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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました

88.それは運命が交差する瞬間

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 本日もいい天気だった。
 昼食の後白虎の室に運ばれる途中、香子は月季花が咲いているのを見かけた。

『薔薇だぁ……綺麗ですね』

 そういえば元の世界ではこの花が北京市の花の一つだったことを思い出した。
 香子自身花心はないと自覚しているが薔薇や菊といった誰でも知っているような花はわかる。一月ほど前には白玉蘭ハクモクレンや櫻花も咲いていた。
 櫻花、と言ってもソメイヨシノではない別の品種のようで、花は白くなかなか散らなかった。それでも見られたことが嬉しく、香子は笑顔になった。この世界にも桜があるならがんばれる気がした。
 中国は好きだけどなんだかんだいって日本人なのだなと思うのはそんな時だ。
 思えば遠くにきたものだ、と香子はしみじみする。そしてもう二度と戻ることはない。

(せめて別れぐらい言いたかったな……)

 白虎の腕の中でしんみりする。涙が浮かぶ前に、

『外で茶にしよう』

 優しいバスがそう告げた。

『はい……』

 四神は優しい。香子の感情の揺れに敏感で、でも人ではないからかどこかずれているところもあって。
 四神宮内の庭、石でできた卓子テーブルと凳子(背もたれのない椅子)が設置されているところにひらりと降り立ち、白虎が腰掛けた。いくらもしないうちに侍女たちによってお茶とお茶菓子が用意される。香子は白虎の腕の中から周りを見回した。月季花が色とりどりに咲いていた。

『こんなに薔薇が咲いているなんて、気付きませんでした……』

 そういえば、と元の世界の北京の街並みを思い出す。雨がろくに降らないのでほこりっぽかった。そんな中薔薇を見かけた覚えがある。失礼だが中国に薔薇のイメージがなかったので首を傾げたものだった。しかも春から秋にかけて途絶えることがなかったことから、咲く期間が長いのだなと感心した記憶もある。
 ちら、と背後を窺えば黒月と白雲が控えていた。侍女頭の陳秀美は昨日実家へ帰った。四神宮の侍女にさせてほしいという親戚の少女に会う為である。陳が四神宮を離れる際、白雲とどんなやりとりをしたのか詳しくは知らない。ただ白雲に書状をしたためるよう頼まれたことから、陳が見合いをさせられるのではないかと危惧していることだけはわかった。
 ただ、今白雲も観察する分にはなんら変化はないように見えた。

(私が気にしてもしょうがないよね)

 と思いつつ気になることは気になる。香子は軽く首を振った。

『花は好きか』
『見るだけでしたら』

 香子は元々皮膚が弱いので下手に植物に触れるとかぶれてしまう。それを自分で理解してからは触れないようにしている。だから、「見るだけ」なのだった。

(あれ? でも人でなくなっているなら触れるかしら?)

 香子は自分の手をまじまじと見つめた。なんとも白くみずみずしくなっている。髪はもう染めなくても赤いままだ。侍女たちに丁寧に世話をされているというのも関係しているが、身体に残るちょっとした傷跡なども綺麗に消えているような気がした。
 人の細胞は一定の周期で入れ替わっていると聞くが、この変化はそれだけが理由ではないだろう。

『如何か』
『いえ……私元々肌が弱いんですけど、今なら花とか触ってもかぶれないかなと思って……』
『……人の身体とは難儀なものだな』

 白虎は香子を抱いたまま立ち上がり、月季花の繁みに近づいた。

『触れてみよ』
『あ……はい』
『もしおかしなことがあれば治す故』

 香子は戸惑いながらも笑みを浮かべた。
 赤いもの、薄紫のもの、ピンクっぽい、白っぽいもの。そっと茎に触れ、花弁に触れた。
 そんな何気ないことが安心してできることが嬉しい。

(優しいなぁ……)

 こういった一つ一つの触れ合いが想いの積み重ねとなる。そうして二人はしばし穏やかな時を過ごした。


 *  *


 久しぶりに足を踏み入れた実家はもう他人の家のようだった。

「四神宮はどうだ?」
「四神はどのようなお方?」

 陳秀美が帰宅するのに合わせてか、家族だけでなく親戚たちまでやってきたらしい。彼女は内心嘆息した。
 浴びせられる質問に如才なく答えているうちに夜になり、陳はようやく身体を休めることができた。

(もうここは私の家ではないのね……)

 たった二、三日の間だというのにもう四神宮の、白雲の室に帰りたくてしかたない。彼女は苦笑した。
 翌朝、陳は両親に半ば予想していた話をされた。
 縁談がある、というのである。しかも陳がいないのをいいことにほとんど話を進めてしまっているらしい。彼女は天を仰いだ。白雲の顔が浮かぶ。やはり連れてこなくて正解だったと思った。

「父上、母上、申し訳ありません。それについては花嫁様から書状を預かっております」
「な、何!?」
「そういうものは早く出しなさい!」

 半ばひったくるようにして取った書状を両親は食い入るように読み、そして青ざめた。

「は、花嫁様にお気に召していただいているならばしかたない……」
「然るべき相手と娶せてくださるなら、ねぇ……」

 両親の態度に、陳は四神宮でのやりとりを思い出した。


「会ってくるだけですから」

 当然ながら両親からの呼び出しに白雲は難色を示した。

「では我も同行させよ」

 そう言われるとは思っていた。だが一緒に行くわけにはいかない。

「だめです」
「何故か。もしや見合いをしてくるのではなかろうな」

 その可能性がないとは言えなかった。侍女を紹介したい、というのは口実の一つかもしれない。だけど、

「例えそうだとしても断ります。大丈夫ですから。それに……」
「それに?」
「……白雲様を他の女性に会わせたくありません」

 口先ではなく、本当に白雲を誰にも会わせたくはなかった。陳は延夕玲の白雲を見る瞳に、初めて危機感を覚えたのだ。
 最初は求められたから。でも今は受け身だけだとはいえない。
 白雲は嬉しそうな表情をした。

「……早く戻れ」
「はい」

 一応はそれで納得したようだったが、四神宮を出る前に「花嫁様からだ」と書状を受け取った。もし縁談などの話が出た場合両親に渡すようにと言われ、陳は花嫁に対して申し訳ないと思った。花嫁自身が書いたわけではないだろうが、白雲に事情を聞いて書く内容を考えたのは花嫁であろうから。
 書状の中身は見ていないのでわからないがよろしく綴ってくれたのだろう。縁談については断ってもらうことになった。四神宮に戻ったら花嫁にお礼を言わなければと思う。
 両親もなんとか納得し、親戚の少女にも会った。可愛い少女だったが四神宮には向かないという印象を受けたので後日そちらも断ってもらうことにした。結局三日ほど滞在し、四神宮へ戻る馬車に乗った時陳はひどく疲れていた。
 実家から王城へ戻る道すがらぼうっと窓の外を眺めていた。
 喧騒が近づいてくる。どうやら王城の近くまできたらしい。王城の周りはとても賑やかだ。
 しかしそのうち喧騒に違うものを感じて陳はそっと馬車の窓から顔を出した。
 すると、馬車道の端に人が倒れているのが見えた。

「!? 止めて!! 馬車を止めなさい!!」

 馬車道の端に倒れていたのはくすんだような赤い髪をした少女。


―運命がまた一つ動き出した。
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