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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました
109.輿に揺られて移動してみます
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音楽が前方から流れてくる。前を進む者たちが演奏しているらしい。楽隊がいるのだろう。輿はゆっくりと進んでいた。
これから祭祀に向かう天壇は、王城から少し東寄りの南に位置する。距離でいえば王城から約四キロ強といったところである。
輿の揺れが心地よく感じられる。香子は流れる涙をそっと拭ってくれる青龍の手を取った。
『すいません、もう大丈夫です……』
何故涙がこぼれたのか香子にもわからなかった。百官が傅くさまを見て怖くなったのかもしれないし、ただ感極まってしまったのかもしれないと、香子は自分の感情を分析した。もちろんそれもあるにはあったが、本当は根本的なものである。けれどそのことに香子は気付かなかった。
香子を抱いたままの青龍の腕が少しきつく彼女を抱きしめた。香子は思わず笑みを浮かべた。
前門より手前は王城の敷地内なので楽隊が奏でる音楽と足音ぐらいで静かなものだったが、前門を出ると一変した。
ワアアアアアーーーーーー!!
前方から歓声が聞こえ、香子は何事かと重い頭を上げた。
天壇に向かう隊列は長い。一番前方に旗を持つ者、護衛の兵士、楽隊、官吏その他などが続く。沿道からさまざまな声が聞こえ、その声のほとんどが四神を讃えるものであるようだった。薄絹を払うことはできないが、近くで民が喜んでいるさまが見え、香子もまた嬉しくなった。
沿道はそれなりに広いがそれが狭く感じられるほど人が詰め掛けているように見える。沿道の端には店が並び、その前にも屋台が出ているようだった。
『懐かしい……』
前門近くの屋台でいろいろ買物をしたことを香子は思い出した。あの時は食べ物ではなくお土産物だったが、そこで買ったステンレス製の本の栞など好んで使っていた。あの栞はどこにいってしまったのだろうかと香子はぼんやり思う。
『……歩きたい』
叶えられないと知っていて香子は呟いた。
『ならぬ』
抱きしめられている身体が痛い。四神は香子を案じているわけではない。四神の花嫁は四神のもの。本来ならば誰にも見せないで一室に閉じ込めておきたいとされる存在だ。だからこのように、薄絹越しとはいえ不特定多数の目に触れる場所に香子が出てきていること自体が異例なのである。わかってはいても、つい半年前までは北京の街を自由に闊歩していたのだ。もう何年も経っているような気もするが、香子はまだ今年の始めに大学を卒業したばかりだった。
また香子の瞳から涙がこぼれた。
こうやって輿から街の様子を見るだけで満足するつもりだった。けれどすぐそこにあると思えば思うほど店を覗きたい、歩きたいという欲求がつのる。香子が誰かの妻になると決めたならこの辺りを歩くこともできるのだろうか。
『……どなたかの妻になればいいのですか? そうすれば……』
『香子、そなに表を歩きたいか』
『……はい』
『すまぬが、すぐには無理だ』
『いつかは、このような街中を歩くことは可能でしょうか』
『ああ』
『ならば、いいです……ごめんなさい』
香子は四神を困らせたかったわけではない。むしろ困らせてしまって申し訳ないと思った。けれど感情が言うことを聞かないのだ。
薄絹越しに表を見る。みなとても楽しそうで、嬉しそうだった。神様がこんなに身近にいるのだと、自分たちを守ってくれるのだと自然に受け入れているようだった。それを見ただけで、香子は朱雀と青龍に付き合わせてよかったと思った。せっかく四神が王城に来ているのに、こういう祭祀に出てこなかったら街の人々はがっがりするだろう。
前門からしばらくはけっこう大きな建物が並んでいたが、王城から遠ざかるにつれ建物が小さく、沿道の人数も減ってきているのが面白いと香子は思った。
『これって、外から私たちのことは見えるんですか?』
薄絹を指さして疑問に思ったことを聞く。
『影ぐらいは見えるやもしれぬ。そなたのことは影しか映らぬようにしているが』
『……そうですか』
どうしたらそんなことができるのか聞いてみたいところだが、きっとそれこそが神の御技なのだろう。特に見られたいわけではないので気にしないことにした。
さすがに四キロの距離を埋めるほどの人数は出てきていない。沿道にいる人の数はまばらになり、とうとういなくなった。それに比例するかのように天壇へ向かう道幅はどんどん広くなっていき、香子が景色を見るのに飽きてきた頃隊列が止まった。
『? 着いたのかしら?』
『そのようだな』
香子の知っている天壇公園はとても広い。けれど今回皇帝は同伴しないということで、祈念殿に一番近い北天門から入ることになっている。そして祈念殿の近くの建物で香子は着替えをするらしかった。近いとはいえ北天門から祈念殿までそれなりに歩く。
(ええと私は……)
『孟章神君、白香娘娘。これより天壇に入ります』
『あいわかった』
北門とはいえなかなか立派な門である。再び輿が動き出し、門を越えて少しいったところでゆっくりと輿が下ろされた。
ーーーー
孟章神君 青龍
白香娘娘 香子
「貴方色に染まる」は26話辺りです
https://www.alphapolis.co.jp/novel/977111291/934161364
これから祭祀に向かう天壇は、王城から少し東寄りの南に位置する。距離でいえば王城から約四キロ強といったところである。
輿の揺れが心地よく感じられる。香子は流れる涙をそっと拭ってくれる青龍の手を取った。
『すいません、もう大丈夫です……』
何故涙がこぼれたのか香子にもわからなかった。百官が傅くさまを見て怖くなったのかもしれないし、ただ感極まってしまったのかもしれないと、香子は自分の感情を分析した。もちろんそれもあるにはあったが、本当は根本的なものである。けれどそのことに香子は気付かなかった。
香子を抱いたままの青龍の腕が少しきつく彼女を抱きしめた。香子は思わず笑みを浮かべた。
前門より手前は王城の敷地内なので楽隊が奏でる音楽と足音ぐらいで静かなものだったが、前門を出ると一変した。
ワアアアアアーーーーーー!!
前方から歓声が聞こえ、香子は何事かと重い頭を上げた。
天壇に向かう隊列は長い。一番前方に旗を持つ者、護衛の兵士、楽隊、官吏その他などが続く。沿道からさまざまな声が聞こえ、その声のほとんどが四神を讃えるものであるようだった。薄絹を払うことはできないが、近くで民が喜んでいるさまが見え、香子もまた嬉しくなった。
沿道はそれなりに広いがそれが狭く感じられるほど人が詰め掛けているように見える。沿道の端には店が並び、その前にも屋台が出ているようだった。
『懐かしい……』
前門近くの屋台でいろいろ買物をしたことを香子は思い出した。あの時は食べ物ではなくお土産物だったが、そこで買ったステンレス製の本の栞など好んで使っていた。あの栞はどこにいってしまったのだろうかと香子はぼんやり思う。
『……歩きたい』
叶えられないと知っていて香子は呟いた。
『ならぬ』
抱きしめられている身体が痛い。四神は香子を案じているわけではない。四神の花嫁は四神のもの。本来ならば誰にも見せないで一室に閉じ込めておきたいとされる存在だ。だからこのように、薄絹越しとはいえ不特定多数の目に触れる場所に香子が出てきていること自体が異例なのである。わかってはいても、つい半年前までは北京の街を自由に闊歩していたのだ。もう何年も経っているような気もするが、香子はまだ今年の始めに大学を卒業したばかりだった。
また香子の瞳から涙がこぼれた。
こうやって輿から街の様子を見るだけで満足するつもりだった。けれどすぐそこにあると思えば思うほど店を覗きたい、歩きたいという欲求がつのる。香子が誰かの妻になると決めたならこの辺りを歩くこともできるのだろうか。
『……どなたかの妻になればいいのですか? そうすれば……』
『香子、そなに表を歩きたいか』
『……はい』
『すまぬが、すぐには無理だ』
『いつかは、このような街中を歩くことは可能でしょうか』
『ああ』
『ならば、いいです……ごめんなさい』
香子は四神を困らせたかったわけではない。むしろ困らせてしまって申し訳ないと思った。けれど感情が言うことを聞かないのだ。
薄絹越しに表を見る。みなとても楽しそうで、嬉しそうだった。神様がこんなに身近にいるのだと、自分たちを守ってくれるのだと自然に受け入れているようだった。それを見ただけで、香子は朱雀と青龍に付き合わせてよかったと思った。せっかく四神が王城に来ているのに、こういう祭祀に出てこなかったら街の人々はがっがりするだろう。
前門からしばらくはけっこう大きな建物が並んでいたが、王城から遠ざかるにつれ建物が小さく、沿道の人数も減ってきているのが面白いと香子は思った。
『これって、外から私たちのことは見えるんですか?』
薄絹を指さして疑問に思ったことを聞く。
『影ぐらいは見えるやもしれぬ。そなたのことは影しか映らぬようにしているが』
『……そうですか』
どうしたらそんなことができるのか聞いてみたいところだが、きっとそれこそが神の御技なのだろう。特に見られたいわけではないので気にしないことにした。
さすがに四キロの距離を埋めるほどの人数は出てきていない。沿道にいる人の数はまばらになり、とうとういなくなった。それに比例するかのように天壇へ向かう道幅はどんどん広くなっていき、香子が景色を見るのに飽きてきた頃隊列が止まった。
『? 着いたのかしら?』
『そのようだな』
香子の知っている天壇公園はとても広い。けれど今回皇帝は同伴しないということで、祈念殿に一番近い北天門から入ることになっている。そして祈念殿の近くの建物で香子は着替えをするらしかった。近いとはいえ北天門から祈念殿までそれなりに歩く。
(ええと私は……)
『孟章神君、白香娘娘。これより天壇に入ります』
『あいわかった』
北門とはいえなかなか立派な門である。再び輿が動き出し、門を越えて少しいったところでゆっくりと輿が下ろされた。
ーーーー
孟章神君 青龍
白香娘娘 香子
「貴方色に染まる」は26話辺りです
https://www.alphapolis.co.jp/novel/977111291/934161364
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