魔法の呪文

のーまじん

文字の大きさ
上 下
6 / 15
ヴィーナオーパンバル

あんぽんたん

しおりを挟む
 「一体、どこまでついてくるんだい?
 もう、私に付きまとう必要はないだろ?
 アンタは約束通り魔法をかけたし、私は、フラれちゃったんだからね。
 さあ、どこにでも行っておくれよ。一人にしてくれないかい。」

 いつまでも離れないフェネジにメアリーは力なく言いました。

 さっきから、何度か振り払ってみたものの、フェネジはそれでもメアリーから離れません。
 これでは、乙女チックに失恋を嘆くことも出来ません。

 「これ食べる?」
フェネジは、どこからから貰ってきたパイをメアリーに差し出しました。
「いらないよ。」
メアリーは呆れながらそう言いました。

 恋をした事のないジンのフェネジには私の気持ちなんて分からない。
 メアリーはそう思いました。

 「そう、じゃあ、オレ、食べちゃうよ?勿体ないから。」
フェネジは嬉しそうな顔で、口だけはしかたなさそうに言いました。
「ああ、それ食べたら何処かへ消えておくれよ。」
メアリーは自暴自棄になりながら呟きました。

 その投げやりな様子を見ていたフェネジは、なんだか悪いことをしたような気持ちになりました。

 意地を張ってるけど、やっぱり、メアリーはパイが欲しいんだ。
 フェネジはそう思いました。

「怒らないでよ。パイ、そんなに食べたいならあげるよ。」
フェネジは名残惜しそうにパイをメアリーに差し出し、メアリーは溢れてくる怒りに我を忘れそうになりました。

 「もうっ、そんなもんはいらないよっ、何度いわせるんだぃ?
 アタシは、今、失恋したんだよ?
 とーっても悲しくて、どうにかなりそうなんだよ?
 一人にしてほしいんだよ!分からないのかい?」
メアリーは綺麗になった顔を醜く歪めて、フェネジに噛みつきそうな勢いで文句を言いました。

 フェネジは、その迫力に大きな体を少し縮めて急いでパイを飲み込みました。
 それから、不思議そうに
「いつフラれたの?」
と、メアリーに聞いたのです。
 この屈託のないフェネジの言葉にメアリーの理性がぶっ飛びました。

 「いつ?いつって、アンタが、一日まちがってオペラ座の廊下に私を連れてきて、アンタが座って鼻をほじくりだした頃だよっ!

 知らないみたいだから、教えてあげるけど、あのとき扉を開けて女の子と腕を組んで登場したのが、カール!私の好きだった人だよっ、あんぽんたん。」
メアリーは、怒鳴りながら心の中は泣き出しそうでした。
 フェネジは、鈍感で意地悪だ。
 メアリーは、どうにも出来ない気持ちを抱えてそう思いました。

 「そうなの?おかしいなぁ…、オレ、ちゃんと『やり直しの分岐』に来たはずだよ…。
 ちゃんと幸せになってくれなきゃ…
 オレ、メアリーから離れられないんだ。」
フェネジはそこで力を込めて、勇気を振り絞るように両手を握りしめました。

 「お、オレだって、メアリーとなんか一緒にいたくないんだから、な。」

 フェネジは言うことだけいってしまうと、急いで二部屋分一気に後ろにさがりましました。
 その怯えた様子を見ていて、メアリーはなんだか可笑しくなってきました。

 「わかったよ。仕方ないね。それなら、好きにすればいいさ。
 私は、お父さんに会いに行くよ。」
メアリーは、12歳に離れたふるさとを思い出して歩き出しました。

 一日くらい悲しみにふけりたくもありましたが、
 そんな事をしても何も良いことはありません。

 初恋は壊れてしまっても、魔法の関係で二度と会えないと思っていた家族に会えるチャンスを貰ったのです。

 トトの好みのハッピーエンドにはならないけれど、ね。

 メアリーは、懐かしいふるさとを思い出しながら苦笑しました。


 オペラ座の階段を降り、ホールに向かうメアリーは、不思議と落ち着いてきた自分の気持ちに安心し、これからの事を考え始めました。

 メアリーが、行儀見習いの為に暮らしていた男爵様のお屋敷にいけば、男爵令嬢で友人のマリアが助けてくれるに違いありません。
 あれこれと、これからの事を考えていたメアリーはホールが騒がしいことに気がつきました。

 オペラ座の警備員の他に、軍や市警の役人が騒いでいるようです。

 何があったのでしょうか? 

 メアリーは、噂好きの婦人と情報通の執事が話をしている声を聞きました。
 どうも、若い娘が暴漢にさらわれて川に落ちたらしいのです。

 「大変だわ。フェネジ、助けに行くわよ。」
メアリーは急いで外に出ました。

 外は人だかりで、それを掻き分けて先に進むと、メアリーはその様子に立ちすくんで言葉を無くしました。

 人だかりの先で大の男が白いドレスを握りしめて半狂乱で泣いていました。

 「フランク…。」
メアリーは、後頭部を強く打たれたような衝撃を受けました。
 幼馴染みでメアリーのエスコート役のフランクが泣いていました。

 魔法の呪文で魔術技師にされたメアリーは、自分の不幸に囚われて、自分を愛してくれていた人たちの事を忘れていたのでした。

 「メアリー…。メアリー。」
フランクは、この世のものとは思えない、切ない声で、ただメアリーの名前を呼んでいました。

 さっきまで、カールにフラれたことにショックを受けたメアリーでしたが、
 誰かが自分を思って傷つく方が、数倍も痛いものだと今知ったのでした。

 メアリーは、締め付けられる胸の痛みに耐えながら、ゆっくりとフランクに近づきました。

 フランクは、すぐ近くにいるメアリーに気がつきません。

 「フランク…」
メアリーは、懐かしいフランクの頬に恐る恐る手をかけました。

 それでも、フランクは気がついてくれません。

 「私よ?メアリー。ここにいるから、心配ないから、そんな顔で泣かないで。」
メアリーは呼び掛けますが、フランクはメアリーのヴィーナ・オーパンバルの白いドレスを抱き締めたまま気がついてくれません。
 今まで見たことの無い、絶望にうちひしがれるフランクに、自分の声が届かない切なさにメアリーは我慢できずに泣き出しました。
 おねがい、そんな悲しい顔で私の為に泣かないで。
 メアリーは、フランクの頭を抱き締めました。

 やがて、軍人のフランクの仲間が、彼の肩に手をかけて慰めた時、
 メアリーは、ここの誰にも自分の姿がわからないことに気がついたのでした。
 少し遅れてやって来たフェネジにメアリーは力なく呟きました。

 「さっきはゴメン。あんぽんたんは私の方だ。」

 メアリーはフラフラと立ち上がりました。

 そして、ここに来てやっと悟ったのです。
 トトが願ったのは、メアリーだけのハッピーエンドでは無いことを。

 フランクが悲しんでいるようでは、本当のハッピーエンドにはたどり着けないことを。
しおりを挟む

処理中です...