混沌の宿縁

名もなき哲学者

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魂章

絶世界

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 ジリジリと照りつける太陽の陽射し、陽光の光に導きかれ、紅鋭児は視界の広がる瞼を開いた。
 仰向けで眠っていた紅は雲ひとつない空…うっすらと砂塵が舞うを空を見つめ、終始頭をぼっとさせて、しばらく体を固めていた。

 どこだ?ここは…

 体が熱い、それは体内から発せられる熱ではない。純粋に"外"の気温が暑いのだ。
 いつから眠っていたのかわからないが、紅は少しづつ記憶を蘇らせる。白目のガンプとやり合い、歯が立たず絶望を感じたあの瞬間…世界滅亡の時をなすすべなく、全てが凍りついたような感覚に襲われた無力感、絶望…?
 紅は跳ね起きた。確かオレは世界滅亡の瞬間を見て…


「どうやら…目が覚めたようだな」


 声が聞こえた方向に紅は目を向ける。
 金髪の精悍な顔つきをした若者…年齢を超越しているので実年齢はわからない。細い鎖でつながれた銀のサークレットを額に装着し、細身ではあるが、がっしりとした体格に肩当てのあるシルバープレートを身に付けている。ルース=ホルキンスは陽射しの当たらない 岩陰に腰を落としながら、ナイフを使って衣服のようなものを繕っていた。


「お前は?」


 ルースは立ち上がり、動物の皮で作った簡易のケープコートを座っている紅の膝に放り投げ、出るぞ…と声を発した。
 何の話だ?状況が把握が出来ていない紅は渡されたケープコートの生地を握り、口調を強めて声を返した。


「出る…て何だよ、ここはどこだ!」


 ルースは声を返さず立て掛けている自分の剣を手に取り、フードのついた外套を首にかける。
 質問に答えないルース。頭に血がのぼった、紅は無視したルースに殴りかかった。


「てめえシカトこいてんじゃねえよ!」


 ルースは顔を横に反らして、紅のパンチを交わし、風を切るさま、紅の頬を軽く握った拳で当てた。彼の体はぶっ飛ばされ、紅は数メートル先にある巨大な岩がそそり立つ岩壁にぶつかった。
 したたかに背肩をぶつけた紅は咳き込み、鋭い眦でルースを睨み、…上等だ、と立ち上がり、近づいて後ろ回し蹴りを放った。
 ルースは紅の蹴りを片手で触れて流すと、体は宙で反転しそのまま紅は地面に落ちて今度は腹を打った。
 …ぐう、なんだよ、この力の違いは。この男の力、つい最近戦ったガンプの力と同等、いやそれ以上かも知れない。


「お前と"じゃれて"いる暇はない、私が渡したその服を着て、さっさと身支度しろ」


「ふざけんな!説明しろ!ここはどこだ!」


 なだらかな起伏がのびる砂漠、所々に岩山が点在し、刺のあるサボテンのような植物が、イバラのごとく蔦の絡めてあちらこちらに生えている。
 気温は暑く乾燥している。ここは紅が住んでいた世界とは違う。砂塵が渦巻き、空には奇妙な鳴き声をあげる、鳥のような生物が飛んでいた。


「この世界に名はない、あえていえば≪絶世界≫魔女ディア イン=フィニアンが支配する異次元の孤島だ」


 ルースは奇妙な鳴き声が聞こえる空の生物を気にしながら答えた。


「…絶世界?何だよそりゃ、何でそんなわけのわからねえ場所にオレがいるんだ!」


「今、それを説明している暇はない、この場は早く離れた方がいい"奴らに"気づかれると"少し面倒だ"」


 大きな黒い翼、馬面のような面長な顔をした上顎と下顎に鋭い牙をノコギリのように持った巨大な生物が、数匹、群れをなして旋回している。

 小型翼竜獸≪ワイバーン≫だ。ドラゴンの一種で鋭利な爪と太い尾を持つ、高い攻撃性を持った生物だ。
  三狂士の力を持つ、ルースにとっては取るに足らぬ相手だが、紅にとってはライオンやトラ以上に危険な相手だ、襲われたらひとたまりもない。

 ルースはワイバーンが飛ぶ空に目を向け、紅に先ほど渡した、動物の皮…この地に生息するサンドリザート≪砂漠トカゲ≫の皮を細工したケープコートを模様した服を早く着るよう促した。


「なんでオレがこんなものを…!」
「"その格好"で未踏の地を旅するつもりか」


 紅はルースの声に気が付き、自分の服装を見た。腹の部分がボロボロに破けた、乾いた血の跡がついた薄汚れたシャツ、"あの時そのまま"の格好で紅はこの場にいた。

 紅の脳裏に嫌な記憶がよぎった。


「…これは?」


 信じられない面持ちで紅は、あの世界滅亡の瞬間に立ち合っていた自分を思い返した。
 身震いしながら、自分の格好を見る紅に顔を向けず、ルースは彼に現実を答えた。


「紅鋭児…お前の住んでいた"世界は滅んだ"、お前はあの世界で唯一生き残った男だ、命ある今に感謝し、前を見据えよ」
「…オレの世界が滅んだだと、バカな…」


 ルースの声に紅は終始、呆然とし柔らかな砂粒の見える地面を見た。


「さっさとしろ、ワイバーンの餌になりたいのか?」


 紅は言われるがままルースの繕った皮のケープコートの開いた穴に袖を通し、何も考えられず、身支度を整えた。

 その夜、ルースは焚き火のそばに座り込み、爆ぜる細長い枝木をくべながら、燃え上がる炎を見つめていた。
 紅は無言のまま小枝を投げつけるルースを少し離れた所で見ながら、未だ自分が置かれた状況を…あの男が言った言葉を真に受けることが出来なかった。

 世界が滅んだだと…

 昼間とはうって変わって、夜は冷えこんでいる。手のひらをさすりながら紅は立ち上がり、事の真意を確かめようとルースに近づいた。


「世界が滅んだとはどういう意味だ?」
「そのままの言葉通りだ意味などない」


 小枝をいじり、火にくべる適度の長さに枝木をへし折って、座ったままルースは紅の質問に答えた。


「そんな話、信じろと…」
「…信じる、信じないの問題ではない、それが"現実"だ」
「ざけんじゃねえ!」


 さらりと答えるルースにやりきれない思いで腹が立ち、紅はルースに飛びかかった。
 ルースは軽く紅のパンチを肩でいなし、両手を使わず彼を体だけで軽く投げた。胴体を滑らせ、砂だらけになった胸を起こし、立ち上がって紅は再度ルースに攻撃を仕掛ける。またもや軽くいなされ、紅は再び地に伏した。立ち上がり、紅は何度も何度をルースに襲いかかる。だが、そのたびにルースに躱され乾いた砂を舐めた。気が付くと砂上は紅の体が擦った跡ばかりが残り、ルースは座ったまま身動きせず、焚き火の炎をそのまま、姿勢を崩さず見つめていた。


「くそが!」


 砂だらけの紅がパンチを放つ。ルースは体をよじりその拳を手のひらで受け止めると剥き出しになった岩肌の方へ彼を放り投げ、イタチのような速さで接近した。ルースの放ったパンチは紅の頭上を掠めて、彼の背後に立つ大岩を一撃で粉砕した。
 拳一発で背後の大岩を砕いたルースのパンチに、紅は息を飲む。…なんて破壊力。
 ルースは手のひらを開き閉じ、感触を確かめながら、表情を変えることなく腰を落としている紅を見下ろした。


「紅鋭児、お前は弱い、力においても精神においても…」
「なにぃッ!」


 ルースの言葉に紅は獲物を狙う猛禽類のような眼差しで睨んだ。ルースは真っ向からその視線を受け止め、落ち着き払った堂々した目で彼を見返した。
 紅は視線を落とし、心無しか拳を震わせる、喧嘩で負け知らずのオレが弱いだと…


「別世界のお前、"エッジ=スクアート"は私の住んでいた世界では最強の剣士だった、お前と同じ魂を持つ彼の力に比べれば、お前の力など万分の一にも及ばない」


 …エッジ=スクアート、もう一人のオレ?

 何を言ってるこの男は?ニーシャから詳細を聞かされていない紅はルースが何の話をしているのか理解出来ない。 
 ルースは背を向け、紅の方へ軽く見やるとそのまま言葉を続けた。


「お前は体験しているはずだ、自分の中に宿ったその力を…レム オブ ワールドで混沌の僕と戦ったあの時の自分を…」


 レム オブ ワールド、混沌の僕…
 紅は思い出す、夢の世界で二刀の剣を自在に操り、混沌の僕を相手に引けを取らない戦いを演じたあの時の自分を…あれがもう一人のオレ、エッジ=スクアート。


「本来ならお前の魂はエッジ=スクアートに宿るはずだった、だが、彼はもうこの世には存在しない"神々の粛清"により消滅したからだ」


 消滅とは魂が輪廻転生できず"無"に帰することを意味する、それは同一人物である別世界の己にも及ぶはずなのだが、ここで不可思議なことが起きた。消滅し、無になったはずのエッジ=スクアートと同じ魂を持つ紅鋭児がなぜかこの世に"存在"している、夢見人のなせる業なのか?はたまた神々のいたずらなのか?その理由はルースにはわからなかったが、現実としてエッジ=スクアートと同じ魂を持つ紅鋭児がこの場にいる。だがエッジ=スクアートの魂が消滅した今、同じ魂を持つ紅には憑依できる器はどの世界≪同一人物≫にも存在しない。今の紅鋭児はある意味、唯一無二の個人、オリジントに近い立場であった。

 …だが、エッジ=スクアートの魂を持つこの男≪紅鋭児≫は脆弱すぎる、力においても精神においても…ルースはうつむき加減で唇を噛んでいる彼を見た。

 エッジ=スクアートと同じ魂を持つ彼の潜在能力は間違いなく高いであろう。未知なる力を秘めている可能性がある紅鋭児だが、彼には乗り越えなくてはいけない試練が数多くあった。


「ちっ…ついていけねえよ、消滅だとか、もう一人のオレだとか、わけのわからないこと言いやがって…」


 紅は顔に張りついた砂を拭い払うと、立ち上がり、よろけた足取りで岩石が立ち並ぶ奥の岩陰へと消えた。


 誰もいない未踏の地、焚き火のそばから離れた紅はがっくりと膝を付いた。砂粒の地面がやけにひんやりしている。絶世界と呼ばれるこの世界は昼と夜の温度差がまるで違う、自分の住んでいた世界にも砂漠の土地はあるらしいが、もちろん紅は砂漠地帯など行ったことない、その場所はどういう所かは知らないが、自分の住んでいた世界もこんな感じで昼は暑く、夜は寒い、そういう所なのだろう。

 紅は地面に積もった砂を掴み、力を込めて握り締めた。ルースが言った"お前の世界は滅んだ"その言葉が耳にこびりついて離れない。

 …オレの住んでいた世界が滅んだだと…

 さらさらと指の隙間から砂が零れ落ちる。現実世界に現れた混沌の僕、白目のガンプ。反吐が出るほど強く、まるで歯が立たなかった。圧倒的な力でねじ伏せられ、危うく紅は殺されかけた。翠の瞳をした少女ニーシャが現れなかったら、恐らく自分はガンプに生皮を剥がされ、地獄の苦しみを味わいながら死んでいただろう。

 紅は同じクラスの麻宮龍輝を思い出す。自分の回りをうろちょろし、あれこれ苛つかせたヘタレのタコ助、アイツがあの夢に現れた黄金の剣を持った騎士だった事にはさすがに驚いたが、それでも一発ヤキを入れたかった。

 紅の視点が弱まる、自分の生まれたあの世界、結構むちゃくちゃに過ごしていたな、意気がって喧嘩し、オヤジとオフクロが事故で死んだあと、親戚の家に引き取られ、叔父とは馬が合わずさやかを連れて出ていき、さやかの為にバイトして… 

 紅の瞳から涙が零れ落ちる。自分が涙を流すのはいつの以来だろうか?そういえば、さやかの勉強を見てくれた世良瑞希はどうなったのだろう?さやかのことで、アイツにも世話になった。オレをタコ殴りにしてきたあの連中は1ヶ月ぐらい、入院させてやりたかった。

 紅の記憶に世界崩壊のあの場面が蘇った。雷鳴が絶え間なく鳴り響き、夏の暑さが冬の寒さに変わり、突風が吹き荒れ、鼓膜が破れるような耳鳴りがしたあの瞬間を、喧嘩負け知らずの自分が、何も出来なかったあの時を…

 そして、今またルースに何度も食ってかかっても跳ね返され、自分の弱さを思い知った屈辱、無力感、妹さやかが住んでいた世界を守れなかった自分。

 紅は慟哭し、砂を巻き上げ涙で濡れた顔を地面にうずめた。世界を…さやか、お前を守れなかったお兄ちゃんを許してくれ…
 溜まりたまった水がせきをきったように紅の涙は溢れた、悔しさ、屈辱、己の弱さ、そして何よりも妹さやかを死なせたその思い。紅鋭児は大声をあげて泣いた。

 赤ん坊のように泣きじゃくる紅をルースは岩陰で身を隠して霞み見た。ルースの脳裏に姉セシル=ホルキンス、親友だったフォール=フォルカスを死なせた、あの時の記憶が蘇った。三狂士のひとりレオンハルト ディス=バーンに一戦を挑み、命を落とした親友のフォール。その当時、婚儀の契りを結び、夫であった彼の仇を討つべく一度は剣を置き、再び戦線に赴いてレオンハルトに戦いを挑んだ姉セシル。エッジ=スクアートの存在が確認されていなかったその時代では姉セシルはセカンド大陸一の戦士だった。ルースの剣術は姉セシルから教わったものだった。

 ルースは懐にしまい込んでいた刃の根元に刻まれている白鷺の紋章…長い首、羽根を広げて頭を横に向けたレリーフの入ったファーレーン王家の刻印が刻まれた脇差しを手に取った。銀色の複雑な模様が入った脇差しの鞘。若き日のルースがファーレーン王国の聖騎士に名を連ねた時、姉セシルから記念に貰った脇差しであった。今では形見の品となったが、刃の輝きは色褪せてはいない。
 姉セシルは強かった。女性でありながらあまたの戦士たちを圧倒し、彼女に勝てる男性戦士は誰もいなかった。さらに彼女は"神の力"を宿していた。

 ルースとセシルは父親違いの姉弟であった。ルースの父親はファーレーン王国の英雄と呼ばれたホルス=ホルキンス、母は…
 ルースは静かに瞳を閉じる。ルースは母の記憶があまりない、幼い頃、いずこどこかへ消えてしまったからだ。後に判明したのだが、母…セシア=ホルキンスはパメラ=ミストと同じ天界から下天した神のひとり。そして、母には父ホルス=ホルキンスより先に愛していた男性がいた。その男性が…

 ルースは目を開ける、何の因果か運命を感じずにおれない。その人物が自分と同じ三狂士のひとり≪神殺し≫であった。姉セシルは神殺しと神との間に生まれた子供であった。故に姉セシルは神の力を宿していたのだ。

 だが、そんな力を持った姉も三狂士として覚醒した≪狂戦士≫レオンハルト ディス=バーンを前に敗れ去った。
 ルースは息絶え絶えの姉セシルを看取り彼女の残した最期の言葉を思い出した。
 …ルース…フォールの仇を…ディス=バーンを倒して…そして世界を…

 姉の遺言を思い出し、ルースは形見の脇差しを握り締めた。

  …セシル姉さん…

 もう百年以上も前の話だが、ルースには今もその記憶が鮮明に残っていた。

 泣いている紅を見、ルースはその姿をあの時の自分とたぶらせた。
 紅鋭児には血の繋がった妹がいたことをルースは知っていた。大切な者を失ったその思い、悔しさと悲しみに襲われた無力感、紅の気持ちはルースには痛いほどわかった。だが、立ち止まるわけにはいかなかった、ルースも、紅も…

 ルースは踵を返し、泣いている彼をそっとしておき、フードのついた厚手のマントを体に寄せた。彼には現実を受け入れる時間が必要かも知れない。だが、この悲しみを乗り越えた時、紅はひとつ強くなるだろう。かつて自分がそうであったように…
 
 

 早朝、太陽の日が伸びたばかりの薄暗い中、ルースは削った枝で串刺しにした小型トカゲの肉を焚き火の中で回転させた。小さく燃えた炎の外側の地面に数本の串を突き刺し、焼き加減を確認し、充分でないことを知ると、ルースはまた手に取ってひとつずつ、生焼けの部分を炙り直した。

 静かに目覚めた紅は、すでに起きているルースを確認し、ゆっくり上体を起こすと、ケープコートと一体になっている外套を体に巻きつけた。夜の冷え込みは厳しく朝もまだ気温は低い。しかし、日が昇ればうだるような暑さが始まるのに違いない。ここはそういう世界なのだろう。

 紅の瞼は腫れていた。昨日の夜、何年分もの涙を流した。自分にもこれ程、流せる涙があったとはと思えないぐらい。紅は泣きじゃくった。そのせいか、彼の頭の中はすっきりしていた。昨日のような刺々しさはなく、紅は爆ぜる巻木のそばに近づき、冷えてる体に暖を送った。

 火を挟んで向かい側に座る紅を詮索することなく、ルースは焼き上がった、焦げついたトカゲの串刺し肉を紅に差し出した。


「食え…お前はまる二日間眠っていた、腹の中にものは入れておいた方がいい」


 ルースの声に気付いたように紅の腹の虫がなった。…二日間、おれは"あの日"から二日も眠っていたのか…

 グロテスクなトカゲの姿焼きを眺めながら、紅は尾の方からかぶりつく、見たくれは悪いが、意外と油が乗っている。久しぶりの食事に紅はトカゲ肉にむしゃぶりついた。


「まだ肉はある、この地では貴重な食用源だ、しっかり体力はつけておいた方がいい」


 串刺し肉を口にせず、ルースはゆっくり立ちあがり、もとの位置に戻って腰を落とした。


「…あんたは食べないのか?」


 油で汚れた口元をそのままに、紅はルースを見る。


「私は不死身だ、飲まず食わずでいても死ぬことはない」


 ルースの言った"不死身"という言葉に、紅は灰の中から体が再生したあのルースの姿を思い出した。あの時は驚いたが、今はそれを気にする事もない。この男は普通の人間ではない。


「…不死身、不老不死とか言ってたな、あんた一体、幾つなんだ?」


 紅は素朴な疑問をぶつける


「…もう数えることすらない時を生きている、おそらく百年以上は生きているだろう、私の歳は二十代で止まっている」


 ルースは爆ぜる小枝を棒でつつきながら、手に取った水筒に口をつけた。

 正確にいえばルースの歳は二十三で止まっている。姉が死に、聖剣だと思っていたソウルエクスが魔剣であったことを知り自分の中に"呪われた血"が宿った年、あれ以降ルースは歳を取らず、百年後、神々の粛清≪神戦≫地上人と神々の戦争が始まった。地上人は神々の前に敗れ、世界は消滅する。

 セカンド大陸の地上人が粛清に抵抗し神々と争っている途上、ルースはレオンハルト ディス=バーンと戦っていた。次元の壁を破るほどの激しい戦いを繰り広げたが、"セカンド大陸消滅" は次元の狭間で戦っていた双方にも影響を与え、ルースとディス=バーンの戦いは結局、痛みわけとなりその衝撃で二人は別次元の世界に飛ばされることになる。ルースの飛ばされた世界は魔女ディア=インフィニアンが支配する大陸"絶世界"であった。

 ディア=インフィニアンは不老不死の三狂士"呪われた聖騎士"の力を持つルースに興味を持ち、彼の能力"不老不死"の力を自らの体に共生させる"不死の呪縛"かけ、悠久の時を生きる形を"絶対的"なものにした。ディア=インフィニアンはオリジントではあるが、不老不死ではなく。それまではみずみずしい生命力に溢れている若者の生気を吸い取って自分の生命を維持する"浄化転生"という秘術で悠久の時を生きていた。しかし、浄化転生は多くの若者が犠牲になるため、そして強い生命力を持つ者が条件となるため、手間がかかり、未踏のこの世界では難しい部分があった。迷い込んだ不老不死のルースの存在はディア=インフィニアンにとって"格好の餌"であった。
 ルースは知らぬ間に不死の呪縛を受けていた。この世界に迷い込んだ当初、ルースはディス=バーンとの戦いで重症を負っていた、ディア=インフィニアンは彼の傷を直すと同時に承諾なしに不死の呪縛をかけたのだった。

 不死身の三狂士であるルースだが、唯一、その力を発動できない相手がいる。それが同じ三狂士であるレオンハルト ディス=バーンの狂戦士の能力だった。すなわち、三狂士を殺すことが出来るのは三狂士だけ、同じようにディス=バーン殺すことが出来るのはルースだけであった。その理由は、ルースの持つ魔剣ソウルエクスにある。

 …百年。紅には想像は出来ない時だ。ルースのそばに立て掛けてある怪しげな剣、魔剣ソウルエクスを彼は見た。そういえばあの剣は…
 紅はレム オブ ワールドで襲われた。黒い甲冑の男を思い出す。 ルースの持つ魔剣ソウルエクスとあの男の持っていた剣、ともに黒光しよく似ている。何か関連性があるのでは…


「あんたの持つその剣、オレを襲ったあの男の剣によく似ている、何か関係があるのか?」


 紅の質問にルースは自らソウルエクスを取り、鞘を少し引き、黒光りする輝きを放つ、根元の刃を軽く彼に見せた。


「私の所持する魔剣ソウルエクス、そしてレオンハルト ディス=バーンの持つ、"魔剣ソウルイーター"は元はひとつの剣であった、そのひとつの剣は本来、私が聖騎士として受け取るはずの"聖剣"だった、だが混沌の僕の手によって二つの呪われた魔剣に分離された。私とディス=バーンはその魔剣を手にしたことにより、オリジントとして、三狂士のとしての呪われた存在となった。私とレオンハルト ディス=バーンは同じ剣を所持する"魔剣の兄弟"なのだ」
「魔剣の兄弟…」


 言葉を聞くだけで禍々しい感じがした。紅は乾いた唇を湿らせる。

 ルースの魔剣ソウルエクス、ディス=バーンの魔剣ソウルイーター、忌まわしき不老不死の能力を解除する鍵は魔剣にあった。双方の決着がつき、どちらかが倒れることによって、魔剣は元のひとつの聖剣に変わる、どちらかが死ぬことによって…。これは、異次元界最強の魔女と言われるディア=インフィニアンからルースが直に聞いた言葉であった。

 ディア=インフィニアンは底知れぬ、何を考えているのかわからない、見識のある恐ろしい魔女だが、彼女は"悪"ではない。知らぬ間に不死の呪縛をかけたことは気に食わなかったが、不老不死の呪われた力を解呪する有益な情報を与えてくれたのも確かであった。
 ルースは彼女に対する"信頼感"はなかった…が、彼女の差し出す情報は"信用"していた。

 不死の呪縛はディア、ルースのどちらかの死によって解除されるが、異次元世界最強の魔女ディア=インフィニアンが、死ぬことは考えられなかった。彼女は神すらもうかつに手を出せない。危険な魔女だ。三狂士ルースの手で彼女を殺すことも可能であったが、死なずとも彼が勝てるともいえなかった。だか、彼女との協力体制をとっておけばこれ程、心強い相手はいなかった。


「紅鋭児、お前にこれをやる」


 ルースは懐にしまってした姉セシルの形見の品、ファーレーン王家の白鷺の紋章が刻まれた短剣を紅に渡した。


「これは…?」


 紅は怪訝な顔で渡された短剣を手に持った。見た目とは違いずっしりと重い。見るからに高価そうな短剣だ。


「その脇差しは私がファーレーン国の聖騎士になった際、姉から貰った形見の王家の短剣だ。それをお前にやろう」
「…形見の品、なぜオレに」
「お前は今、丸腰だ、この世界を旅する以上は、必要最低限の武器は持っていた方がいい、この"絶世界"という場所は弱者は死に強者だけが生き残る、弱肉強食の地だ、この世界に生息する魔物は他の世界に比べて狂暴極まりない。お前の住んでた世界とは違い、守ってくれる"管理者"もいない。生き残るためには強くならなくてはいけない世界だ」
「…強くなる」
「紅鋭児、お前は弱い。丸腰で動けば、たちどころに魔物どもの餌食となるだろう…混沌の僕は信用に値せぬ輩だが、ひとつだけ真理をついた言葉を残した、それは"強き者だけが生き残り弱き者は死ぬ、それが自然の法則だ"とその言葉には偽りはない、そしてこの世界はそういう世界だ」
「……」

 
 ルースから貰った王家の短剣を見、紅は押し黙った。喧嘩で負け知らずだった自分、意気がり、自分より強い奴がいる負けるなどあの世界では考えたことがなかった、若気のいたりと言えばそれまでだが、自分は強い奴だというプライド、家を飛び出し、妹さやかを養うため生計を立てている、オレひとりで生きている、そういう自負心もあった。だが、自分が強いというのは思い込みに過ぎなかった。ルースにあしらわれ、あの世界に現れた混沌の僕ガンプには手も足も出ず、世界は滅んだ。

 絶世界は論理や道徳などが通用しない世界、ただ強い者だけが生き残る、単純で極めてシンプルな世界。敗北はすぐ死に繋がる。


「あんたはなぜ、オレをこの世界に連れて来た?」


 紅は疑問を投げかける。ルースは革の手袋を嵌め直し、立ち上がって手の感触を確かめながら、疑問に答えた。


「ひとつはエッジ=スクアートの魂を持つお前をこの世界で強くするため、もうひとつは、お前は混沌の僕と戦う使命にある、奴らはあらゆる世界に禍をもたらす、生かしては置けぬ存在、奴らを倒すためには夢見人であるお前の力が必要だ」
「…夢見人」
「数千前に滅んだ伝説の種族だ、彼らは夢を見て、禍を予知し、隔絶された精神世界≪レム オブ ワールド≫へ移動することが出来る」


 …レム オブ ワールド、ニーシャがいたあの世界か…紅は思い出す。確かにあの夢は普通とは違う、現実的でしかもあの世界から現世に人が現れた。


「そして、宿縁が集う場所、あの場で遭遇した者たちは運命に導かれ、どの世界にいても必ず出会う」
「では、あんたとオレも…」
「私は夢見人ではないが、当たらずとも遠からずだ、あの場で出会ったものは宿縁の鎖に繋がれる」
「それじゃ、混沌の僕とも…」
「必ず出会う、そして混沌の僕を倒すのは夢見人の一太刀のみ」


 ルースの言葉に紅は新たな疑問が沸いた。


「なぜ、夢見人なんだ?他の奴では混沌の僕は倒せねえのかよ」
「私も詳しくはわからないが、恐らくその理由は夢見人の魂の力が関係しているのであろう、レム オブ ワールドは精神的異世界でありと同時に混沌の僕が生まれた世界でもある、奴らを倒すことが出来るのはレム オブ ワールドに現れた夢見人しかないと言われている」
「……」
「すなわち、混沌の僕を倒すことが出来る可能性があるのはレム オブ ワールドに現れた夢見人、麻宮龍輝、世良瑞希、紅鋭児、お前たち三人だけだ…」


 …麻宮龍輝、あのヘタレのタコ助も、混沌の僕を倒す使命のある夢見人か、それと世良瑞希、世良瑞希だって…!
 その名前に紅の驚きは隠せなかった、世良があの夢に現れたもう一人の夢見人だということは、彼は今初めて知った。


「世良瑞希…!まさかあいつが、あの世界に現れたもう一人の夢見人なのか!」
「そうだ、レム オブ ワールドではエルフの姿で現れているはずだ、彼女も宿縁に導かれた夢見人のひとりだ」


 なんという偶然、世良瑞希は妹のことで世話になった女性で、誰とも関わりを持つ気がなかった紅の中で、唯一関わりを持った人間だ、まさか彼女があの"エス"とは…だが、あいつらはオレの住んでいた世界で…


「二人は生きている…恐らくな…」
「…生きている?あの状況でどうやって」
「パメラ…いや、ドリームプリンセスが何らかの策を施しているはずだ、ただお前の知っている現実世界の姿はしていないだろう、彼らには転生する"器"がある、だが、お前≪紅鋭児≫には器はない、それもお前をこの世界≪絶世界≫に連れて来た理由のひとつ…」


 …器、この男の言っていたエッジ=スクアートの体か…。紅はトカゲ肉の太い背骨をしゃぶりながら、そのことを頭によぎらせる。
 ルースは差し込む、朝日を見ながら言葉を続けた。


「もし彼らが転生に成功しているのであれば、強い戦闘力を持っているはずだ、性格も違っているはず…今のお前は選ばれた夢見人の中で一番弱い存在だ、器がない以上お前はその肉体で強くならなければならない、その体で混沌の僕と戦えるほどな…」
「…オレを鍛えるつもりか?」
「ただ、鍛えるだけでは限界がある、私はお前を≪インフィニティ パレス≫に連れて行くつもりだ」
「インフィニティ パレス?」
「この不毛の地に唯一人が住んでいる場所がある、魔女ディア=インフィニアンが構える居城、インフィニティ パレス。ディアの国と言えば言いだろう、そこにはディアが異世界から集めたつわものどもが募る強者たちがいる、私はお前をそこへ連れていくつもりだ」
「異世界の強者たち?」
「その中ではお前は最弱の部類に入るであろう、そこには戦士をはじめ魔術師、特殊能力を持つ者、様々なスキルを持つ者が数多くいる、お前は自らを鍛えあげ、強くならなければならない」
「…おもしれぇじゃねえか、その"強者"とやらがとれほどの者か興味があるぜ」


 紅の闘争本能に火がつく、いくら強者と言っても三狂士であるこの男≪ルース≫ほどは強くないはずだ。インフィニティ パレスにいる異世界からきた強者とやらが、どんなレベルか、自分も見たくなった。


「うぬぼれるな紅鋭児、お前は"最弱の部類"と言っただろう、今のお前が異世界の強者と戦ったところで足元も及ばん、インフィニティ パレスに着くまで最低限の技術は覚えてもらう」
「最低限の技術?」
「先ほどお前に短剣を渡したはずだ、それを手に持て」


 短剣…ルースがくれたファーレーン王家の紋章が入ったあの武器のことだ、紅はずっしりと重みのある小柄を右手に持った。


「左だ」
「何?」
「左手で構えろ」


 紅は左手で短剣を構える、とても持ちづらく動かしにくい、当然だ、自分は右利きなのだ。

 何のつもりだと、紅は訝しげにルースを見る。 ルースは不器用に短剣を左手で動かす紅を見て、彼に課す課題を言った。


「お前に課す課題とは、左手でモノを扱う技術を覚えて貰うことだ」
「無茶言ってんじゃねえよ、オレは右利きだぞ、左手でモノを扱うことなんてできねえよ!」
「もう一人のお前、エッジ=スクアートは両手で自在に剣を扱った二刀流の剣士だ、その魂を持つお前が出来ないことはない」
「オレはエッジ=スクアートじゃねえ!」


 紅は反論した。自分はエッジ=スクアートじゃない、紅鋭児だ。エッジ=スクアートがどういう人物なのかわからないが、大陸一の戦士と言わしめるぐらいなのだから、相当、"出来た人間なの"だろう。"弱い自分"と比較されてる気分になり、紅は無性に腹が立った。


「…なら死ぬな、これくらいの課題をこなせぬようでは、お前はインフィニティ パレスに行ったところで何も出来ない」
「なに!」
「紅鋭児、数ある異世界の中でもお前たちの住んでいた世界の人間は筋力がなく身体能力も低い、その弱点を補うには"技術"でカバーするしかない、両手で武器を扱うのは最低限のレベルだ」
「…んなこと言われてもよ」
「最初から出来る人間などいない、だが、訓練次第で出来るようになる、そしてお前には二刀流の才がある」


 ルースは小型ナイフを左手で持ち、日差しが差し込む、10センチほど盛り上がった砂上部分に目掛けて、ナイフを投げ刺した。奇妙な音と共に血が飛び散った。
 ルースがナイフを取るとそこには白くざらざらした細かい鱗を持つ大人の手のひらほどある砂漠トカゲが、口を開けて絶命し、ナイフが刺さった状態でこと切れていた。


「私は左利きではないが、それでもこれぐらいの"芸当は"出来る、強い戦士になるためには利き腕でなくとも、このくらいは武器を扱えるようにならなくてはいけない」


 ルースは内臓を取り出し、トカゲの血を抜いた。砂漠トカゲはこの地では貴重な食料、保存食にするため、一度火で炙った。
 左手か…紅は短剣を左手で動かしながら、おぼつかない手つきで鞘を抜く。感覚が違うのでうまく抜けない、気を抜くと手が切りそうだ。


「まず鞘からスムーズに刃を抜くことから、始めればいい、左手を使えるようにするためには"慣れる"以外ない、四六時中、左手を意識し生活しろ」






 
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