九段の郭公

四葩

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7章

69【男心と秋の空】※

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 風呂から出て一服した後も2人は幾度も交わり、精根尽き果てた頃には空が白み始めていた。
 事後処理を済ませて軽く汗を流すと、共にベッドへ横になる。丹生たんしょうは大の字でぼんやり天井を見上げ、気怠い声をあげた。

「明日……って、もう今日か。思いっきりだらけようよ、家から1歩も出ずにさ。寝て、起きて、ヤって、食って、また寝て……。なにも考えずに、頭からっぽにして過ごすの……」
「それは最高の休暇だね」

 朝夷あさひなは丹生の横顔を見つめ、囁くように答えた。

「メシは出前取ってさ、映画とか見たりして……」
「うん」
「明後日は……髪染めたいから美容院行く。気分転換にパーマでもしようかなぁ。どう思う?」
「良いね。璃津りつはパーマもよく似合う」
長門ながともすれば? お前にはユルい無造作系が良さそう。鬱陶しい髪が似合うのは、本物の男前だけだから」
「お前が言うならそうするよ」

 しん、と寝室に静寂が漂う。それは穏やかで温かく、心地よいものだった。
 初日の侘しさが消え失せたのをひしひしと感じ、やはりこの家には決定的に足りないものがあったのだ、と丹生は思った。
 自分がここに居ることで、朝夷の孤独感は薄れている。独りではないのだから当然と言えば当然だが、きっと自分でなければ意味が無いのだと解る。
 同時に、不安で仕方がないだろうことも解るのだ。穏やかに笑って見せているが、恐らく頭の中では様々な不幸を想像し、怯えているだろう。
 丹生が側に居れば居るほど、優しくすればするほど歓喜し、同時に恐れおののく。怖くて堪らないくせに繋がりを欲し、甘受できないくせに心を確認したがる。それが朝夷という男だ。
 丹生は顔だけ朝夷へ向け、手を差し伸べる。朝夷は一瞬、躊躇ためらったが、やがてその手を握り返した。朝夷の瞳に揺れる不安の色を見るのが嫌で、丹生は目を閉じて繋いだ手をぎゅっと握りしめる。
 プライベートを共有し、手を繋いで共に眠る。そんな凡庸な現状は、2人にとってこのうえなく異様だった。
 朝夷のことならよく分かるが、自分はどうなのだろう、と内省してみる。
 ワンに盛られた薬で意識が昏倒する寸前、脳裏によぎったのは確かに朝夷だった。拉致された時、彼を独り残して消えることを、二度と会えなくなることを、心から怖いと思った。
 彼が暗闇で泣き喚いている夢も見た。それは自分の願望なのか、それとも自分が想像する彼の姿だったのかは分からない。しかし戻ってみると、やはり彼は泣いた。
 自分は自分を不幸にしてくれるから朝夷を選んだはずだ。だが、それだけならワンでも良かったのではないか。あの男も狂気を孕んでいた。愛でもって汚し、おとしてもらうのなら、ワンのほうがよほど適任ではなかっただろうか。まだ知り合って間も無いから駄目だったのかと思ったが、そんなものは関係ないとすぐに打ち消した。
 色々と考え抜いた結果、やはり朝夷を孤独に返すことが嫌だったのだという結論に至る。

(さっき自分で頭からっぽにしよって言ったくせに、何をごちゃごちゃ考えてるんだか……。どうせこの休暇が終わればまた元通りだ。更科さらしなさんちに帰るのは……どうなんだろう。あの人って、いまいちよく分からないんだよな……。俺が朝夷と過ごしてるのは気付いてるはずだし、やっぱり追い出されるよな、普通。また家探さなきゃ……。でも、ずっとここに居たいとか思っちゃってるワケで……。あー、俺ってマジで面倒くさいな……)

 目を閉じ、片手を繋いだままそんなことを考えていると、いつの間にか深い眠りの底へ落ちていた。

 すやすやと寝息を立てる丹生を、朝夷は瞬きもせずじっと見つめていた。
 繋いだ手は温かく、確かにそこに居るのだと実感できる。このまま眠れば、目覚めたら消えているかもしれないという不安も、少しやわらぐ気がした。
 こんなに幸せで良いのだろうか、といつもの懸念が頭をもたげる。いつもと違うのは、今くらい良いだろうと思えることだった。
 彼を失う恐怖に直面したうえに、彼がどこか変わったことで自分も激的に変化しているらしい。
 何かにつけて怯える朝夷に、丹生は嫌な顔ひとつせず、何もかも受け入れて肯定してくれる。思えば出会った頃から、彼が朝夷を否定したことは一度もなかった。
 みっともない部分も、壊れた部分も、狂った部分も、なんてことはないと笑ってくれた。自分も同じだと寄り添ってくれた。

「完璧な人間なんて居ないし、居たとしても関わりたくないな。機械みたいで怖いじゃん」

 いつしか、彼がそんなことを言っていたのを思い出す。完璧に限りなく近い異母弟がいて、それをずっと羨んでいた朝夷にとって、彼の言葉はたまらなく嬉しかった。
 もし自分が完璧だったなら、この至高で最高で唯一無二の存在は、今ここに居なかったのだろう。丹生が居るだけで、まるで凍える夜に暖炉をつけたように家全体が温かく、明るくなる。
 彼に巡り会えたことが既に奇跡で、このうえない幸福なのだと、いつからか頭の隅で理解していた。この幸せを拒絶しないよう、遠ざけてしまわないよう、長い年月をかけて脳髄に染み込ませてきた。
 失う恐怖に耐えられたのも、現状から逃げ出さずにいられるのも、じわじわと幸福に慣れさせた努力の成果だ。ようやく報われかけているのだと、丹生の安らかな寝顔が教えてくれる。
 起こさないよう静かに体を寄せ、細い体に腕を回して抱きしめながら、ごく小さく囁いた。

「幸せだよ、璃津……。俺は今すごく幸せで、それがあまり怖くないんだ……」

 丹生がその時、薄く微笑んだことを、目を閉じた朝夷は知らない。



「なぁ……どういうことだよ……ッ。アイツら、どうなってんだよ……なぁ、おいッ!」
「ッ……んなの、知らねぇよ……ッ! も、まじでお前、ッ……そればっか……うるさいっ!」

 激しく腰を打ち付けながらなつめは苛ついた声を上げ、乱暴に揺さぶられる羽咲うさきが鬱陶しそうに吐き捨てる。
 丹生が戻った夜も同じような展開だったが、今夜は更に棗の怒りが増している。丹生らが揃って休みを取ったからだ。それも3日間、ぴったり同じ期間を。
 特別調査官が連休を申請することは滅多にない。よほどの重症を負うか、感染力の強いウイルスに罹患したか、忌引くらいなものだ。
 丹生はまだ理解できるとしても、朝夷はどう考えてもおかしい。局内ではもっぱら、例の事件で一気に愛が芽吹いたのだろうと噂されている。
 棗は舌打ちして羽咲の腰を抱え直し、更に深く、抉るように突き込んだ。羽咲は背をしならせ、高い嬌声を上げる。

「くそッ! くそが! なんでだよ……ッ! なんであんなヤツに……!」
「ァ゙あ゙ッ! ちょっと、まっ……ァ゙っ、そんな……されたら、い゙くっ! ん゙ん゙っ、アぅ゙ッ!」
「くそったれ……ッ!」

 始終、そんな調子で事が進み、互いに果てると棗は荒く息をつぎながら仰向けに体を投げ出した。羽咲はうつ伏せのまま脱力している。
 乱れた呼吸が落ち着くと羽咲はサイドテーブルから煙草を取り、寝転んだまま火をつけた。

「ヤってる最中まで愚痴るか、フツー。よく萎えねーな」
「……うるせぇ。こうでもしなきゃ、誰かぶち殺しそうになるんだよ……」
「猟奇的すぎ。お前、俺が居なかったら今頃とっくに豚箱じゃん。感謝してほしーわ」
「……してる」

 ぼそりと呟かれた素直なひと言に、羽咲は驚いて振り返る。棗は相変わらず体を投げ出したまま、片腕で顔をおおっていた。よく見るとかすかに震えている。

(嘘だろ、泣いてんのかコイツ。うわー、ヤった後に泣くとかヤバ。女々しいにも程があるだろ)

 羽咲は呆れ返りながら紫煙を吐き、嘆息するにとどめた。
 2人はセックスフレンド以上、恋人未満のような関係だ。恋愛感情は無いが性格と体の相性が良く、長年の付き合いで情もある。
 当然、棗が随分前から丹生に惚れ込んでいるのも知っている。羽咲から見れば、到底、手の届かない高嶺の花を必死で摘み取ろうとする子どものようだった。

「惚れた相手も恋敵も最悪だったな、お前。報われなさすぎて可哀想になるわ」
「可哀想って言うな……。分かってんだよ、それくらい……。アイツには、俺みたいな薄汚い野良より血統書付きのほうが良いに決まってる……」
「お前んちだって名家だろ、ちょっと闇深いけど」
「ちょっとどころか、闇でしかねぇよ……。うちは朝夷の栄光に浮き出される影だ……。アイツにそんなのは相応しくない……」

 でも、と棗は言葉を呑む。まばゆい光に焦がれるのもまた、棗家の性質だ。
 先祖代々、国帝たる朝夷家の栄華を妬みながらも、その権威に魅せられている。まるで篝火に群がる夏の虫のように。しかし身を滅ぼさぬよう適度に距離を保って、最も近い場所で威光を感じるえいよくす。

「俺みたいな庶民にゃ、名家のいざこざなんて縁遠すぎてよく分かんねーけどさぁ。家業がなんだろーと、人を好きになるのは悪いことじゃねーだろ。むしろマトモじゃん。そう卑屈にならなくても良いんじゃね?」
「……好きになられたほうは、とんだ迷惑だろうよ……」

 まだ腕で顔を隠したまま暗い声で言う棗に、羽咲は深々と溜め息をつく。面倒くさい坊ちゃんだな、と思う。
 ほとんど局に居ない羽咲だが、各地を飛び回って多くの人間と関わるせいか、人の本性を見抜くのは得意だ。きっと丹生なら、棗がどれほど深い闇を抱えていてもあっさり笑って受け止めるだろう。しかし残念なことに、丹生の心が棗に向くことはない。棗よりずっと濃い闇に、既に呑まれているからだ。
 棗は朝夷を眩しいと言うが、羽咲はそう思っていない。表向き華やかであればあるほど、内側は一寸先も見えぬほど暗いものだ。
 羽咲はふう、と紫煙を吐いてから明るく言った。

「ま、お互い定年まで相手が決まんなかったら、お前で手ぇ打ってやるさ。お前も俺で妥協しとけよ、な!」

 棗は小さく鼻をすすった後、少しだけ和らいだ声で答えた。

「……それまで俺らが生きてたらな」
「はー? お前、せっかく人が良い感じのこと言ってやってんのに、台無しにしてんじゃねーよ。ほんとムカつくー」

 いつもと変わらぬ羽咲の態度に、棗の口角がほんのり持ち上がった。
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