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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました

84.その恋のゆくえ(延夕玲視点)

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 あの方の姿が見たくて、少しでも側にいられるならばと女官になったのに。

(白雲様、何故その人なのですか?)


 *  *

 
 皇太后による強引な決定で延夕玲は”四神の花嫁”付の女官となった。
 四神宮に足を踏み入れれば明らかに空気が違った。清涼とも言える微かな風の流れは、緊張していた夕玲の心をほんの少しだけ落ち着かせた。
 四神宮では驚きの連続だった。まず毒見役は必要ないという。曰く、四神や眷属には効かないし入っているかどうかもわかるらしい。謁見については全て中書省の方で断っているのでよほどのことがない限り来客もない。たまに直接主官である趙文英に口利きを頼んでくる者もいるようだが全て断っているのだという。そして花嫁もめったに外出しない。まず四神宮を出ることがないので、特に女官の必要性を感じていなかったようである。
 理由はわかったがこれからは皇太后とのやりとりもあるだろう。それを伝えると「ああそうね……手紙とか自分で書けないし」と花嫁はのん気に言う。夕玲は脱力した。多少構えていた己が馬鹿みたいだった。
 花嫁の守護だという黒月には最初からよい感情を持たれていないのはわかっていた。けれど観察していくうちに、本当に花嫁のことを大事に思っていることがわかり夕玲は興味を持った。

「黒月さんは、花嫁様を大事にされていますよね」

 たまたま二人きりになった時呟くように言ったら睨まれた。

「……花嫁様に徒名すようであれば、容赦はせぬぞ」

 夕玲は肩を竦めた。そんなつもりは全くない。以前黒月が花嫁に冷淡であったと人づてに聞いていた。けれど今は花嫁様命とでも言い出しそうなほどずっと側に控えているのだという。その変化が何によるものなのか夕玲は知りたかった。

(黒月とは長期戦ね)

 やりとりを見ていればそのうちわかることもあるだろう。
 それよりも夕玲には確認したいことがあった。
 夕玲は白虎の眷属である白雲に想いを寄せていた。直接口を聞いたこともない、目も合ったことがない、ただ皇太后が白虎に会う時にその姿を見かけるだけであったが、彼女は確かに白雲に恋をしていた。
 それは本来初恋と言うべきもので、いずれ消えてしまうような淡い想いであったのだが、そう簡単に会える相手ではなかったことや、場合によっては人との結婚もできるようなことを聞いてしまえば、諦めることもできなくなってしまった。
 夕玲はちょうど結婚適齢期である。だから聞いてみたかった。自分に可能性があるのかと。
 もしなければ花嫁が四神の誰かに嫁いだ後諦めて家の為に縁談を受けようと思った。
 けれど四神宮に来て、彼女は気付いてしまった。

 白雲が、今まで見たことのない表情で誰かを追っているのを。

 相手はすぐに知れた。侍女頭の陳秀美だった。
 夕玲は花嫁付なので普段花嫁の部屋にいることになったが女官は基本主人がいなければ自由である。だからたまたま花嫁の部屋から出て一旦宿舎に戻ろうとした時見てしまったのだ。

「っ! まだ仕事中です……」
「これから昼食であろう。少しぐらい、よいだろう」
「白雲様!」

 触れようとする白雲と、それを満更でもない表情で避けようとする陳。
 カッと頭に血が昇る。どす黒い何かで全身が満たされたようになり、夕玲は胸を喘がせた。

(あれは、何?)

 信じられなかった。皇太后が白虎に会いに行った際、彼らは表情を変えることなどなかった。皇太后の我儘に白虎が一瞬眉を寄せることはあっても白雲の表情が動いたところなど見たことがない。

(どうして、どうして、どうして)

 あの瞳。
 あんな色を含んだ眼差しを夕玲は向けられたことなどない。そう、夕玲は白雲に興味を持たれたことなど一度たりともなかったのだ。
 彼女はそれに気付き、絶望した。
 ふらり、と身体が傾き回廊の欄干にぶつかりそうになった時、夕玲は誰かに支えられた。

(誰?)
「大事ないか?」

 ふい、と視線を向ければ美しい緑の髪と黒い瞳が夕玲の目に飛び込んできた。青龍の眷属である青藍だった。

(どうして……)

 その瞳は夕玲をまっすぐ見つめ、明らかに興味を持っているように見えた。彼女は泣きたくなった。

(どうして、この方なの?)

 静かな、涼やかな声が夕玲を案じていた。その眼差しと声に、彼女は気付いてしまった。
 四神もその眷属も人に対して感情を表すことはまずない。皇太后が会いに行っている白虎も基本は無表情で、何度もその姿を見ているから苦笑しているのだなとわかる程度だ。声も低くおごそかだがそこにはなんの感情も感じられなかったと夕玲は思う。それが花嫁に対してだけは違い、夕玲は驚いたものだった。
 そして今見た光景。あんなに白雲は表情が豊かだったのかと。
 そうか、と彼女は納得した。

 白雲は夕玲の相手ではなかったのだ。

 だからといってそこで気持ちが止まるほど簡単なことではない。

(私の想いは……この気持ちは……どうしたら……)

 夕玲の心の中は荒れ狂っていた。いつのまにか俯かせていた顔を上げると、まだ緑の髪の主がそこにいた。彼は静かにそこに在り、彼女の反応を待っているようだった。

(どうして……)

 たまらなかった。

「どうして……どうして貴方なのですか!? どうして貴方が私のっ……!!」
「何故かはわからぬ。だがそなたが我の”つがい”であることは間違いないようだ」

 静かな、涼やかな声にも夕玲の心が慰められることはない。夕玲は彼の胸を叩いた。何度も何度も叩いた。いつのまにか目元は濡れ、後から後からやり場のない思いと共に溢れ出し頬を濡らした。

「私はっ……あの方をずっと見てきたのにっっ……!!」

 優しく抱き寄せられる。その所作とは裏腹に彼の腕は逞しく夕玲を支えた。彼女は彼の上衣を指の色が変わるほどきつく握りしめ気がすむまで泣き叫んだ。
 何故か誰も通りかかることはなく、彼はずっと彼女を抱きしめていた。

―誰にも見せないように。
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