ってください。昨日からずっとお顔に泥がついたままです」
「えっ?」
私は慌てて両手で顔をおさえながら戸口に行き、桶の水に映る自分を覗き込んだ。確かに額にも頬にも乾いた泥がついている。でも、そんなことよりも自分の顔がもとの27歳に戻っている事に驚いた。
まぁ、もとの姿に戻っただけだからなんの違和感も感動もないが、小彩は美しい佇まいの大人の女性へと変わっている。十三年という月日の長さを改めて感じた。
「燈花様、ご気分はどうですか?」
「ありがとう、だいぶ良いわ」
「さようですか、安心いたしました」
顔を洗い終え部屋の中へと戻ると小彩が茶を淹れてくれた。桂花茶だろうか、金木犀の良い香りが部屋中に漂いとても気分が良い。
昨日の事をうまくごまかさないと…
「…昨日は取り乱してしまい悪かったわ。私きっとまた気を失った時に頭でも打ったのね…今はまだ混乱しているけれど、じき良くなると思うわ」
「そうですよ、この十三年間の都での出来事は私が全てお話いたしますので、安心してください」
小彩が答えた。本当は彼女には包み隠さず真実を伝えたかったが、また別の機会にと思い踏みとどまった。
「ありがとう。あなたが側にいてくれてどれだけ心強いか…でも、もう十三年の時が過ぎたのだからあなたもご家族があるのでしょう?」
この時代であればほとんどの場合十代半ばで嫁ぐはず…もう私の世話をしてもらう訳にもいかない…
「実はそれが…そのぉ…」
小彩は少し顔を赤らめると何ともバツが悪そうにうつむいた。
「…お恥ずかしながら実は未だに…誰にも嫁いでおりません」
小彩は指で頬をかきながら、苦笑いをした。
「えっ?なぜなの?あなたのように器量よしなら沢山の結婚の申し出があったはずでしょ?」
「はい…良い縁談話を幾度か頂いたのですが…身勝手ながら私の心が動かなかったのです」
小彩はそう言うと手を胸に当てため息をついた。この時代、宮中で働く采女以外のいかなる女性も嫁ぐものだと思っていたのでこの報告にはかなり驚いたが、もしかしたらと思い、尋ねてみた。
「誰か他にお慕いしている方がいるの?」
「そ、そ、そのような方はおりません…」
と慌てて手を横に振り否定したが、目をパチパチさせながら顔がほんのりと赤く染まったのを見逃さなかった。
そうよね、好きな人の一人や二人くらいいるに決まってる…
「でも、一人では生活が苦しいのでは?この先心配だわ…」
私が母親のようにため息まじりに言うと、
「失礼を承知で申し上げますが…燈花様もまだお一人なのでは…?」
と即座に言い返し、いたずらそうに目を細め私の顔をジッと見た。
「あぁ!そうだった!」
すっかり自分の事を棚に上げ忘れていたが、すぐに山代王の顔がぼんやりと浮かんだ。
「燈花様にまたお仕え出来ますし、私はとても幸せです」
「ありがとう、私も嬉しいわ」
実は小彩が一人だと聞き内心ほっとした気持ちもあった。この先もし壮絶な人生が待っていたらとても彼女の助けなしでは生きていけない。
「それにしても燈花様は十三年前とあまり変わらないのでございますね、誠に不思議でございます。東国には不老不死の妙薬でもあるのでございますか?」
「そ、そんなものはないわよ、私だって年を取ったわ…」
「全然そのようには見えません、とってもお美しいです」
確かに今朝、元の自分の顔に戻ったのを確認したが、もともと老け顔のせいか少女時代も今現在もあまり変わっていない…皆がすぐに認識するわけだ。
突然ぐぅ~っとお腹が鳴った。
「燈花様、まずは腹ごしらえですよ。昨日からまだ何も召し上がってないでしょう?お粥を今お持ちしますね。食後は少し裏庭を散策いたしましょう。金木犀の花がとても良い香りなのです」
「ありがとう、楽しみだわ」
小彩はニコッと笑うと部屋をあとにし、すぐにお粥を運んできてくれた。まだ湯気の出ている温かなお粥の上に桜の花びらが一枚浮かんでいた。
食事を済ませると早速二人で裏庭の散策へ向かった。小彩の言った通り金木犀の花が満開だ。風が吹くたびに甘い香りに包まれた。
肝心要の事を聞かなければと思い翡翠の指輪を握りしめた。そう山代王のことだ。なぜか小彩はそのことについて何も触れてこない。
いつもの東屋に移動し石に腰かけ飛鳥の都を見渡した。私にとっては数日前だが十三年たった今も都の建物は朱色に輝き美しいままだ。
「あれは、何?」
香久山の後方にうっすらと高い塔が見えた。
「あの塔は田村皇子様が建立されている百済大寺でございます。九重塔の予定ですが不運な事に何度も火事に遭い、未だ完成していません…」
「田村皇子?」
「さようでございます」
「…そう」
田村皇子は舒明天皇のことだ。
「田村皇子様も数年前から病を患っておいでで、昨年伊予の国に湯治に行かれ数か月ご滞在されたあと、飛鳥にお戻りになられたのですが、体調が優れず床に伏されているそうです」
「そう…」
確か舒明天皇も彦人皇子の子息だったはず…敏達天皇の孫にあたる方…
あれ?今って何年なのかしら⁉︎
推古天皇が亡くなったのが確か628年。そこから13年後っていうと、今は…641年?642年?そのあたりだわ…大化の改新が645年だから…
急に寒気がし体がガタガタと震えだすと指先も血が通っていないかのように冷たくなった。
「燈花様寒いですか?まだ春先なので底冷えしますね、今熱いお茶をお持ちいたします」
「ありがとう、小彩」
小彩が戻ってくるのを待ちながら考えていた。やはり十三年の月日が経っているのは間違いない。遠くにそびえ立つ百済大寺は舒明天皇の発案だ。歴史書にもそう書いてあった。でも、いったいここで何をするべきなのかがさっぱりわからない… そうだ思い出した…あの夜、中宮が最後におっしゃった事…
「どうか、あの子達を助けて欲しい」
確かにそう言った…私にしかできないって…でもそんな、一体誰を助けろというのかしら…仮にわかったとしても私には何の力も地位もない。助けられるはずないのに…
「燈花様、お待たせいたしました」
小彩は運んできた茶器を石の台の上に置くと、お茶を注いだ。いつもよりも熱い茶に口をつけると思わず涙が溢れた。
「燈花様、だ、大丈夫でございますか?」
驚いた小彩が慌てて手巾を取り出し手の上に置いてくれた。見ると手巾の端には小さな橘の刺繍が施されている。
「この手巾…」
「そうですよ、以前に中宮様が私達の為に縫ってくださったものです。十三年前に燈花様が急に東国に帰られたので、またお会いする日までと思い私が預かっておりました。丁度今日お返しすることができて良かったです。あっ、あとこれも…」
小彩はまた袖の下に手を入れゴソゴソすると小さな包みを慎重に取り出した。そっと開けると包みの奥がきらりと光り、中から赤瑪瑙の簪が現れた。もともとは髪留めだったが、林臣の手に渡り手直しされた後、簪として生まれ変わったものだ。
「深田池の畔で倒れている燈花様のそばに落ちていたそうです。金具の部分が少し壊れていたので、六鯨様に頼んで直してもらっておりました」
「…この髪留めは我が家で先祖代々から受け継いでいるものなの…詳しくは知らないけどお守りのようなものね。見つけてくれてありがとう、大切なものよ」
そう言い、簪を見つめた。
この髪留めは私と一緒に時を超えてきた。手元に戻ってきたのはこれで二度目…一度目は北山で失くし林臣様が見つけて戻った。今回も私のもとへと戻った。何か重要な意味があるのだろうか…
ふと桃原墓で会った林臣の事を思い出した。腕の傷は治っただろうか…。
「燈花様?燈花様?」
「はっ、何?」
思わず大きな声で返した。
「大丈夫ですか?何か思い出されましたか?」
「ううん、もっと昔の事をなぜか思い出していたわ…」
「そうですか…あの…ずっとお尋ねになりませんが、私からはその…お話しづらくて…」
小彩が困った表情を浮かべチラチラとこちらを見ながら口ごもっている。その姿を見た瞬間、何を言いたいのかがわかった。
勇気を出して聞いてみないと…いつまでもこの話題から避けてはいられない…
私は覚悟を決めて話を切り出した。
「私も今日になり、気持ちが落ち着いてきたの。そこで、聞きたいのだけど…山代王様は…」
緊張でつばをごくりとのんだ。
「はい…正直に全て申し上げてもよろしいですか?」
小彩は確認するように私の顔を一度見ると神妙な面持ちで言った。
「えぇ、もちろんよ」
私が深く頷いた事に安心したのか、堰を切ったように小彩がこの十三年間の出来事を話し始めた。
「実は大変な日々でございました。燈花様が東国に急にお帰りになって山代王様は毎日毎日大荒れでございました。毎日のように小墾田宮を訪ねては、東国に行かせて欲しいと懇願されました。しかし、中宮様は断固としてそれをお許しにならなかったのです。随分と中宮様も事情を説明し説得をされたのですが、聞く耳をもたず自暴自棄になり毎日大量のお酒を飲んでおられました」
そ、そ、そんな…どうしよう…真実は言えないし困ったわ…
「で、その後の山代王様のご様子は?」
「はい、茅渟王様や王妃様に励まされ、なんとか少しずつ本来の山代王様にお戻りになられました…その後中宮様がお亡くなりになり、喪が明けたのち…阿部家のご息女の紅衣様を正室としてお迎えしたのです。茅渟王様や王妃様も大変お喜びになって、それはそれは盛大な宴でした」
小彩がバツが悪そうに私を見た。
「いいのよ私に遠慮することはないわ。阿部家の紅衣様の入宮は初めから決まっていた事だったもの…」
そうは言ったものの胸の奥がキュンと鳴った。心は正直だ。きっとこうなる運命だったのだろう…紅衣様とは一度小墾田宮ですれ違った事がある。あの時はまだ幼い少女の面影だったが今はもう立派な女性のはずだ。きっと子にも恵まれているのだろう…。仕方がなかったのだと何度も自分に言い聞かせた。
小彩はすっかり冷めたお茶を一気に飲み干すと話を続けた。
「実は数年前にも大伴家のご令嬢である白蘭さまを側室として娶っておいでです。両家とも古くからの名家ですので、財力名声共に申し分ありません。今や飛ぶ鳥も落とす勢いで山代王様の朝廷での権力は絶大です。しかし…」
急に小彩は顔色を変えると、そのまま黙ってしまった。
「…そう、もう立ち直って何年にもなるのね。今は立派な家庭もおもちのようだし、朝廷の重鎮で権力者でもある。十三年前の出来事は仕方なかった事だけど、今となっては私が入る余地はなさそうね。それに、どんな顔をしてお会いすれば良いかもわからないし…明日は茅渟王と王妃様にご挨拶とお詫びを申し上げにゆくわ」
「えっ?燈花様?ま、まさか大王様の事もご存知ないのですか?」
小彩は驚いた表情をして顔をこわばらせた。
「茅渟王様がどうかされたの?」
「燈花様が東国にお帰りになった数年後にお亡くなりになられました…」
「えっ?…そんなわけ…十分に若かったじゃない!何故なの?」
「私も詳しくは存じ上げませんが急な病で突然亡くなられたのです。ただ一つ気になる噂がありまして…あくまでも噂なのですが…」
小彩は少しためらった後、両手で口を囲み小声で言った。
「…何者かに毒を盛られ殺害されたかもしれないと…」
「えっ?殺された…?」
「真偽のほどはわかりませんが、都では長い間その噂が流れておりました」
「そんな…」
茅渟王との出会いから冬の行幸先での出来事などが鮮明によみがえった。別れの挨拶もお礼も言えなかった…涙が溢れ頬を伝った。
「しばらく山代王様も悲しみに打ちひしがれておいででした。あれほど仲の良いご兄弟でございましたので…。その後、急に山代王様のお人柄が変わられたのです…なんというか…申し上げにくいのですが…権力と武力を執拗に求めるようになり…以前とは別人のようです。きっと何かご事情があるのでしょうけど、昔のあのあどけない温厚な山代王様はもう見られないかと…」
「…そう」
とても気が動転していたが静かに頷いた。
「今は橘宮の使用人達に、燈花様のお戻りを内密にするように口封じしておりますが、都は狭く宮に出入りする行商達も多いので、燈花様の都へのお戻りが知れ渡るのも時間の問題かと…。どういたしましょう…」
小彩困惑気味に言った。
「そうね…とりあえず成り行きに身を任せるわ。縁があれば山代王様とも再びお会いすることになるはず…」
時間も忘れ長く話し込んでいたせいか気づいた時にはもう陽はだいぶ西に傾き空は薄暗かった。
「燈花様、春になったとはいえ夕暮れ時はまだまだ冷えこみます、そろそろ部屋に戻りましょう」
「そうね、…もう少ししたら戻るわ。先に行っててくれる?」
「承知しました、竈に薪をくべておきますね」
「ありがとう…」
ひんやりとした春の風が吹き始め、どこからともなく桜の花びらが飛んできた。
「中宮様と共にこの桜を愛でたかったわ…」
手のひらを上に向け花びらをすくおうとしたが、指の間をスルスルとすり落ちた。
この時代に留まっているのには、やはり何か大きな意味がある…中宮様の想いを果たす為にもこの飛鳥の地を去る事はできない…覚悟を決めないと…
胸がザワザワと騒めいたが、不安を打ち消すように目をつむると、首にかけてある翡翠の指輪をぎゅっと握りしめた。
山代王様…
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宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
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