貴方色に染まる

浅葱

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本編

14.靠近(接近する)

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 それからどういうやりとりがあったのか紅児ホンアールは知らない。
 チェンはそのまま仕事に出てしまったし、大部屋の侍女たちも仕事中である。1人ぽつん、とベッドに腰掛けていたらどっと疲れが押し寄せてきて、紅児はそのまま寝てしまった。気づけば部屋は真っ暗で、途方に暮れたがそのまままた眠ってしまったようである。

「早く早く!」
「私の白粉おしろい知らない?」

 女性たちの甲高い声とぱたぱたと忙しなく動きまわる音で紅児は目覚めた。

「髪が曲がっているわよ!」
「やだ、もう急がなきゃ」

 一瞬ここはどこだろうと紅児は思ったが、すぐに四神宮の隣、寮内の大部屋の隅にある小部屋の中だと気付いた。おそらく侍女たちが朝の支度をしているのだろう。邪魔をしてはいけないと思い、黙ってじっとしていることにした。やがて支度が整ったらしく侍女たちが部屋を出て行く。
 シーンと静かになったのを確認してから紅児は起き上がった。その時ぐうう~と腹の鳴る音がした。

(うう……)

 そういえば昨日の昼頃に食事をしたきりだった。みな気を使って寝かせておいてくれたのだろう。しかも体が昨日より痛む。このまま寝ていた方がいいのだろうが、空腹も如何ともしがたい。
 とりあえず表を窺って、誰かいたら声をかけてみようと思い小部屋を出た。大部屋の中は予想通りがらんとしていた。
 ぐるりと中を見まわしてから、表へ続く扉に手をかける。
 紅児は自分が勝手に表へ出てはいけないことがわかっていた。だからせいぜいできるのは扉を開けて表を窺うぐらいである。誰の姿も見当たらなければまた小部屋に戻るしかないだろう。
 キィ……と音を立てて扉を少し開ける。そっと表を窺った時、紅児は目を見開いた。

「!?」
「どこへ行く」

 扉のすぐ横に赤い髪の美丈夫が佇んでいた。
 朝からなんて心臓に悪いのだろう。紅児はそっと自分の胸を押さえた。

「あ、いえ……その……」

 こんな素敵な人におなかがすいて出てきたとは知られたくない。けれど紅児のおなかは正直だった。

 ぐうう~

 紅児は全身真っ赤になった。きっと紅夏は呆れたような顔をしているに違いない。あまりの恥ずかしさに紅児は顔を俯かせた。

「……人間というのは厄介なものだな。ついて参れ」

 嘆息交じりに言って、紅夏は紅児の腕を取った。

「え? え?」

 そのまますっと引っ張られ、部屋から出されてしまった。しかもそのまま寮から離れて行こうとする。

「あ、あの……」
「腹が減ったのだろう。食堂へ行けばまだなにかあるやもしれぬ」
「で、でも……私勝手に表に出ていいのでしょうか?」

 戸惑いながらも聞くと紅夏が振り向いた。黒い瞳がじっと紅児を見つめた。

「そなたは……」

 そこまで言いかけたが、紅夏は再び前を向き歩きはじめた。

「我と共にいれば問題ない」
「あ、ハイ……」

 なんだかよくわからないがそうらしいので逆らわないことにした。
 最近わけがわからないことだらけだ。


 連れていかれた先はとても広い食堂だった。四神宮に勤めている人たちが利用しているらしく、食堂の端に厨房とを隔てた壁があった。壁の真ん中は開いており、厨房の中が覗けるようになっている。そこから食べ物を食堂に出すことができるようだった。壁に沿って長いテーブルが置かれ、その上にいろいろ料理の入った大皿が置かれていた。そこから好きなように取って食べられるようになっているらしい。
 食堂にはまだまばらに人がおり、そのうちの1人が顔を上げた。

紅夏ホンシャー様?」

 昨日花嫁の側にいた、確か黒月ヘイユエと呼ばれていた女性だった。艶やかな黒髪と凛としたたたずまい。その目が少し驚いているように見えた。

「ああ、黒月か……。ちょうどいい、紅児にどうしたらいいか教えてやってくれ」
「はい……」

 黒月は何か言いたそうな表情をしたが紅夏の言葉に素直に従った。ここで黒月に任せて行ってしまうのかと思ったが、紅夏は黒月から少し離れた席に着いた。黒月が嘆息する。

「ついて参れ」
「あ、はい……」

 この黒月や紅夏、そして白雲は四神の眷族なのだと聞いた。「眷族」というのが具体的にどういう存在なのか紅児にはさっぱりだが、四神にとても近く、人間ではないということだけはわかった。
 しぶしぶという体ではあったが、黒月はここでの食べ物の取り方などを丁寧に教えてくれた。

「ありがとうございます」

 頭を下げると黒月は目を細めた。

「そなたは……」

 言いかけたのを止め、

「紅夏様が待っていらっしゃるぞ」
「はい」

 黒月は自分の席に戻って行った。
 それにしても朝からいろいろな物が並べられている。養父母の店とはえらい違いだと紅児は感心した。
 利用する人数も多いからなのだろう。しかし食べ物の種類もさることながらどれも繊細な作りで、饅頭マントウや花巻(中華のパンのようなもの)もとてもおいしそうだった。ただ、端っこの方に置かれた小吃シャオチーはけっこう数が残っていた。もったいないなと思い近付いてみると、養父母の店で作っていたようないびつな形や焦げているようなものが多い。

「?」

 きれいな形で焦げていない物の方が確かにみな好きだろう。だが紅児はいびつな物を中心に皿に乗せた。春巻、揚げ餃子、食べやすそうな大きさの揚げ包子パオズ。どれもとてもおいしそうに見えた。それにお粥とザーサイ、アヒルの卵などを取り、ようやく紅夏のところに行った。
 見ると紅夏の前には何もない。もう朝食は済ませてしまったのかと少し残念に思った。

「あ、お茶かなにか持ってきますね」

 食べ物を置いて先程のところに戻る。急須もあったが、白い飲み物もあった。厨房の中に人の姿が見えたので「これはなんですか?」と聞く。豆乳だと言われたがそれがなんだか紅児にはやっぱりわからなかった。試しに自分の分だけ取り、紅夏にはお茶を持って戻った。
 向かいに腰掛けようとすれば横に座れと促される。紅児は戸惑った。それは確かこの国では恋人や家族といったとても近しい関係の人たちが座る位置ではないのだろうか。しかし紅児が持ってきた食べ物も紅夏の隣に移動されていることから、仕方なく横に座ることにした。

(自意識過剰だわ、きっと……)

 この美しい存在にとっては大した意味はないのかもしれない。

「その白い物はなにか」

 口をつけようとした時問われて、「豆乳だそうです」と答えた。
 温かい飲み物だ。おそるおそる口をつけると甘くてびっくりした。

「甘い!」

 それは実際ほのかな甘さだったが、甘い物自体を口にしたのは本当に久しぶりだったから思わず声を上げてしまった。村では砂糖は貴重品であったから。

「どれ」

 何故か横から手が伸びて来、豆乳の入った杯を取られる。
 抗議の声を上げようとした時、紅夏は当り前のように杯に口をつけた。

「え……」
「確かに、少し甘いな」

 ぺろりと口元を舌で舐める。その仕草に色を感じて、紅児は真っ赤になった。


 黒月は少し離れたところからそれを見て困ったような顔をする。
 何故か紅夏と一緒にいる紅児が少し気になって残っていたのだった。

(捕まったな……)

 黒月は席を立った。どちらにせよ自分にできることは何もない。
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