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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました

91.庇護欲が生まれました

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 三年ぶりに名を呼ばれたことで溢れた紅児ホンアールの涙は、陳秀美がぬぐった。
 陳が拾ってきたということもあるだろうが、優しく面倒をみる様子を見て香子も紅児に構いたくなった。
 多少落ち着いたらしい紅児が尊敬の眼差しを香子に向ける。香子はそんな彼女に微笑んでいたが、内心かなり焦っていた。

(いや、違うのよ! 語学を学ぶ素地があっただけでそんな目で見つめられるようなものではないのー……)

 純粋な瞳がとても眩しかった。とりあえずそっと深呼吸をして心を落ち着かせる。なんだか白虎は笑いをこらえているようで身体が小刻みに揺れている。むかつくのでこっそり腕をつねっておいた。

『エリーザ、貴女の話は大体聞いたわ。後でまた詳しく話を聞かせてもらってから判断してもいい?』
『はい、もちろんです!』

 即答である。そのキラキラとした緑の瞳が彼女が善良であることを表していた。

『でもここでは落ち着いて話もできないわね。茶室ではどうかしら?』

 さすがに人の目が多すぎると思い提案すると、

『『花嫁様!』』

 香子の両脇(と言っても斜め後ろの位置にいる)に控えていた二人が抗議の声を上げた。とっさに耳を塞ぐ。黒月と延夕玲だった。この二人はなんだかんだいって仲がいい。だからといってこんな時に気が合わなくてもいいと香子は思う。内心ため息を吐き、

『いいでしょう? 陳が連れてきたのだし、白雲も紅夏も嘘はついていないというのだから』

 言ってはみたがそこで納得してくれる二人ではない。更に言い募られた。
 紅児が所在なさげに縮こまっているのが見てとれて香子は気の毒になった。冷静に冷静に、と自分に言い聞かせて嘆息する。

『……彼女はたいへんな思いをしたのよ? もちろんもっとつらい思いをしている人は沢山いるかもしれないけど……陳が出会ったというのも、彼女が赤い髪をしているのも何かの縁。他人事とはとても思えないの。……いいでしょう?』

 諭すように言うと、二人はしぶしぶ承諾した。なんだかんだいって彼女たちは香子に甘いのである。

『陳、エリーザを案内して』
『かしこまりました』

 戸惑う紅児を促させ、四神宮に戻る。最初は茶室がいいかと思ったが広さでいえば食堂の方がいいだろうと変更する。部屋の広さはおそらく同じなのだが調度品などを置いている関係で茶室の方が手狭なのだ。とはいえ椅子の数は五脚しかないしそれらは専用の席なので、改めて椅子を用意してもらい紅児を座らせた。
 ためらいながらも椅子に腰かけた時、紅児は少し顔を顰めた。そういえば、と香子も思い出す。確か紅児は馬車道に投げ出されたのはなかったか。
 尋ねれば陳が、『おそれながら、彼女の体には打身がいくつかあります』と答えてくれた。黒月と夕玲がはっとする。これは手短に終わらせなければならないだろう。

『まぁ……では早めに休めるようにしなくてはね』

 寮の部屋の空きを尋ねると黒月や夕玲がしゃしゃり出てきてああでもないこうでもないと言い合ったが、結果以前陳が使っていた大部屋の中の一角を使ってもらうことにした。
 くるくると表情の変わる紅児は見ていて飽きない。美少女、ということもあるが香子は構いたくてしかたなかった。

『エリーザ、貴女や家族のことを教えてもらってもいいかしら。あまり時間は取らせないから』
『は、はい!』

 尋ねると恐縮された。この子はいい子だ、と香子の直感が告げる。
 香子自身は人を見る目があるとは思っていない。二十二年という人生の中で少なからず何人かに騙された経験もある。それは取り返しがつかないほどひどいことではなかったが、少なくとも自分の見る目を疑うには十分だった。なので香子は椅子と化してくれている白虎に触れ、「なにか違和感を覚えたら教えてください」と日本語で呼びかけた。微かに頷かれる気配にほっとする。香子が気付かないことは白虎が感じ取ってくれるだろう。
 名前と年齢、家族構成、貿易商だという紅児の父のこと。そして軽く、ではあるが秦皇島から出てきた経緯などを尋ねた。
 紅児の本名は、エリーザ・グッテンバーグ。春節が明けた頃が誕生日らしく、十四歳だという。

(14歳!? この国でも未成年!?)

 ちなみにセレスト王国の成人年齢は十八歳だという。そう考えると紅児はまだまだ子どもだ。
 1人っ子で、両親との三人暮らし。貿易商の娘だというからそれなりにいい暮らしをしていたお嬢様のはずである。跡取り娘ということもあり今回初めて同行させてもらったらしい。

(初めての海外渡航でこんなことになるなんて……)

 香子は同情を禁じえなかった。
 十一歳の時に父の仕事についてきて、そこで家族と離れ離れになり見知らぬ土地で暮らしていかなければならなかったなんて。言葉も何もかもわからなかった紅児にはそれがどれほどつらいことだったろう。香子には少ない知識を動員して想像することしかできなかったが涙が溢れそうになった。
 秦皇島の村から出てきた経緯は先に聞いていた通りだった。だが詳しく聞くと、ためらいながらも村での事情を話してくれた。
 曰く、紅児は(唐の法律では)来年成人する。すでにいくつか縁談がきていることを養父に知らされた。だが養父としてはそのまま嫁に出すのは忍びなかったのか、赤い髪の”四神の花嫁”が降臨したことを聞いて王都に行かないかと提案してくれたのだという。
 なんというか細い線を辿って王都に出て来たのか。これはまさに縁だ、と香子は思った。
 紅児は養父母にとても恩義を感じているらしいが、まだそれだけでは養父母の人となりは判断できなかった。好意的に見れば紅児の養父母は善人である。だがそれを鵜呑みにすることはできない。

(まずは探し出さないと話にならないわね)

 紅児の実父が皇帝に目通りが叶うほど有名な貿易商だったということまで確認して、香子は彼女たちを下がらせた。白虎も紅児を預かることに了承してくれたので問題はないだろう。
 陳と紅児が出て行くのを見送った後、香子はでろんと身体の力を抜いた。

(疲れた……)

 久しぶりに中国語を母国語としない人と話をした、ということもある。それでも相手が流暢ならば大丈夫だが紅児の言葉には東北の方言も混じるし、単語はほとんどわかっていないしで白虎に頼らなければ細かいことは聞きだせなかっただろう。こんな時四神のチート能力は重宝する。この世界の言語であれば四神は聞いて理解することもできるし、そこに籠められた感情などもわかるので嘘を見抜くことができる、という能力は以前聞いたことがあったのでかなり助かった。

『……花嫁様』
『だらしないですよ』

 とりあえず今は黒月と夕玲の追及から逃れるのが急務である。

『白虎様の室に行きましょう!』

 さあ行きましょう、ほら行きましょう! と促して、香子は苦笑する白虎を立ち上がらせた。


 だがもちろん夕食前に彼女たちに捕まり、散々説教されたのは言うまでもないだろう。

(おかしーなー。私花嫁じゃないのかなー?)

 半泣きになりながら香子は首を傾げた。
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