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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました

71.思いこんでいたみたいです

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 行かない、とは決めた。
 けれど香子の胸にはぽっかりと穴が開いたようだった。
”天壇”という場所にどうしても行きたかったわけではない。ただこちらに来て一月以上が過ぎ、どうしても王城の外に出たくなってしまったのだ。
 香子は留学中それなりに旅行した。雲南省の昆明、大理、麗江、シーサンパンナ、内モンゴル、西安、開封、鄭州、洛陽、南京、杭州、三峡下り、丹東、大連、秦皇島、承徳、天津などなど。学業が基本なのでそれらは休みの時に限られてはいたが、けっこうな頻度で行っていたように思う。だからこちらの世界でももう少しいろんな場所を見て回れたらと思うのだ。行事なども堅苦しいことは苦手だが街の喧騒や、ここではなく他の空気に触れてみたい。

(”四神の花嫁”って、そんなに閉ざされた場所にいなきゃいけないの……?)

 この状態が一生続くのだろうか。
 ただ四神に愛されて、その腕の中に揺蕩う。


 だから張燕も狂ったのだろうか。


 そんな思いが脳裏をよぎる。
 誰かに見られたいわけではない。ただ見たいのだ。ただそれだけのことがどうして香子には許されないのだろう。

(このまま……)

 自分はどうなってしまうのだろうか。
 ぼうっと、香子はそんなことを思った。


 そんな香子の様子に四神を始めとする四神宮の者たちが気付かないわけはなく、ここ数日はみな心配そうに香子を窺っていた。
 四神が『如何した?』と尋ねても『なんでもありません』と答えるだけ。しかもそれだけではなく四神との間に薄い膜のようなものが張られたような印象がある。なんでもないという者にどう聞きだしたらいいのかもわからず、四神も困ってしまった。
 だから。
 夜はことさら熱を帯びた。
 嫌いになったわけではない。抱かれれば香子は素直に感じる。なのにどうしてか違うのだ。
 玄武は前の花嫁を思い出した。先代の白虎や青龍に従順であった彼女。
 今の香子は張燕のような目をしている。けれど何故なにゆえそのような目をしているのか玄武にもわからない。
 起きたばかりでぼうっとしている香子に、玄武はなにげなく『不自由はないか?』と聞いた。すると『外に出たい……』と呟いて、はっとしたように首を振った。

『あ……なんでもない、です……』

 けれど”外に出たい”という科白ははっきり玄武と朱雀の耳に入った。


 *  *


『お疲れですかな』

 錦飛に声をかけられて香子ははっとした。書を習う時間だというのにぼうっとしていたらしい。

ジャン老師、申し訳ありません!』

 香子はすぐに謝罪した。せっかく貴重な時間をさいてもらっているというのに申し訳なかった。

『いやいや、気が乗らぬ日もあるでしょう。できましたらこの年寄りとしばしお話する時間を設けていただければ幸いです』

 それには香子も異論はなかった。
 いつもより早めに片づけてお茶にする。張は歴史学者である。筆の使い方、この国の文字などに慣れたら是非歴史を習いたいと香子は思っていた。張もまた香子の世界での歴史の分岐に興味を持ってくれているようだった。

『大祭には出られないとお聞きしました』

 雑談の合間に言われ、香子はなんともいえない表情をした。

『……はい』
『堅苦しいものは苦手ですかな?』

 苦手と言えば苦手であるが、理由はそれではない。香子は困ったような顔をする。言っていいのかどうか判断できない。しかし嘘はつきたくなかった。

『……四神が、嫌がるので』

 消え入りそうな声で告げれば張はほう、と眉を上げた。

『花嫁様が参加されるのを、ですか』
『そう、みたいです……』
『ほうほう』

 張は少し考えるように己の髭を撫でた。

『して、花嫁様はどうされたいのですか』

 どうしたい?
 そういえば今回香子の意見は全く聞かれなかったように思う。大祭に出ない、ということは朱雀の一存で決められてしまった。
 香子は胸が締め付けられるのを感じた。

『私は……別に、大祭に出たいわけではありません……。ただ……往来はどうなっているのかとか、天壇はどんなところだとか、人々はどうなのかとか、そういうのを見たい、触れたいだけで……』

 ただそれだけのことがどうしてかなえられないのか。

『ふむ。それは四神に伝えられましたか?』
『いいえ……』

 張はまた考えるような顔をした。ゆっくりと顎鬚を撫でる。その様子を眺めながら(やっぱり仙人みたいだなぁ)と香子はぼんやり思う。

『確か、花嫁様の世界では女性も男性と同等の権利を有していたとお聞きしたと思います』
『はい、世界、というか私のいた国では、というのが正しいかもしれませんが』

 正確には不平等だと香子は思っているが、こちらの国に比べればはるかに平等に近いかもしれない。

『ではなぜ四神に従われるのか』

 香子は弾かれたように顔を上げた。
 従ったつもりはなかった。

『もし花嫁様がこの国の者に嫁ぐならばその者に従わねばなりませぬ。ですが”四神の花嫁”は違うものとわしは考えております。花嫁様は人でありながら人ではない。唯一四神と対等でいられる存在ではないでしょうか』

 張の言うことに一理あると香子は思った。

『しばしば男は女を己の付属品のように思いがちですが、当然夫婦喧嘩もしますし妻に言いまかされることもある。ましてや花嫁様は異世界から連れてこられた。素直にはいはいと言うことを聞く必要はないと思います』
(唯命是听(なんでも言うことを聞く)……だと?)

 その単語を聞いてむくり、と香子の反抗心が頭をもたげた。四神の言うことをただ聞いていればいいのなら花嫁は自分でなくてもいいと香子は思う。それならばこちらの世界の者が花嫁になる方がよっぽどスムーズだろう。

『……そうですね。老師、ありがとうございます』

 やはり亀の甲より年の劫。
 話を聞いている限り皇太后に通じるものがありそうな気もするが、そこはそれ。


 二日ぶりに、香子の目に光が戻った。
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