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パラサイト

ヨベル

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  生物は、月のサイクルに影響を受けると言われている。
  天頂で輝く月に照らされた若葉溶生の姿に、いにしえのシャーマンの姿を見た。
  溶生立ち止まり、闇に潜む何かに向けるように、トミノの地獄を暗唱し始めた。
  それは、暗唱と言うより、読経に近い、深みのあるもので、彼が歌い始めると、一筋、二筋と、走行中の乗り物の窓に当たる雨のように、羽虫が私の横を通りすぎ、溶生の元へと集まり始める。

  溶生は、それらを引き連れるように、静かに闇の中へと足を踏み入れる。

  恐ろしい……

  その時、溶生の姿に、今までの快楽が吹き飛んだ。

  何か…人ならざる何かの存在が、体を硬直させ、震わせた。

  「行かないのですか?」
草柳レイが、心配そうに私を見る。
  私は、それでも、声を発する事すら出来ずにいた。
  呼吸が荒くなるのを感じる。
  動かない体に、自分の体の最期の生への執着を感じる。
  頭の奥を揺さぶるような恐怖心に生きている事を…逃げる事が可能なら、これから先も生きて行けると、体が叫びあげる。
  何か、得たいの知れないナニかに引き寄せられる不安に包まれる。
  それは、生物がもつ、捕食者への恐怖なのかもしれない。

  「大丈夫です。蝕まれて行く間も…痛みはありません、寧(むし)ろ、気持ちよくすらあるのです。」
いつのまにか、レイが私にもたりかかりながら、私の耳たぶをその柔らかい下唇で揺らしながら囁いた。

  ゾクリと、背骨にそって、冷たい快楽が脳天までツンと突き抜ける。

  頭が真っ白になる。

  「さあ…いきましょう。これが、最後の勤め…そして、大恩赦(ヨベル)の年がきます。」

「よべる……。」
「はい、聖書に書かれている解放の年ですわ。
  イスラエル人とされていますが、その起源は…遥か、シュメール文明まで遡れるのです。」
レイはそう言って、私の手をとった。
  すると、緊張した体がゆっくりとほぐれてくる。

  「日本もまた、50年を仏の解放の年としていますわ。
  私達、日本人もまた、起源はシュメールにあるのです。」
レイは、私の手を引く。
私は、催眠術にかかったように、それにしたがった。
  もうろうとした意識のなかで、日本人とユダヤ人のルーツについてのオカルト小説を子供の頃に見た事を思い出していた。
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