千燈花〜Eternal Love〜

橘 燈花

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第十話

一枚の刺繍画

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 ガサガサ、ガサガサ。

 「このあたりで、燈花とうからを見つけたのだ、きっと近くに落ちているはずだ」

 「はい、承知しました」

 ガサガサッ山代王と冬韻とういんが草を掻き分け、髪飾りを探し始めた。雨はさっきよりも強く降っている。
 
 「確か、紅瑪瑙あかめのうと言っていたな」

 しかし、くまなく探してもなかなか見つからない。雨もザーザーと激しく降りだし跳ね返る雫のせいで手元がよく見えない。更に白い霧が立ち込め寒くなってきていた。雨に濡れてかじかんだ手は当然上手く動かない。

 「山代王様…これを見てください」

 数メートル先にいた冬韻とういんが振り返り叫んだ。

 「見つかったか⁉︎」

 「いえ、そうではないのですが…」

 冬韻とういんが困惑気味に答えた。冬韻とういんが指差した先には大きなイノシシが横たわり死んでいた。

 「なんと…」

 「首に絞められた後と鋭利なもので切られたような跡がございます。何者かに殺されたのでしょうが、牙にも血がついているのをみると、恐らく相手にも噛みついたのでしょう」

 「うむ…きっと燈花とうか小彩こさを襲ったイノシシであろう…」

 (まさか燈花とうかあの傷は噛まれたものか?)

 「山代王様このように激しい雨の中では探せません。霧も出てきましたし、天候の回復を待たれては?」

 「…そのほうがよさそうだな」

 二人は土砂降りの雨の中、なんとか馬まで戻ると再び橘宮たたばなのみやに向かい馬を走らせた。

 「誰かいるか!!」

 ドンドン、ドンドンドン

 「はい!今参ります」

 小彩こさが急いでやってきて門を開けた。

 「あっ、山代王様!びしょ濡れではありませんか!どうぞ屋敷の中にお入り下さい。今、燈花とうか様を呼んでまいりますので」

 「良いのだ、無理をさせてはならぬ、部屋で休ませてやりなさい」

 「えっ?は…はい…」

 「ところで、燈花とうかの足の傷はイノシシに噛まれたものか?」

 心配そうに山代王が聞いた。

 「いいえ、噛まれたのではありません。転んだ時に木の枝で傷つけてしまったようです。どうかされました?」

 「そうか、いや、それならよいのだ。他に山に入った者はいなかったか?」

 「はい、誰もおりません。どうかされたのですか?」

 「いや、何でもない、それと燈花とうかに伝えて欲しいのだ、今日髪飾りは見つからなかったのだが、天候の回復を待ち改めて探しに行くので、安心して欲しいと」

 「はい、そのようにお伝えいたします」

 「小彩こさ、頼んだぞ、あと傷が治ったら、馬に乗ろうと必ず伝えてくれ」

 「はい、承知しました、でも山代王さませめて乾いた衣にお着替えだけでも、、」

 「不要だ」

 山代王は少しだけ笑うと、さっと馬に乗り冬韻とういんと共に去っていった。

 「お風邪をひかれませんように」

 小彩こさはその後ろ姿を見送りながら、小さくつぶやいたあと急いで私のもとへとやってきた。

  トントン、トントン。

 「燈花とうか様、いらっしゃいますか?」

 「ええ」

 「中に入ってもかまいませんか?」

 「もちろんよ」

 小彩こさがガタガタと戸を開けて入ってきた。

 「先ほど山代王様が北山からお戻りになられ言付けを頼まれました」

 「山代王様がお見えになったの?」

 「はい、でももう帰られました。傷を負っている燈花とうか様を呼ぶなと仰せでしたので…」

 気まずそうに小彩こさは言ってうつむいた。

 「そう…」

 「燈花とうか様の髪飾りですが、本日は見つからなかったようです、また後日天候の回復を待って探しに行くので安心して欲しいと、仰っておいででした」

 「え⁉︎まさかこんな時間まで探して下さっていたの?外はどしゃ降りの雨でしょう?風邪でもひいたら大変だわ…」

 「私もせめてお召し物だけでもお着替えになって下さいと、申し上げたのですが、聞かずに帰られました」

 「そう…」

 山代王様には迷惑をかけてばかりだわ、大切な髪飾りではあるけれどあの石一つの為にまた山代王様に苦労をかけてしまった…

 「燈花とうか様、まずは足の傷を早く治しましょう、山代王様も大変ご心配されていました。あと、足の傷が良くなったら馬に乗ろうとも仰っておいででした」

 「はぁ…そうね、早く治さないとね」

 私の事はともかく、山代王様が風邪をひかないと良いのだけれど…

 そこから数日間雨は降り続いた。この時代一度雨が降ると他になにもやる事がない。部屋の中でじっと過ごし雨が止むのを待つしかなかった。そのかいあってか足の腫れも数日でだいぶひき、傷も良くなった。

 チュンチュン、チュンチュン

 鳥のさえずりと柔らかな朝の光が差し込んでいる。雨はようやく止み久しぶりに太陽が顔をのぞかせた。外に出てみると、明るい太陽の光を浴びた庭の緑がキラキラと輝いている。

 爽やかな秋風に導かれるように、敷地の中をぶらぶらと歩きはじめた。裏山の前を流れる小川は数日降った雨のせいで水かさが増し、ゴーゴーと勢いよく流れてる。水しぶきも朝陽に照らされキラキラと虹色に輝きとても美しかった。

 キレイね、飛鳥の都はどこを歩いても水の流れる音が聞こえて、心が安らぐ…

 「燈花とうか様、ここにおいででしたか~」

 振りかえると小彩こさがはぁはぁと息を切らし胸を押さえている。

 「おはよう。久しぶりのお天気だから嬉しくて少し散策していたのよ。雨上がりの景色はまた格別に美しいわね」

 「はぁ、全く呑気でございますね。お部屋にいらっしゃらなかったので驚いてあちこち探したのですよ」

 少しふてくされた様子で小彩こさが言った。

 「ごめんね。勝手に部屋を出て悪かったわ」

 「はぁ…燈花とうか様ったら、所で足の具合はどうですか?」

 「小彩こさが用意してくれた薬草の塗薬が効いたのね、傷も塞がったし、足首の腫れもだいぶ引いて普通に歩けるわ」

 「良かった~安心しました。実はあの塗薬ですが大王様のお屋敷より送られてきたものなんです。どうやら唐から取り寄せた貴重な塗り薬だそうです」

 小彩こさが肩をすくめ嬉しそうに言った。

 「えっ、茅渟王ちぬおう様が⁉︎しかもそんな貴重な薬を頂いてしまって申し訳ないわ」

 「恐らく山代王様からお話をお聞きになったのかと…」

 はぁ…何から何までお世話になってばかりだ。私はため息をついた。

 「燈花とうか様、お腹が空いておいででしょう?今、食事を用意しますのでお部屋でお待ち下さい」


 「小彩こさ、本当にいつもありがとう。こうして無事生きていられるのも貴女のおかげだわ、心から感謝しているのよ」

 「やっだぁ、、、。燈花とうか様、朝から何を仰るのです。燈花とうか様にお仕えするのは私の仕事です。中宮様の大切な方であられば私にとっても家族同然でございます。本当の妹だと思って下さい」

  「ありがとう」

 思わず胸が熱くなり涙がこみ上げた。小彩こさがいつになく真顔で言ったので感傷的になってしまった。

 「今、食事の用意をしますね」

 小彩こさは照れくさそうに笑うと厨房へと走っていってしまった。

 本当にありがたかった。小彩こさにも、茅渟王ちぬおう様にも山代王様にも、この恩は忘れてはいけないと思った。

 食事を終えると小彩こさが言った。

 「今日はお天気も良いので、久しぶりに中宮様にご挨拶に伺おうと思うのですが、燈花とうか様はいかがされますか?足の具合が悪ければ、また別の日にいたしましょう」

 「もちろん行くわ!そうだ、この間、北山で採った薬草がまだ残っているでしょう?蒸した栗に混ぜて饅頭を作るのはどうかしら?」

 「妙案ですね!では早速、倉から栗を持ってきます」

 饅頭を作るのに予想以上に時間がかかり、小墾田宮おはりだのみやに着いた時にはお昼をとっくに回っていた。いつも通り一番奥の部屋へと案内された。中庭に咲いていたイチョウの葉はだいぶ落ちてしまい、ほとんど残っていない。本格的な冬の到来を感じた。

 

 部屋の戸口に中宮が立っているのが見えた。顔色もよく、私たちの突然の訪問にとても嬉しそうだ。

 「二人ともよく来てくれたな。さぁ、座りなさい。熱い茶を飲みながら話をしよう」

 渡された茶にはうっすらと湯気が立ち中を覗くと黄色い小さな花がいくつも浮いていて金木犀の良い香りがした。

 「桂花茶だよ、今年庭に咲いた金木犀の鮮花と茶葉を寝かせておいたのだ、良い香りだろう?」

  「はい、とても」

  「燈花とうかよ、久しぶりだな」

  「はい、中宮様」

 いつにも増して中宮が嬉しそうに見えた。

 「聞いた話だと最近山で足に傷を負ったとか、怪我は大丈夫か?」

 「はい、小彩こさが看病してくれたおかげで、すっかり良くなりました」

 私は立ち上がると、足首をくるくると回しておどけてみせた。それを見ていた小彩こさが咄嗟に言った。

 「いえいえ、私ではなく大王様より頂いた薬が良く効いたのです」

 「大王が?」

 中宮が興味深そうに尋ねた。

 「はい」

 「そうであったか…でも大事なくて本当に良かったな。そなた先日の宴では、唐からの使者や大臣たちを多いに感服させたと聞いたぞ。きっと大王も例外ではなかろう。またあの子達の力になっておくれ」

 「はい、卑しい身の私がお役にたつかわかりませんが、誠心誠意お仕えさせていただきます」

 本心だった。あの若き二人の王に敬意を抱き始めていた。

 「あっ中宮様、山代王様より頂いた栗を蒸し、薬草と練り合わせ団子を作ったのです、よろしければ召し上がって下さい」

 小彩こさまだ温かい包みを広げると、

 「ほう、これは美味しそうだ」

 と中宮は目を細め、一つ手に取り口に頬張った。その後も先日の宴での話や、山で遭遇したイノシシの話をし大いに話に花が咲いた。

 「そうだ、この数日間の雨で何もする事がなかったゆえ、暇つぶしに二人に手巾を縫ったのだ。取りに行ってくるゆえ、ここで待ちなさい」

 「えっ、では私が代わりに取ってまいります」

 小彩こさが慌てて立ち上がった。

 「私の部屋にしまってあるのだ。そなたでは場所がわからぬであろう?」

 「では、私も共にまいります。もし中宮さまがお転びでもしたら大変ですから」

 「ハッハッ、小彩こさは実に心配性だ。では二人共ついて来なさい」

 そう言うと中宮はゆっくり立ち上がった。また別の長い廊下を歩き一番奥の部屋までやってきた。

 「さぁ、入りなさい」

 「よろしいのですか?」

 小彩こさが驚いて聞いた。

 「構わぬ。さぁ、入りなさい」

 ガタガタと戸を開けると、部屋はそれほど広くはない。中は薄暗くひっそりとしていて、想像していたきらびやかな金銀財宝で出来た置物や華美な壁の装飾などもなく、寝台とタンスのようなものと年季の入った机が一つあるだけだ。机の上には木の小箱と小さな仏像が一つ置いてあった。
 
 とても質素な部屋だが、それが逆に洗練され美しく見えた。

 ガサガサ、ゴトゴト…

 「どこにしまったかのぉ…確かに一番上の引き出しに入れたのだがなぁ…」

 中宮は、何度もタンスの引き出しをあけては首をかしげた。しばらくして

 「そうだ、思い出したぞ。あの小箱に入れ直したのだ」

 そう言い机の上にある木の小箱を取りゆっくりと開けた。

 「あったあった」

 中宮は、二枚の小さな正方形のハンカチのような布を取り出した。

 「この手巾は小彩こさに」

 「こっちはそなたにだ、私が刺繍したものだから出来は悪いが使っておくれ」


 渡された手布を広げ息をのんだ。手巾の角に橘の葉三枚とたわわな実一つの刺繍がほどこされている。

 なぜかしら…髪飾りの石の模様に似ている気がする…

 私はじっと見つめた。

 「なんて美しい梅の花の刺繍でしょう、私は梅の花が一番好きなのです!わ~嬉しい!中宮様、誠にありがとうございます!」

 小彩こさはキャッキャと子供のように喜んでいる。

 「燈花とうかはどうだ?気に入ってくれたかい?」

 「も、もちろんでございまさす。中宮様の温かいお心がこもっているようで大変感激しております。生涯大切に使わせて頂きます」

  やっぱり、似ている。偶然かしら…

 「そなたらの住む橘宮たちばなのみやは父より賜った宮でのぉ、沢山の子供たちと過ごした思い出の宮だ。庭に生えている橘は我が一族では代々大切にされてきた木だ、昔はよく息子や皇子達と実を採っては食したが、、、」

 中宮はそう言うと、懐かしそうに手巾を見つめた後、こちらを見てニコリと微笑んだ。

 「さぁ、この部屋は冷えるゆえ、戻って熱いお茶でも飲もう」

 「はい」

 ちょうど部屋を出ようとした時だ。戸口の少し上の壁に白い布に刺繍が施された絵が飾られているのが目に留まった。用紙で言えばA3位の大きさだ。布には数人の大人と数人の子ども達が蹴鞠をする様子が描かれている。

 「中宮様、この刺繍画を拝見させて頂いても宜しいですか?」

 何故かその刺繍画に心を惹かれてしまい、どうしても手に取りまじかで見たかった。

 「ふむ、構わぬが…」

 そう言うと中宮は、すぐに使用人を呼びよせ刺繍画を外して見せてくれた。

 「ここではよく見えぬから、さっきいた部屋に戻りじっくり見てみよう」

 私達はさきほどの部屋に戻った。中宮は用意された熱いお茶を手に取ると、刺繍画をしばらく見つめゆっくりと話し始めた。

 「これは十年以上前に宮中の釆女たちに作らせた刺繍画だ。この縁台に座っているのが私で隣で笑っているのが息子の皇子だ。イチョウの木の側で蹴鞠を見ているのが先代の大王で、毬を蹴っているこの若い青年が茅渟王ちぬおう、それを追っているこの少年が山代王だ…二人とも鬼のような形相であるな」
 
 中宮が懐かしむように微笑んだ。

 「やだ、中宮様、本当でございますね。なれどお二人共愛らしいお姿です」

 小彩こさが言った。私も幼き頃の大王と山代王の姿を想像し思わず笑ってしまった。

 「今日のように天気の良い清々しい秋の日だった。あとここにいるツンとした童がな…」

 と中宮が言いかけた時だ、廊下からバタバタと走る音がし部屋の前でピタッと止まった。

 「中宮様よろしいですか?」

 「何事だ」

 「はい、今、屋敷前に大王様と山代王様がおいでになっております、お会いになられますか?」

 「真に大王が来ているのか⁈」

 「はい」

 「なんという奇遇じゃ…通しておくれ」

 中宮の顔は驚きの表情と共に一気にぱぁっと明るくなり、使用人の男と共に部屋を出て行った。

 大王様と山代王様がお目えなのね、丁度良かったわ。この場をかりて先日のお礼をしなきゃ…

 ほどなくして隣の部屋から声が聞こえてきた。

 「中宮様、ご無沙汰しております。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、お身体の具合はいかがですか?が

 「大丈夫、案ずることはない、それよりも軽皇子かるのみこの具合はよくなったのか?」

 「はい、熱もひき、粥も食べ、回復しております。ご心配をおかけいたしました」

 「そうか、良かったそれを聞いて安心した」

 「ところで客人が来ていると聞きました。お邪魔しては申し訳ないのでまた日を改めてご挨拶に参ります」

 

 「ハッハッ~良いのだ、そなた達も知っている者だ。共に熱いお茶を飲もう」

 「知っている?」

 そう言うと中宮は仕切られていた襖を開けた。大王と山代王が呆然とこちらを見て驚いている。なんだか気恥ずかしくて、思わず下を向いた。

 「燈花とうかではないか⁉︎なんという奇遇なのだ!」

 山代王が驚いた声で言った。

 「山代王様、大王様、先日は危ない所を助けて下さり誠にありがとうございました。お礼のご挨拶が遅くなり申し訳ありません。この場をおかりして心より感謝の気持ちをお伝えいたします」

 二人を正面にして深々と拝礼をした。

 「何を言うのだ、さぁ立ちなさい」

 大王は急いで私の側にくると、手を取り立ち上がらせた。

 「そなたこそ山でイノシンに襲われたと聞いたぞ、足の怪我は大丈夫か?」

 「はい。大王様が下さった貴重な薬のお陰で、すっかり良くなりました。軽皇子かるのみこ様の具合も良くなられたようで安心いたしました」

 「皇子は大丈夫だ。そなたが医官に指示した処方と摘んできてくれた葛根が良く効いたのだ。こちらこそ礼を申すぞ」

 「さようでございますか、、良かった…」

 大王の後ろで山代王が優しくこちらに向かい微笑んでいるのが見えた。

 「山代王様、お風邪などはひいていませんか?心配しておりました」


 「私の体は見た目よりも丈夫なのだ。病などかからぬ」

 山代王がすまして言ってきたので、思わずクスッと笑ってしまった。


 「ところで中宮様、門の外で待っている間に笑い声が聞こえました。何か楽しい話でもされていたのですか?」

 大王が尋ねた。

 「そうなのだ。そなたらにとっても、懐かしい物を見ていたのだ」

 「懐かしいものでございますか?どれどれ?」

 二人は刺繍画を覗きこんだ。

 「あ~これは懐かしい!秋祭りの時のものですね。山代王見てみろ、お前はまだはな垂れの小僧だぞ」

 大王が意地悪そうに山代王を見て笑った。

 「これが私ですか?随分とおぞましい顔に見えますが…」

 「私もお前も林太郎りんたろうの毬を取るのに必死だったのだろう」

 「林太郎りんたろう?」

 この口からまた余計な言葉が出た。

 「この表情ひとつかえずに毬を持っている童が林太郎りんたろうだ、年はわれわれの中で一番年下だが、なかなかの切れ者だ。実に動きが早く先を読むのが得意だから大の大人でさえも毬を奪うのに一苦労だ。そなたはまだ会ったことはないのでは?年は少し離れているが、林太郎りんたろうは我ら兄弟と共に育った長年の知己だ」

 「さようでございますか」

 「兄上、これは父上ですか?…」

 山代王が日十大王ひとだいおうを指して言った。

 「そうだ、そなた達の父上だ」

 中宮が間髪入れずに答えた。

 「二人ともお父上のような、立派な人間にならなくてはいけないよ」

 中宮が優しい眼差しを向けて言った。

 「はい、常に肝に命じております」

 二人はさっきまでのはしゃいだ顔とは打って変わり真剣な眼差しで中宮を見つめ返した。


 「山代王よ、久しぶりに蹴鞠をせぬか、外で待つ臣下達を急いで中庭につれて参れ」

 大王はそう言うと、ひらみの裾をめくりはじめた。

 「兄上、良いですね」

 その時だ。またバタバタと廊下を走る音が聞こえ、男の低い声が戸の向こうから聞こえた。

 「中宮様、早急にお伝えしたいのですが、、」

 「今度はなんなのだ?」

 中宮が少し呆れた声で聞いた。


 「その、林臣りんしん様がお越しになっております。どうされますか?」

 「な、なんと!なんと奇遇なのだ!中に通しなさい。こんな日もあるのだな」

 中宮が目をパチパチしながら私達を見た。

 「はっ」

 使用人の男はまたバタバタと廊下を走って戻っていった。

 「まさか、林太郎りんたろうが来たのですか?」

 山代王が聞いた。

 「そのようだ、申し合わせたように皆が集まるとは、こんな珍しいことがあるのだろうか…」

 中宮はポカンと口を開けたまま立ち上がると更に隣の部屋へと移動した。すぐにパタパタと廊下を歩く足音が聞こえ部屋の前で止まった。

 私はこの時初めて彼が、世間一般的には林臣りんしんと呼ばれ、王家の方々からは林太郎りんたろうと呼ばれていることを知った。

 「林臣太郎りんしんたろう中宮様にご挨拶申し上げます」

 戸の向こうで林臣りんしんの声が響いた。

 「入りなさい」

 中宮が静かに答えると、戸が開き林臣りんしんが音も立てずに静かに部屋の中へと入って行った。

 
 「太郎、久しぶりではないか、元気だったか?」

 
 「はい、変わらずでございます。中宮様もお顔の色が良さそうで安心いたしました。屋敷のものが先客が来ていると…」

  ピシャッ

 「林太郎りんたろう!!」

 山代王が大きな声で呼びながら襖を勢いよく開けた。林臣りんしんは驚いて振り返り、大王と山代王の姿を見て更に驚いた表情をした。いつもの冷淡さは全く見られない。

 「林太郎りんたろう、奇遇であるな。我らも先程挨拶に参ったのだ」

 大王が言うと、

 「左様でございますか、大王様と山代王様にもご挨拶申し上げます」

 さすがの冷淡な彼も思わぬ珍客に動揺したのだろう、かすれ声で答えた。

 「よいよい、顔を上げぬか、柄でもないぞ」

 大王と山代王もそんな林臣りんしんの姿に気がついたのか屈託のない笑顔を見せて言った。

 「そうだ、太郎よ我らの前だからといってかしこまることはない。で、今日はどうしたのだ?」

 中宮が言うと、

 「はい、それが実は…」

 林臣りんしんは部屋の隅に立つ私達に気がついたらしく、一瞬顔色を曇らせた。

 「…近くを通りましたので、ご挨拶に参ったのです」

 「それだけか?」

 「はい…」

 林臣りんしんはうつむいて答えた。

 「そうか、丁度良かった。今から中庭に向かう所だ」

 中宮が嬉しそうに言った。

 「えっ??」

 林臣りんしんは眉間にシワを寄せ引き続き困惑した顔をしている。すかさず山代王が説明に入った。

 「林太郎りんたろうよ、丁度良い所にきてくれた。今から兄上や臣下達と共に庭で蹴鞠をするのだ。子どもの頃は良く蹴鞠をして遊んだだろう?久々に一緒にやろう」

 「…わかりました」

 林臣りんしんが表情一つ変えずに答えた。

 「あぁ、紹介しよう。燈花とうかよこちらに参れ」

 山代王が隣に来いとでもいうように目配せをしながら私を呼んだ。

 「は、はい」

 私はバツの悪さを感じながらも、山代王のそばに近づいた。

 「林太郎りんたろうよ、中宮様の侍女の小彩こさと東国より来た燈花とうかだ。橘宮たちばなのみやに従事している。燈花とうかは都に来てしばらくたったが、会うのは初めてか?中宮様の大切な客人でもあるゆえ、お前もよくして欲しい」

 林臣りんしんは少しだけ顔を上げチラッとこちらを見たがなに食わぬ顔で、

 「さようですか」

 とだけ答えた。

 私も一応軽く挨拶を返した。未だ得体の知れぬ若造だが、中宮とも王家の人間とも親しいと知ったらむげにする事は賢明ではないと判断したからだ。

 「橘宮たちばなのみや燈花とうかと申します。先日は無礼を働き失礼いたしました」

 林臣りんしん

 「ふんっ」

 と横を向き黙ったまま庭を見ている。

 やっぱりこの間の事覚えていて根に持っているのね、しつこいわね謝っているのに…

 気まずさを感じていると、

 「もう知り合いであったか!ならば話は早い、早速蹴鞠をしにゆこう」

 大王は立ち上がると、廊下で待つ臣下達を連れて中庭に向かった。

 すぐに二つの組に別れて賑やかに蹴鞠が始まった。今でいうサッカーのようなものだ。私達女三人は庭に面した縁側に座りその様子を眺めた。小彩こさは熱心にその様子を見ていたがもっと近くで見たいと言い行ってしまった。

 中宮は蹴鞠の様子を眺めながら、時折目を細めては懐かしんでいるように見えた。

 「燈花とうかや。あの二人の父親の日十大王ひとだいおうだがな、先代の大王だ。都での政を執り行い、朝廷の政務を支えた偉大な人物だ。可哀想に幼き時に母親を亡くしてな、私のもとで他の皇子たちと同様に育ったのだ。家族同然だ。特に息子の竹田皇子とは年も近く実の兄弟のように仲が良かった。だが数年前二人とも急な病で死んでしまった…私が先に逝けば良かったものを…」

 中宮はしわしわの手をぎゅっと握って寂しそうに膝の上に広げた刺繍画を見つめた。


 「中宮様、そんな…」

 それ以上の言葉が見つからなかった。こんな時に限り慰めの言葉が何一つ思いつかない。ただただ静かに共に刺繍画を見つめる事しか出来なかった。

 推古天皇すいこてんのうは息子の死を大変嘆いたと、史書で読んだことがあるわ…子供が先に逝くなんて、どの時代でも、母親は想像を絶する苦しみのはず…

 そんな事を考えながら蹴鞠の様子をぼーっと眺めていた。

        ドン、

 「クッ…」

 突然、大きな音と共に目の前の地面に林臣りんしんが倒れこんだ。押さえた腕から血のようなものが滲み出している。

 「若様!丈夫ですか⁉︎」

 臣下の猪手いてが急いで走り寄った。

 「大丈夫だ…クッ…」

 「若様、急ぎ屋敷に戻りましょう」

 猪手いてが慌てて言った。

 「大丈夫か林太郎りんたろう?どうしたのだ、今の転倒で怪我をしたのか?見せてみろ」

 山代王が近寄り言った。私も心配になり横たわる林臣りんしんに近づいた。

 「大した事はない」

 林臣りんしんがぶっきらぼうに答えたが、私も即座に答えた。


 「動かないで下さい。今動いたら傷口が広がり悪化してしまいます。すぐに消毒をして布で傷口をふさがないと…」

 あまりにも腕から出血している。深い傷を負っているのは一目瞭然だった。相手が誰であろうと見て見ぬふりをするのは私の信条ではない。余計な事だと知りつつも林臣りんしんの腕に触れようとした。

 「触るな」

 ギロっと林臣りんしんが睨んで言った。その冷たい眼差しと冷酷な口調に一瞬で体が凍りついた。

 「出過ぎた真似を…申し訳ありません…」

 小さな震える声で言うのが精一杯だった。

 「しかし林太郎りんたろう燈花とうかの言う通りだ。今、屋敷の医官を呼んでくるゆえ、ここで大人しく待て」

 大王がピシャリと言った。

 「お心遣いに感謝致しますが、その必要はございません。中宮様、大王様、山代王様、長居しすぎたようです。これにて失礼いたします。猪手いて!屋敷に戻るぞ」

 「はっ、はい」

 林臣りんしんはすくっと立ち上がり頭を下げると腕を流れる血などお構い無しで、臣下達を連れて門に向かい歩き始めた。

 「全く頑なな困った奴だ…」

 山代王がその後ろ姿を見ながら呆れたように言った。しばらくして皆で屋敷に戻ろうとした時だ、庭の奥に猪手いてがハァハァと息を切らしながら走ってくる姿が見えた。こちらの姿を確認したのか、待ってくれとでも言うように大きく手を振っている。

 「どうしたのだ?」

 「はぁはぁはぁ、、ぶ、無礼を承知の上で申し上げます。中宮さま、実は今日、その、…薬草を分けて頂きたく参ったのです」

 「薬草だと?」

 列の後ろにいた中宮が前に出てきて言った。猪手いては中宮の前で地面に膝をつくと息を整えながら事の次第を話し始めた。

 「実は若様が数日前に山に入られた際、獣に襲われたようなのです。いつもは用心深く慎重なお方で無理はされないのですが…思いの外、傷が深く悪化しているのです。こちらの小墾田宮おはりだのみやの薬草庫に傷口に良く効く薬があると聞き、分けて頂きたく今日参った次第です」

 「何故それを早く言わぬのだ!怪我をしている体で蹴鞠など、あの子も無茶なことを…」

 中宮が言った。

 「はい、申し上げたかったのですが若様が拒まれたので、どうすることも出来ませんでした。せめて薬草だけでも頂きたく、私の独断でこのように戻って参りました」

 「…数日前?…どこの山だ?」

 山代王が聞いた。

 「詳しい事はわかりませんが、確かその日、若様は一人朝早くから稲淵方面へと向かっておりました。おそらくどこかの山の麓の道を通られたと思います…」

 「まさか北山か?」

 山代王が即座に聞いた。

 「それがわからぬのです。若様に聞いても何故か答えてくれぬのです。しかし、北山の前をいつも通りますが、山に入る事はありません」


 「そうか…」

 山代王が静かに頷くと、


 「どうしたのだ?」

 中宮が心配そうに山代王を見た。

 「いえ、先日、燈花とうからを探しに北山に入ったのです。無事二人を見つけたあと橘宮たちばなのみやへ送り届けたのですが、そのあともう一度あの山に戻りました。その時に何者かに殺されているイノシシを確認したのですが、そのイノシシの牙にも何者かを噛んだような血が残っていたのです。しかし、林太郎りんたろうが一人わざわざあの山に入る理由がありませんし、性格からして余程の事情がない限り無理はしないはず。きっと別の狩の時に軽い傷を負ったのでしょう。今の時期どこの山にも獣が多く現れますゆえ」


 「軽い傷とはいえ、傷口を侮ってはいけない。化膿でもしたら大変だからな、今、薬草庫を確認させるゆえ、ここで待ちなさい」

 中宮が使用人達に急いで薬袋を持ってこさせた。

 「感謝いたします」

 猪手いては薬袋を受けとるとお礼を言い、深くお辞儀をして駆け出した。彼が去ると、

 「そうだ、燈花とうかそなたの髪飾りだが、今日は探しに行けなかったがまた、後日探しに行くゆえ、安心してほしい」

 山代王が優しく私に言った。

 「とんでもないお言葉です、雨の中、探し物をさせてしまい大変申し訳なく思っております。風邪をひかれたのではないかと、ずっと気がきではありませんでした。髪飾りはもう良いのです。また縁があればこの手に戻ってくることでしょう。ですから心配無用です。この時期に山に入るのはやはり危険ですからお止めください」

 「そうか…では今度、共に市に行こう。そなたに似合う髪飾りを贈りたいのだ」

 「お心遣いに感謝申し上げますが、お気持ちだけで十分でございます」

 私はその申し出を丁寧に断った。もらう理由がないからだ。

 「そなたは実に欲のない珍しい女人だ」

 そう言って大王と山代王は顔を見合わせた後、私を見て大笑いしはじめた。横でこのやりとりを見ていた小彩こさもクスクス笑っている。何がおかしいいのだろうと、私だけが理解出来ていないようで少しだけ居心地が悪かった。

 「燈花とうかよ、今日は遅くまでひき止めてしまってすまなかったな。太郎の事だか許してやっておくれ。無愛想で少々冷たく感じるかもしれないが心根は優しい子なのだ。小さい頃から見てきた。あの子もまた実の孫のような存在だ」

 しみじみと中宮が私に言った。

 「はい、また会いに参ります」

 「そうしておくれ」

 私と小彩こさは一礼して迎えの馬車に乗りこんだ。帰りの馬車の中で小彩こさに思い切って林臣りんしんのことを尋ねた。

 「小彩こさあなた以前より林臣りんしん様をご存知なのでしょう?年も近そうだし…お話したことはあるの?」

 「いいえ、もちろんありませんよ!林臣様はいつも無表情で近寄りがたいですし、この間の橋での出来事もございますので、恐ろしい限りです…」

 小彩こさが怯えたように肩をすくめた。

 林臣りんしん様は皇族ではなさそうだし、まだ若く朝廷で力を持っているようにもみえない…なぜそんなに小彩こさは怯えるのだろう…

 「ねぇ…北山での時は私達二人だけだったわよね?」

 「はい、そう思います。あの山は稲淵に通じておりますが、私達が行った場所は少し奥まっていてさらに獣道よりも少し外れていますので、通りすがりの人間はめったに居ないはずです」

 「そうよね…」

 でも思い返せば妙だった。北山でのあの時、確かにイノシシが十数メートル先にいて、こっちを見ていた。でも急に姿がなくなり私達は助かった。どこか腑に落ちなかった。

 すっかり暗くなった夜空を眺めているうちに馬車の揺れが心地よくなり、いつものように寝てしまった。





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