冥府の徒花

四葩

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第四幕

第18話【はじまりの聲】

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「陀津羅よ、これがぬしのついとなる夕立じゃ。こやつは産まれたてのひなも同然。まだ己のことすら分かっておらぬ。これからはぬしが守り、尽くしてゆくのじゃぞ」
「承知致しました、閻魔王様」

 千年前、陀津羅が初めて夕立と顔を合わせた瞬間であった。
 夕立と名付けられた鬼は無気力で無表情、漆黒のざんばら髪からのぞく深い紅玉こうぎょくまなこには、何も映していない。読み書きはおろか、話すことすらままならない有様だ。
 しかし、その身から溢れ出る膨大な妖力は、並の鬼や妖怪では気圧けおされて近づくこともできなかった。ある程度の自我が確立するまで、夕立は閻魔の自室で保護されることとなった。
 一方、閻魔の眷属として創られた陀津羅には、既に充分な知識と教養、加えて閻魔の法力の一部が備わっていたため、鬼神としては一人前以上だった。陀津羅は閻魔が夕立の傍を離れる間、代わりに付き従って与えられた役割をこなしていた。
 閻魔は忙しい公務の合間をぬって、夕立の自我育成に励んだ。膨大な淫欲を抑制しつつ他の四欲へ割り振り、人格形成のバランスを取る。時折、玉藻が読み書きなどを教えにやってきては閻魔と同じように慈しみ、その成長ぶりを喜んだ。そうした熱心な教育のおかげで、無愛想ながらも徐々に会話が成り立つようになっていった。
 そんなある日、昼食を持って来た陀津羅を、夕立は眉をひそめて見上げた。

「夕立様、お食事のお時間です」
「……なあ」
「はい、何でしょう」
「お前……なんで、そんななんだ……」
「そんな、とは具体的にどういうことでしょうか」
「……俺は、お前のあるじじゃねぇ……から、そんなふうにする理由、ねぇだろ……」

 たどたどしく、つたなく紡がれる言葉に、陀津羅は目を伏せたまま事務的に答えた。

「確かに主ではありませんが、お仕えさせて頂くという点において、ほぼ同義かと存じます」
「そういうんじゃなくて……俺は……お前と……」
「私と、何でしょう」
「……なんでもねぇ……」

 その時、夕立が何を言おうとしたのか、陀津羅には分からなかった。ただ守り、尽くす相手としか認識していなかったため、その胸中まで推し量ることはしなかったのだ。
 自我が定着していくにつれ、夕立は良くも悪くも、求めるという行為を覚えた。特に淫欲に関して、それは顕著にあらわれる。本来なら五欲あるはずのものが淫欲に集約されているせいで、たかぶる熱は本人にも抑えが効かない。動物の発情と似た状態である。違うのは、やり過ごすことができない点だ。
 昂り続ける欲を放置していれば、せっかく芽吹いた自我も飲み込まれ、抑圧されていた妖力が一気に放出されてしまう。大悟だいごではないそれは、無差別な破壊衝動と高い攻撃性を帯び、冥土の半分を消し飛ばすほどの大惨事を引き起こすと予想されていた。

「夕立や、よい子にしておったか?」
「閻魔……」

 閻魔が公務を終えて部屋へ戻ると、途端に夕立が取りすがるように抱きついてきた。その体は熱を持ち、吐息が荒い。明らかに昂っている様子の夕立を抱き返し、閻魔は笑った。

「よしよし、すぐ楽にしてやろうな。さぞ辛かったろうに、今まで堪えておったのか?」
「申し訳ございません、閻魔王。私がお相手して差し上げようとしたのですが……」

 言葉を濁す陀津羅に、閻魔は優しく答えた。

「謝ることはない、ぬしはようやってくれておる。下がってよいぞ」
「はい、失礼致します」

 陀津羅が退室すると、閻魔の衣を掴んでいた夕立の手に力がこもる。閻魔は優しい声で問うた。

「夕立や、なぜ陀津羅を拒むのじゃ。ちぎっても、あやつなら死にはせぬというのに」
「……いやだ。俺は、あいつと友ってのになりたい。友とは、そういうことはしないと、玉藻に聞いた。だから、いやだ……」
「なるほどのう。その想いは尊いものじゃ、大切にするがよい」
「分かった……」
「さぁ、おいで。もう堪えるのも限界じゃろうが」
「……本当はあんたにだって、こんなこと……」

 閻魔は夕立の頬を両手で包み、欲情に潤んだ柘榴のような瞳を覗き込んで微笑んだ。

「これはわしらにとって必要なのじゃ。ぬしの妖力は、わしの大事なかてとなる。なにも後ろめたく思うことはない」
「は、ァ……わ、かっ……た……」
「ぬしは素直でよい子じゃな。いつの日か、わしを……」
「んん……っ! はぁッ……あ、ぁッ!」

 うっすら笑みを浮かべて甘えた声を上げる夕立は、既に対話する理性を失っていた。恍惚とした表情にとろけた瞳、上気した頬と目元には朱が差し、壮絶な色香が匂い立つ。全身で求めてくる姿に、閻魔は言葉を呑み込んで苦く笑った。
 そうして時は過ぎ、夕立は右大臣として立派に公務をこなし、閻魔庁を支えるまでとなったのだ。
 思えばあの日、夕立が友愛を欲した時から陀津羅の心は軋み、いびつに形を変え始めていたのかもしれない。自我があるうちは陀津羅へ友情を求め、欲が高まると閻魔にすがる。その単純で純粋な欲求は、陀津羅には受け入れられなかった。正確には、受け入れようとしたがために、複雑になってしまったのだ。
 いつか閻魔が言っていた通り、人も鬼も神も、そう単純ではいられない。まともな自我を持てなかった夕立には想像もできないほど、心というのは厄介な代物しろものなのだ。
 もつれ合い、錯綜する感情の鎖が立てる噪音そうおんに夕立が気づくのは、きっと数千年は先になるだろう。
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