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パラサイト

1号

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  そう言えば、あのロボは…去年、業務終了したのか…
  私は、2018年派遣切りとネットで騒がれた、日本で初の派遣型AIロボを思い出す。
  早期退社を選んだ私は、ロボットに自分を重ねて切なくなる。
  「草柳レイのデザインは、溶生(ときお)さんがしたようですよ。」
長山は、淡々とそう話す。
「1号…って、」
「7年も前の事ですから、AIと言っても、簡単な会話をスピーカーから流す程度で、主にビジュアル面に特化したデザインでした。」
長山は懐かしそうに軽く目を閉じて微笑んだ。
「綺麗…だったのでしょうね?」
何となく、そんな言葉が口をついて出た。
  長山のリラックスした顔が、好きだったキャラを語るように見えたからかもしれない。
「そうですね、ベガさんが…」と、ここで私の顔を見て、長山は一度、言葉を切る。「原型師の方が、フリーランスの職人さんで、1号は…本当に綺麗でした。」
長山は桃源郷を語るような口ぶりで言った。
「はあ…。」
「メカ部分が少ない為、移動が容易で、話題性を持たせる為に度々、溶生さんはレイを連れ出してドライブをしたりしていたみたいです。」
長山の説明に、溶生さんの浮気のスキャンダルが溶解して行く…。
「そうでしたか!」
嬉しくなってつい、叫ぶ。
「そんな美人なら、会ってみたいですよね?1号に。」
秋吉が話に加わってきた。
「それが…見つからなかったんですよ。だから、池で見たと池上さんが言ったときは、つい、驚いてしまいました。」
長山が、自分の悪癖を恥じるように困った顔をした。
  多分、それ、違います。私の遭遇した草柳レイは、CM出演を軽く自慢してクルリと回って微笑んだりしましたから。

  とは、言えない雰囲気が漂う。
  多分、長山は池の東屋で座ってるようなレイを想像してるのだろう。
  そこを通りすぎながら、軽く挨拶するような…そんな光景を。

  しかし、現実は、一緒に歩き、両手を空に向けてレイが伸びをすると、揺れるバストに気を引かれたり、細いウエストに丸い尻が綺麗すぎてつい、目が行って困るな…なんて、浮かれて考えながら、散歩をしていたのだ。
  レイは、意外と不思議ちゃんで、7年前に自分が精霊になった…なんて馬鹿な事を語っていた。

  一瞬、甘い羞恥心が恐怖に変わる。

  レイは、言った。
  池に沈められて虫に貪られた…から、精霊になったんだと。

  現実離れしたシュチュエーションと、レイの色香に惑わされ、いわゆるアイドルの設定(プロフィール)だと流していた不気味な話が、現実として頭で処理されようとしていた。

  沈められる?
  沈められたのは…誰?

  「草柳レイには、モデルはいたのですか?」
思わず長山に聞く。
  長山は、そんな私を呆れるように見る。
「さあ…でも、リアルであんな女性、いるわけありませんよ。あれは、男の夢の中にだけ住む、仮想の住人…男のロマンです。」

  男のロマン…聞いてるこっちが恥ずかしくなってくる。
  が、逆にこれで冷静になってきた。
  私は秋吉を見た。
  「秋吉…そう言えば、君は、昼に池で私に、『草柳レイは、溶生さんと噂になった人だから、話題にしない方がいい』っていいましたね?」
「きっ…君?でしたね…ですか。」
秋吉は私の丁寧語にビビる。
「それが夕方にはロボに変わった経緯(いきさつ)を私は、まだ聞いていませんでした。教えてくれますね?」
私は、責めるように秋吉を睨む。
  そう、昼の時点で、草柳レイがAIだと知っていたら、こんな混乱は無かったのだ。
「経緯って…ああ、すいません、俺も、さっき、打ち合わせで知ったんですよ。で、池上さん驚かそうと思ったんです。」
秋吉は屈託なく笑った。
その無垢な笑顔に毒気を抜かれる。
「ああ、驚いたよ。でも、それなら、もっと早く教えてくれても…。」
と、秋吉に文句を行っても仕方ないが、気持ちが止まらない。

  止まらない気持ちは…しかし、いいタイミングで開いたドアが鎮めてくれた。
  「すいません。私のせいですね。」
と、やって来たのは北川だった。
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