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パラサイト

ヌクレオチド

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 100年前、西條(さいじょう)八十(やそ)の発表した『トミノの地獄』が、おかしな都市伝説になるのは、21世紀に入ってからだ。
  この詩を音読すると、取り返しのつかない恐ろしい事がおこると言われたのだ。
  雅苗がそれを信じていたのか、違うのかは分からない。

  ただ、歴史的事実として、1919年、この前後数年は、スペイン風邪と呼ばれ、恐れられたインフルエンザの流行があった。

  それを思うとき、私は理解不能な、八十(やそ)による美しい地獄の世界を暗唱(うたう)詩に、主人公のトミノの吐いた玉の正体を見た気がした。
 
  ヌクレオチド

  DNAの細胞に仕舞われた、美しい生命の玉。
  人は、このヌクレオチドの玉の連なる遺伝子と言う名のネックレスを設計図に作られている。
  
  父と母から貰った遺伝情報と言う名の紐を、二重螺旋に編み込んで、新たな命の設計図が完成するのだ…
  70年代に入るまで、それは、蚕の吐き出す絹糸のように丈夫で、揺るぎ無いものだと信じられてきた。

  しかし、それは羊毛を糸に紡ぐように、他の遺伝子(せんい)を加えて糸にすることが容易である事がわかったのだ。

  1972年スタンフォード大学のバーク先生たちが行った実験で、
  あるウイルスと、あるバクテリアのDNAを酵素を使って試験管で繋ぎ会わせる事に成功したのだ。

  それが、遺伝子組み替え技術である。

  70年代を境に、命を産み増やす方法は、神と祝福された寝所からでなくとも、  化学と蓄積された情報を持つラボでも可能だと、人類は知る事になるのだ。

  しかも、種族の違う…人と他の生物とで、ヌクレオチドの玉を編み込む事が可能なのだ。

  しかし、それは、人間だけに許された特権ではない。

  それは、ウイルスが遥か大昔から行っているのだ。
  自己増殖が出来ないウイルスは、他者の細胞に己の遺伝子を組み込む事で仲間を増やして行くのだ。

  トミノの地獄では、主人公のトミノが玉を吐く所から話が始まる。
  一見難解な、意味の無い文句のようであるが、
  火を吐いた姉を発熱と、
  血を吐いた妹を吐血と、病状として考えるなら、
  トミノが吐いた玉は、ウイルスと、ヌクレオチドを現すと考えると、至極、科学的な雰囲気が加わるのだ。
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