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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました
87.周りが騒がしくてたいへんです
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ころは初夏である。
日本と違い梅雨のない北京地方はそのまま夏になる。
とはいえまだまだ春の気配を残しておりポプラの綿毛が飛ぶ以外は過ごしやすい気候だ。
春の大祭にはまだ一か月以上あるが(時期的に春じゃないと香子は思っている)贈物などは増えているようだった。
(もらってもなぁ……)
四神への贈物などは直接領地へ送るようにしているそうだが香子への贈物は四神宮に届けられる。ニ、三日に一度ぐらいは目録と現物を確認するのだが、目録は未だに読みづらいし、現物はあまりにきらびやかで目がちかちかするしで感覚が麻痺しそうである。
それでも侍女たちが毎回何人かで仕分けをし、香子が好きそうな物を先に寄り分けてくれているので確認自体はそれほど時間がかからなくなった。好みの物は部屋に運んでもらい、残りを更に侍女たちが選別して香子に似合いそうな物などを取っておく。それでも残ったものは全て中書省の手配で売りさばかれ、現金は孤児が暮らす場所や巷の病院、そして救貧院などへ寄付される。もちろんそれらが不正に利用されないよう管理官もいて定期的に巡回してくれているらしい。
最近はそれらの場所からお礼の書状などが届いている。達筆で香子にはとても読めないので誰かに読んでもらっている状況がもどかしい。けれどそれを言えば延夕玲がため息混じりに、
『貴人とははそういうものでございます』
と言うのである。身分の高い女性が自ら書状などに目を通すなどとんでもない。女官や、側仕え、良家の妻であれば家令などに読ませるのが当り前だという。香子がげんなりした表情をすれば、『花嫁様』と窘められる。本当によくできた女官である。
香子部屋付きの侍女の一人だった湯美明が辞めてから三日が経った。本来ならばすぐに新しい侍女が補充されるはずだがいろいろあってそう簡単にはいかないらしい。主官の趙文英や王英明が本当に申し訳なさそうに伝えてきた様子から、その裏にさまざまな思惑を感じ取って香子は内心嘆息した。
趙や王は香子に絶対詳細を教えてはくれないはずである。そんなわけで書の師である張錦飛に尋ねることにした。
『字の練習がなかなか進んでおらぬようですな』
『申し訳ありません』
素直に謝罪すると張はほっほっほっと笑った。その笑い方を、香子はいつもバルタン星人かと思う。
『善哉、善哉』
書を習った後のお茶の時間である。香子は居住まいを正した。
『張老師、少しお尋ねしてもよろしいでしょうか』
『如何か』
『先日侍女が一人辞めたのですが、後任がなかなか決まらないようなのです』
『ふむ』
『何故決まらないのか少し気になりまして。もし老師がご存知のことがあれば教えていただきたいのです』
張は少し考えるような表情をし、香子の背後を見やる。それだけで何か知っていることは間違いなかった。
『そうですなぁ……四神宮の侍女といえば以前であればそれほど成り手もいなかったようですが、今はどうやら娘を送り込みたいと思う家も多いと聞いています。そういえばつい昨日四神宮に渡りをつけてほしいという者が参りましたな』
『え……そうなのですか』
『隠居の身ですのでお断りしましたが』
『とんだご迷惑を……』
張が四神宮に通っていることを知る人は知っているだろう。侍女一人のことがけっこう大事になっているようで香子は冷汗をかいた。
『いやいや、この歳になってなかなか刺激的な日々を送らせていただいております』
そう茶化すように言い、また張はほっほっほっと笑った。
そうやって笑い飛ばせるならかまわないのだが、皇太后から手紙が届いたと聞いた時は土下座でもしたい心境だった。
皇太后はすでに夕玲を女官として派遣しているので新たに侍女などを斡旋するつもりはないが、四神宮に口利きをお願いしたいという話はちらほら来ているらしい。しかもそれは皇太后宛だけでなく皇后のところにも来ているというのだから状況は推して知るべしである。
とはいえ本来は皇太后や皇后であっても四神宮に関しては口利きをできるような立場でもない為、全てお断りしてくれているらしい。
(常識的に考えてそうだよね……)
しかし心情的には落ち着かないのでそのうちどこかで席を準備する必要はあるだろう。
それにしてもどうしたら収拾がつくのか香子の頭ではとても考えつかない。もちろん香子自身が考える必要は全くないのだが、湯が辞めるきっかけに携わったこともあり気にしてしまうのはしかたないことだった。
そんなある日のこと。
『二、三日実家に帰る?』
『はい』
侍女頭の陳秀美だった。『恥ずかしながら……』と語られた内容に香子は微妙な表情をすることしかできない。
どうも四神宮の侍女を募集しているらしいということを陳の実家が聞きつけたらしい。それで親戚筋の少女を使ってほしいと声がかかったのだという。しかしすんなり返事をすることもできないのでまず陳が会って人となりを確認し、それから吟味してもらうという話になったのだとか。
『まぁ……私はかまわないけどその、白雲は……?』
『お気遣いいただき感謝します。今回は私一人で参ります』
『そう……無事の帰還を願っているわ』
『ありがたきお言葉』
きっとすったもんだあったのだろうなと想像するが、個人のことなので香子は気にしないことにした。下手に首をつっこんで大怪我をするのはまっぴらである。
そして陳の親戚には悪いがその少女に決まることもないのだろうな、とも。
侍女探しはなかなか難航しそうである。
そう誰もが思っていた。
―陳が、あの少女を連れて帰るまでは。
日本と違い梅雨のない北京地方はそのまま夏になる。
とはいえまだまだ春の気配を残しておりポプラの綿毛が飛ぶ以外は過ごしやすい気候だ。
春の大祭にはまだ一か月以上あるが(時期的に春じゃないと香子は思っている)贈物などは増えているようだった。
(もらってもなぁ……)
四神への贈物などは直接領地へ送るようにしているそうだが香子への贈物は四神宮に届けられる。ニ、三日に一度ぐらいは目録と現物を確認するのだが、目録は未だに読みづらいし、現物はあまりにきらびやかで目がちかちかするしで感覚が麻痺しそうである。
それでも侍女たちが毎回何人かで仕分けをし、香子が好きそうな物を先に寄り分けてくれているので確認自体はそれほど時間がかからなくなった。好みの物は部屋に運んでもらい、残りを更に侍女たちが選別して香子に似合いそうな物などを取っておく。それでも残ったものは全て中書省の手配で売りさばかれ、現金は孤児が暮らす場所や巷の病院、そして救貧院などへ寄付される。もちろんそれらが不正に利用されないよう管理官もいて定期的に巡回してくれているらしい。
最近はそれらの場所からお礼の書状などが届いている。達筆で香子にはとても読めないので誰かに読んでもらっている状況がもどかしい。けれどそれを言えば延夕玲がため息混じりに、
『貴人とははそういうものでございます』
と言うのである。身分の高い女性が自ら書状などに目を通すなどとんでもない。女官や、側仕え、良家の妻であれば家令などに読ませるのが当り前だという。香子がげんなりした表情をすれば、『花嫁様』と窘められる。本当によくできた女官である。
香子部屋付きの侍女の一人だった湯美明が辞めてから三日が経った。本来ならばすぐに新しい侍女が補充されるはずだがいろいろあってそう簡単にはいかないらしい。主官の趙文英や王英明が本当に申し訳なさそうに伝えてきた様子から、その裏にさまざまな思惑を感じ取って香子は内心嘆息した。
趙や王は香子に絶対詳細を教えてはくれないはずである。そんなわけで書の師である張錦飛に尋ねることにした。
『字の練習がなかなか進んでおらぬようですな』
『申し訳ありません』
素直に謝罪すると張はほっほっほっと笑った。その笑い方を、香子はいつもバルタン星人かと思う。
『善哉、善哉』
書を習った後のお茶の時間である。香子は居住まいを正した。
『張老師、少しお尋ねしてもよろしいでしょうか』
『如何か』
『先日侍女が一人辞めたのですが、後任がなかなか決まらないようなのです』
『ふむ』
『何故決まらないのか少し気になりまして。もし老師がご存知のことがあれば教えていただきたいのです』
張は少し考えるような表情をし、香子の背後を見やる。それだけで何か知っていることは間違いなかった。
『そうですなぁ……四神宮の侍女といえば以前であればそれほど成り手もいなかったようですが、今はどうやら娘を送り込みたいと思う家も多いと聞いています。そういえばつい昨日四神宮に渡りをつけてほしいという者が参りましたな』
『え……そうなのですか』
『隠居の身ですのでお断りしましたが』
『とんだご迷惑を……』
張が四神宮に通っていることを知る人は知っているだろう。侍女一人のことがけっこう大事になっているようで香子は冷汗をかいた。
『いやいや、この歳になってなかなか刺激的な日々を送らせていただいております』
そう茶化すように言い、また張はほっほっほっと笑った。
そうやって笑い飛ばせるならかまわないのだが、皇太后から手紙が届いたと聞いた時は土下座でもしたい心境だった。
皇太后はすでに夕玲を女官として派遣しているので新たに侍女などを斡旋するつもりはないが、四神宮に口利きをお願いしたいという話はちらほら来ているらしい。しかもそれは皇太后宛だけでなく皇后のところにも来ているというのだから状況は推して知るべしである。
とはいえ本来は皇太后や皇后であっても四神宮に関しては口利きをできるような立場でもない為、全てお断りしてくれているらしい。
(常識的に考えてそうだよね……)
しかし心情的には落ち着かないのでそのうちどこかで席を準備する必要はあるだろう。
それにしてもどうしたら収拾がつくのか香子の頭ではとても考えつかない。もちろん香子自身が考える必要は全くないのだが、湯が辞めるきっかけに携わったこともあり気にしてしまうのはしかたないことだった。
そんなある日のこと。
『二、三日実家に帰る?』
『はい』
侍女頭の陳秀美だった。『恥ずかしながら……』と語られた内容に香子は微妙な表情をすることしかできない。
どうも四神宮の侍女を募集しているらしいということを陳の実家が聞きつけたらしい。それで親戚筋の少女を使ってほしいと声がかかったのだという。しかしすんなり返事をすることもできないのでまず陳が会って人となりを確認し、それから吟味してもらうという話になったのだとか。
『まぁ……私はかまわないけどその、白雲は……?』
『お気遣いいただき感謝します。今回は私一人で参ります』
『そう……無事の帰還を願っているわ』
『ありがたきお言葉』
きっとすったもんだあったのだろうなと想像するが、個人のことなので香子は気にしないことにした。下手に首をつっこんで大怪我をするのはまっぴらである。
そして陳の親戚には悪いがその少女に決まることもないのだろうな、とも。
侍女探しはなかなか難航しそうである。
そう誰もが思っていた。
―陳が、あの少女を連れて帰るまでは。
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