祓魔師 短編集

のーまじん

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猿酒

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 「芥子(けし)、ですか。」
用心深く赤い液体に口をつけた利休が眉をしかめた。芥子は古くから薬として一部の学者に知られてはいたが、最近、外国人と付き合いのある商人達は警戒を強めていた。

 その様子に秀吉は、退廃的な憂いを含んだ笑いで答え、圧縮した怒りをひた隠しながら表面上穏やかに語りだした。

 「馬鹿にされたものよのう。このわしに、このような低俗な毒を盛ろうとは。南蛮人は表向きはチヤホヤと心地の良い言葉を発しながら、なにゆえ、このように、見えすぎた悪さを仕掛けてくるのか。猿と呼ばれ、わしを笑ろうた連中ですら、ここまで命知らずな粗相(そそう)はしなんだが、利休、南蛮人には、わしはどのように見えているのであろう?」
秀吉は答えの必要がない質問を利休に投げる。
 利休は、全てを燃やし尽くすような激しい怒りを抱えながら、秀吉が黙ってその南蛮人を帰したことが不思議だった。

 「それでは、なぜ、帰国をお許しになったのですか?あなた様なら、あの南蛮人達を油で煮殺す事も出来たでしょうに。」
利休も世間話でもするように恐ろしい質問で返す。
 が、晩年の秀吉は、身内であろうと、キリシタンであろうと手加減は無かった。利休も何処かで、自分の中の心の価値観が変わってきている事に気づいてない。

 利休の質問に、秀吉は不意をつかれて驚いた顔を一瞬してから、楽しい事を思い出したように、急に穏やかに微笑んで、右手に持った猿酒の盃を見つめて、一気にあおるように飲んだ。

 「そうだな。夢の礼というところか。実際、いい夢を見られた。暖かい島国、シチリアとか言う所で、わしは、漁師の息子として生まれ、人々に可愛がられて、沢山の知識を手に入れた。広い世界を巡り、わしの身の丈より長い大太刀を振るう大男を何人も引き連れて、残酷で、退屈しない、いい人生を思い出せた。それと、あの南蛮人の葡萄酒。あれの正体を昔のわしに教えて貰った。」

秀吉は機嫌良く饒舌に語る。利休はその様子を静かに見守る。

 芥子の効能と毒性については、最近、チラホラと利休の耳に入ってきていた。
 芥子については、古くからの文献もあるが、ここ最近、その様子も変わってきているようだった。


(利休が知っていたかは知らないが、16世紀コロンブスのアメリカ発見から、タバコと喫煙と言う方法が、短期間で世界中に広がっていったらしい。で、芥子の成分もまた、喫煙と言う方法をとることで、より、嗜好性が高く、中毒になりやすくなったようだ。)。

 西洋では薬として使われていると聞いていたが(古代エジプトに文献があり、鎮痛剤として使われていて、ローマ時代には鎮痛剤や催眠薬として使われたようだwikipediaより)、堺の商人の間では、それで大金を稼げるような話をするものもいるらしい。
 あの薬は、中毒性があり、一度服用すると、再びそれを欲しがるようになり、末期には芥子のために、人殺しすら平気で出来るようになるらしかった。
 南蛮人は、一見優しそうに近づいて、国を内側から壊して行く。長い戦いから、やっと手にした天下太平だ、奴らに引っ掻き回される訳にはいかない。

 かんの鋭い秀吉が、この酒を口にする事で何か、言われもない暗い未来を見通したのだろうか?
 秀吉には、常識(どおり)を越えた先見の明があった。本能寺からの対応の早さもそうだが、人知を越えた何か、畏(おそ)ろしい雰囲気をごくたまに垣間見る事がある。そんな時は、決まって、あの、耳障りなカラスの声のような甲高さが消え、背筋に張り付くような、重苦しい低い声になるのだった。そして、その声で秀吉は話を続ける。

 「あの葡萄酒は、元は神酒。ギリシアという世界の巫女が神を降ろすときに使う神聖な……、」
秀吉は言葉を一瞬失って、その瞬間、部屋の温度が急に低くなったように利休は感じた。

 背中に、ゾクリとする不安がのし掛かる。

 酒に酔ったのか、頬を紅潮させて別の世界を見ているような、不安定に視線を何かに合わせる秀吉が、何かに激しく怒りを感じている。
 「あれらは近い未来に、荒魂(あらたま)で世界を埋めてゆく。大和の国をも脅(おびや)かす。先人が守った、神の儀式(みわざ)を穢(けが)しながら。」
秀吉は顔を上に向けて空を睨むと、次の瞬間、ふいに利休の両手を強く握った。

 深い畏(おそ)れが重く下半身にのし掛かり、心臓が警鐘(はやがね)のようにうち震える。

 激しい耳鳴りの中、利休は小さな作業小屋に半透明に繰り広げられる遠い異国の厄害(やくがい)をみた。

 長いパイプを片手に痩せ細る芥子中毒の人々、

 退廃する町

 穢れ、のたうつ異国の土地神と子供たち。

 燃える畑、激しい憎悪。
 強国、清を討ち滅ぼす、銃と大砲の音。

 やがて、秀吉は利休の手を放し、酔った顔のまま我にかえる。

 が、利休はいつもの穏やかな顔を作りながら、激しく混乱する気持ちを落ち着かせようと努める。

 「だから、わしは、本物を持たせてやったのよ。本物の神酒を13本。」
秀吉はイタズラを仕掛けたことを打ち明けるように意地悪く利休に笑いかける。
「それは、先程、私の頂いた猿酒の事でしょうか?」
利休は、自分が秀吉に試されていることを自覚した。
 先程の不思議な女の幻想もまた、猿酒の効能か。

「そうじゃ、なれど、わしの酒は本物じゃ。善人には悪さはせぬ。酒というのは唯一、頭脳(ここ)を刺激するのだそうだ。脳みその中には、神と出会える社(やしろ)があってな、そこをこの酒で満たすと、神を体に降ろすことが出来る。荒魂(おに)か、和魂(めがみ)かは、その人次第じゃが。」
秀吉は、楽しそうに魂を浮遊させて利休に熱弁を振るう。

 それでは、私はどうだったのだろう?

 一人だけ酒に酔えない人物のように、利休は至極、常識的な世界に取り残されて不安になる。

 この酒をもう少し多量に飲みさえすれば、先程の幻覚の女に再び出会えるとでもいうのだろうか?

 「私には、神は降りてきませんでしたが。」
利休は呟いた。
「利休殿は善き人じゃ。この酒は人を選ぶ。封を切った瞬間、飛び出す酒の気に試される。陰謀(たくらみ)ごとを胸に秘めた人間は、酒の気に触れた途端に鬼に変わる。善き人は酒の気に触れると、うたたかの夢を見て起きるのみだ。わしは、南蛮諸国に宝物と親書を託して酒を持たせたが、果たして、かの国にたどり着けるか。」
秀吉は、持たせた宝の運命を知っているような口ぶりで苦く笑った。

 「私が鬼に変わっていたら、とは、お考えにならなかったのですね?」
利休は、子供の不注意を諭すような口ぶりで秀吉にいった。
 秀吉は、それを聞いて嬉しそうに顔を崩して愛嬌のある笑い顔を作り出す。
「利休殿が?それはありえない。あり得る訳はない。」
秀吉は、願望を押し付けてくる。利休は穏やかにそれをいなす。
 利休のつれない姿に少し傷ついたように秀吉は目を細めた。
「まあ、たとえ鬼に変わろうとわしは、構わぬが。一緒に鬼神の夢に狂うのも楽しかろうて。」

 それは、秀吉の独り言だ。
 利休は、何も答えずに秀吉と言うモノを畏怖の念を持ちながら見つめた。

 「利休。実際、鬼神と化して狂うのも、悪くないものじゃ。南蛮人は13という数字を忌み嫌うが、数字が不吉なのではない。数字に自分の悪癖を見るから不幸になるのだ。しかし、それも慣れてしまえば……。それもまた、よきものだ。」
秀吉は、遥か遠くに目を向けている、
利休はふと、本日、出航をした南蛮船を思い出した。
 彼には先読みの不思議な力は無いが、物事を洞察し、未来を導き出すことは出来る。

 先程、秀吉は、13本の神酒(みき)と言った。

 しかし、西洋では、13という数字は不吉で、物の単位は12である。

 不吉な一本を、船の人間が不正に処分してしまったとしたら。

 例えば、自らで封を切り、飲んでしまうとしたら……。

 大海の船の中、悪癖に酔って荒魂を降ろした鬼神の暴れる船内は、どのような惨劇が立ち上るのか。

 微かに残る神酒の気に酔って、全てを掻き消してしまいたい衝動に利休は陥った。
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