夏の夜話 短編集

のーまじん

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善いヒト

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 人生には、色々な分岐点と、異界への入り口が存在する。

 それは、普段は気に求めないような、くだらなくて、普通は見過ごすような小さなネットの広告が、5年に渡る七転八倒のあげく、たどり着かない…長い物語の入り口だったりするわけだ。


 私は、文学フリマ小説に参加しようと、期待と金儲けに心を膨らませてエントリーしてみた、野次馬のような作家である。

 いやいや、作家なんて(^^ゞ

 どちらかと言うと、趣味はフリマだ。
 近年、フリマが催されなくなり、物語の…でもいいからフリマをしたかったのだ。


 しかし、色々失敗をして、気がつくと、本格的に迷子になっていた。

 例えるなら、軽い気持ちで近所の山に遊びに行って遭難したような気分だ。

 小さな山でも、たまに迷子になる時がある。

 いつも、子供の頃から遊びに行ってる里山でも、ちょっとした気の緩みで、とんでもないアナザーワールドに引っ張りこまれてしまうのだ。

 こんな時は、むやみに歩き回らない。
 まずは落ち着かなければいけない。
 さもないと、同じ場所をぐるぐると回り続けてしまうかもしれない。

 よくある小説ネタではあるが(最近は聞かないなぁ。やはり、山遊びなんて子供がしないからかもなぁ)、私は、本当に迷ったことがある。

 子供の足で一時間ほどで登れる山だったのに、ほんの少し…冒険心がよぎった為に酷い体験をした。
 魔が刺したのかもしれない。いつもの山頂への道を選ばず、暗い山の中腹へと誘う小さな小道にいる妖怪に呼ばれたのかもしれない。

 昔、近所の子供とお弁当を手に、小学生の私は、意気揚々と冒険の道を選んだのだ。
 なに、心配することはない。どうせ、頂上はあと少しだ。上を目指せば少し遠回りでも大丈夫だと。

 それは、新鮮でワクワクする体験だった。杉の繁る山には、野うさぎがいて、私たちは新しい発見に胸を踊らせながら進んだ。

 道に迷ったのを自覚したのは、三回目に同じ目印の石を見たときだ。

 おかしい…

 なんど前に進んでも、この石のある場所に来てしまう…

 不安に思う私。一緒にいるのは自分より年下の子供達だ。何とかしなければ。
 焦りながら、同じ道を歩く。

 分岐の道を何度も確認して。そして、同じ石に出くわして、失望する私を見ながら、チビ達が不安に思い始める。

 物語では、不安をあおるために、ここで子供を泣かせたりするが、本当の不安を感じると、小学生くらいだと泣いたりしない。
 気を使って隠すのだ。
 しかし、テレパシー能力がなくても、不安な気持ちが背中にビシバシ伝わってくる。

 何とかしなければ。このままでは、明日からの私の立場が、失墜する。

 必死に私も考える。同じ石に、同じ目印。上に続く道は二つあるが、あの一本ひときわ大きな杉のある道は、違うのはわかっている…
 もう一度、この道を歩こうか?それとも、果てしなく深い草の生えた山道を下るのか?

 夕方までに帰らなければ、本当に大事になるかもしれない。
 警察とか、最近、町の消防団に入団した隣のにーちゃんに救われて、町内中の笑い者&かーちゃんの鉄拳制裁が待っている。かもしれない。恐怖と不安が込み上げる。

 当時、私、小6だ。こっちが泣きたいが、泣いてる場合ではない。一軍の将として決断せねばならないのだ。明智光秀のように。

 上に行っても、下に行っても地獄が待っているけど、立ち止まっていても、目的地にはつかないのだ。私は、下に行く道を決断した。

 「どうした?」

そんな私に、下の方の草むらを避けながら、山菜とりのオッサンが声をかけてくれたのだ。そして、道を教えてくれた。

私は助かった。

 正解は、あの、絶対に行っては行けないと思った杉の道だった。
 そちらに進んだら、あっという間に山頂への道にたどり着いたのだ。

 あれは、今でも不思議な体験だった。

 今考えると、なんであんなにかたくなにあの道を拒んだのか…

 そして、いいタイミグで登場した、あのおじさん…今考えると、山菜とりのシーズンは終わっていた気がするんだよね…。

 その後、あの山では戦国時代に戦場になったとか…幽霊が出るとか…噂を聞いてビビったなぁ。

 でも…幽霊でも…いい人には違いなかった。
 そんなに深い山ではなかったが、昔の井戸とかがあったらしいし、マジで、三途の川を渡る事になった可能性だって、0ではない。
 善いヒトに出会えて、助かったのだ。

 脱線してしまったが、まあ、いいや。


 混乱はするけど…まあ、書き始めなければ、完結もくてきちにはたどり着かないからなぁ………

 そんな事をぼんやり考えた。
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