233 / 568
第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました
79.衣裳を決めるのはたいへんです
しおりを挟む
皇太后に呼び出された時、覚悟はしていたつもりだった。
しかし想像していたよりも多い布の山に香子は眩暈がしそうになった。
『老佛爷……失礼ですが、これは……?』
尋ねたくもなかったが聞かないわけにはいかない。皇太后は引きつった顔の香子に微笑みかけた。
『おや、わからぬか? 大祭の為の衣装に決まっておろう』
『はい……ですが、その……量が……』
皇太后が住んでいる慈寧宮に集められた絹の種類を見ただけで、店がそのまま開けるのではないかと香子は思う。これを全て身体に当てたり試せというのだろうか。
ちなみにこの日慈寧宮に共に来たのは朱雀(抱き上げ役)、白雲、黒月、延夕玲である。”春の大祭”の為の衣装選びになるので白虎に声はかからなかった。慈寧宮は後宮の中と目されるので男子禁制ではあるが四神と眷属は別と以前にも言われている。それでいいのかと香子は思うがやっぱり面倒なので言及しないことにした。
王都でも評判の仕立て屋を呼んだのだと皇太后の女官が話してくれた。基本店主は男性なのだがお針子は女性が主なので店主の妻でもある服飾意匠をする者が引き連れてきた。お針子たちは目線を下に向けながらもちらちらと香子たちを窺っていた。好奇心による視線がなんとなく痛いが香子が気にするほどでもない。注目されることには慣れそうもないが、さりげなく朱雀が彼女たちの視界を遮ってくれているのでまだ耐えられると思った。
振る舞われた茶を飲んだ後、布の山に向き直る。
しかし採寸をするのかと思ったら今回は必要ないという。
『? そんなにゆったりとした衣装なのですか?』
疑問に思って尋ねると意外な答えが返ってきた。
『以前採寸した私の寸法が出回っている……?』
そういえばこちらに来た頃採寸されたことを香子はやっと思い出した。その時採寸したのは王都でも比較的高級な部類に入る仕立て屋で、そこで香子の寸法通りに作られた衣装が高額で売られているのだという。
(商売になると考えたのは間違ってないけど……)
だから贈物の衣装類にほとんど手直しが必要なかったのだ。侍女たちがそんなことを言っていたのを思い出す。
安価であれば香子も聞かなかったことにしようと思ったが、それほどいい布を使っているわけでもないのに一着の価格は一人が一か月余裕を持って暮らせるほどの生活費に相当するという。切り詰めれば二か月は暮らせる額だというのを聞いて香子は憤った。
人さまの足元を見るにもほどがある。
『花嫁様はどうされるおつもりか?』
面白そうに尋ねる皇太后に香子は笑った。
『私の寸法を売った分を全て没収し、寄付に回したいと思います』
『ほう……寄付とな』
皇太后が感心したように呟く。
『主に孤児が暮らす場所などへですが』
『そういえば贈物の一部を売却して寄付に充てているそうじゃな。その発想はなかなかに斬新よの』
『使わない物をとっておいてもしかたないので』
『贈物の数は四神の花嫁をそれだけ重くみたものととらえることはできぬか』
ニヤリとして意地悪そうに言う皇太后。これもまた試しかと香子は思う。
『私はあくまで四神の添え物として見ている方が大半でしょう。それと女性相手の方が贈物をしやすいのではないかと思います』
香子に純粋に好意を持って贈られているものではないから、必要のない物は有効に使うことにしている。人や動物、食品、化粧品類に関しては中書省で止めて送り返してもらっている。
何故化粧品類も対象にしたかというとこの国で使われているおしろいなどの成分に鉛や水銀を含むものが未だ存在しているからだった。特に鉛白粉は大量生産されており、肌に付きがよく伸びもいいので一般に使われている。確か日本でも江戸時代には使われていたことを思い出した香子は、四神におしろいが人体に影響がないかどうか調べてもらったのである。すると少なからず影響がありそうだと答えられたので、原料を調べさせた。果たして鉛を含むおしろいが大半であることがわかり香子は青くなった。
現在四神宮では周知徹底し、おしろいは原料をオシロイバナやカラスウリ、米粉を使うよう指導している。もちろん延夕玲にも鉛白粉を使うのをやめるように申しつけその通りにさせると、美しい肌がますます美しくなったというのは余談である。
(寸法を高額で販売した分を没収した後は、適正価格で売るなら許可するようにしてもらった方がいいわね)
自分の存在が経済を回すのは別にかまわない。しかし一部の人間が暴利を貪るのを許すわけにはいかない。けれど賄賂などが横行しているのは事実なのでしっかりした監督官を置く必要があるだろう。
とりあえず衣装に使う布だけでも決めなくてはならない。
形は齊胸襦裙と決まったが、上衣に当たる短襦は小袖に似た裾が腰までのものである。袖は普段香子が着ているもののように広くするらしい。袖の太さを腕の太さに合わせている短襦は大体侍女が着ている。袖が広ければひらひらし細かい作業に向かない。袖が詰まっている短襦は書を習う時に着るぐらいである。
スカートは胸の上まで覆うものである。基本上衣とスカートの布を決めるのだが、香子はよくわからないので青龍と朱雀の色を取り入れればいいのではないかと言ったぐらいだった。
何度も似たような色の布を当てられ、決まった頃香子はひどく疲れていた。しかもそれだけではなく皇太后が他に何十着も頼もうとするものだから断るのがたいへんだった。多少は頼んでもいいと思うのだが単位が違う。皇太后が好意的なのはいいことだが物には限度がある。
その日慈寧宮にいたのは当然皇太后だけでなく、皇后も付き添っていた。なにもいわずただそこにいるだけだが時折睨むような視線が向けられているのは気付いていた。ただ睨むだけで何もしなければ香子も咎めることはない。それより香子の背後から不穏な気配が漂ってくるのがいただけない。香子の守護だから敵意を向ける相手に反応するのは正しいのかもしれないが黒月とはまた話をしなければと香子は思った。
(疲れた……)
なんで”春の大祭”に出たいと言ってしまったのか。予想していたことではあったが香子は早くも後悔しはじめていた。とはいえ参加すると言ったからには断ることもできないので後ほど四神に八つ当たりすることに決め、香子は気持ちを切り替えたのだった。
しかし想像していたよりも多い布の山に香子は眩暈がしそうになった。
『老佛爷……失礼ですが、これは……?』
尋ねたくもなかったが聞かないわけにはいかない。皇太后は引きつった顔の香子に微笑みかけた。
『おや、わからぬか? 大祭の為の衣装に決まっておろう』
『はい……ですが、その……量が……』
皇太后が住んでいる慈寧宮に集められた絹の種類を見ただけで、店がそのまま開けるのではないかと香子は思う。これを全て身体に当てたり試せというのだろうか。
ちなみにこの日慈寧宮に共に来たのは朱雀(抱き上げ役)、白雲、黒月、延夕玲である。”春の大祭”の為の衣装選びになるので白虎に声はかからなかった。慈寧宮は後宮の中と目されるので男子禁制ではあるが四神と眷属は別と以前にも言われている。それでいいのかと香子は思うがやっぱり面倒なので言及しないことにした。
王都でも評判の仕立て屋を呼んだのだと皇太后の女官が話してくれた。基本店主は男性なのだがお針子は女性が主なので店主の妻でもある服飾意匠をする者が引き連れてきた。お針子たちは目線を下に向けながらもちらちらと香子たちを窺っていた。好奇心による視線がなんとなく痛いが香子が気にするほどでもない。注目されることには慣れそうもないが、さりげなく朱雀が彼女たちの視界を遮ってくれているのでまだ耐えられると思った。
振る舞われた茶を飲んだ後、布の山に向き直る。
しかし採寸をするのかと思ったら今回は必要ないという。
『? そんなにゆったりとした衣装なのですか?』
疑問に思って尋ねると意外な答えが返ってきた。
『以前採寸した私の寸法が出回っている……?』
そういえばこちらに来た頃採寸されたことを香子はやっと思い出した。その時採寸したのは王都でも比較的高級な部類に入る仕立て屋で、そこで香子の寸法通りに作られた衣装が高額で売られているのだという。
(商売になると考えたのは間違ってないけど……)
だから贈物の衣装類にほとんど手直しが必要なかったのだ。侍女たちがそんなことを言っていたのを思い出す。
安価であれば香子も聞かなかったことにしようと思ったが、それほどいい布を使っているわけでもないのに一着の価格は一人が一か月余裕を持って暮らせるほどの生活費に相当するという。切り詰めれば二か月は暮らせる額だというのを聞いて香子は憤った。
人さまの足元を見るにもほどがある。
『花嫁様はどうされるおつもりか?』
面白そうに尋ねる皇太后に香子は笑った。
『私の寸法を売った分を全て没収し、寄付に回したいと思います』
『ほう……寄付とな』
皇太后が感心したように呟く。
『主に孤児が暮らす場所などへですが』
『そういえば贈物の一部を売却して寄付に充てているそうじゃな。その発想はなかなかに斬新よの』
『使わない物をとっておいてもしかたないので』
『贈物の数は四神の花嫁をそれだけ重くみたものととらえることはできぬか』
ニヤリとして意地悪そうに言う皇太后。これもまた試しかと香子は思う。
『私はあくまで四神の添え物として見ている方が大半でしょう。それと女性相手の方が贈物をしやすいのではないかと思います』
香子に純粋に好意を持って贈られているものではないから、必要のない物は有効に使うことにしている。人や動物、食品、化粧品類に関しては中書省で止めて送り返してもらっている。
何故化粧品類も対象にしたかというとこの国で使われているおしろいなどの成分に鉛や水銀を含むものが未だ存在しているからだった。特に鉛白粉は大量生産されており、肌に付きがよく伸びもいいので一般に使われている。確か日本でも江戸時代には使われていたことを思い出した香子は、四神におしろいが人体に影響がないかどうか調べてもらったのである。すると少なからず影響がありそうだと答えられたので、原料を調べさせた。果たして鉛を含むおしろいが大半であることがわかり香子は青くなった。
現在四神宮では周知徹底し、おしろいは原料をオシロイバナやカラスウリ、米粉を使うよう指導している。もちろん延夕玲にも鉛白粉を使うのをやめるように申しつけその通りにさせると、美しい肌がますます美しくなったというのは余談である。
(寸法を高額で販売した分を没収した後は、適正価格で売るなら許可するようにしてもらった方がいいわね)
自分の存在が経済を回すのは別にかまわない。しかし一部の人間が暴利を貪るのを許すわけにはいかない。けれど賄賂などが横行しているのは事実なのでしっかりした監督官を置く必要があるだろう。
とりあえず衣装に使う布だけでも決めなくてはならない。
形は齊胸襦裙と決まったが、上衣に当たる短襦は小袖に似た裾が腰までのものである。袖は普段香子が着ているもののように広くするらしい。袖の太さを腕の太さに合わせている短襦は大体侍女が着ている。袖が広ければひらひらし細かい作業に向かない。袖が詰まっている短襦は書を習う時に着るぐらいである。
スカートは胸の上まで覆うものである。基本上衣とスカートの布を決めるのだが、香子はよくわからないので青龍と朱雀の色を取り入れればいいのではないかと言ったぐらいだった。
何度も似たような色の布を当てられ、決まった頃香子はひどく疲れていた。しかもそれだけではなく皇太后が他に何十着も頼もうとするものだから断るのがたいへんだった。多少は頼んでもいいと思うのだが単位が違う。皇太后が好意的なのはいいことだが物には限度がある。
その日慈寧宮にいたのは当然皇太后だけでなく、皇后も付き添っていた。なにもいわずただそこにいるだけだが時折睨むような視線が向けられているのは気付いていた。ただ睨むだけで何もしなければ香子も咎めることはない。それより香子の背後から不穏な気配が漂ってくるのがいただけない。香子の守護だから敵意を向ける相手に反応するのは正しいのかもしれないが黒月とはまた話をしなければと香子は思った。
(疲れた……)
なんで”春の大祭”に出たいと言ってしまったのか。予想していたことではあったが香子は早くも後悔しはじめていた。とはいえ参加すると言ったからには断ることもできないので後ほど四神に八つ当たりすることに決め、香子は気持ちを切り替えたのだった。
応援ありがとうございます!
11
お気に入りに追加
3,965
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる