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パラサイト

愛蘭土文学会

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  保護眼鏡を外した私を見て雅苗は笑った。
  私は、その笑顔に活発な少女の記憶を見た。
  確かに、昔、彼女の笑顔を見た気がした。
  
  記憶の彼女は、慣れない私の眼鏡を細い指先でなおしてくれていた。 

  「少しは、私を信用してくださったのですね?」
雅苗は嬉しそうに微笑む。
「部屋の鍵を開けてくれたら、もっと信用しますよ。」
私は雅苗の笑顔につられそうになり、なんとなく気恥ずかしさもあって、努めて冷静な雰囲気を保ちながらそう言った。
  が、確かに、鍵はやりすきだとも思う。
  北城もそうだが、この屋敷の血縁は鍵好きなんだろうか?

  雅苗は、私の台詞を冗談を聞いたように笑って流す。
  「ダメですよ。侵入されたら困りますから。」
  
  な、何がっ(○_○)!!

  心が騒ぐ。が、ため息と共に落ち着きを取り戻す。
「何が…侵入するのです?」
一瞬、ゾンビ化した溶生と長山がドアを叩くイメージがフラッシュした。
「池の妖怪……ですわ。」
「池の妖怪?」
私は、長山達のゾンビなんて想像した事が恥ずかしく思う。

  ウイルス=ゾンビ

  アニメや漫画じゃないのだから、そんなもの、生物学を学んだ人間が考えることではない。

「はい。これが、北宮の長い戦いの原点…なのかもしれません。」
雅苗の言葉が胸に刺さる。
  そして、池の妖怪がゆっくりと頭のなかで実体化するのを感じる。

  フィエステリア…アメリカで、雅苗の父、雅徳が研究していたと言う、バイオハザード レベル3の渦鞭毛藻…

  これに似たような生物があの池にいるとしたら、確かに、厄介な気がした。

  フィエステリアは、敵が近づくと神経毒を発するが、ここの妖怪は幻覚を及ぼす毒を発生させているのだろうか?

  私は、北川と池にいった事を思い出した。

  そこで、硬化した若葉溶生を見た。

  やはり、あれも幻覚なのだろう。
  若葉溶生は、一階でギターを弾きながら元気に歌っているのだから。
  だとしたら、あの池の出来事も、私の幻覚なのだろうか?

  同じく、水辺に生息し、幻覚を引き起こすレジオネラ菌を引き合いにだすと、漫画のように速効性がある気がするのが腑(ふ)に落ちないが。

  「あれは……あの『砂金』は、元は尊行(たかゆき)のものでした。
  彼は、愛蘭土文学会に非正規メンバーとして加わっていました。
  そして、そこで、この本を買い求めたのです。」
雅苗の話を…私は、静かに聞いていた。
  雅苗は、続けた。
  
  「北宮家は、明治以前は、ある屋敷の御殿医(ごてんい)をしていました。
  そして、文明開化と共に軍医となったのです。
  日露戦争では、第2軍医部に所属していました。」
そこで、雅苗は、私に同意を求めるように一度私を見つめ、そして、こう続けた。

  「第2軍医部…そこで、森 林太郎先生と…いいえ、尊行は文学方面で気に入られたのですから、こちらの呼び名の方が、よろしいかもしれませんね、森鴎外先生と知り合ったのですわ。」

  森鴎外………。

  私は、何か、得体の知れない不気味な感覚で頭を殴られた気持ちになる。

  森鴎外と言えば、『舞姫』などで有名な作家であるが、主たる職業は軍医である。
  彼は、衛生学や細菌学を北里柴三郎(細菌学の父)などと留学して学んだ、エリートなのだ。
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