祓魔師 短編集

のーまじん

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猿酒

まねき

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 城下から少し離れた田舎に利休は呼ばれて足を運ぶ。

 静かな昼下がり、竹林を抜けて川の音に近づく頃、約束の場所につく。

 それは、少し立派な平屋の民家で、竹で編まれた柵があり、飛び石を踏んで渡ると打ち水をした、小さいながらもコザッパリとした玄関にたどり着く。

 そこから使用人の少年の案内で廊下を歩く、すると手入れの行き届いた庭が、利休の右横で展開してゆく。

 まだ、日は高いはずだが、柵の向こうの竹林と、水をふんだんに含んだ苔の絨毯の広がる庭は、どことなく薄暗く、それでいて、気持ちを落ち着かせる。

 どこからか、雑草を燃やす薫りが、遠くから流れてくる川の音を含ませて利休の気持ちを心地よく湿らせてゆく。

 あまりの穏やかさに、利休は、少し不安になる。

 ここへ自分を呼び寄せたのは、間違いなく太閤殿下なのだ。

 しかし、これは殿下の趣味から外れている。あの明るい金と赤を好む、あのお方の趣向とは思えない。

 しばらくして、廊下の外れに来ると、案内の少年は、離(はなれ)へと案内するために縁側を降りて、利休に草履を差し出した。

 縁側を降りると、飛び石の向こうに、小さな作業小屋が見える。

 「あちらで太閤様がお待ちしております。ここからはお一人で向かわれますよう申し使っております。」
少年は辿々(たどたど)しくそう言って利休に頭を下げた。

 よくみると、利発そうな器量のよい少年ではあるが、どこか、あか抜けないぼくとつとした部分が透けて見える。

 この土地の少年だろうか。

 利休はふと、少年に太閤殿下の少年時代が重ねて見えた。

 いつもは、少し、憂鬱になる殿下のお茶会だが、今日は不思議と興味を引かれ、心がときめく感じがする。

 「わかりました。お下がりなさい。」
利休は、穏やかに少年に微笑みかけ、彼を緊張の呪縛からほどいてやると、静かに、かの殿下(ひと)の待つ小屋へと向かった。

 作業小屋の周りは見た目以上に清掃され、打ち水をされていた。
 古びた引き戸は手をかけると、思いがけず素直に開き、中の風景を利休にさらした。
 囲炉裏や柱は長い間の煤をかぶってはいたが、毎日の手入れの良さで、窓の光を受けて黒曜石のように滑らかな光を滲(にじ)ませている。

 窓からの光は、白い薄絹の幕のように、囲炉裏と部屋を分断するように部屋を流れていて、どことなく、利休の本能の部分の懐古趣味を刺激する。

 一幅(いっぷく)の水墨画のようだ。

 遠くから流れてくる川の音、近くの農民が草刈りをしたばかりの、爽やかな草の香りを含んだ夏風を胸に納めながら、利休は豊かな時間をしばらく楽しんだ。
 「利休殿、おお、参られたか!」
突然、部屋の奥から赤地に金糸の刺繍の着物を羽織った秀吉に、からすの鳴き声のような鋭い口調で声をかけられて、利休は夢から覚めたように辺りの風景が色褪(あ)せてゆくのを感じた。
「これは太閤様。お久しゅうございます。」
利休は、穏やかな作り笑いを浮かべて、光の幕の向こうから、人懐っこく利休に駆け寄る秀吉に頭(こうべ)を垂れる。

 「ああっ、よいよい、そのように#畏_かしこ__#まらなくとも。今日は夢見が良くてな、子供の頃に戻って利休殿と遊ぼうと思うてな、秀吉と呼んでくだされ。」
耳障りな甲高い大声で、秀吉は慈愛のこもった言葉をかける。
「ありがとうございます。それでは、私も利休とお呼びください。秀吉さま。」
利休は、上品におもてをあげて、柔らかい作り笑いを浮かべながら、注意深く秀吉を観察する。

 秀吉と利休。

 呼び名としては、全く親近感の感じない名詞の意味を10畳ほどの狭い小屋全体から探る。

 秀吉は、一見ふざけたような行動をとりながら、相手の心情を的確にとらえる男だ。
 一瞬の油断が、一族、一門の命を奪うことすらある。
 「立ち話もなんじゃ、さあさ、まずは座ってゆるりとなされよ。」
秀吉は上機嫌で利休を誘う。

 しかし、利休は気を緩める気など一筋もない。
 秀吉の機嫌は、秋の空のように変わりやすく、ひと度嵐が訪れれば、夏の雷のように激しく残酷なのだ。

 囲炉裏を向かい合わせて利休は真新しい、い草の座蒲団に座った。

 座布団から夏の薫りがする。

 利休の場所からは、光のカーテンに遮られ、秀吉の顔は良く見えなかったが、その方が全体の雰囲気を壊すことなく穏やかに話が出来る。
 利休は、そっと目を閉じて、足元からほのかに立ち上る、い草の香りを吸い込んだ。

 しばらくの沈黙。

 しかし、心地のよい沈黙だ。

 利休は、秀吉が話し出すのを、山鳥の鳴き声でも待つように穏やかに座っていた。

 いや、意識はしてなかったのかもしれない。

 深い懐かしさと心地よさがそこにあり、一人の世界に沈みこみたい衝動に何度かかられたからだ。

 「気に入られたかな。」
不意をつくように、深く響く低い声で、心の奥をつま開くように秀吉が語りかけてきた。

「はい。この度は、随分と趣(おもむき)の違うもてなし。利休、感服しております。しかし、茶の道具が見当たりませんが、これも趣向のうち、と、言うことなのでしょうか。」
利休は、一瞬顔に浮かんだの驚きを、涼(すず)やかで知的な視線で覆い隠してしまう。

 それにして、どうしたのだろうか?

 利休は、優しい笑顔のしたで、したたかな計算を始める。

 秀吉は意味もなく、人を呼びつける人間ではない。
 お互い忙しい身の上だし、我が儘に見えて、そういう気遣いは出来る人物なのだ。

「そうか、気に入ってくださいましたか。」
秀吉は一人で納得をし、話を続けた。
「実は、この趣向は利休殿の発案でしてな。」
「わたくしの、ですか?」
利休は、言葉の意味を理解できずに聞き返した。
 秀吉は混乱する利休の顔を面白そうに観察しながら、得意気に謎の答えを話し出す。
「正確には、わしの夢の中の利休殿の考えを使わせてもらいました。本日、出国する南蛮人が、前世の夢を見られると言う酒を献上してきたので、試してみたら、利休殿がその夢に登場(で)て来て、今からするような、もてなしで南蛮人…ローマとか言う所の貴族を驚かせていたのです。」
「ろーま…」
利休は、不思議な話について行けずにいたが、
「夢のお話ですか。それでは私は、生まれる前は南蛮人だったのですね。」
と、無難な返答をすかさず返した。
「そのようだった。その夢では、利休殿も、わしも、秀長も朝日も、みんな南蛮人で、暖かい港町に住んでおったわ。わしの小僧時代にいた、清洲(きよす)の港のような、水青く、美しい場所でな。」
秀吉は楽しげに話す。それを聞いて、利休は、ふと、秀吉が小僧時代に住んでいたという、清洲(きよす)の港を思い出す。

 信長さまの父君の信秀様が統べるその町は、尾張で一番の港町で、各国の珍しい品々が何でも揃(そろ)っていた。
 広い川が流れ、伊勢詣での人が行き来し、活気のある町で、秀吉は様々な事柄を学んだのだろうか。

 「わしは、シチリアと言う名の島の、四国(いよのくに)の二倍くらいの王国の出身で、王(レクス)と呼ばれる人物になったようだ。」
秀吉は、その前世の夢が気に入ってるらしい。
「それでは、秀吉様には小さすぎたのではありませんか?」
利休は、秀吉の虚栄心を軽く、くすぐった。
「いやいや、島の大きさは小さいなれど、温暖で豊かな大地と、様々な人種の行き交う活気のある島で、名高い王達が、みな欲しいと願う、玉のような美しい島であったぞ。」
秀吉は、満足そうに頷いて、夢の美しき島を思い出しているようだった。

「それは、さぞ、美しい光景なので御座いましょう。わたくしも、少し、見てみたくなりました。」
利休は、本心でそう言った。この世の贅沢を全て手にし、派手で無粋な趣向の秀吉を、このような物静かな時と場所を演出させたその島を、一度みたいと思ったのだ。
「ああ、青、藍、紺碧、青磁、花紺青(はなこんじょう)、青の名前は数多(あまた)あるが、それでも足りないと感じてしまうほど、美しい海が見えた気がした。」
秀吉は夢見る少年のように、顔をくしゃっと歪めて、光のカーテンに包まれて無邪気に笑った。

 「夢の中では、同じく豪農の廃墟とはいえ、石造りの見事な白い邸宅で、利休殿の前世の男は、騎士(そうへい)で、屋根が無くなった廃墟の、白亜の宮殿で、ぶどう酒をそれは美しくふるまっていた。」
秀吉は、懐かしい物を見るような言葉遣いで話す。
「ぶどう酒、ですか。」
そこで、これから自分に振る舞われるものの正体を利休は察した。

 「そう、ぶどう酒。けれど、これは我が国の特別な酒でなかなか手に入らない。『猿酒』と言うもの。」
秀吉は得意気に顔をあげて、甲高い声で興奮ぎみに話す。すると、それを合図にするように、引き戸を叩く音がした。

「太閤様、準備が整いました。」
知らない年配の男声が小屋を響かせた。
「よし、入れ。」
元来の秀吉の力強い声が戻り、男を動かす。

 男は、引き戸を開けると、歴史上名高い二人の男のオーラに一瞬怖(お)じけ、それから、気を取り直して青みの入った陶磁の壺を盆にのせて運んできた。

 「おおっ。これだ。沢の水で良く冷えておる。」
秀吉はいとおしそうに壺を受け取り光の幕を破って利休の前にあらわれた。
「これが猿酒だ。」
秀吉は自慢げに陶磁の壺を利休の目の前の床に置いた。
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