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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました
83.愁いを掃うのはたいへんです
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ほうっと嘆息し、香子は黒月に声をかけた。
『……玄武様と過ごしたいわ』
彼女の顔に一瞬喜色が浮かんだが、すぐにまた能面のようなそれに戻り主人の願いを叶える為に出ていった。
四神の眷属は美しい、と香子は思う。人ならざるものの美だが、彼らの心中は人のように多彩だ。しかし表情はあまり動かない。それを香子はもったいないと感じた。
(表情が豊かだったら引く手あまただろうな……)
玄武が迎えにくるまで、そんなことを考えた。
玄武は何も言わず香子に寄り添ってくれた。
四神に抱き上げられるとひどく安心する。四神は香子の夫という立場だからなのかもしれないが、守られていると心から感じるのだ。刷り込みかもしれないと香子も思うことはある。けれどそれならそれでかまわないではないか。一生刷り込まれていればいいだけのことだ。
(ああでも……すごく長い刷り込みかも)
どれほどの時を四神と共に生きるのだろうか。
不安はある。しかし今それを考えてもせんなきことだ。
香子は玄武に縋りついた。玄武の室である。誰もその様子を見ていないから、香子は思いっきり甘えることにした。
なんというか今日も香子はもやもやしていた。
皇帝の立場も皇太后の立場もなんとなくわかる。そして皇族である昭正公主についても。
四神がこの国の守護神だということを知らない者はいないはずだ。しかしその花嫁について言えば誰も見たことがない。(先代の花嫁を知る人がいたとしてもすでに他界しているはずである)
それでも、”四神の花嫁”と言われる存在なのだ。この国の守護神の嫁、と考えたら皇帝に色目を使うなどありえないではないか。
香子は軽く首を振った。何度考えてもしかたがない。もうすでに起こってしまったことである。
『香子』
バリトンが柔らかく耳に響く。香子はうっとりと目を閉じた。
『どうしたらそなたの愁いを掃うことができるのか』
お酒で愁いが掃えるかもしれないと言いたくなるが、本当に用意されてしまいそうなので言わないことにした。
『……玄武様が側にいてくれるだけでいいんです。でも……ちょっと愚痴っていいですか?』
『いくらでも』
香子は香子なりに我慢していた。そこには香子の解釈で口にするのがためらわれるものもあったが、間違ってはいないはずなのでまず確認することにした。
『……ええと、”四神の花嫁”って……ぶっちゃけ四神に愛されるのがお仕事ですよね? 他にすることってないですよね?』
香子の頬を撫でる玄武の手が一瞬止まる。ククッと喉を鳴らすような音がして、香子はおそるおそる顔を上げた。
うっ、と詰まる。玄武が愛しくてならないという目で香子を見つめていた。香子は一瞬で顔が熱くなるのを感じた。
『仕事ではない。香子、そなたが我らに愛されるのは”義務”だ』
以前も聞いた科白である。香子は義務という言葉が決して好きではないが、蕩けるような眼差しを向けられ、抱きしめられながら言われるとそれでもいいかと思ってしまう。
『義務、ですか……』
『仕事と言うならば、ここにいて、我らのうち誰を選ぶのかがそれに当たるだろう。だが』
耳から溶けてしまいそうだと思いながら香子は玄武の言葉を反芻する。
『最終的にそなたが誰を選ばなくても問題はない』
『え』
香子は我に返った。
『大丈夫、なんですか?』
『ああ。しかしその際はおそらく四神の領地を転々とする形になるだろう。そして香子、そなたは』
なんだか背筋がぞくりとして香子は身震いした。
『我ら四神を常に受け入れねばならぬ』
ああもう無理だ、と香子は意識を失いたくなった。解釈によってはどうとでもとれる言い回しである。
選ばない、ということは全員を選んだことになるようだ。いったいどんなことになってしまうのか。
(めくるめく愛欲の日々、みたいな想像しかできない……)
実際玄武からぶわりと音がするように出てきた色気がとんでもない。しかもそれは香子に集中しているから尚更だった。
『……う、あ、はい……ま、真面目に考えます……』
どうにかそれだけ答えてばくばくする心臓を宥める。
『して、如何か?』
『あ、ハイ……』
色気が抑えられて、香子はやっと息を吐いた。以前に比べて玄武も落ち着いてきたと思う。きっと朱雀ならあのまま寝室に連れ込まれていたに違いない。失礼なことを考えながら、香子はもやもやを思い出した。
『……大祭で恩赦があるって言ってたんです』
玄武が軽く頷いた。朱雀たちが知らせたのかもしれないが、元々そういうものだと知っていたのかもしれない。
『それで、昭正公主の蟄居を解くことになったらしいんですけど……。たぶん、彼女は自分が何をやったのかわかってないんだろうなって思ってしまって。でもお嫁に行くみたいだから蟄居したままだと外聞も悪いし、とか』
『香子は優しいな』
『……優しくはないです。ただ単に蟄居したままお嫁に行くことになったら、彼女は婚家で一生肩身の狭い思いをしなければいけないでしょう? たった一度の過ち、というか若気の至りというか……そのことで私は彼女の一生は背負いたくないのです。もう関わることもない相手ですし……』
口にしながら、香子はやっともやもやの正体がわかった気がした。
『四神とその花嫁への敬意がないのもおかしいですが、それより何より民を大事にしていないのがむかつくんです! 身分の高い人がそういう扱いをするならみんなそれに追随するじゃないですか! 皇帝あっての国じゃありません! 民がいてこその国です! 四神がいるからずっと唐の時代が続いていますけど、四神がいなかったら王朝はどんどん入れ替わっているはずです! ああでも政治に介入するのは違うと思うし……』
もやもやの正体はわかったが、そのおかげで香子は更にもやもやしそうな気がした。けれど玄武の言葉で思い直す。
『香子、そなたのしたいようにすればいい。そなたは人の身で”四神の花嫁”となった。そなたを阻むものはなにもない』
『……人だけど人ではない……』
以前張錦飛に言われたことである。四神に従う必要もない、ということは。
(あれ? もしかして私最強説?)
香子は小首を傾げた。
『……ええと、玄武様』
『曲がっているぞ』
少し身体も傾いていたらしい。戻されて、改めて玄武を見た。
『あのぅ……私が間違ったことをしようとする、とか。した場合はちゃんと止めてくださいね?』
玄武は本当に愛しくてならないというように目を細め、『そうしよう』と応えた。香子はほっとしたが自分の面倒くささが嫌になった。
いつだってこうやって堂々巡りである。
『では香子、次は我の愁いを掃う手伝いをせよ』
『え?』
話は済んだだろうと抱き上げられて寝室へ連れて行かれる。
(お酒では駄目なんですかー……)
香子としても異論はないが、結局こうなってしまうことに軽く息を吐く。
ただその瞳は今玄武だけを映していた。
『……玄武様と過ごしたいわ』
彼女の顔に一瞬喜色が浮かんだが、すぐにまた能面のようなそれに戻り主人の願いを叶える為に出ていった。
四神の眷属は美しい、と香子は思う。人ならざるものの美だが、彼らの心中は人のように多彩だ。しかし表情はあまり動かない。それを香子はもったいないと感じた。
(表情が豊かだったら引く手あまただろうな……)
玄武が迎えにくるまで、そんなことを考えた。
玄武は何も言わず香子に寄り添ってくれた。
四神に抱き上げられるとひどく安心する。四神は香子の夫という立場だからなのかもしれないが、守られていると心から感じるのだ。刷り込みかもしれないと香子も思うことはある。けれどそれならそれでかまわないではないか。一生刷り込まれていればいいだけのことだ。
(ああでも……すごく長い刷り込みかも)
どれほどの時を四神と共に生きるのだろうか。
不安はある。しかし今それを考えてもせんなきことだ。
香子は玄武に縋りついた。玄武の室である。誰もその様子を見ていないから、香子は思いっきり甘えることにした。
なんというか今日も香子はもやもやしていた。
皇帝の立場も皇太后の立場もなんとなくわかる。そして皇族である昭正公主についても。
四神がこの国の守護神だということを知らない者はいないはずだ。しかしその花嫁について言えば誰も見たことがない。(先代の花嫁を知る人がいたとしてもすでに他界しているはずである)
それでも、”四神の花嫁”と言われる存在なのだ。この国の守護神の嫁、と考えたら皇帝に色目を使うなどありえないではないか。
香子は軽く首を振った。何度考えてもしかたがない。もうすでに起こってしまったことである。
『香子』
バリトンが柔らかく耳に響く。香子はうっとりと目を閉じた。
『どうしたらそなたの愁いを掃うことができるのか』
お酒で愁いが掃えるかもしれないと言いたくなるが、本当に用意されてしまいそうなので言わないことにした。
『……玄武様が側にいてくれるだけでいいんです。でも……ちょっと愚痴っていいですか?』
『いくらでも』
香子は香子なりに我慢していた。そこには香子の解釈で口にするのがためらわれるものもあったが、間違ってはいないはずなのでまず確認することにした。
『……ええと、”四神の花嫁”って……ぶっちゃけ四神に愛されるのがお仕事ですよね? 他にすることってないですよね?』
香子の頬を撫でる玄武の手が一瞬止まる。ククッと喉を鳴らすような音がして、香子はおそるおそる顔を上げた。
うっ、と詰まる。玄武が愛しくてならないという目で香子を見つめていた。香子は一瞬で顔が熱くなるのを感じた。
『仕事ではない。香子、そなたが我らに愛されるのは”義務”だ』
以前も聞いた科白である。香子は義務という言葉が決して好きではないが、蕩けるような眼差しを向けられ、抱きしめられながら言われるとそれでもいいかと思ってしまう。
『義務、ですか……』
『仕事と言うならば、ここにいて、我らのうち誰を選ぶのかがそれに当たるだろう。だが』
耳から溶けてしまいそうだと思いながら香子は玄武の言葉を反芻する。
『最終的にそなたが誰を選ばなくても問題はない』
『え』
香子は我に返った。
『大丈夫、なんですか?』
『ああ。しかしその際はおそらく四神の領地を転々とする形になるだろう。そして香子、そなたは』
なんだか背筋がぞくりとして香子は身震いした。
『我ら四神を常に受け入れねばならぬ』
ああもう無理だ、と香子は意識を失いたくなった。解釈によってはどうとでもとれる言い回しである。
選ばない、ということは全員を選んだことになるようだ。いったいどんなことになってしまうのか。
(めくるめく愛欲の日々、みたいな想像しかできない……)
実際玄武からぶわりと音がするように出てきた色気がとんでもない。しかもそれは香子に集中しているから尚更だった。
『……う、あ、はい……ま、真面目に考えます……』
どうにかそれだけ答えてばくばくする心臓を宥める。
『して、如何か?』
『あ、ハイ……』
色気が抑えられて、香子はやっと息を吐いた。以前に比べて玄武も落ち着いてきたと思う。きっと朱雀ならあのまま寝室に連れ込まれていたに違いない。失礼なことを考えながら、香子はもやもやを思い出した。
『……大祭で恩赦があるって言ってたんです』
玄武が軽く頷いた。朱雀たちが知らせたのかもしれないが、元々そういうものだと知っていたのかもしれない。
『それで、昭正公主の蟄居を解くことになったらしいんですけど……。たぶん、彼女は自分が何をやったのかわかってないんだろうなって思ってしまって。でもお嫁に行くみたいだから蟄居したままだと外聞も悪いし、とか』
『香子は優しいな』
『……優しくはないです。ただ単に蟄居したままお嫁に行くことになったら、彼女は婚家で一生肩身の狭い思いをしなければいけないでしょう? たった一度の過ち、というか若気の至りというか……そのことで私は彼女の一生は背負いたくないのです。もう関わることもない相手ですし……』
口にしながら、香子はやっともやもやの正体がわかった気がした。
『四神とその花嫁への敬意がないのもおかしいですが、それより何より民を大事にしていないのがむかつくんです! 身分の高い人がそういう扱いをするならみんなそれに追随するじゃないですか! 皇帝あっての国じゃありません! 民がいてこその国です! 四神がいるからずっと唐の時代が続いていますけど、四神がいなかったら王朝はどんどん入れ替わっているはずです! ああでも政治に介入するのは違うと思うし……』
もやもやの正体はわかったが、そのおかげで香子は更にもやもやしそうな気がした。けれど玄武の言葉で思い直す。
『香子、そなたのしたいようにすればいい。そなたは人の身で”四神の花嫁”となった。そなたを阻むものはなにもない』
『……人だけど人ではない……』
以前張錦飛に言われたことである。四神に従う必要もない、ということは。
(あれ? もしかして私最強説?)
香子は小首を傾げた。
『……ええと、玄武様』
『曲がっているぞ』
少し身体も傾いていたらしい。戻されて、改めて玄武を見た。
『あのぅ……私が間違ったことをしようとする、とか。した場合はちゃんと止めてくださいね?』
玄武は本当に愛しくてならないというように目を細め、『そうしよう』と応えた。香子はほっとしたが自分の面倒くささが嫌になった。
いつだってこうやって堂々巡りである。
『では香子、次は我の愁いを掃う手伝いをせよ』
『え?』
話は済んだだろうと抱き上げられて寝室へ連れて行かれる。
(お酒では駄目なんですかー……)
香子としても異論はないが、結局こうなってしまうことに軽く息を吐く。
ただその瞳は今玄武だけを映していた。
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