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無人駅
携帯音
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このまま死ぬ。
私は夏の日差しで見えない空を見つめて思った。
なんだか分からないが、私は、この男に殺されるのだ。
耳鳴りか、心臓の音が、分からない何かが耳に詰まって聞こえない。
おじさんは、私をどうしたいのだろう?
さっきから、好きだと叫んでいるから、痴漢目的なのか、
それとも、暑さのせいで怒りが制御出来ないのか。
事故の瞬間、時間がゆっくりに感じると言われるけれど私は電車が来るまでの長い数分で色々していた。
絶叫し、
抵抗し、
叫び、
考えていた。
考える。思い出す。
おじさんが好きなのは、私?
違う、ピンクの携帯の子。鈴木さん。
ピンクの携帯の子は、どうしたのか。
誰かがさらわれるのを目撃したと言っていた。
さらわれたのは、誰だろう?
私はおじさんの恋人と言うガラケーの女の子を想像した。
そして、不気味な事を考えてしまう。
遠い昔に彼女はおじさんに殺されたのではないか、と、そんな事を。
自分の命の危険があるのに、と、思われるかもしれないですが、そんな状態だからこそ、喚き抵抗しながらも、そんなことまで考えられたのかもしれません。
時が止まったように遅く過ぎてゆくのです。
おじさんは、凄い力で私を押さえつけながら、
それでもドラマのように服を引きちぎったりしませんでした。
その事に気がつくと、恐怖が汗のようにすっと消えてゆくのを感じたのです。
そして、思い出したのです。
彼女は携帯を取りに来るはずだという事を。
私は、彼女の忠告をしっかりと聞かなかったことを後悔しながらオジサンの汗を顔に浴びながら叫ぶのをやめた。
そして、抵抗をやめて『かけ』に出る事にした。
つまり、落ち着いた口調でこう言った。
「さっき、鈴木さんから電話があったの。
携帯取りに来るはずだから、おじさんが本当にカレシなら渡してあげて。」
静かな、間が…
生暖かい風が私の顔を撫でて行く。
おじさんは、不思議そうな顔をしてこう呟いた。
「スズキさん?」
私は助かる見込みをその間に見つけた。
そして、落ち着いたセリフで静かに言う。
「携帯渡すわ。手を離してくれませんか。」
その言葉は魔法のようだった。
さっきまで殺意丸出しの猛獣のようだった男が、人に変わる瞬間を私は見ていた。
おじさんは、私の腕から手を離すと、私の体から離れた。
散らかった私物をバックに入れると、あのピンクの携帯をおじさんに渡した。
もうすぐ、列車が来るはずだ。何かで遅れているとしても、きっと、もうすぐ。
あと少し、時間を稼がなければ。
私は泣きたくなる気持ちを押し殺して、私物を片付けるふりをしながらオジサンから距離をとる。
本当はこんな場所から走って逃げたい。
でも、数キロ先まで民家の無い外に逃げるよりも電車が来るのを待った方がいいに違いない。
耳鳴りがして、意識が遠くなりそうなのを必死でこらえた。
電車が来るまであと数分。いや、一分を切ってるかもしれない。
心臓が狂ったように暴れている。
私はさっき顔にかかったオジサンの汗を今すぐ洗い落としたい衝動を
ハンカチで頬をぬぐう事で押さえつける。 彼を刺激してはいけない。
おじさんは、あの携帯を愛しそうに両手で持って、携帯を開くと電源をいれた。
いや、入れようとした。
しばらく、格闘して、電源が入らないのを確認すると、深い失望を浮かべて携帯を閉じ、胸ポケットにしまうと私のほうへ視線を向けた。
「ひどい子だ。
今の学校では、真剣な人間をからかってはいけないと教えてくれないのかな?」
スズキさんなんて言うから、てっきり、信じてしまったじゃないか。
鈴木さんって適当に言ったね。この辺りは鈴木って苗字が多いから。
ま、携帯電話にスズキなんて名前をつけるあの子も悪いんだが。」
おじさんは、静かな口調をしていたけれど、私は金色に辺りを包む夏の日差しのなかで、世界を滅ぼしにやって来た禍神のように見えた。
「い、いいえ。」
かわいた声で、多分、私は呟いた。
こんな差し迫った状態で思う事では無いかも知れないけど、
スズキさんが携帯電話の名前って……と、恐怖におののきながらもツッコミを入れてしまう。
「君の嘘が上手で、僕もすっかり忘れていた。
携帯電話の電波はね、少しずつ変わってきているんだよ。
だからね、この携帯電話では現在は通話ができるはずは無いんだよ。」
おじさんは、とても残念そうに私に向かってくる。
さっきとは桁違いの絶望的な殺意が灼熱のなかで私を締め付けた。
必死で広げたおじさんとの距離が縮まる。
「嘘じゃないわ。スズキさんから電話があったのよ。
女の子が拉致られるところを見たって、私に、私に気をつけろって
本当に言ったんだから。スズキさんはいるんだもん。」
私はここで泣いた。
お母さんに助けを求める子供のように。
その時、また、携帯が、スズキさんが「時間です」と叫び声をあげた。
男は動きを一瞬止めた。
男が嬉しそうに携帯を開くと、どこからともなく大きくて美しいクロアゲハが私の横を通り過ぎ、
駅の軒で舞うように飛んでいた。
クロアゲハが軒で遊ぶとその家に死人が出る。
子供の頃に聞いた言い伝えを思い出した。
怖くはなかった。
電車は…どうしたのだろうか。
最後に考えたことはそれだった。
あとは夏の不快な熱風の中で私の思考は止まってしまった。
いえ、その前に…
私は、確かに、見えない世界からの精霊の声を聞いたのでした。
それは、おじさんの胸のポケットから、
聞き慣れたあの、携帯電話の電子音のような声で、
確かに、魂のある何者かが叫ぶのを聞いたのです。
『 玲奈ちゃん、黒ユリを届ける事が出来ました。』
瞬間、雲なんて無いのに雲に覆われるように辺りが暗く感じました。
そして、爆発するようなセミの声が耳に戻ってきたのです。
背筋が凍るような、なんとも言えないザラリとした感触がして、
向かいのホームの葛の茂みを破るように黒い何かがおじさんに襲いかかるのを見たのでした。
私は夏の日差しで見えない空を見つめて思った。
なんだか分からないが、私は、この男に殺されるのだ。
耳鳴りか、心臓の音が、分からない何かが耳に詰まって聞こえない。
おじさんは、私をどうしたいのだろう?
さっきから、好きだと叫んでいるから、痴漢目的なのか、
それとも、暑さのせいで怒りが制御出来ないのか。
事故の瞬間、時間がゆっくりに感じると言われるけれど私は電車が来るまでの長い数分で色々していた。
絶叫し、
抵抗し、
叫び、
考えていた。
考える。思い出す。
おじさんが好きなのは、私?
違う、ピンクの携帯の子。鈴木さん。
ピンクの携帯の子は、どうしたのか。
誰かがさらわれるのを目撃したと言っていた。
さらわれたのは、誰だろう?
私はおじさんの恋人と言うガラケーの女の子を想像した。
そして、不気味な事を考えてしまう。
遠い昔に彼女はおじさんに殺されたのではないか、と、そんな事を。
自分の命の危険があるのに、と、思われるかもしれないですが、そんな状態だからこそ、喚き抵抗しながらも、そんなことまで考えられたのかもしれません。
時が止まったように遅く過ぎてゆくのです。
おじさんは、凄い力で私を押さえつけながら、
それでもドラマのように服を引きちぎったりしませんでした。
その事に気がつくと、恐怖が汗のようにすっと消えてゆくのを感じたのです。
そして、思い出したのです。
彼女は携帯を取りに来るはずだという事を。
私は、彼女の忠告をしっかりと聞かなかったことを後悔しながらオジサンの汗を顔に浴びながら叫ぶのをやめた。
そして、抵抗をやめて『かけ』に出る事にした。
つまり、落ち着いた口調でこう言った。
「さっき、鈴木さんから電話があったの。
携帯取りに来るはずだから、おじさんが本当にカレシなら渡してあげて。」
静かな、間が…
生暖かい風が私の顔を撫でて行く。
おじさんは、不思議そうな顔をしてこう呟いた。
「スズキさん?」
私は助かる見込みをその間に見つけた。
そして、落ち着いたセリフで静かに言う。
「携帯渡すわ。手を離してくれませんか。」
その言葉は魔法のようだった。
さっきまで殺意丸出しの猛獣のようだった男が、人に変わる瞬間を私は見ていた。
おじさんは、私の腕から手を離すと、私の体から離れた。
散らかった私物をバックに入れると、あのピンクの携帯をおじさんに渡した。
もうすぐ、列車が来るはずだ。何かで遅れているとしても、きっと、もうすぐ。
あと少し、時間を稼がなければ。
私は泣きたくなる気持ちを押し殺して、私物を片付けるふりをしながらオジサンから距離をとる。
本当はこんな場所から走って逃げたい。
でも、数キロ先まで民家の無い外に逃げるよりも電車が来るのを待った方がいいに違いない。
耳鳴りがして、意識が遠くなりそうなのを必死でこらえた。
電車が来るまであと数分。いや、一分を切ってるかもしれない。
心臓が狂ったように暴れている。
私はさっき顔にかかったオジサンの汗を今すぐ洗い落としたい衝動を
ハンカチで頬をぬぐう事で押さえつける。 彼を刺激してはいけない。
おじさんは、あの携帯を愛しそうに両手で持って、携帯を開くと電源をいれた。
いや、入れようとした。
しばらく、格闘して、電源が入らないのを確認すると、深い失望を浮かべて携帯を閉じ、胸ポケットにしまうと私のほうへ視線を向けた。
「ひどい子だ。
今の学校では、真剣な人間をからかってはいけないと教えてくれないのかな?」
スズキさんなんて言うから、てっきり、信じてしまったじゃないか。
鈴木さんって適当に言ったね。この辺りは鈴木って苗字が多いから。
ま、携帯電話にスズキなんて名前をつけるあの子も悪いんだが。」
おじさんは、静かな口調をしていたけれど、私は金色に辺りを包む夏の日差しのなかで、世界を滅ぼしにやって来た禍神のように見えた。
「い、いいえ。」
かわいた声で、多分、私は呟いた。
こんな差し迫った状態で思う事では無いかも知れないけど、
スズキさんが携帯電話の名前って……と、恐怖におののきながらもツッコミを入れてしまう。
「君の嘘が上手で、僕もすっかり忘れていた。
携帯電話の電波はね、少しずつ変わってきているんだよ。
だからね、この携帯電話では現在は通話ができるはずは無いんだよ。」
おじさんは、とても残念そうに私に向かってくる。
さっきとは桁違いの絶望的な殺意が灼熱のなかで私を締め付けた。
必死で広げたおじさんとの距離が縮まる。
「嘘じゃないわ。スズキさんから電話があったのよ。
女の子が拉致られるところを見たって、私に、私に気をつけろって
本当に言ったんだから。スズキさんはいるんだもん。」
私はここで泣いた。
お母さんに助けを求める子供のように。
その時、また、携帯が、スズキさんが「時間です」と叫び声をあげた。
男は動きを一瞬止めた。
男が嬉しそうに携帯を開くと、どこからともなく大きくて美しいクロアゲハが私の横を通り過ぎ、
駅の軒で舞うように飛んでいた。
クロアゲハが軒で遊ぶとその家に死人が出る。
子供の頃に聞いた言い伝えを思い出した。
怖くはなかった。
電車は…どうしたのだろうか。
最後に考えたことはそれだった。
あとは夏の不快な熱風の中で私の思考は止まってしまった。
いえ、その前に…
私は、確かに、見えない世界からの精霊の声を聞いたのでした。
それは、おじさんの胸のポケットから、
聞き慣れたあの、携帯電話の電子音のような声で、
確かに、魂のある何者かが叫ぶのを聞いたのです。
『 玲奈ちゃん、黒ユリを届ける事が出来ました。』
瞬間、雲なんて無いのに雲に覆われるように辺りが暗く感じました。
そして、爆発するようなセミの声が耳に戻ってきたのです。
背筋が凍るような、なんとも言えないザラリとした感触がして、
向かいのホームの葛の茂みを破るように黒い何かがおじさんに襲いかかるのを見たのでした。
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