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パラサイト

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  地面に仰向けに倒れて、長山は顔を両手で覆い、苦しんでいた。

  その手の隙間から、湯気のような微妙な線虫が煙のように沸いては消えて行く…

  あれが…モルゲロンなのだろうか?

  世紀末を震撼させた奇病を思い起こす。
  が、それなら、こんなにはっきりと夜目に見えるわけもない。

  普通の人間の肉眼では、目視は不可能なはずだからだ。

  では…普通ではない人間なら?

  ゾクリとする。

  自分のなかで、何かが変わってゆく感じが怖かった。

  と、同時に、この世紀の瞬間を目撃したいと言う欲求も突き上げてくる。

  長山に何がおこっているのか、そして、あの煙のような線虫のサンプルがとれないものかを必死で考える。

  私はカメラを取り出した。
  自分の意識の状態が、正しいのか、そうでないのかを後で再認識し、貴重な資料にもなるだろう。

  夜行虫などを撮影する機会があるため、カメラ機能は良いものを選んでいた。

  リュックには、プラケースとピンセットもある。
  感染の恐怖は、不思議となかった。

  いや、今更、神経質になったところで手遅れだ。
  それなら、人生最大のチャンスに命をかけるのも悪くない。
  いや、この場合、正確な資料は、私や他の人たちを救うことにもなるに違いない。

  カメラを構える頃には、不思議と落ち着いていた。
  私は、北川の背後に忍びより、とりあえず、様子をうかがう。

  何だかんだと理由をつけても、フィエステリアの仲間なら、バイオハザード レベル3の強敵なのだ。

  長山は、幻覚を見ている可能性がある。

  私が長山を疑ったのは、北川の午後の目撃談だ。

  その後、温室で意識を取り戻した私に、長山は、確かに、北川がずいぶん前に帰宅した事を告げたのだ。
  その後、若葉溶生さんに電話までしたんだから、忘れるはずもない。

  本当の長山なら、北川が早帰りし、それを私に伝えたことを覚えているはずだ。

  では…現在(いま)、うずくまっているのは…何者なのか?

  私は、地下室の雅苗の台詞を思い出していた。




  “ハリガネムシに操られたカマキリのように…池に飲まれてしまいますよ。”

  ハリガネムシは、強靭な体をもつ線虫で、森の殺人鬼カマキリを自在に操る恐ろしい奴だ。

  しかし、道の雨水など、でカマキリの体内を出てしまったら、呆気なく死んでしまうのだ。

  では…モルゲロンはどうなのだろう?

  その名をもつ他の症例は知らないが、とにかく、今、ここで発病している…何かは、7年の潜伏期間はあるようだった。

  7年、感染したら、隔離施設で、それについて研究をするのみだ。
  尊徳先生の…北宮家の謎の解明に尽力できるなら…まあ、そんな終わり方も悪くない気がする。

  そうと決まれば、長山からわいてくる線虫の確保をしたいところだ。

  とりあえず、ゴム手袋はした。そして、距離を保ちつつ、明かりをつけてズーム撮影をする。

  灯による線虫の反応と、北川に私の存在を認知してほしいと思ったのだ。

  線虫は…長山は、光には反応しなかった。
  人として、眩しいとも感じてないように、反応はない。

  私は、構わず撮影をする。
  警察や保健所にこの状態で連絡しても二次災害になると判断した。

  7年後とに誰かが感染していたとすれば、夜明けまでの短い間が活動期で、それを越したら、危険が激減する気がする。

  屋敷には北城もいる。

  北川の様子を見る限り、知識のない人物が介入しない方がいい気がした。

  北川は、長山が弱り始めた頃合いを見図るように革の手袋を閉め直す。

  「池上さん。あまり近づかないで。」

  北川はこちらを見ること無くそう言った。
  撮影は…だいじょうぶなのだろう。
  私は、北川の為に彼の手元を明るくする。

  ぐったりと動かなくなった長山の両手を、北川は、顔からはずす。

  すると、その顔は…草柳レイに変わっていた。

  くっ…と目を見開き、天頂をにらみ、そのまま、顔だけをこちらに向ける。

  そして、その美しい唇を醜く歪めて私に笑いかけた。

  あ・り・が・と・う

  そう、唇が動いた気がした。
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