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第3部 周りと仲良くしろと言われました

77.あれもこれも好きなだけなのです

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 朱雀が本性を現した状態で抱かれる、というのは回避したと言ってもいいのか香子にはわからなかった。
 あの羽毛にもう一度触れたいとは思うものの、それをするには抱かれなければならないというのはなかなかにハードルが高い。
 昼は青龍と共に過ごし、香子は書を見てもらった。明日はまた張錦飛が来てくれることになっているが、なかなか書の練習ができないというのが悩みである。隙あらば触れてこようとする四神をかわすのはたいへんで、ほぼほぼ回避できていない。そんな競技があったら連敗記録を更新しそうだと香子は内心ため息をついた。

香子シャンズ、身が入ってないぞ』
『はいっ!』

 心ここにあらずではいけない。香子は背筋をピンと伸ばし、改めて見本を見た。張が書いたという千字文を全て書くという作業は途方もない目標に思えたが、香子の時間は長いのだ。それでもできればここにいる間に多少はうまくなったと言われたいし、サインの字には満足したい。千字文を習った後は自分の名前も書くようにしている。それは白沢香子ではなく、白香ではあるのだけど。

『書など、そなに真面目に習うものではないと思ったが……こうしてそなたと共にいられるのならば学んでおいてよかった』
『……ううう……』

 涼やかな声でそんなことを言わないでほしいと香子は思う。気が散って字が曲がってしまいそうである。

(心頭滅却すれば火もまた涼し! ってこれはやせ我慢の言い方だったっけ……)

 結果、香子の書いた字は少し曲がってしまった。

『……まだまだだな』
『……はい』

 練習をするのは一小時(一時間)で止め、青龍の室に移動してお茶を飲んだ。

『書を習うのはかまわぬが、それほど字を書く機会もあるまい。何故そなにがんばって学ぼうとするのだ?』

 青藍に淹れてもらったお茶は普通においしかった。龍井はいつ飲んでも好きだなと香子は思う。香子が好きというのもあるだろうが、さすが十大銘茶のうちの一つである。香子はかつて金に飽かせて十大銘茶を全て買い集め飲んだことがあった。これは別に香子が金持ちだったとかそういうことではなく、中国の物価がそれだけ安かったというだけのことである。どれもこれもおいしかったが、祁門紅(キーマン紅茶)だけは期待値が高すぎたのかもしれない。リプトンティーの味がしたのだ。これは以前も前述した。

(リプトンもおいしいとは思うけど、他の味を期待してたんだよねぇ)

 でもまた飲みたいとは思う。今度頼んでみようと思った。
 話を戻そう。

『うーん……サボっていた分をやり直したい、というのもそうですが……私、漢字が好きなんですよ』
『ふむ?』

 香子は自分が中国オタクだという自覚は大いにある。

『自分で書いた字が美しかったら最高じゃないですか』
『……そうなのか』

 ちょっと理解できないような空気を香子は感じた。四神に引かれるという得難い経験に香子は笑んだ。
 自分の感覚が普通の人から少しばかりずれている自覚はあるが、四神の感覚も相当ではあると香子は思う。そもそも四神は人の心の機微を理解しずらい傾向にある。それはしょうがない。四神は”神”であって”人”ではないのだから。
 四神は香子にできるだけ寄り添ってくれようとはしている。もちろんそこにズレはあるが今のところはどうにかなっていると香子は思っている。

『……私の考え方、というかそういうのも少しズレてはいるみたいなのですけど』
『そうなのか』
『でも好きなものは好きですし、それを言ったら……今しゃべっている中国語の音も私は好きなのですよ』

 キレイに発音できるとテンションは上がるし、誰かが話しているのを聞くのも香子は好きだった。意味がわからなくても、中国語を聞くのは苦にならなかった。それぐらい香子は中国語の音が好きなのである。……北京官話を元とした標準語が基本ではあるけれど。

『……それは面白いな、ならば……』

 青龍はいたずらを思いついたような表情をした。そして香子を抱き直し、耳元で囁いた。

『香子、そなたが愛しくてならぬ……』

 香子はうきゃー! と叫びたくなった。そんな涼やかな声に色を含ませて、それも好きな音で囁かれるなどなんのご褒美なのか。身体から一気に力が抜けそうになり、香子はどうにかこらえた。

『青、龍、様……』
『如何か?』
『……意地悪です』

 青龍に抱きしめられる。

『何がだ? 我はそなたに対して……もう愛しさしかないぞ』

 ぶるり、と香子は震えた。やっぱり意地悪だ、と香子は思った。

『じゃあ……ずるいです』
『何がずるい?』

 もう香子は涙目だった。青龍は香子の耳たぶをそっと食んだ。
 そういうことはしないでほしいと香子は思う。

『私が……青龍様のこともお慕いしていると知ってて……』
『……ああ、知っている』

 青龍は震える香子の手から茶杯を取って卓に置くと、そのまますっと抱き上げた。

『あっ……』
『夕飯までだ』
『……やっぱり、ずるいです』
『そなたが愛しいだけだろう?』

 誘っているつもりは全くない。結果として、香子が誘ったような形にはなってしまったが。
 それに香子は後になって気づき、また盛大に身悶えたのだが、今は青龍の腕から逃れられはしなかった。
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