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パラサイト

若葉

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 「人類滅亡の事では、ないよね。」
私はスマホを返してもらいながら苦笑する。
私の表情に困ったように秋吉は眉を寄せた。
「違いますよ。7年前に若葉さんの奥さんが失踪した事件、覚えていますよね?」
秋吉は、すがるような目で私にも迫るように話しかけてくる。
その表情に、本気で不安に思っているのを感じて真面目に答え直す。
「ああ、某県の若葉夫婦所有の別荘で奥さんが失踪し夫の溶生ときおさんが意識混濁状態で発見された、あの事件だよな?」
私は秋吉の勢いに少し圧されぎみに説明をする。

 外部からの侵入の形跡はなく、部屋は混乱した溶生さんが暴れたために散らかっていた。

 彼は、その後、数日間昏睡状態になり、その様子に、再び彼に薬物疑惑が噂された。

しかし、溶生さんからは薬物反応は出なかったのだ。

 「ネットだと、都市伝説になってますよ。殺人虫とか。」
秋吉は長いまつげを伏せてやるせない顔になる。

 彫刻みたいにきれいな顔だな。
秋吉の不安を棚にあげて、ドラマの世界に入り込んだような非現実に引き込まれた。

 が、次の瞬間、慌てて否定をする。
「殺人虫って、一体何? 蜘蛛科?蜂?  死ぬと言えば、注意を怠り彼らの縄張りに不遜ふそんに入れば、それなりの報いを受けるだろうが、普通、彼らのタブーを犯さなければ死ぬような事は無いよ。」
私は呆れながら、やや強い口調で言う。

人類滅亡から殺人虫まで、溶生さんもすっかりオカルトネタにされてるな。

私はインターネットの噂好き達に呆れた。

 それから、少し前に秋吉から聞いた不思議なオーディションについて思い出した。

 秋吉は『シルク』のオーディションで悪質な虫を使ったイタズラをされたようで、虫がトラウマになったようだ。

 「秋吉さん、あまり変な話を池上さんにしないでくださいよ。」
長山が進行方向を見たまま秋山をたしなめる。
「そうだ、秋吉、不確定な話を面白半分に言うものじゃないぞ。」
ここぞとばかり私も、秋吉を注意する。

 これから溶生さんに合うと言うのに、悪口なんて聞きたくはない。
 我々に代わる代わるに説教をされて、秋吉は少し不服そうに口を閉じる。

「でも…、この企画、不可解な話でもあるんです。」
少し間を置いて長山が話し出した。
「不可解…とは、どう言うことですか?」
一瞬、不気味な何かを感じで私は低い声で長山に聞く。
「この企画、実は溶生さんからの提案なんですよ。」「え?溶生さんがっ!?」
思わず声が漏れる…若葉溶生は、この7年、後遺症のため、意識障害をおこしていたはずだ。
 それが、なぜ、ここに来て、色々と企画を通し始めるられるのだろう?

「7年前に失踪した雅苗さんが戻ってくると言い出したんです。
それを聞いた北宮家の方々が、あの屋敷で百物語をする事を許したのです。」
長山は運転のためか、話の内容のせいか、難しい顔をしている。
「百物語で奥さんが帰ってくるって…それ、幽霊って事ですよね。」
秋吉は後部席で呟くように言った。
「百物語で幽霊が召喚できるなんて迷信だろ?
夏に友達の寺で子供たちを集めてやってるけど、私は見たことがないからね。
精々せいぜい、背中が少し寒くなる程度だし、そんな事をしていたら、視聴者からクレームが来るんじゃないかな…。」
私はそこで言葉を止めて長山を盗み見た。嫌な事を考えてしまったのだ。

 つまり、この企画はドッキリのような悪ふざけではないか、と。

 しかし、ネットテレビとはいえ、そんな事に荷担かたんして良いのだろうか?

 私はモヤモヤした気持ちを抱えて黙りこんだ。
私はテレビ番組作成までは聞いていたが内容については知らなかった。

 失踪事件と言う重い事柄で遊ぶような番組製作なんて参加したくはない。
秋吉にもさせたくない。
でも、契約書にサインをし、県をまたいでこんな遠方に来て、やめると言うのも大人げない気もする。
 それに…雅苗の親族がなぜ、それを後押しするのかも不可思議だった。


「どうしたんです池上さん?気分でも悪くなりましたか?」
長山はコンビニを見つけて車を停車させながら私に聞いてきた。
「え?いえ、大丈夫です。」
私は、自分を心配して車を停車させてくれた長山に戸惑いながら答えた。

「ああ、秋吉さん、悪いんだけどアイスコーヒー3つ買ってきてくれないかな?」
長山がカードを差し出しながら秋吉に言うと秋吉は心配そうに私を見た。
「大丈夫ですか?」
「え?ああ、こちらこそすいません。」
私は二人に申し訳ない気持ちになる。
しかし、やはり、本当に行方知れずの人物がいるのに、言っては悪いが、こんなふざけた番組を作って大丈夫なのだろうか?

 私は、一瞬、迷ったが、秋吉が居なくなったタイミングで長山に思いきって聞いた。

「いくらテレビでも、若葉雅苗さんが行方不明のままなのに、そんな事件現場で百物語なんてオカルトめいたふざけた事をやって世間に広げるなんて、私は、やはり良くないと思います。」
私の台詞を聞いて意外なことに長山は笑いだした。

 怒られるか、嫌な顔をされると思っていた、が、長山は好意的で慈愛の溢れる声で私にこう言った。

「やっぱり、先生…を選んで良かった。これはlive送信ではありませんし、雅苗さんの…北宮家からのお願いでもあるので。
何しろ、7年殆ど人と話せないほど精神が荒廃していた若葉溶生さんが回復して言い出した事なのです。

 そうですね…壮大な心理治療…とでも考えていただければ…

 溶生さんによれば、ショクダイオオコンニャクが咲き誇るあの場所で雅苗さんが彼に会いに来ると。
ムシが知らせてくれたようですよ。
 あくまでも、呼び出すのは幽霊ではなく、若葉さんの記憶です。
 我々は雅苗さんの手がかりを逃したくは無いのです。それに、北宮家の方々の依頼でもあるのです。」
長山は寂しそうな微笑で私を見た。
「若葉さんを騙すのですか?」
私は鈍い痛みを感じる。人間同士の醜い争いは嫌いだ。私の不機嫌に気がついたように長山が話をたたむ。
「細かいことは屋敷についてからお話しします。
とりあえず、この話はここまででお願いします。」
長山はコンビニのドアに秋吉を見つけて緊張したようにそう言った。


 ため息がでる。

「大丈夫ですか?」
「ああ、すまなかった。おかげさまで気分も良くなってきたよ。」
私はアイスコーヒーを貰いながら秋吉に礼を言った。
秋吉は私の顔を見て安心した様に微笑んで
「変な話をしてすいませんでした。俺、どうも洋館とか虫と聞くと、なんだか過剰に反応してしまう様です。」
と、反省する様に言った。
ふと、秋吉の経験した不思議なオーディションの話が頭をよぎる。
 不安と言われれば…秋吉の方がより、不安に違いない。なにしろ、人生の中盤で、やっと掴んだ最後のチャンスなのだから。

 「仕方ないさ、人には好き嫌いがあるものだからね。でも、虫が人間を一人、跡形もなく消すことなんて出来ないよ。
 70年代のホラー映画じゃあるまいし骨まで食いつくし、現在の日本の鑑識の精鋭から逃げおおせるなんて虫でも不可能だよ。」
明るく、やや押し付けるように秋吉に話しかける。
「ほら、失踪した別荘から、奥さんへの暴行を疑わせるような証拠や血痕は発見されなかったって書いてある。」
私は、スマホの昔のニュース記事を雑に秋吉に見せながら一気になだめてしまった。

 私達はコーヒーを飲み終わると車を発進し、しばらく無言で先を急いだ。

 「もうすぐ、若葉さんの家につきますから、さっきみたいな話はしないでくださいね。」
長山は、ぼやくように念をおし、私たちは「はい」と、それだけ答えた。

 大通りを曲がり住宅地の狭い路地をいくつか曲がったところにある二階建ての家の前で車が止まった。


 しばらくして、ドアから登場した人物は、
 私の青春時代のスターからかけ離れた、
 なんとも貧相な、頬のこけた初老の男だった。
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