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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました

52.やっと認識したようです

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「ふぅ……」

 香子は湯船の中で軽くため息をついた。
 侍女たちがついてはいるが一人でいるのとそう変わりのないひとときである。ようやく誰かが常に側にいるという生活にも少しは慣れてきた。普段香子の部屋にいる女官の延夕玲も自分の部屋に戻っているだろう。今夜は黒月を誘わなかったので彼女は浴室の外にいるに違いない。
 皇太后とのドラマのような茶会を終え、夕玲のことも杞憂だとわかった。そうすると香子が次に考えるのは自分のことで。

(……一か月ぐらい……?)

 こちらに来てからどれぐらい経ったのか計算してみると、思ったよりそれほど時間が経っていないことに気付く。
 元の世界では冬だったのにこちらでは春で、しかも黄砂も吹き荒れて埃っぽい時期で。あと一月ほどすればポプラの綿毛が舞い始めるだろう。そこまでぼんやり考えてはっとした。

(……あ……生理!!)

 そういえばどさくさに紛れて忘れていたが生理が来ていない。改めてこちらに来てからの日数を指折り数えて確認する。こちらに来る前生理のあった時期を思い出して香子は真っ青になった。
 思わず湯船の中で自分の体を抱きしめる。

(ええと、ええと……確か……)

 必死で今まであったこと、話したこと等を思い出す。


 香子は四神の花嫁だから、四神に抱かれることで体が作り替わり人の営みとしての生理などはなくなる。


(ああ、そういえば……)

 髪の色を固定する為に朱雀に熱を受ける必要があると言われたこと。その時にそんな説明もされたような気がする。

(妊娠した、わけじゃないんだ……)

 そう思ってほっとした。
 この世界ではとっくに結婚して子どもがいてもおかしくない年齢の香子だが、元の世界では大学を卒業したばかりでこれから就職活動をしなくてはと思っていたところである。将来を約束した恋人もいなかったので結婚すら遠い出来事だと思っていた。だから現状いくら玄武や朱雀と想いを交わし合ったからといって結婚もしていないのに妊娠はいただけない。
 妊娠していないのに生理がこないという意味。
 考えたくなかった。
 今まで真面目に考えてこなかった。
 異世界トリップなんて物語の中でしかありえないと思っていた。
 神の存在はあると思っていたけど、実際に神を目にするなんてありえない。
 中国の時代劇とか武侠小説を読むのは好きだったけど自分がその世界で生活するなんて思ってもみなかった。
 しかも自分が神の花嫁になって、人間でなくなるなんて。

(ああ……あああああ……)

 叫びださなかっただけましかもしれない。
 今まで目をそらしてきた現実が一気に襲い掛かってきて涙腺が緩む。香子は両手で顔を覆い、湯に顔ごと浸かった。

『花嫁様!?』

 侍女が慌てて声をかける。香子は一度顔を上げると両手で隠したまま、

『気にしないで、大丈夫だから……玄武様か……朱雀様を呼んできて……』

 どうにか声だけでも平静を保たせようと、絞り出すようにして頼んだ。

『承知しました!』

 できるだけ音を立てないように侍女たちが動くのを感じる。
 本当は一人になりたかった。
 一晩ぐらい一人きりでいろいろ考えたい。
 でもそんなこときっと無理だから。
 今までだってこれが現実だと感じる瞬間はあった。けれど目を瞑ってきた。そうしなければとても耐えられそうになかったから。
 自分は物語の中にいる。そんな、長い、長い夢を見ているのだと。

『花嫁様、どうなさいました?』

 侍女たちが気をきかせてくれたのだろう、黒月の声を聞いてほんの少し安堵する。

『……ちょっと立てないから、悪いけど手伝ってくれる?』
『……失礼します』

 黒月は特に理由も聞かないまま香子を湯船から引き上げた。すぐに侍女たちによって体を拭かれ夜着を着せられる。その間も黒月は香子を支えていた。

『花嫁様、お茶でございます』

 いつのまにか用意されたお茶を、香子は脱衣所の椅子に腰かけてゆっくりと杯を傾けた。

『ありがとう……』

 茶器を持つ自分の手を見て首を傾げた。自分の手はこんなに白かっただろうか。
 顔の横に垂れている髪を見る。朱雀に抱かれたからこんなに鮮やかな赤い色をしている。
 それ以前に、中国に留学してから香子は髪を赤く染め始めた。帰国したらもうこんな奇抜な色にはできないだろうと、友人に勧められるまま染め続けた。それ自体もしかしたら現実から逃れる方法だったのかもしれない。
 留学中、香子はふっと「何故自分はここにいるのだろう?」と思うことが何度かあった。
 隣国とはいえ外国での生活はまるで現実味がなかったのだ。
 いろんなことがあった。言葉がなかなか通じず困った日々。楽しいこともつらいこともあった。それらの思い出を抱いて帰国するはずだった。

(どうして私はここにいるの?)

 香子は自問する。

香子シャンズ、如何した?』

 心配の色を隠さない甘いテノールが耳に届き、香子はぼんやりと顔を上げた。
 朱雀だった。
 その後ろに玄武の姿も見える。

(どうして……)

 香子はお茶を置くと、それが当たり前のように両手を前に出した。朱雀が抱き上げる。香子は無意識に朱雀の首に両腕を回した。

(どうして私は……この方々以外に頼れるものがいないのだろう)

 朱雀の胸に顔を摺り寄せ、

『今夜は……話を聞いてください……』

 小さな声で頼んだ。

『いいだろう』

 朱雀の返答にほっとする。そうして香子はその身を預けた。
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