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パラサイト

恩師

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  私は、北城に謝りながらUSBを差し込む。
  北城は、そんな私を黙って見てからパソコンを操作する。

  私は、雅苗の秘密の日記について説明した。
  北城は、開いた日記のコラージュと数字を見つめ、それから、あの、周期ゼミの画像をよけて日記をひらく。

  私は、胸が締め付けられるような気持ちで北城を見つめた。
  日記…特に、隠しておきたいような個人的な日記が、日の目をみると言うのは、日記の持ち主が既に、この世の人ではなくなった事を印象づけるからだ。

  しかし、北城は、軽く眉を寄せて難しい顔をして考え込んでいた。

  「これは…解説の訂正をするべきかもしれないな。」
北城は、そう言いながら、雅苗のものと思われた、あのblogを開く。
  そして、私が書いた『トミノの地獄』の解説を音読しはじめた。
  彼の低く印象的な声は、心地よく部屋に響いた。
  彼が朗読を始めると、まるで自分が即興で作り出したとは思えない知的な印象になる。
  その声の張りに、抑揚に、北城が人前でプレゼンをしているのが分かった。

  北城の海外留学を期に疎遠になってしまったが、どんな人生を歩んできたのだろうか……。
  まあ、どうせ、輝かしい履歴なのだろうから、聞く必要も興味もないが。

  などと、海外で学術発表をする北城を想像し、卑屈な気持ちになる私の横で、北城は私の文章を読み上げ、そして、私の駄文を誉めてくれた。

  「素朴で、優しげな、いい文書だな。」
北城は、そう言いながら、私の文章をプリントアウトして、赤ペンを入れ始めた。

  「この説に、しおりの情報を追加する。
  「19」繋がりで浮かび上がるダ・ヴィンチと、しおりのプロヴァンスと騎士団から、金の羊の意味が変わる。」
北城は、「金羊毛騎士団」の文字を書き出した。
  
  金羊毛騎士団…
  1430年ブルゴーニュ公フィリップ3世によって創設された騎士団である。

  「どう言う事だ?」
私は、あまり得意ではない世界史の話に混乱しながら言った。
  ダ・ヴィンチコードだの、羊毛騎士団だのと話していていいのだろうか?
  それより、雅徳さんの話をするべきだと気があせる。
「西條八十の詩の世界では、金の羊は地獄の案内をする。 八十は、どう考えたのかは知らないが、
 プロヴァンスで、金の羊と言えば金羊毛騎士団を思い浮かべる人の方が多いに違いない。
そして、この時期、西條八十とプロバンスを結びつける人物がいる。」
北城は、淡々と説明するが、引っ掛かれない私は困惑するばかりだ。

  牡羊座の伝説だって馴染みが無いと言うのに、金羊毛騎士団なんて、少年時代に漫画で見たかもしれない…くらいの知識しかない。
  困惑する私の顔を見つめながら、北城は楽しそうにこう続けた。

  「金の羊は、地獄への案内人だ。
  そして、これが金羊毛騎士団だとするなら、ブルゴーニュとの関連が浮かび上がる。
  ここで、西条八十の恩師 吉江(よしえ) 喬松(たかまつ)が登場する。

  吉江氏は、1916年から1920年にかけてフランスに留学し、1918年、小松(こまつ) 近江(おうみ)と共にプロヴァンスを旅している。
  フランスの文豪フレデリック・ミストラルのゆかりの地を訪ねる旅を…ね。」
北城は、深々と椅子に体をあずけた。

  私は、北城が何を言いたいのか、よくわからなかった。だから、素直に質問した。
  「で、それがなんだと言うんだ?」

  北城は、深く考えるときの癖である眠そうな顔で、
  「フレデリック・ミストラルは、詩人であり、彼の郷里であるアルルの歴史について調べた人物だ。
  生まれはマイヤール。
  サン・レミ・ド=プロヴァンスから程近い場所にある。」
と、言った。

  一瞬、私の頭を電気が走った。
  サン・レミ・ド=プロヴァンスは、ノストラダムスの生まれ故郷であり、
  小松近江先生は、ファーブル昆虫記を翻訳された先生である。

  そして、吉江喬松氏は、文学者ではあるが、実家は養蚕をしていて、虫には詳しいに違いない!

  なんと、ここで、西条八十の人間関係が虫関連に染まって行くのだ。
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