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パラサイト

シンゲン再び

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  静かな夜だった…
  昭和初期に建てられた、上品な板の廊下の行き止まりのドアの前で、私は、保護眼鏡とマスクの怪しい出で立ちにも関わらず名前を呼ばれた。
 
  失踪していた若葉雅苗に。

  「こんな姿ですいません。」
マスクと眼鏡を外したい衝動をぐっと押さえる。
  原因が分からない何かがおこっている限り、これを外すわけにも行かない。
「構いませんわ。エアロゾルを心配されてるのでしょう?
  でも、あなたは大丈夫です。と、言われても信じられないでしょうから、お好きにしてください。」
雅苗の口調はおっとりとしていて、非現実な気持ちにさせる。

  いや、違う、そんな悠長な話じゃない。
  そう、私は、7年、行方不明だった若葉雅苗に会っているのだ。
  7年、どうしているのか、7年前に何があったのか、それらを問うのが先の気がする。

「ありがとう。」
はやる気持ちと裏腹に、それだけ口にするので精一杯だった。
  自然にポケットの鍵を握りしめる。
  北城がこの事を知ったら…どんなに喜ぶだろう?
  そして、彼女がいれば、全ての謎を解き明かし、この屋敷を脱出できるはずだ。
  が、もし、間違っていたら?

  その確率が私を迷わせる。大体、マスクと保護眼鏡の怪しげな私を認識し、かつ、「池上先生」なんて呼んでいるところが怪しい。
  私は、国立大学の助教授に先生と呼ばれる人物ではない。

  これは幻覚かもしれない( ̄~ ̄;)

  何か、奇妙な浮遊感に包まれながらそう考えた。
  軽い、めまいの中で、再び部屋の鍵を握りしめる。
  もし…これが幻覚だとして…私も何かに感染していたとしたら……

  幻覚に惑わされて、北城を襲う自分を想像して首をふる。

  ダメだ。しっかりと確かめた後でなければ!
  涙の再会は、本人だと分かってからで良いのだ。

  大体、「池上先生」なんて、昔の会社の営業にすら言われた事はなかったのだから。
  
  そう考えると、無意識に先生と呼ばれたがっていたようで胸が痛む。
  それは、自慢は出来ないが、卑屈になるような人生はおくっては来なかった。
  「すいません、聞いてます?私の話を。」
と、雅苗に言われて、はっとした。
「すみません、もう一度、お願いできますか?」
私は、恐縮しながら雅苗に頼んだ。
  雅苗は、困り顔になりながら話をしてくれた。
「夏祭りに先生は一度、こちらにいらしてくださいましたね?虫探偵シンゲンとして。」
「(///∇///)………。」
「その時、この辺の林や山を調査されましたよね?」
「あっ…はい。」
「その時のお話をお伺いしたいのですわ。」
雅苗の言葉に困惑する。

  虫探偵シンゲン……

  ただ1時間の黒歴史が、波のように何度も私を叩きのめす。
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