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第三章 フリーユの街編
34 寝床を襲われました
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どうやって宿に戻ったのか覚えていない。
気づいたら僕は部屋のベッドに仰向けになっていた。
途中、誰かに声をかけられた気がしたが無視した。
シフォンは空気を読んでか部屋にはいなかった。
「アリス……」
だから、今は二人きりだ。
隣で眠るアリスを見ると、先ほどの会話が嫌でも思い出される。
『私が力になれることはありません』
街でも名医と呼ばれている医者の言葉だ。
今でも納得いっていない。
何かの間違いなのではないかと思っている。
「僕は、どうすればいいのかな……?」
昨日まではどうにかなるだろうって思っていた。
結局、何とかなるだろうって。
今ままでがそうだったから。
無職になって家を追い出されても、こうして屋根がある場所で生きていられている。裕福とはいかなくても、それなりに暮らしていけている。信頼のおける仲間もできた。
だから今回だって大丈夫と根拠のない自信のようなものがあったのだと思う。
それに、紹介された医者が街随一の名医という話も追い風となっていた。
追い詰められつつも、何だかんだ心に余裕があったのだ。
けれど、今は違う。
頼みの綱であった医者に匙を投げられ、他に頼るあてもない現状は控えめに言って絶体絶命だ。
どうすればいいのかわからない。
これから何をすればいいのかわからない。
わからないことだらけで、何から行動すればいいのかわからない。
締め切った部屋の中で、僕は途方に暮れていた。
「アリス……」
再び、愛する妹の名前を呼ぶ。
もちろん返事はない。
「アリス」
それでも僕は呼び続ける。
「アリス、アリス、アリス」
今の僕には、呼びかけることしかできなかった。
*
……ん?
微睡の中、何か音が聞こえた気がしたと思ったら日焼けしたごつい顔が目の前にあった。
「お、オーク!? なんでこんなところに!?」
若干パニックになりつつ、ナイフを手探りで構える。あまりに焦りすぎて鞘のまま構えていることに気付いたが、ここまで逼迫した状況では構え直す猶予はない。
とにかく距離をとらないと。
そう思いベッドの上を転がるように移動する。
「ーー失礼だね。アタシだよ」
と、思ったらオークじゃなかった。
ママさんだった。
「……あ。すみません、てっきりメスオークに寝床を襲われているのかと」
オークは性別関わらず性欲が強い魔物として有名だ。襲われたらどんな屈強な戦士でもひとたまりもないと言う。
ついに僕の番が来たと思った……。焦った……。
「街中でオークに襲われるってどんな状況さね。よほど寝ぼけていたんだね」
「そうですよね。ごめんなさい」
確かに言われてみれば変な話だ。
おそらく、直前まで魔物の大軍勢に追われている夢を見ていたせいだろう。
今思い出すだけでも鳥肌が立つ。あのタイプの夢はもう二度と勘弁だ。
「ずいぶん疲れていたようだね」
ママさんが気遣わしげに言ってくる。
外を見ると、街には夜の帳が落ちており灯火が至る所で柔らかな光を放っていた。
宿に戻ってきてから随分と眠てしまっていたようだ。
しかし長く寝たわりに寝足りない気がするのは何故だろう。
奇しくも朝とは真逆の状態だな。
それはそうと、どうしてママさんはここにいるのだろうか?
遅まきながら疑問が浮かぶ。
宿費の支払いは今朝済ませたばかりだし、厨房の仕事は昨日限定だったはずだ。
夜に部屋の掃除に来たってわけでもないだろう。
まさか夜這い……てことはないだろうし。
「うーん」
「そういえば、今日一日カレンの元気がないんだよ。何か知らないかい?」
「え」
唐突にママさんが聞いてきた。
思い当たる節がないわけではなかった僕は一瞬口籠る。
「えっと……寝不足にしてしまったことですかね」
今となっては遠い話な気がするが、おそらく昨晩のことが原因だろう。そう、アリスを語る会だ。
僕が長く話しすぎてカレンを寝不足にしてしまったのだ。
それで今日一日不機嫌だったのだろう。
この予想は間違っていないはずだ。
すると、ママさんがフリーズしていた。
どうしたのだろうと思っていると、
「そ、そうかい。カレンは上手くやったかい……初めてだからそういうこともあるかもしれないね……」
うんうん頷きながら嬉しそうにしていた。
というか、泣いてる!?
突然泣き出したママさんに僕は狼狽する。
今のやりとりのどこに泣く要素があったのだろう。
いや、そうか。
忘れていたけど、僕には吟遊詩人の才能があったのだ。昨日、アリスを語る会で気づいた己の才能だ。
その力が作用したことでママさんはポロリと泣いてしまったのだろう。
なるほどな。
でもなー。
僕が言ったことはほんの少しなんだよなー。
『えっと……寝不足にしてしまったことですかね』だけなんだよなー。
あれ?
本当になんで泣いたんだ?
謎すぎて余計に怖いぞ。
「それはそうと、優しくしたんだろうね」
ママさんの異常な感情表現に若干引いていると、急に真剣な声で聞かれる。
なんかちょっと怖いと感じるのは何故だろう。
返答を一歩間違えると殺されてしまうようなプレッシャーがあるのは何故だろう。
「優しくというか、時間をかけすぎたと言いますか」
慎重に考えた末、僕はそう答えた。
「アリスを語る会」をもう少し早く切り上げるべきだったのだ。そうすればカレンの機嫌が悪くなることもなかったはずだ。
「はあ!? なに言ってんだい! そんなの時間をかけてなんぼだよ! 長ければ長いほど良いに決まってるさ!」
「長ければ長いほどいい……?」
あまりの衝撃の返答に僕は困惑する。
な、なにを言ってるんだこの人。
だって、長く話しすぎてしまった結果カレンは不機嫌になってしまったわけで、それがむしろ良いっておかしいよね。
真逆のこと言っちゃってるよ。
なんとなくだけど今日のママさん、変じゃないかな。
勝手に部屋に侵入していたり、僕の顔を覗き込んでいたり、突然泣き出したり、カレンを寝不足にすることがむしろ良いって言ったり……やっぱりおかしいよ、この人。
「あの、大丈夫ですか?」
頭が。
「アンタがそれを言うかい」
「僕ですか?」
僕も頭がおかしいと言いたいのかな? もしかして喧嘩売られている? 買うよ?
「朝早く出かけたと思ったら、元気がない様子で帰ってきてさ。気になって話しかけてもうんともすんとも言わず、自分の世界に入り込むように部屋に引き篭もっちまうじゃないか。心配するこっちの身も考えて欲しいってもんさね」
「もしかして僕を心配して?」
様子を見に来てくれたのだろうか。
「か、勘違いするんじゃないよ。アタシはそれほど心配してなかったよ。アンタなら大丈夫だって思ってたからね。でも愛娘に様子を見てきてくれって頼まれたら、行かないわけにはいかないだろ? どうしても子供に甘くなっちまうのが親っていう生き物だからね。まったくカレンには困ったものだよ」
カレンを言い訳に使うあたりママさんらしいと思う。
嫌なら嫌って言えただろうから。
それでも来てくれたってことは、そういうことなんだと思う。
ママさんの不器用な優しさに、心が暖かくなる。
「ありがとうございます」
心の底から感謝を述べると、ママさんは不自然に窓の方に視線をやった。
多分照れているのだろう。
思わず頬が緩む。
その仕草があまりにもカレンを彷彿とさせたから。
「な、なに笑ってんだい! こっちは本気で心配したんだよ! 詫びの一つもないのかい!?」
怒ってはいるけれどママさんなりの照れ隠しだと分かっているから。
僕は余計に笑ってしまう。
「だから笑うんじゃないよ!」
そうは言うけれどやっぱり笑ってしまう。
「ははは、ごめんなさい」
「謝ればいいってわけじゃないよ!」
カレンも似たような事言っていたのを思い出し、余計に笑ってしまう。
いい加減笑うのをやめない僕に、ついにママさんの方が降参した。
諦めたように溜息をつきながら、
「勘弁しておくれ。でも、元気になって安心したよ」
ふっとママさんが嬉しそうに笑うものだから僕も釣られて笑った。
そうして二人して笑いあったのだった。
僕の心はいつしか、闇夜を照らす灯りのようにじんわりと熱を帯びていたのだった。
気づいたら僕は部屋のベッドに仰向けになっていた。
途中、誰かに声をかけられた気がしたが無視した。
シフォンは空気を読んでか部屋にはいなかった。
「アリス……」
だから、今は二人きりだ。
隣で眠るアリスを見ると、先ほどの会話が嫌でも思い出される。
『私が力になれることはありません』
街でも名医と呼ばれている医者の言葉だ。
今でも納得いっていない。
何かの間違いなのではないかと思っている。
「僕は、どうすればいいのかな……?」
昨日まではどうにかなるだろうって思っていた。
結局、何とかなるだろうって。
今ままでがそうだったから。
無職になって家を追い出されても、こうして屋根がある場所で生きていられている。裕福とはいかなくても、それなりに暮らしていけている。信頼のおける仲間もできた。
だから今回だって大丈夫と根拠のない自信のようなものがあったのだと思う。
それに、紹介された医者が街随一の名医という話も追い風となっていた。
追い詰められつつも、何だかんだ心に余裕があったのだ。
けれど、今は違う。
頼みの綱であった医者に匙を投げられ、他に頼るあてもない現状は控えめに言って絶体絶命だ。
どうすればいいのかわからない。
これから何をすればいいのかわからない。
わからないことだらけで、何から行動すればいいのかわからない。
締め切った部屋の中で、僕は途方に暮れていた。
「アリス……」
再び、愛する妹の名前を呼ぶ。
もちろん返事はない。
「アリス」
それでも僕は呼び続ける。
「アリス、アリス、アリス」
今の僕には、呼びかけることしかできなかった。
*
……ん?
微睡の中、何か音が聞こえた気がしたと思ったら日焼けしたごつい顔が目の前にあった。
「お、オーク!? なんでこんなところに!?」
若干パニックになりつつ、ナイフを手探りで構える。あまりに焦りすぎて鞘のまま構えていることに気付いたが、ここまで逼迫した状況では構え直す猶予はない。
とにかく距離をとらないと。
そう思いベッドの上を転がるように移動する。
「ーー失礼だね。アタシだよ」
と、思ったらオークじゃなかった。
ママさんだった。
「……あ。すみません、てっきりメスオークに寝床を襲われているのかと」
オークは性別関わらず性欲が強い魔物として有名だ。襲われたらどんな屈強な戦士でもひとたまりもないと言う。
ついに僕の番が来たと思った……。焦った……。
「街中でオークに襲われるってどんな状況さね。よほど寝ぼけていたんだね」
「そうですよね。ごめんなさい」
確かに言われてみれば変な話だ。
おそらく、直前まで魔物の大軍勢に追われている夢を見ていたせいだろう。
今思い出すだけでも鳥肌が立つ。あのタイプの夢はもう二度と勘弁だ。
「ずいぶん疲れていたようだね」
ママさんが気遣わしげに言ってくる。
外を見ると、街には夜の帳が落ちており灯火が至る所で柔らかな光を放っていた。
宿に戻ってきてから随分と眠てしまっていたようだ。
しかし長く寝たわりに寝足りない気がするのは何故だろう。
奇しくも朝とは真逆の状態だな。
それはそうと、どうしてママさんはここにいるのだろうか?
遅まきながら疑問が浮かぶ。
宿費の支払いは今朝済ませたばかりだし、厨房の仕事は昨日限定だったはずだ。
夜に部屋の掃除に来たってわけでもないだろう。
まさか夜這い……てことはないだろうし。
「うーん」
「そういえば、今日一日カレンの元気がないんだよ。何か知らないかい?」
「え」
唐突にママさんが聞いてきた。
思い当たる節がないわけではなかった僕は一瞬口籠る。
「えっと……寝不足にしてしまったことですかね」
今となっては遠い話な気がするが、おそらく昨晩のことが原因だろう。そう、アリスを語る会だ。
僕が長く話しすぎてカレンを寝不足にしてしまったのだ。
それで今日一日不機嫌だったのだろう。
この予想は間違っていないはずだ。
すると、ママさんがフリーズしていた。
どうしたのだろうと思っていると、
「そ、そうかい。カレンは上手くやったかい……初めてだからそういうこともあるかもしれないね……」
うんうん頷きながら嬉しそうにしていた。
というか、泣いてる!?
突然泣き出したママさんに僕は狼狽する。
今のやりとりのどこに泣く要素があったのだろう。
いや、そうか。
忘れていたけど、僕には吟遊詩人の才能があったのだ。昨日、アリスを語る会で気づいた己の才能だ。
その力が作用したことでママさんはポロリと泣いてしまったのだろう。
なるほどな。
でもなー。
僕が言ったことはほんの少しなんだよなー。
『えっと……寝不足にしてしまったことですかね』だけなんだよなー。
あれ?
本当になんで泣いたんだ?
謎すぎて余計に怖いぞ。
「それはそうと、優しくしたんだろうね」
ママさんの異常な感情表現に若干引いていると、急に真剣な声で聞かれる。
なんかちょっと怖いと感じるのは何故だろう。
返答を一歩間違えると殺されてしまうようなプレッシャーがあるのは何故だろう。
「優しくというか、時間をかけすぎたと言いますか」
慎重に考えた末、僕はそう答えた。
「アリスを語る会」をもう少し早く切り上げるべきだったのだ。そうすればカレンの機嫌が悪くなることもなかったはずだ。
「はあ!? なに言ってんだい! そんなの時間をかけてなんぼだよ! 長ければ長いほど良いに決まってるさ!」
「長ければ長いほどいい……?」
あまりの衝撃の返答に僕は困惑する。
な、なにを言ってるんだこの人。
だって、長く話しすぎてしまった結果カレンは不機嫌になってしまったわけで、それがむしろ良いっておかしいよね。
真逆のこと言っちゃってるよ。
なんとなくだけど今日のママさん、変じゃないかな。
勝手に部屋に侵入していたり、僕の顔を覗き込んでいたり、突然泣き出したり、カレンを寝不足にすることがむしろ良いって言ったり……やっぱりおかしいよ、この人。
「あの、大丈夫ですか?」
頭が。
「アンタがそれを言うかい」
「僕ですか?」
僕も頭がおかしいと言いたいのかな? もしかして喧嘩売られている? 買うよ?
「朝早く出かけたと思ったら、元気がない様子で帰ってきてさ。気になって話しかけてもうんともすんとも言わず、自分の世界に入り込むように部屋に引き篭もっちまうじゃないか。心配するこっちの身も考えて欲しいってもんさね」
「もしかして僕を心配して?」
様子を見に来てくれたのだろうか。
「か、勘違いするんじゃないよ。アタシはそれほど心配してなかったよ。アンタなら大丈夫だって思ってたからね。でも愛娘に様子を見てきてくれって頼まれたら、行かないわけにはいかないだろ? どうしても子供に甘くなっちまうのが親っていう生き物だからね。まったくカレンには困ったものだよ」
カレンを言い訳に使うあたりママさんらしいと思う。
嫌なら嫌って言えただろうから。
それでも来てくれたってことは、そういうことなんだと思う。
ママさんの不器用な優しさに、心が暖かくなる。
「ありがとうございます」
心の底から感謝を述べると、ママさんは不自然に窓の方に視線をやった。
多分照れているのだろう。
思わず頬が緩む。
その仕草があまりにもカレンを彷彿とさせたから。
「な、なに笑ってんだい! こっちは本気で心配したんだよ! 詫びの一つもないのかい!?」
怒ってはいるけれどママさんなりの照れ隠しだと分かっているから。
僕は余計に笑ってしまう。
「だから笑うんじゃないよ!」
そうは言うけれどやっぱり笑ってしまう。
「ははは、ごめんなさい」
「謝ればいいってわけじゃないよ!」
カレンも似たような事言っていたのを思い出し、余計に笑ってしまう。
いい加減笑うのをやめない僕に、ついにママさんの方が降参した。
諦めたように溜息をつきながら、
「勘弁しておくれ。でも、元気になって安心したよ」
ふっとママさんが嬉しそうに笑うものだから僕も釣られて笑った。
そうして二人して笑いあったのだった。
僕の心はいつしか、闇夜を照らす灯りのようにじんわりと熱を帯びていたのだった。
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