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第1部 四神と結婚しろと言われました

113.自覚は時に残酷です

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 侍女たちにとって非常に気の使う入浴を終えてから、そういえば、と香子は思い出した。

「…………」

 口元を押さえて考えてみる。そういえば今夜のことがなにも決まっていない。

(どうすればいいんだろう……?)

 白く薄い夜着の上にガウンのようなものを羽織らされた格好のまま、香子は浴室を出たところで立ち止まった。

『花嫁様?』

 後ろから黒月の怪訝そうな声にはっとする。

『んー……今夜はどうすればいいのかしら……?』

 それに黒月も考えるような顔をした。

『聞いて参りましょうか?』

 そこまでしてもらうほどのことでもないだろうと首を振る。とりあえず部屋に戻ることにした。

(誰とも過ごさない夜があってもいいような気が……)

 正直言って、必ず誰かがそばにいるという生活も疲れるものだ。中国留学の最後の半年は貯めたお金で一人部屋を借りていたから猶更である。
 部屋に戻ると控えている侍女以外がいなかったことにほっとする。お茶の用意だけしてもらって寝室に入った。

(あ、荷物……)

 バッグも直してもらって一応中身は確認しているものの改めて物を見たくなった。
 戸棚にしまっておいたポケットアルバムを取り出しぱらぱらとめくる。中国でいっぱい写真を撮ってきたが、このポケットアルバムには特に大事な写真を入れてあった。

「これだけでも手元に残ってよかった……」

 もう二度と会えない人たちの写真を見ながら香子は一人ごちた。民族衣装、ということで成人式の時の写真も入れてある。まだたった二年前のことなのに、思えば随分と遠くに来てしまった。
 写真もいずれ退色する。ネガもないし焼き増しなんてできそうもないこの世界でどれだけこの写真たちは持つのだろう。そう考えたら香子は泣きたくなった。
 いずれこの写真に写っている人たちの名前も忘れてしまうのだろう。香子は震える手で写真を取り出し、急いで裏にボールペンでメモをしはじめた。それだけが唯一香子にできることだったから。

(これはメキシコの友人、これはイタリアの友人、日本でまた会おうって言ってた友だち……)

 名前やその時の出来事などをメモしながら、いつしか香子は涙を流していた。
 北京に住んでいる時もふと覚えた違和感。そこに自分がいることが不自然のような、どうして自分はここにいるんだろうと漠然と思ったこと。それらは全てこの世界に来るという布石だったのだろうか。
 声も上げず、ただ手を動かしながら香子は泣いた。
 あまりに理不尽な運命に、ただ流されることしかできない自分は無力で。

(天皇は私の望みを聞いてくれたのかしら……?)

 どうせ帰れないなら、元の世界での自分の存在を抹消してほしい。そうでなければ親兄弟があまりに可哀想だ。
 両親は香子が中国語を使う仕事につくことを夢見ていただろう。バリバリ働いて、いずれ誰かいい人と巡り合って結婚して、結婚後の仕事をどうするかまではわからなかったけど、子どもが二人ぐらいいて……。

(お父さん、お母さん、お兄ちゃん、ごめんなさい……)

 みな香子の留学を支持してくれていたのに。
 やっとメモが終り、香子はほうっとため息をついた。涙をぬぐい、茶壺からお茶を注ぐ。

「にっが……」

 全然入れないでいたせいか茶葉ができってしまったようだった。
 それでも渋みが全くないからいい茶葉なのだろうと思う。

「ま、お茶もごはんもおいしいからそれだけでも幸せだよねー、うん」

 恵まれていることだけは間違いない。もちろん、失ってしまった物はかけがえのないものだったけど。


『我らと共にあることは、そなたの幸せにはなりえないか?』

 誰もいないと思っていたのにすぐそばでバリトンが響いて、香子は扉の方に目を向けた。
 寝室の入口にいたのは玄武だった。
 静かな、それでいて寂しそうな表情。香子はそれに胸が締め付けられそうになった。
 そして改めて思う。
 自分はやっぱり玄武が好きなのだなと。
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