九段の郭公

四葩

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8章

77【長門と陸奥】

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 広々とした座敷には品の良い調度品が並び、衣桁いこうに掛かる羽織りから文机ふづくえすずりや筆の1本に至るまで、見ただけで高級品だと分かる。
 東雲しののめが用意してくれた茶をすすりつつ、丹生たんしょうは部屋を見回して感嘆した。

「さすが陸奥むつさんの座敷。高そうなモンばっかりなのに、上品にまとまってる。なんとなくお前んちに似てるな」
「あいつは物を見る目も一流だからね。出来ない事なんて無いんじゃないかな」
「その割に、陸奥さんはお前のこと羨ましがるじゃん。お前も陸奥さん羨むし、お前らの関係って何なの?」

 朝夷あさひなは少し困ったように笑って答える。

「あいつが10年片思いしてるって話、覚えてる?」
「ああ。この前、局に来た時に言ってたな。ライバルが居るとかなんとか」
「その片恋相手が例の吉原一の太夫で、ライバルはさっきの遣手やりてなんだよ」
「まじ!? 言われてみればあの人、初見のインパクトやばいけどよく見たらすげぇ美人だし、めっちゃ色気あったもんなぁ」

 納得しつつも、丹生は首をかしげた。

「あれ? でも従業員と娼妓って、そういう関係になっちゃダメじゃなかったか?」
「まぁそうなんだけど、人の心は理屈や掟で縛れる物じゃないからね。陸奥いわく、付け入る余地も無いほど深く愛し合ってるんだそうだよ」
「へーえ、さすが吉原。何から何まで、劇的な話の宝庫ですなー」

 胡座あぐらをかいて後ろ手に畳へ手を付き、何となく羨ましいような気になった。
 余計な事を考えず、素直に愛し、愛されるのがどれほど幸せかは知っている。そっと朝夷を見やり、自分たちもいずれそうなれるのだろうか、と思った。

「なんでも出来る天才は愛されず、愛を怖がる男は天才になれないってか。正に天は二物を与えずだな」
「皮肉な話だよね。分かってるんだ、俺も陸奥も。自分たちがどれほど恵まれていて、どれほど愚かな高望みをしているか。それでもやっぱり、心というのは上手く動かせないのさ」

 寂しげに、物憂げに言う朝夷の横顔を見て、それが人だと丹生は思った。

「でもお前、陸奥さんをねたんだり憎んだりしてないよな。普通、羨むよりそっちに傾くと思うんだけど。周防すおうさんみたいにさぁ」
「ああ……そう言えば会ったんだったね。何もされなかった?」

 丹生は絞め殺されそうになった事を思い出したが、言うのは辞めておこうと首を横に振った。

「いや。ただお前も俺も、想像以上に憎まれてるって事は分かった。で、なんでお前は陸奥さんに対して、そういう気持ちにならなかったんだ?」
「そうだね……。次元が違うと思ったからかな」

 朝夷は窓の外へ顔を向けると、静かに己の幼少期を語り始めた。



 長門ながとは郊外にある本家で産まれ育った。広大な敷地内には、母屋の他に茶室や離れ家がいくつかある。
 元は兄弟筋や使用人の住居として使われていたが、大和やまと武蔵むさしも一粒種だった事に加え、大和がほとんどの使用人を解雇したため、空き家となっていた。
 そこを改築し、武蔵が抱える2人の愛人と子どもたち、残った使用人らの住まいとしたのだ。
 待ち望んだ正当な血筋の男児、長門の誕生に、大和は喜ぶと共に深く安堵した。
 しかし、面白くないのは最も早く子を産んだ愛人、柊子とうこである。跡を継ぐのは周防ではなく、後に産まれた長門なのだ。
 柊子は非常に負けん気が強く、野心に満ちた傲慢な女性だった。自分が長男を産めば、妻の座を得られると固く信じていた。
 大和が柊子の実家に持ち掛けた話は「柊子が男児を産み、現在の妻、稜香りょうかとの間に男児が産まれなかった場合、柊子を妻として迎え、その子を跡取りとする」という条件だったのだ。
 だからこそ、良家の子女でありながら愛人という不名誉な立場にあまんじ、長年耐えてきたというのに、と激怒した。
 長門が産まれてからというもの、武蔵は毎日のように柊子に責められ、なじられ、妻にしろと詰め寄られていた。
 稜香は長門に付きっきりで全く武蔵を顧みず、娘さえ乳母に預けきりの有様だ。
 既に政界で名を轟かせていた大和へのコンプレックスと、柊子による執拗なプレッシャー、妻の無関心に耐え切れず、武蔵は2人目の愛人、寧々ねねの元へ逃げ込んだ。
 寧々は公家の血筋の箱入り娘で、朗らかでやや天然な所がある、おっとりした女性だった。疲弊しきっていた武蔵は、唯一の拠り所となった寧々を溺愛し、通い詰めた。そうして産まれたのが陸奥むつである。
 長門と陸奥は2歳差だったが、陸奥の知能指数が異様に高かったため、共に過ごす時間が多かった。
 朝夷家では3歳から家庭教師がつき、学問はもちろん、武道、芸道などの情操教育をほどこし、大学までは学校に通わず、自宅学習という措置を取っている。
 長門より2年後からこれを受け始めた陸奥は、到底3歳とは思えぬ早さで習得していき、4歳になる頃には6歳の長門と同等の学習を受けるほどになっていた。
 共に教育を受け始めてから、長門は何においても陸奥にまさった事は無かった。それは長門だけでなく、兄弟姉妹の誰ひとりとして陸奥に敵う者は居なかった。
 学問も武道も芸道も、陸奥は並外れた才知であっさりと完璧にこなし、周囲は神童と持てはやした。
 長門も常人以上の成績をおさめていたが、やはり陸奥には及ばず、あるとき気付いたのだ。大和が、惜しいものを見るような視線を陸奥へ向けている事に。
 長門は子どもながらにその胸中を悟った。陸奥が跡取りなら良かったのだろうと。
 物心ついた頃から突っかかってきた周防と違い、長門は陸奥に嫉妬や怒りを抱いた事は無かった。それは自分が跡取りだからではなく、次元の違いを痛感していたからだ。
 更に、陸奥は紛うことなき天才でありながらそれを鼻にかけず、長門を兄と慕っていた。
 陸奥は母親の寧々と共に離れ家で暮らしていたが、中庭の池のほとりに1人で佇んでいる姿をよく見かけた。陸奥は長門を見かけると、必ず上品に笑って手を振り、挨拶をしてきた。
 ある日の夜もそうだった。ぼんやりと灯りに照らされた池のほとりから、陸奥が手を振る。

「長門兄さん、こんばんは」
「やあ、陸奥。こんな時間に何をしてるんだ?」
「鯉を見ています」
「好きなのか?」
「いいえ。ただ、何もする事が無いので」
「寧々さんはどうしたんだ」
「父上のお相手をしています」

 縁側から降り、陸奥の隣に立って共に水面を眺める。餌を貰えると思った錦鯉たちが寄ってきて、口をぱくぱくさせていた。

「なんでお前が外に出なきゃいけないんだ? 家族なんだから、一緒に居れば良いだろう」
「いえ、僕はお邪魔になるので。父上がいらっしゃると、いつも自分から出て行くんです」

 長門は首をかしげる。

「なぜそんな事を? 自分の息子を邪魔だなんて、思う訳ないじゃないか」

 陸奥は長門に困ったような笑みを向けた。

「父上は母と交わりにいらっしゃるんですよ。だから僕が居てはいけないんです」

 長門は絶句した。この時、長門は14歳、陸奥は12歳だった。長門はまだしも、陸奥はまだそれが何かも知らなくていい歳だ。
 息子にそんな気を遣わせる父も父だが、大人び過ぎている陸奥も大概だな、と長門は額に手をやり、深く溜め息をついた。
 この頃にはすっかり陸奥の規格外に慣れていた長門は、苦笑しながら言った。

「あんな父を持って、お前も苦労するね」
「これくらい、なんて事はありません。長門兄さんに比べたら、僕なんて気楽なものです」
「ハハ、そうかもな。俺はお前みたいに賢くないから」
「いいえ、兄さんは凄いですよ。僕の何倍も賢明で、聡明な方です」

 嫌味に聞こえるな、と思いながらも問い返す。

「なぜそう思うんだ? お前は俺より成績が良いのに」
「数字の話じゃありませんよ。兄さんはいつも辛い思いをしているのに、誰にも当たらず、馬鹿な真似もせず、等しく優しく、正しい。僕にはとても真似できません」
「それは……ただ面倒なだけだよ。周防兄さんみたいな情熱も無いし、身内でかどを立てたって、良い事は無いからね」

 陸奥は黙って水面を見つめ、おもむろに足元の小石を拾うと、1匹の鯉めがけてそれを投げつけた。驚いた鯉たちは水しぶきを上げて散り散りに逃げて行く。

「何してる、生き物をいじめるなよ。趣味が良くないぞ」
「ほら、やっぱり長門兄さんは正しい。あの鯉は周防兄さんです。もし僕が長門兄さんなら、必ずこうしています。きっと、アレが死ぬまで石を投げ続けるでしょうね」

 綺麗な笑顔でそんな事を言う陸奥に、長門はぞっとした。その冷酷さが、祖父にそっくりだったからだ。陸奥はまさしく、先祖返りそのものだった。

「……お前が跡取りなら良かったのにと、俺はずっと思ってるよ。きっとお爺様も同じだ」
「僕に当主なんて無理ですよ。長門兄さんじゃなきゃ駄目なんです。その優しさと忍耐強さ、冷静さは、当主として完璧な資質です。僕は貴方こそ当主にふさわしいと、心から思っていますよ」

 何もかも完璧な陸奥に、完璧だと言われる。なんとも居心地の悪い矛盾を感じ、長門はただ苦く笑った。



「家を出るまで、陸奥とは始終そんな感じだったよ。あまりに人知を超えていて、神や仏に嫉妬しないのと同じ、と言えば近いかな」
「なるほどねぇ。つくづく、お前ん家は大変だな」
「本当に厄介だよ。朝夷家の男は、みんなどこかおかしいんだ。そのぶん女性は立派なものだと思うね」
「ああ、お姉さんにも会ったけど、格好良かったもんなぁ。いっそ女系にしちまえば良いのに。直系にこだわるのはまだ分かるけど、家父長制にこだわるのはさすがに時代遅れだろ」
「そうかもしれないね。まあ、お爺様がご存命のうちは、あの方の意向に従うしかないのさ」

 実家から逃げ出した自分とは正反対な朝夷の強さは、確かに陸奥の言う通り、次期当主に相応しいのだろうなと丹生は思った。
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